第5話

 ルウさんが運んできた大量の段ボール——その中は、ほとんどが高そうな服だった。ファッションセンスを前世に置いてきた俺と伊夜彦からすれば、何故こんなにも服がいるのか?、と思わざるを得なかったが、ルウさん曰く『イギリスに居た頃は、付き合いで毎日違う服を着る必要があったんです』ということらしい。社長令嬢というのも、意外と大変みたいだ。


『でも、流石に多過ぎですよね……。すみません、勢いあまってたくさん持ってきてしまって……、少し処分しますね』


 と、ルウさんは言った。だが、俺と伊夜彦はそれを全力で阻止した。一体どこの世界に、女の子に対して「服を捨てろ」という男がいるのだろうか。いや、多分いるところにはいるんだろうけど、さっきも言ったように、俺と伊夜彦はファッションセンスを前世に置いてきた男——、想像もつかない『ファッション』の世界に、とやかく言う気は毛頭ないのだ。

 という訳で、当初予定していたルウさんの部屋に服が入りきらない事は確定事項と相成ったので、ルウさんが段ボール内の服を整理している間に、俺と伊夜彦は全速力で隣の空き部屋の掃除を敢行した。ルウさんの溢れんばかりの服は、その部屋に収納することにしたのである。

 

『そんな、二つも部屋を使わせてもらう訳には……!』


 と、ルウさんは言った。相変わらず低姿勢な人である。俺は即座に、


「いやいや、部屋はまだまだあるから大丈夫ですよ。それに、使って貰った方が大々的な掃除をする手間が省けるので助かります」


 と、返した。


 『でも……』とルウさんは再度遠慮したものの、埃まみれの俺と伊夜彦を見てか、最終的には頭を下げつつ了承した。この時に放った俺の「You're welcome!」は、伊夜彦によれば、存外にネイティブっぽい発音だったらしい。俺が英語を習得する日は、意外に近いのかもしれない。


 およそ二時間半の奮闘を経て、めでたく服の収納——もとい、ルウさんの引っ越しは完了した。現在時刻は十一時十五分、ちょうど昼飯の頃合いだ。俺とルウさん、伊夜彦の三人は、そろって居間へと移動した。


「焼きそばが食べたい」


 居間に着くやいなや、伊夜彦が言った。焼きそばは伊夜彦の好物の一つである。

 俺が「おっ、それいいな」と返す一方で、ルウさんはキョトンとした表情を浮かべていた。首を傾げて、「YAKISOBA……?」と口にする彼女の姿は、改めて、ルウさんが海外の人であることを思い出させた。

 焼きそばの説明を伊夜彦に任せ、俺はエプロンを身に纏い、居間と一枚壁を隔てた台所へ入った。冷蔵庫からは食材、シンク下の戸棚からは調味料諸々を取り出し、切る、混ぜる、味付ける、焼く、盛り付けるの五段階を経て、およそ十五分でソースの香りが立ち昇る焼きそばが完成した。


「へい、おまちっ。こちらが『焼きそば』です」


 どこぞの屋台の大将っぽい口調でもって、ルウさんの前に差し出すと、彼女は眼をキラキラと輝かせ、


『漫画で見た事あります! あの、お祭りの!』


 と、声色高らかに言った。その新鮮な反応に、俺も伊夜彦も口元を綻ばす。ルウさんが日本に残りたいと言ったのは、もしかすると、漫画の影響とかなのかもしれない。俺はルウさんの対面に座り、手を合わせる。伊夜彦も俺に倣うように、パチンと手を合わせた。声を揃えて。


「「いただきます!」」


 その日本特有の挨拶に、ルウさんは再び笑顔を見せた。俺達と同じように手を合わると、カタコトながらも、元気よく叫んだ。


「イタダキ、マス!」




 焼きそばに舌鼓を打った伊夜彦が家に帰った後、俺とルウさんは居間にて卓を囲み、今後について色々と話をすることにした。

 まず優先して話すべきなのは、学校についてだ。互いの学校の授業時間によっては、飯の時間やらなんやらを調整する必要がある。俺たちは共に十七歳。親元を離れているとは言え、毎日学校に通う必要がある———と思っていたのだが、


「飛び級!?」

『はい。正確に言いますと、二年生で受ける課程はほとんど単位を取り終えたので、現状特に行く必要がないということですね』


 俺は彼女の発言——あいも変わらず翻訳機を介しているので、日本語音声ではあるが——に、素っ頓狂な声を上げた。


 (と、飛び級ってマジであるんだ……。)


 海外にはその制度があると聞いたことはあったが、せいぜい世界を揺るがす程のとんでもない天才が受ける恩恵だと思っていた。まさかルウさんも飛び級しているだなんて——、


 (いや待て、ということはルウさんって実はものすごく頭がいいんじゃ……!)


 という俺の崇敬を帯びた視線で察したのか、ルウさんは謙虚な物言いで、


『社長令嬢という立場は意外と忙しいもので、学校に通えないことも少なくなかったんです。ですが、流石に欠席過多で卒業できないというのも問題でしたので、学校に相談して、時間のあるうちにどんどん先の授業を受けさせてもらったんです。まぁ、今年は父が新規事業を立ち上げる関係上、社長令嬢として特に動くことはないらしいので、先取り損ではありますが……』


 と語った。


 (なるほど。つまるところ、本来は二年生の一年かけてやるべき内容を、最初の数ヶ月でやり切ったという事か。いや、どっちにしろ凄いことに変わりはないけれど……。)


「と、なると学校は……」

『はい、今年はもう行かなくて大丈夫ですね。ただ、学校での活動の関係で、週に一度のオンライン授業でクラスメイトと話し合いをすることはありますが……』

「ほほう、オンラインで……」


 日本でも、地域によってはパソコンを使ったオンライン授業を取り入れている学校もあると聞く。聞くが……しかし、いやはや海を越えてのオンライン授業とは……。今使ってる翻訳機といい、時代の進歩というのは凄まじいものである。


「じゃあ、基本は家にいるってことです……ね。俺は平日の夕方までは学校なんで、その間はお留守番しておいてもらうことになりますけど、大丈夫ですか?」

『はい、大丈夫ですよ。あ、でしたらその間に私、お洗濯やお掃除をやっておきますね』

「えっ、いいんですか!?」

『もちろんです!』


 ルウさんは「任せてください」と言わんばかりに胸に手を置いた。

 その姿が何とも可愛らしかったのは一旦その辺に置いておくとして、いや、正直なところ、これはかなり嬉しい提案である。このところ中々忙しくて、自分の時間というものをあまり作れていなかった。家事云々をルウさんがやってくれるのなら、できた時間を自分の事に——それこそ英語の勉強にだって使うことができる。


「いやぁ、本当に助かります。ただ、全部任せっきりというのも家主として立つ瀬がないんで、あくまで分担という事で……。やれる方が率先してやっていくという形にしましょう」

『はい、わかりました。……実を言うと、私も家事が大の得意という訳ではないので、色々教えてもらえると嬉しいです』

 ルウさんは、頬を人差し指でかきながら苦笑いを浮かべる。俺は「へぇー」と相槌を打ち、

「なんか、意外です。てっきり何でもそつなくこなしちゃうタイプかと」

『情けない話ですが、イギリスに居た頃はお手伝いさんが全部やってくれていましたので……』

「な、なるほど……」


 執事に引き続き、お手伝いさんと来たか。いやはや、すごい世界である。


「まぁ、その辺は少しずつやっていきましょう。あとはそうだなぁ……ルウさん、料理とかはどうですか? やっぱり経験ない感じで————」


 と、言いながらルウさんを見ると、しかし、ルウさんは視線を明後日の方向に飛ばし、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。俺は察する。


「あ、じゃあ料理も……」

『……はい、苦手です。正直なところ、家事の中でも料理がダントツでダメで……。簡単なものならレシピを見れば一応形にはなるんですが、普通の料理となると、何と言いますかこう……感覚が分からなくて。どれだけやり方を見ても、まったくもってピンとこないと言いますか……』


 あー……、ものすっごい分かる……。


 俺も水泳の授業の時、何度教わっても何度お手本を見てもバタフライのやり方が分からなかったことがある。身体の動かし方とか息継ぎのタイミングとか、知識としては頭に入っているのに、いざ泳ごうとするとなんかできないのだ。あれはもうきっと、向き不向きの問題なんだろう。一朝一夕でどうにかなるような代物じゃない。


 過去に類を見ない程の共感の念が胸中に渦巻き、俺は思わず天井を仰いだ。しばらくの間その感情に身を委ねた後、俺は視線をルウさんに戻し、言う。


「———わかりました。じゃあ料理は全部俺がやるんで、ルウさんは他の家事をぼちぼち手伝ってくれれば大丈夫です。分からないことがあったら、遠慮なく聴いてください。」

『……すみません、ありがとうございます』


 ルウさんはペコリと会釈する。俺は「いえいえ」と返しながら、他に話しておくべきことはなかったかなと考えた。すると、


『……あの、私もひとつ、いいですか?』


 静々と、ルウさんが右手を上げた。


「もちろん、何でもどうぞ」


 そう促すと、ルウさんはおもむろに立ち上がった。俺は座ったままなので、スラリとした彼女の身体を下から見上げる形となる。あいも変わらず、男の俺でさえ羨むようなモデル体型で——、とかなんとか考えていると、ルウさんは長い手足を真っ直ぐにし、気をつけの姿勢をとった。そして———、


『ごめんなさい!!』


 そう叫びながら、勢いよく頭を下げた。


 —————。

 —————え、なに?

 

 突然の真っ正面からの謝罪に、俺の脳内が『困惑』の二文字で埋め尽くされた。

 だが、無理もない。なぜなら何の前触れもなかったことに加え、こんな腰を九十度に折り曲げた綺麗な謝罪は、伊夜彦の家——すなわち雨山組事務所の玄関前でぐらいしか見たことがないからだ。

 俺が戸惑いの限りを尽くしていると、ルウさんは立て続けに言った。


『ずっと言おうと思っていたんですが、昨日も今朝も中々タイミングがなくて……。私のわがままのせいで、桜司さんにご迷惑をおかけしてしまって……本当にごめんなさい!』


 頭を下げたまま、再度謝罪を口にする。俺は未だピンと来ていなかったが、「私のわがまま」という言葉にはどこか思い当たる節があった。困惑で埋め尽くされた思考を掻い潜り、その正体を探る。そして——、


「あぁ、そっか!うちに来た理由か!」


 つい昨日、ルウさんと初めて出会った時に受けた母さんからの電話。そこで母さんは、社長の息子が日本に残りたいと言って聞かなかったー、というような事を言っていた。息子なのか娘なのかで頭を抱えてたせいか、今のいままですっかり忘れていた。


「いやぁ、思い出しました。てか、全然謝るようなことじゃないですよ。迷惑でも何でもないですし、何より一人暮らしも退屈してたところだったんで、賑やかになって嬉しいです」


 そう笑顔で返した後、いまだ頭を下げ続けるルウさんに対し、俺はひとつ付け加えた。


「あぁでも、ルウさんがそこまでワガママを通したのはなんか意外です。まだ数時間しか話してないですけど、ルウさん、とても謙虚な人だから。何か理由があったんですか?」


 そう問うと、ルウさんはゆっくり顔をあげた。ブラウンのショートヘアが揺れ動き、エメラルドの瞳が露わになり、そして——真っ赤に染まった頬がその姿を現した。ルウさんはスッと座り、静かに言う。


『その、実は……』

「うんうん」


 俺が耳を傾けると、ルウさんは心底恥ずかしそうに囁いた。


『……せっかく日本に来れたのに、すぐ帰るってなって。それがあまりにもショックで……その、つい地団駄を……』


 ルウさんの口からそのエピソードが綴られた瞬間、俺の脳内に「スイートルームで叫び散らかしながら地団駄を踏み、執事やメイドを困らせる超雑美人のルーシャリットさん」のイメージ映像が流れ出した。俺は思わず吹き出す。


「アッハッハッハッハ!!」

『わ、笑わないでくださいぃ……』


 顔を真っ赤に染めるルウさんを尻目に、俺は屋敷に響き渡る声量で、しばらくの間爆笑した。ややあって、涙目で睨んでくるルウさんに対して「いやいや、すみません」と言いながら、俺は姿勢を整えて彼女を正面に見据える。


「じゃあまぁ、これで全部笑い話ということで。これからは本当に気兼ねなく、ここを自分の家だと思ってください。その方が、こっちも楽ですから」


 そう言うと、ルウさんは『はい!』と返事をし、花のような笑顔を咲かせた。


『これから、よろしくお願いします』


 座ったまま、丁寧に頭を下げるルウさんに倣い、俺も「こちらこそ」と会釈する。

 そして、そーいやまだ言ってなかったな、と思い出し、俺は咳払いをひとつついてからルウさんを見つめ、最大限の笑顔でもって、こう叫んだ。


「————ようこそ、水谷家へ!」

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水谷くんは巻きこまれ @shimarin

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