23:ひまわり

「ねえ、私きれい?」

 そんな、一昔前の都市伝説のような台詞を投げかけてくるのは、一輪の向日葵だった。

 植物らしく自ら動き出すことはなく、ただ花をこちらに向けて立っているだけなのだが、目も鼻もない顔でXを凝視しているようにも思える。花そのものがXの顔より大きいのだ、Xより遥かに高い背丈も相まって、なかなかの威圧感をもたらしていた。

 Xは、花が突然語りかけてきたことに驚きもせず、大輪の向日葵を見上げて、淡々と言う。

「私は好きですよ」

「きれいかどうか聞いてるんだけど」

「きれいだと思いますが、最近、ずれてるってよく言われるので、自分の感覚に自信がなくて」

 これは、もしかして、私が悪いのだろうか。私が悪いのだろうな。どうもXを相手にすると、本来言わなくていいようなことまで口走りがちだ。

 だが、Xの感覚が我々とずれているのは客観的な事実だと思っている。それが、長らく世間から隔絶されていた結果なのか、そもそも最初からずれた感覚の持ち主なのかは定かではないが。なお、私の見立てとしては後者である。

 向日葵はそんなXに向けて、明らかに不機嫌な声を上げる。

「自分でそう思ってるなら十分じゃない。もっと胸を張りなさいよ。そんな顔で言われたら、こっちまで自信がなくなっちゃう」

「すみません」

 Xは心底申し訳なさそうに言った。視界がわずかに下がったところを見ると、恐縮に思うあまりに身を縮めたのかもしれなかった。彼を見下ろす向日葵が、「そういうとこ!」と更に憤りを見せる。

「顔を上げて、背筋を伸ばして、しゃんとして。私を見習いなさいな」

 確かに、向日葵の姿は凛として、空に向かって真っすぐに伸びている。一本の太い茎、そこから伸びる大きな葉、そして鮮やかな黄色の花びらに縁取られた大輪の花。向日葵、という名前からイメージされるのは、いつだって夏の青空を背景とした堂々とした姿であり、目の前の一輪はまさしく私の頭の中の「向日葵」を体現した存在だった。

 Xが向日葵の言葉に従ったかは定かではない。Xの体の動きはディスプレイに映らない情報ゆえに。しかし、少しだけディスプレイの画像が揺れたのを受けて、向日葵がありもしないはずの鼻をふんと鳴らしたため、言われたとおりに姿勢を正したのかもしれない、ということは推測がつく。

「私も、聞いた相手が悪かったってことね。その辺の鳥に聞いた方がマシだったわ」

「ちなみに、鳥は、何と答えたんですか」

「『悪くないとは思うけれど、時を経た方がもっと好ましい』ってね。要するに、私の見た目なんて最初から興味がなくて、種目当てなのだわ、あいつら」

 こちとら、食べられるために種を作ってるわけじゃないのよ、とぶつぶつ言う向日葵に、なんともおかしみを感じる。

「そんな鳥よりもダメでしたか」

「ダメね、全然ダメ。まず、そのぼんやりした顔をどうにかできない?」

「よく言われますが、顔かたちは生まれつきなので」

 Xの返答はごくごく真剣そのものだった。この場合の「顔」はどちらかといえば「表情」だったのかもしれないが、その場合もXの返答はそう大きくは変わらなかっただろう。「そのつもりはないのですが、そう見えてしまう顔なので、どうしようもありません」と返すXの顔が容易に想像できてしまう。そう、もちろんいつも通りの、ぼんやりとした冴えない顔なのだろう。

 人のような呼吸とは無縁のはずである向日葵の、深い深い溜息が聞こえた。Xの返答は全くもってお気に召さなかったと見える。まあ、それはそうだろうな、と私もそっと息をつく。

「あなたと話していると、くよくよしてた私の方が馬鹿馬鹿しくなってくるわ」

「くよくよするようなことが、あったのですか?」

 確かに。何も迷いがないならば、そもそも鳥や通りすがりのXに自分がきれいかどうかなんて聞かないはずだ。向日葵自身が言ったように、顔を上げて、背筋を伸ばして、しゃんとしていればいい。だが、そうはなっていない以上、向日葵が何かを悩んでいるのは、どうやら間違いないことであるらしい。

 ただ、Xの問いかけに対し、向日葵はつんとした態度で言う。

「どうせ話したところで右から左でしょ、その顔じゃ」

「顔で判断するのはやめてもらえませんか。これでも結構気にしてるんです」

「気にしてたの?」

 気にしていたのか。前にも同じようなことを思った気がする。ただ、向日葵がそのように思うのも無理はないとも思うのだ。Xは傍から見ると何を考えているのか極めて読み取りづらく、実際のところ積極的に物事に対して関心を持とうとしないところがある。本人が意識してそうしているのか、意図せずそうなってしまうのかはわからないが。

 故に、人の話にもろくに興味を抱かないのだろう、と思われがちであり、私も当初はそう考えていた。だが、今となってはそれが正しくないことも、知っている。

 Xは、我々が思う以上に、相手をよく観察している。物事に興味を持つことは少なくとも、「人」には興味を持っているのだ。この場合の「人」というのは生物的な人間という意味ではなく、向かい合う相手、という程度の意味合いとしての、ひと。

 だから、Xは向日葵を見上げる。語りかけてきた相手への興味を垣間見せる。

「話くらいは、聞けますよ。……気の利いたことが言えるかは、わかりませんが」

「いいわよ、別に期待してないから。でも聞いてくれるっていうなら、話してみようかな」

 そう言う向日葵は、もちろん自ら動き出すことなどなかったのだが、吹いてくる柔らかな風にふわりと大きな葉を揺らす。

「この前ね、私たち花の間で、ちょっとした集まりがあったの」

「……どうやって、集まるんですか?」

 向日葵はどう見てもその場に根付いており、周りに他の花の姿は見えない。今まで身じろぎ一つしていないところから見ても、この『異界』における花は、自由に動ける類のものではないと思われた。向日葵は「話の腰を折らないでよ」と言いながらも、なんだかんだ親切に説明を加えてくれる。

「実際に集まるんじゃなくて、私たちはね、遠くの仲間と声をやり取りできるの。たくさんの花が声を交わし合うのを、人の言葉に合わせて『集まり』って呼んでるわけ」

 なるほど、『こちら側』でいう電話会議のようなものか。花には花なりのコミュニケーション手段があり、それを生かして情報をやり取りしている、ということらしい。

「そこで、ちょうど、この辺りを旅している旅人の話が出たの。その人は花が好きみたいで、私たちの顔を見るたびに褒めてくれるって話題で持ち切り。それで、それぞれどんな言葉で褒めてもらったのか、って話になったわけ」

「あなたも、その人に会ったんですね」

「ええ。でもね、その人、何て言ったと思う?」

 ――なんと立派な姿だろう。その堂々たる佇まい、黄金を冠する王者のごとし。

「わかる? 他の子たちは、可憐だとか、華麗だとか、神秘的な美しさ、なんて言葉をかけてもらってるのに、私だけなんか、ちょっと、違うと思わない?」

 向日葵の主張に、私は申し訳ないと思いつつも、向こうから見られていないことをいいことに、つい笑ってしまった。

 しかし、私と違って、Xは表情を緩めることすらせず、真っ直ぐに向日葵を見上げていただろう。やがて、ぽつりと言ったのだ。

「それで、見た目に自信がなくなってしまった、と」

「そう。私は他の子よりちょっと背は高いし、花だって大きいけど、だからって、こう……、なんかこう、もっといい言葉、あったんじゃないかしら! そう思うわけよ!」

「比較を始めてしまうと、気になってしまうことは、ありますよね」

「比べるようなものじゃない、ってわかってるつもりよ。でも、何となく、納得できなくて。もっと小さくて儚げな方が、人は『きれい』って思うのかしら、って思っちゃったのよ」

 Xは言葉を選んでいたのか、「そうですね……」という言葉の後に、少しだけ沈黙を挟んでから、口を開く。

「確かに、大きい、というのはそれだけで人を圧倒しますから。実際の美醜とは別に、きれい、よりも先にすごい、だったり、大きい、という感想になることは多いかもしれません」

「そう、やっぱり……」

 向日葵の声が沈む。だが、その反応を受け止めながらも、Xは更に言葉を重ねるのだ。

「しかし、例えば、あなたが、小さく儚げになったとして、……それは、きっと美しいのだと思います。可憐な花なのだろうと。ただ、それは、私の好きな花では無いんです」

「……そういうもの?」

「ええ、私は、自分の頭の中にある、空に向けて咲く夏の花、凛として背筋を伸ばす大輪というイメージを好んでいるので。そして、あなたは、まさしく、その形をしている」

 ――そして、そう思っているのは、きっと、私だけではない。

 向日葵はじっとXを見つめている。目のない顔で、Xを見ている。

「あなたは、きれいですよ。その上で、更に、人の中に強い印象を焼き付けている、というだけの話。その印象は、あなたの美しさを補強はしても、他と劣ることを意味しない」

 ただ、印象が先に言葉になることで、そもそもの前提となっているはずのきれいさについて言及されなかった、というだけで――そこまで言ってから、Xは突然「ええと」と声を萎ませる。

「だから……、その、自信を無くすようなことでは、ないですよ」

「なんでそこであなたの方が自信を無くすのよ」

「偉そうなことを言ったな、と……」

「もう、締まらないなあ」

 そう言った向日葵の声は、しかし、先ほどよりもずっと明るかった。

「でも、ありがと。思ったよりずっと、気の利いたこと言えるんじゃない」

 そうですかね、と言うXの声は依然萎んだままで、向日葵はそんな彼の反応がおかしかったのか、更に笑ってみせるのだ。

 高く高く、背を伸ばした向日葵の笑い声が、響く。ディスプレイに映る向日葵は、夏の太陽そのものであるかのごとく、青い空に鮮やかな黄色を焼き付けていた。

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