私がシングルマザーになった理由(わけ)

Jack Torrance

これでいいのだ!

雲一つない澄み切った空だった。


仲春の陽光が眩しいまでに降り注ぎ汗ばむような陽気だった。


その日私は人生において最も幸福でありながら苦痛を伴う試練に直面していた。


私は3年前に国際結婚して夫の狂四郎の実家である岡山県六つ墓村で暮らしている。


夫の狂四郎は畳職人の家の生まれで跡を継ぐ為に義父の元で修行中の身だ。


私は日本の文化に興味があり来日して夫の狂死郎と出会った。


私は通訳の仕事をしていて狂四郎は出会った当時はアパレル関係の企画立案の仕事をしていた。


私は安定した今の職業でいてもらいたかったが何をとち狂ったのか「僕、父さんの跡を継ごうと思ってるんだ」と夫は突然言い出して脱サラして畳職人修行中という不安定な身分になってしまった。


名は体を表すとはよく言ったものだと私は日本の格言に関心させられた。


義母から聞いた話によると夫は幼少期から時たまとち狂う事があったそうだ。


因みに夫の両親は異文化には馴染めないとの事で同居はしていない。


私達夫婦は家賃3万5千円の築46年のおんぼろ一軒家に住んでいる。


一週間前のDr.勅使河原の診察。


「パティ、順調だよ。お腹の子は何処も異常は無いよ。この調子だと来週の木曜までには産気付くだろう。その時はすぐに私に連絡してくれ。この六つ墓村には医師は私一人だ。緊急の事情で私に連絡がつかない事もあるからね。助産師の金田一さんの連絡先もちゃんと覚えてるね。この村は携帯の電波もあまり宜しくないから私に連絡がつかない時はすぐに金田一さんに電話するように。それじゃ何かあったらすぐに連絡してくれ」


Dr.勅使河原はケーシー高峰みたいな白衣を纏い痘痕面で口臭がドブ川のように臭いじいさんだった。


私は彼が喋る度に吐き気を催したが彼はケーシー高峰みたいなエロ漫談も得意としていたので憎めない人物であった。


Dr.勅使河原から紹介された産婆の金田一 ヨネさんとも一度だけ面識があったが肩には頭垢が白雪のように降り積もり如何にも不潔で妖怪のようなばあさんだった。


私は産まれてくる我が子がこの世に生を受けて初めて嗅ぐ匂いがDr.勅使河原の臭い息で頭垢が肩に降り積もった不潔なババアによって取り出されるかと思ったら不憫に感じた。


そして、Dr.勅使河原が言ったようにまるでノストラダムスの大予言の再来とでも言おうか。


きっかし一週間後に私は産気づいたのである。


語弊があった。


何が大予言だ。


何が迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日だ。


ペテン師野郎め。


このはったりオカルト野郎め。


人類は右肩上がりに増殖してるじゃないか!


私は秒針が一つ振れる毎に襲われる陣痛に耐えながらノストラダムスに軽い憤りを感じつつ今直面している現実と向き合った。


「うー、うー、うー、うー、産 ま れ るー!」


リヴィングで観葉植物に水をあげていた夫の狂四郎が顔色を変えて寝室に入って来た。


「だ、大丈夫か?パティ」


「う、う、産まれそうなの。ド、Dr.勅使河原に電話してちょうだい」


私は金切声で夫に言った。


「よ、よし来た」


ベテラン電話交換手よろしく!


夫が携帯を取り出しDr.勅使河原に電話した。


数コールして電話ガイダンスの声がした。


「貴方がお掛けになられた電話は現在電源が入っていないか電波の届かない場所にあるかも知れません。時間を置いてお掛けになられてください」


夫の表情が弱弱しくなり雲行きが怪しくなった。


「だ、駄目だ。繋がらない。ど、どうする、パティ」


「うー、うー、ど、どうするじゃないわよ。産婆、産婆に電話するのよ」


夫の表情があー、その手があったかー!といったような早押しクイズのマヌケ面のパネラーのような顔付きに変わった。


私は「チッ」と心で舌打ちした。


それくらい早く気付けよ。


陣痛の激しい苦痛が私の人格を歪めていく。


「番号を調べてすぐに掛けて来る」


そう言って夫はキッチンに走り去っていった。


3分後。


夫が安堵に胸を撫で下ろしながら戻って来た。


「20分くらいで来てくれるそうだ。僕が慌てているんですぐに仕度して向かってくれるってさ」


おい、お前、何ヘラヘラして言ってんだよ。


何、胸撫で下ろしてんだよ。


遠足は行って帰って来るまでが遠足ですって小さい時に学校の先生に教わらなかったのかよ。


出産は陣痛が始まってから産み落とすまでが出産なんだよ。


気ぃ抜いてんじゃねえつーんだよ。


陣痛による苦痛が私を別の人格へと作り変えていく。


今の私は私じゃない。


そう、人間なんて生き物は裏の顔を隠して生きる卑怯でちっぽけなダニみたいな生き物なのよ。


真面目そうで清楚そうな女の人が3Pしてたり数えきれないくらいの男のペニスの味を知ってたりするんですから。


ケッ、清純派振ったかまととがッ。


私なんてまだ増しな方なのよ。


私は自己嫌悪どころか己を肯定し他人を中傷する己に罪悪感を感じなかった。


夫なんて所詮他人。


私は額から滝のように滴り吹き出る汗をミニタオルで自分で拭っていた。


ぼーっと突っ立って傍観する夫。


普通、ベッドの傍らで跪いてお前が汗を拭うのが良き夫の勤めだろーが。


それでこそ良きサマリア人(びと)だろーが。


何、てめえ、ぼーっと突っ立って眺めてんだよ、このボケナスが。


この一大事が終わったらてめえ墓石の下に沈めてやっからな。


マフィアの取り立て人(びと)よろしく!


私の中のサディスティックな一面が長年下積み時代を経てようやく日の目を見たブロードウェイの踊り子のように聴衆の前に姿を現す。


ジキル博士も己の中に存在するハイド氏と遭遇する度に新たな己の一面を垣間見て興奮してたんだわ。


そう、それはノーマルなセックスしかして来なかった夫婦がある日突然ボンテージコスチュームを持ち出して来た妻に「あたし、女王様になりたいの」とカミングアウトされるように…


5分、10分と時計の針が時を刻む。


寄せては返す波のように凄まじい陣痛の痛みが襲って来る。


時が永遠のように感じこのまま死ぬんじゃないんだろうかという不安に駆られる。


それでも夫は「大丈夫かい?もうすぐだからね。僕が側に付いているから」の一言もなく寝室の出窓の側で「もう来てもいいんだけどなぁ~」と宣うだけのポンコツぶりを発揮している。


私は出産の喜びと激しい憎悪の狭間で葛藤していた。


そして、夫が言っていたように20分が経過した頃だった。


「あっ、来たみたいだ」


夫が目を輝かせて言った。


何だか外が騒がしい。


鼓笛隊のようなものを伴った軽快なリズム。


体中の血液が沸点に達し血湧き肉躍るような肉感的衝動に駆られる戦慄のビート。


ま、まさか!


私は嫌な予感がした。


今にも陣痛による激痛で悶絶しそうな現状の最中ゆっくりと上半身を起こしベッドに座った。


体を右45度回転させ両足をベッドの外に投げ出し踵を床に付けるとゆっくりと立った。


「うっ、うっ、うっ、ふぅー」


私は妊娠で膨らんだお腹を持ち上げるように手を添え出窓の側に一歩ずつゆっくりと近寄った。


あっちゃー!


私はノーアウト満塁で絶好の得点チャンスを迎えているにも関わらず三者連続三振を喰らった四国アイランドリーグplusの監督のようにおでこを平手でピシャっと打った。


何が四国アイランドリーグplusだよ。


四国アイランドリーグなんて唱っておいて三重スリーアローズをplusで片付けてんじゃねえつーんだよ!


四国以外から他チームが参戦してる時点でアイランドじゃねぇーつーんだよッ!


plusで片づけられた三重スリーアローズにも失礼に当たるだろーがよッ!


いっその事、日本独立リーグにしちまえッ!


大体、何アメリカの真似して独立リーグなんか作ってんだよ。


日本人はアメリカの真似ばかりだ。


クリスマス、バレンタイン、ハロウィン、ブラックフライデー。


何、国民の大半が仏教徒でアメリカの真似事ばっかやってんだよ。


そういう事だから同盟国でありながら日米地位協定みたいなクソみたいな協定が成立してんだよ!


私の怒りの矛先は何処へとは定まらない方向へと発信されていた。


それぐらい見たくない光景が出窓の外で繰り広げられていたのである。


15人くらいの小編成のエスコーラの一団が軽快なリズムを伴ってリオのカーニヴァルよろしく!私の家の玄関を目指して行進しているではないかッ!


きっとあのブラジル人の一行は村の基幹産業である豆腐工場、六つ墓村豆腐の出稼ぎ労働者に違いない。


六つ墓村豆腐は墓石の形に成形されている豆腐でふるさと納税の返礼品として好評を博している六つ墓村が誇る人気商品だ。


六つ墓村豆腐の工場はこの前全国区のテレビの放送『知って得する!今これが売れている!』で取り上げられ六つ墓村のふるさと納税は前年度を大幅に上回っているそうである。


その時の放送で豆腐工場の従業員は18人中15人がブラジルからの出稼ぎ労働者という事でもテレビで大仰に取り上げられていた。


日本人従業員は社長と工場長、それと産婆の金田一さんの息子だけである。


金田一さんとの対面の日。


金田一「パティさん、あんた、六つ墓村豆腐を知っとるかね?」


パティ「ええ、この前テレビに出てたでしょ」


金田一「あたしの息子がそこで働いてんだけんども出稼ぎのブラジル人どもと同じ待遇らしくて社長への殺意を募らせているんだけんどもどうしたらいいもんだかねぇ~。この前の晩も大酒食らって『あの社長の野郎め、ぜってえにぶっ殺してやんべぇ~』なんて抜かしてるもんだからさぁ~」


私「私に聞かれてもー。警察に相談されたらどうですかー」


私は金田一さんからその話を聞いてから豆腐に金田一さんの頭垢が混入しているのではないかという疑念が生じ、その日以来六つ墓村豆腐を買っていない。


だって金田一さんと息子は同居していて洗濯機は同じな訳なんだから…


エスコーラの一行を茫然と見据えながら六つ墓村豆腐と金田一さんの肩に降り積もった頭垢の事が脳裏に過りつつも私は夫のとち狂い具合に唯唯奈落の底に突き落とされたような心境に陥った。


エスコーラの先頭をスパンコールで煌びやかに彩られた際どいコスチュームに身を包んだ褐色の可愛らしいサンバガールが驀進している。


身を包んでいると言うよりも寧ろ大事なところを隠しているだけと言った方が正確な表現かも知れない。


キレッキレッのステップを刻みながら撓わな乳房が上下左右に躍動している。


夫が少年の頃に夢見た憧れのプロ野球選手に出会ったかのように瞳をキラキラと輝かせて言った。


「パティ、見てご覧。あのサンバガールのお姉ちゃん。ムダ毛処理をしてないから腋毛がボーボーだよ。陰毛もはみ出しちゃってるよ。ウッヒャー、今日は何て日だ。超ラッキー」


私は沸々と沸起る夫への殺意を感じながら日本が銃社会でない事を神に感謝した。


少年のように無垢な表情で目を輝かせてとち狂う夫。


私は憤り、そして息んだ。


「うー、うー、こ、こ、こ、こ の バ カ ヤ ロ ー !」


そう叫んだ瞬間だった。


二週間便秘で溜め込んだうんこを一気に体外に放出したかのよな爽快感とともにストーンとベイビーを産み落とした。


私は床に落ちる寸でのところでベイビーをキャッチした。


「オンギャー」


元気な産声を上げるベイビー。


お猿のようなベイビーの顔を見て私は今日のところは此奴を生かしておいてやろうという使えないリストラ寸前の社員を抱えた零細企業の社長のような気分になれた。


夫に鋏を持って来させへその緒を切った。


そして、浴室にベイビーをだっこして連れて行き産湯に浸からせた。


ベイビーの体を綺麗に洗ってやってふかふかのバスタオルで拭いてやり、もう一枚綺麗なふかふかのバスタオルを出して包んでやった。


私がベイビーとの対面を慈しんでいる最中に玄関の呼び鈴が鳴りエスコーラの一団に夫が謝礼金を払っていた。


「いやー、お姉ちゃん、良い物見せてもらったよ、ありがとう」


馬鹿な夫の声が玄関から聞こえる。


私はベイビーをだっこして玄関をそっと覗いた。


褐色の可愛らしいサンバガールの女の子が片言の日本語で礼を述べた。


「コンナニクレテアリガト。アナタ、シャチョサン?」


そう言ってサンバガールの女の子は夫の頬にキスをした。


デレーっと頬を緩ませる夫。


私は国際電話でアナハイムの実家に電話し産まれたばかりの娘を連れて帰る旨を伝えた。


Dr.勅使河原から隣町の病院に入院して一週間くらい安静にした方がいいと箴言されたがそれを無視して私は村役場で離婚届を貰って来て私の署名欄に記入してキッチンのテーブルに置いて成田経由でロス行きの飛行機に搭乗した。


私はアナハイムの役所でシングルマザーとして出産届けを提出した。


出産証明書は父の知り合いの医師に偽造してもらった。


私は娘をリオと名付けた。


5年後。


リオが無邪気な笑顔で尋ねて来た。


その無垢で天使のような笑顔は何処となく狂四郎を彷彿させる。


娘は前夫のように馬鹿ではなく利発な子だ。


そこんところは私の遺伝子を受け継いだらしい。


「ママー、なんであたしにはパパがいないのー?」


私は自分の中で創り上げた理想の夫像、父親像をリオに言って聞かせる。


「パパはね、あなたが2歳の時に交通事故で天国に旅行に行っちゃったのよ。ママの事、そして何よりもあなたの事をパパは誰よりも愛してくれていたの。パパもきっとリオの事を天国から見守ってくれていると思うわ。リオはパパの忘れ形見なのよ。ママはリオの事をと~っても愛してるわ」


リオはちょっと悲しそうな表情を見せた後に屈託のない笑顔で言った。


「あたしもママの事と~っても大好き」


私は今とても幸せな毎日を送っている。


真の狂四郎の人物像はリオには伝えないで墓場まで持って行くつもりだ。


あの時、私が下した判断は誤りじゃなかったと胸に刻みながら…

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