インサイト・ジェラシー

 答えがある問題というのは要点を掴めばシンプルに解答を導き出すことができる。世界で起こっている問題が複雑なのは、明確な答えがないせいだ。漠然としているが、私が世界に抱いているイメージはそんなところだ。なぜ偉い人が答えを出せないのかがわからない。何に怯えているのだろう。答えはいつもシンプルだ。少なくとも今私が向かい合っている数学の問題集には明確な答えがある。だからそこに至るまでの筋道さえ見つけてしまえば正解を導き出すことなんて造作もない。結局は持っている武器の問題なのだ。方程式という武器を持っていれば数式は解ける。デバイスにポップアップされる世界情勢のニュースを見るたび、私の頭に疑問が浮かぶ。なぜ大人の世界には明確な解答がないのだろうと。平和だの正義だの協調だの、そんなものは方便でしかない。結局は誰もかれもが自分が一番優れていると言いたいのだ。自己顕示欲、あるいは優性思想にも似たものを感じてしまう。誰かまたは何かと比較することに意味などない。そんなことをする暇があるのであれば、より高次な社会の在り方を作るための施策を世界全体で模索するべきだ。どうでも良い椅子取りゲームに興ずるよりは余程社会にとって価値がある。だが同時に理解しなければならないのは、それが危険な思想だということだ。テロリズムとは偏った思想によって顕在化される。もしも私の手に行動を起こせるだけの環境が揃ってしまえば、現状の社会に対しての不満を暴力という形で具現化させかねない。きっと私はただひとりでもそれを実行するだろう。そのくらい、とりあえず私はムカついている。

 「蓉子はお腹が空いてるんだよ」

 紗季が言うには私は空腹らしい。別にお腹は空いていない。いったいどういうことだろう。

 「お腹が空くとね、人は怒りっぽくなるの。生存本能が刺激されるんだね」

 「私は狩りにでも行かなきゃいけないわけ?」

 クスっと笑って紗季が言う。

 「それも良いかもね。ジビエは美味しいって言うし」

 「ここらへんに野生動物なんかいないでしょ」

 「そうだね。それならいるところに行こうよ」

 「旅行気分で行けるところではないと思うけど」

 「それで良いの。生きるか死ぬかの世界に飛び込むのって、わくわくするじゃない?」

 「私より紗季のほうが危険な考え方をしてると思うわ」

 「原始的って言ってほしいな。それだと私がテロリストみたいになるじゃない」

 「それ、そのままリボンでも付けて返すわ。私はテロリストじゃないもの」

 今はまだ、というエクスキューズは付けなきゃいけないかもしれないけど。いや、私はテロなんてやらかさない。単なる一般市民だ。それで良い。

 「それより、私お腹空いてないんだけど」

 「ものの例えよ。肉体的な空腹と精神的な空腹って、あると思わない?」

 紗季はどういう世界に生きているのだろうか。少なくとも私とは違う世界に生きているんじゃないかと思っているが、現実にはこうして触れ合うことができるし、語り合うこともできる。

 「紗季は変わってるね、やっぱり」

 「私からすれば蓉子のほうが余程奇特に見えるわ」

 私たちはいつもこのすれ違いを繰り返している。年齢も育ってきた環境も触れている文化も同じなはずなのに、どうしてもこの根底の部分で解り合えない。それは生まれ育った環境が同じであるということが、各個人のパーソナリティを同一化する決定的な要素ではないということの証左でもある。

 私と紗季を含む他の”子どもたち”は、人の英知が生み出した人工物だ。四度目の世界大戦以後世界経済は過去最大の大恐慌に陥り、国家という概念は事実上の崩壊を余儀なくされ、旧人類のほとんどが子どもを持つことができなくなった。つまりは世界規模での人口減少が始まり、少子高齢化に歯止めが利かなくなったのだ。そのため、私たちのような優性遺伝子――この表現には反吐が出るが――を用いたニア・ポスト・ヒューマン計画が施行されることになったというわけだ。

 人は、私たちのことを始まりの意味を込めて『アルファ』と呼ぶ。馬鹿げた考えだと思うのは、遺伝子操作程度で人類が革新できると世界全体が信じているように見えるからだ。私たちはそんなに便利なものではない。事実、作られた私たちふたりの間でさえ解り合えないことがあるのだから、人類が目指している革新が如何に難しいものであるかは想像に難くない。まったく、どうしようもなく馬鹿げている。

 「紗季はどうして私と話すの? みんな近づいてこないのに……」

 「どうしてかな。親近感? 違うかな。なんとなく解り合える気がしてるんだよね」

 「いつも意見が合わないのに?」

 「意見が合うかどうかと解り合えるかどうかは別な問題。意見の相違は過程の段階にあるって感覚かな。相互理解に対話は必須だよ」

 私は紗季のこういうところが苦手だ。すべてを見透かしているようで、なにに対しても興味がないような、そんなところが。

 「私はどう見えてるの?」

 「どう……っていわれてもなぁ。まぁ、強いていうならテロリストね」

 「やらないってば。前からいってるでしょう? アルファは『区域』からは出られないんだから」

 「出られないんじゃないよ。出られないと思わされているだけ。私はそう思うな」

 「『教官』たちに聞かれたらどうするの……」

 「あの人たちにはなにもできないわ。権限が付与されてない」

 それは私も解ってる。私が嫌なのはあの厳重注意をもう一回受けなきゃいけないことだ。私たちはふたりとも別の問題で厳重注意を受けた。無駄に長い規約と宣誓文を読まされた挙句、それをこの時代に手書きで専用の用紙に写させられる。私はそれを写経と呼んでいるが、あれは本当に苦痛だ。

 「それはそうとしても、私たちはデバイスにGPSを付けられてるんだからどこにも行けないでしょ」

 「……たしかめてみる?」

 紗季の一番危険なところはこれだ。知りたいことはすべて知らなければ気が済まない。私がテロリストなら、紗季はモンスターだ。人の姿をしているぶん、私よりも数段厄介だろう。しかもこのモンスターには行動力が備わっている。顔は……可愛い、とは思うが。そこも含めて厄介であることは違いない。

 「冗談よ。後が面倒だわ」

 「珍しいこともあるのね、紗季がそんなこと言うなんて」

 「失敬ね。私だって面倒なことは嫌だもの」

 「それもそうね」

 面倒なこととはおそらく写経のことだろう。このままだと私も巻き込まれるし、おとなしくしてくれる分には一向に構わないが、とはいえ紗季のことだ。どうせ八割方本気で言っているに違いない。

 「問題はその面倒なことをどうやって回避するかね」

 ほら来た。紗季は自分の知的欲求に必ず負ける。いや、そもそも勝つ気がない。もはや身を委ねていると言ったほうが正しいだろう。自分の欲求に対して正直なのは潔くて良いと思う反面、私のことは巻き込まないでほしい。

 「蓉子も興味、あるでしょ?」

 私は紗季の眼差しに射抜かれるとどうしても首を横に振れなくなる。正直アルファに生まれたことを後悔しているが、後悔しようにも生まれてきたしまったことにはもう仕方がない。私にも知的欲求、好奇心には勝てない遺伝子が入っているようだ。

 「施設内であればそこまで面倒なことにはならないと思うんだけど、どう?」

 「まぁ……実験としてならアリかな」

 「どこまで行けるか試してみようか」

 「私は……」

 「なに? 気になるところでもあるの?」

 「データサーバーにアクセスしたい」

 私には知りたいことがあった。どうして旧人類は戦争なんて非生産的な蛮行に至ったのか。ある意味私たちアルファはそのせいで「生まれてしまった」副産物のようなものだ。私たちが触れることができる情報には限りがある。いくら書物を読もうと、いくらネットの情報をかき集めようと、きっと真実はそこにはない。私はなんとなくそれに気がついていた。論理構築の際、一番大事なところが必ず欠けるのだ。おそらくそこに入るのは、一部の人間しか知らない真実。

 「蓉子はやっぱりテロリストね」

 「……どうして?」

 「知りたいことのベクトルが破壊的」

 「紗季には言われたくないな。他のアルファなら立ち入り禁止区域ギリギリまで行こうなんて発想は出てこないよ」

 「できればその奥まで行きたいんだけどね」

 やっぱり紗季はモンスターだと思う。

 

 私たちは比較的『教官』たちの警備が手薄になる夜間を狙って施設内奥部に行軍することにした。もちろん発案者は紗季だ。なぜか紗季は施設のことになると異様に詳しい。おおかた個人的に色々調べていたのだろう。どうやって調べていたのかについてはあまり知りたくない。興味がないのではなくて、紗季の弁舌に耐えられる気がしないからだ。

 紗季は慣れた足取りで、マップを見ずに私の目の前をずんずん進んで行く。ここはおそらく過去に何度か来たことがある道なのだろう。心なしか紗季は嬉しそうだ。それにしてもここまで下準備が良いとなんだか紗季の行動が少し違って見える。まるで私がこの場にいることまで見越していたかのような段取りの良さだ。

 「紗季、私がついてくるって解ってたの?」

 「うーん……五分五分だったかな。でも蓉子なら私と同じように考える気がしてた」

 「どういうこと……?」

 「この世界に違和感がある、あるいは疑念、猜疑心がある」

 「そんなふうに見える……?」

 紗季には見抜かれていた、というより初めから紗季は私のそういう思考に気づいていたのだろう。そう考えれば辻褄が合ってくる。私と話す理由も、私と解り合おうとする理由も、私となにかをしようとする理由も。

 「蓉子はたぶん他人に興味がないから、そこが好き」

 「そんなことないけど」

 「興味のベクトルが内的動機に向いてるのに、他人に興味があるなんて不自然よ」

 「そう……かな……」

 紗季に言われるまで気がつかなかった。いや、たぶんこれは潜在意識の話だ。自意識として持っていなければ気づきようがない。私は今初めて自分の無意識を意識したのだ。そしてそれはおそらく紗季が私よりも早く自分の潜在意識を自覚したということの証左だ。

 「紗季は、他人に興味があるの……?」

 「なかったら蓉子と話してないと思うわ」

 つまりはそういうことだ。紗季が求めているものは私と同じだ。同じと言ってもベクトルが同じというだけで、同じものを求めているわけではないだろうが。では、私の求めているものはなんだっただろうか。混沌? 破壊? 革命? どれもしっくりこない。少なくともアナーキズムを求めていないことはたしかだ。そうやって考えていくと、紗季が求めるものもはっきりしない。紗季は私になにかを求めているのだろうか。あるいはこの世界に対してなにかを求めているのだろうか。

 「妙だわ。『教官』がいないわね」

 唐突に紗季が違和感を口にする。私は初めてのことなのでいつもと違うのかどうかすら解らない。

 「そんなにおかしいことなの?」

 「そりゃね。セキュリティが万全じゃない国家施設って危ないじゃない」

 「それはそうだね。もしも私だったら……」

 「どうする? そのもしもだったら……」

 「施設破壊は社会的メッセージがあるけど、アルファを狙う意味が解らない」

 「どうして?」

 「合理的じゃないし、倫理的にも理解ができない」

 「テロリストに道理が通じると思う?」

 「それはテロリストというより、民衆に興味がない革命家だわ」

 「そう、私たちと同類ってことよ」

 「え……?」

 ちらりと紗季が向けた視線の先に、血痕が見える。

 「アルファが民衆に興味を持つと思う?」

 「アルファの中にそんな個体がいるとは思えない」

 「仮に共同幻想から生まれた集合体だとすれば」

 「無意識下で集団を形成したっていうの? まさか」

 「弾圧や抑圧から生成されるテロリズムって、興味深いわね」

 「そんな呑気なことを言ってられる状況じゃない。警報を……」

 走り出そうとする私の手を紗季が掴んで、私は振り向く。

 「蓉子、これがあなたの望んでいたことじゃないの?」

 私の望んでいたこと。違う。私はアルファという特別視――ある意味で別称、ある意味で差別、ある意味で神格化――が嫌なだけだ。特別じゃない私でいたい。ありふれた生活に、私は憧れたのだ。それを得るための方法としてのテロリズム。

 「紗季、私はこんなことを望んでいたわけじゃない」

 「そう」

 「紗季は知ってたの?」

 「まぁ、他のアルファに妙な動きをしてる連中がいるのは知っていたわ」

 「明日のトップニュースはお偉いさんのスキャンダルで決まりね」

 「哀れな子羊さんに同情するわ」


 私たちはさらに奥に進んで、メインのデータサーバーが置いてあるラボの前にいた。空気が冷たい。余程の電力消費量なのだろう。

 「サーバールームはここよ」

 私はデバイスを同期して、めぼしいデータがないか検索する。……該当なし、……該当なし、……該当なし。

 「だめだわ、ここにある情報は私がほしいものじゃない」

 「蓉子にとって都合の良い情報はきっとここにはないわ」

 「どういうこと?」

 「結局私たちにとって都合の悪い情報しかないのよ。真実ってきっとその人にとって都合の悪いものでしかないのね」

 「私もバイアスがかかってるってこと?」

 「そう。そしてそれは私も同じ……」

 「紗季は一度ここに来たのね?」

 「ええ。できる限り調べつくしたつもりよ。でも私がほしい情報はなかった」

 紗季のほしい情報とはなんだったのだろう。

 「私たちアルファはきっと無意識では自分たちの優位性に気づいている。だから大衆に興味を抱けない。さっきの光景はそれを証明したわ。たぶん今夜は市街地で何人か死人が出るはずよ。アルファが首謀者だということは伏せられるだろうけど」

 「それは解ってる。解らないのは紗季、あなたがどうして今ここにいるかよ」

 「……嫉妬」

 嫉妬? 誰に? 

 「私は蓉子に嫉妬していることに気がついた。いつもひとりでいるのが当たり前の蓉子にどこか憧れていた」

 「私はそんな大した人間じゃないわ」

 「蓉子がアルファとしての理想形だと私は思った。優性遺伝子を持ち、さらに蓉子には強い動機と思想がインストールされている。それは私が獲得できなかったもの」

 「紗季……」

 「アルファが作られた目的は来るべき新時代に向けて、その先導者を作り出すこと。蓉子にはその素養がある」

 「紗季にも動機があったはずよ。そうじゃなければこんなところに来なかった。そうでしょ?」

 「私の動機は……知りたかった。自分が作られた意味を」

 ああ、そうか。私が紗季に抱いていた感情の正体はこの素朴さに対しての感情だったのか。

 「紗季はモンスターよ」

 「……モンスター?」

 「そう。自分の知的欲求を満たさずにはいられない、腹ペコの怪物」

 「それは良いわね。テロリストとモンスターの組み合わせなんてどんなB級映画でもあり得ないわ」

 「組み合わせないわよ。そんなエンゲル係数が高そうな組み合わせは嫌」

 「蓉子はここから逃げたい?」

 「そうね、息苦しいのはごめんだわ」

 「一緒に逃げない?」

 「それも良いけど、ひと眠りさせてほしいかな。しばらく私たちは安全でしょ」

 「補充の『教官』が来るまでは……安全というか、まぁどうにでもなるわ。先に市街地のほうが危険になるだろうし、こっちの人員は到着まで時間がかかるはず」

 「逃げるなら食料とか、そういうのも必要でしょ? 慌てなくてもこの状況ならどうにかなるわ」

 私は内心気分が良かった。これで世界が変わるかもしれない。心がざわめく。紗季の嫉妬。私も多分、紗季に嫉妬していた。その奔放さに、素朴さに。でもそれは紗季には秘密だ。

 「蓉子、私は食料を集めてくるわ」

 「わかった。よろしくね」

 さて、これからなにが起こるのだろう。私のムカつきはすっかり晴れて、明日世界がどうなっているのかが楽しみでしょうがなかった。ああ、世界よ、とっとと壊れてしまえ。その混乱の中、悠々自適に私は生きるのだ。旧人類もアルファも関係ない、新時代の中で。

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10分で読める百合SFシリーズ 佐々木慧太 @keita_jet

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