22:メッセージ

 いつからだろう、宇宙というものに、すっかり夢を見なくなったのは。

 子供のころは無邪気に幻想を抱いていられた。星々の間を飛び回る宇宙船に憧れ、見知らぬ惑星での冒険に心ときめかせ、奇怪な形の宇宙人との出会いを夢見ていたはずだ。

 だが、宇宙について学び、その実態を知るにつれ、それが酷く息苦しく不自由なものであるように思われてしまったのだ。地球生まれ地球育ちの人間である我が身に、宇宙空間はあまりにも過酷に過ぎるし、宇宙船は地球の周りを飛ぶので精一杯。見知らぬ惑星はどこまでも荒涼として、宇宙人の息遣いを感じることもない。

 もちろん、学べば学ぶほどその奥深さを思い、新たな夢を抱く者もいるのだろう。だからこそ、宇宙にまつわる分野を志すものは必ず一定数いるし、ロケットだって打ち上げられ続けている。現代の人間が観測できる範囲などたかが知れているのだから、子供のころに親しんだ物語に登場するような惑星や宇宙人だって、広い宇宙のどこかは存在するのかもしれない。

 ただ、私個人は、知れば知るほど宇宙に夢を見られなくなってしまったのだ、という話。

 しかし、これは私が地球の――もっと言うならば『こちら側』で地球と呼ばれている惑星の常識で宇宙を捉えているからに過ぎない、ということを、今日もまた、Xの目と耳を通して思い知るのだ。

「俺は、メッセージを待ってるんだ」

 そう言ったのは、Xの前に立っている若い男性だった。彫りの深い顔立ちに一際大きな体躯を誇り、小柄とは言わないまでも背が高いとは言えず、顔を構成するパーツも含め何もかもがぼんやりした印象のXとは似ても似つかない、というのが第一印象だった。

 ディスプレイに映る光景を見る限り、『潜航』したXが降り立ったそこは、海に面した崖の上だった。太陽は海近くまで下りてきていて、今が昼と夜との狭間であることを示すように、空も海も複雑なグラデーションを描き出している。

 そして、何よりも私の目を引いたのは、崖の上に建つ不思議な形の建造物だった。細長く、背が高いそれ自体は、海に面しているという特徴からも、灯台のように見えなくはない。だが、異様だったのはそのあちこちに様々なアンテナが取り付けられているところだ。見覚えのある形のものもあれば、実際のところアンテナかどうかも定かではない、見たことのない奇怪な形状のものもある。それらは複雑に絡み合い、時に重なり合うように、時に押しのけるように所狭しと生えていて、何とはなしにシイタケの原木を思わせる。

 一体この建造物は何なのだろう。Xの感想も私とそう変わらなかったのか、しばし呆然と建物を見上げたのちに、円柱状のそれをぐるりと一周しながらあちこち観察する。どれだけ回り込んでみたところで、それがアンテナに覆われた謎の建造物であることには変わりなかったわけだが。

 そして、Xがもう一度建物の正面に戻ってきたところで、唯一建物に取り付けられていた扉が開き、この男性が出てきたのだ。どうやら、窓から見えた不審者――つまりXを追い払おうとしていたらしく、彫りの深い顔は不快感を隠しもせず、その手には金属の棒が握られていた。もしXが少しでもおかしな行動を取れば、それで打ち据えてやろうという気概が感じられる。

 が、こちらはあまたの『異界』を渡り歩いてきた、恐れ知らずの異界潜航サンプルだ。一歩間違えれば殴り殺されかねないと理解できなかったわけでもないだろうに、いたって普段通りの調子でこうのたまったのだ。

「こんにちは……、それとも、こんばんは、でしょうか。こちらの建物は、一体、何を目的としたものでしょうか」

 その悪意の欠片も感じられない様子に、男性の方が面食らったのが伝わってくる。警戒は解かないまでも、明らかな呆れを浮かべて言ったのだ。

「知らないでここに来たのか?」

「はい。偶然訪れたところ、こちらの建物が物珍しく、つい、見入っていました。ご迷惑でしたら、すぐに移動します」

 失礼しました、と深々と頭を下げるXを前に、もはや男性は完全に毒気を抜かれてしまったようで、手にした棒を下ろして深々と溜息をつく。

「いや、こっちこそ悪かった。近頃、面倒な手合いが多くて、気が立ってたんだ」

 あんたはそういう連中とは無関係そうだな、と言って、男性は初めて笑顔を見せた。いたって朗らかな、陽気さを感じさせる笑み。これが、彼本来の表情なのかもしれなかった。

 そして、男性は両腕を開き、無数のアンテナを取り付けた異形の塔を仰いで言った。

「こいつが何かって聞いたな。こいつは、俺が作った、宇宙からの電波を受信するための電波塔だ」

「宇宙からの」

「俺は、メッセージを待ってるんだ」

 宇宙からの、メッセージを。

 これが『こちら側』の話であったなら、私は一笑に付していたかもしれない。『こちら側』の常識に即して考えるなら、あまりにも現実的でない話だ。だが、Xが観測しているのは『異界』であり、条件が『こちら側』と同じとは限らない。そもそも「宇宙」というものが全く別の概念を示している可能性だってあるのだ。

 かくして、Xは男性の言葉を笑いはしなかった。それどころか、ごく真剣にこう返すのだ。

「何故、宇宙からメッセージが届くと、考えているのです?」

「約束したからだよ。宇宙からやってきた、恋人とさ」

 Xは、恋人、という言葉を鸚鵡返しにする。復唱はXの癖の一つで、特に意図があるわけでもなかったはずだ。しかし、男性にはそうは思えなかったらしく、笑みを引っ込めて、疑いの目でXを見据える。

「信じてない顔だな」

「信じる信じないというより、宇宙と恋人が、結びつかなくて」

「俺の恋人は、宇宙人だったんだよ。でも、ずうっとここで暮らしていて、これからも一緒だと信じていた。でも、ある日、あいつは故郷に呼ばれていると言って、宇宙に帰っちまったんだ。故郷の星は、ここから、ずっと、ずうっと、遠い場所なんだとさ」

 でも、約束したんだ、と男性は改めて塔を見上げる。沈みゆく夕日に照らされ赤く染まった電波塔は、そのような形をした未知の生命体か何かにも見える。

「必ず、連絡するって。だから、いつでもメッセージを受け取れるようにしておけ、って」

 ――だから、俺は待っている。宇宙の果てから届く、あいつからのメッセージを。

 そう言って、男性はXに視線を戻した。その表情は真剣そのものであり、冗談のようには思われなかった。

 しかし、果たして、この言葉を真実と考えていいのか、どうか。

 少なくともこの男性にとっては真実であろう。この電波塔を作り、日々届くかどうかもわからない、宇宙からのメッセージを待ち続けている。それは、事実だ。

 だが、その一方で、男性はこうも言うのだ。

「あんたも、狂ってるって思うか。お前は騙されただけだって、あいつは宇宙人なんかじゃなく、ただ愛想をつかして逃げただけだって、そう笑うのかい」

 つまり、この『異界』でも、彼の行動はほとんどの者にとって奇異に見えているということだ。最初にXを見て敵意をむき出しにしたのも、常日頃から人に指さされ、笑われ続けてきたからなのだろう、ということを察する。

 そんな男性に対して、Xは。

「恋人さんのこと、心から、愛しているんですね」

 ごく、静かなトーンで、そう言った。男性は目を見開き、Xの顔を覗き込んでくる。

「笑わないのか」

「笑いませんよ。あなたは、その人が、好きになったのでしょう? 宇宙人だから好きになったわけじゃなく、好きになった人が、偶然宇宙人だった。違いますか」

「そうだよ。あいつだから好きなんだ。他の宇宙人が何人来たって、あいつの代わりにはならない」

 男性はそう言って、視線を空に向ける。もう、夕日はほとんど海の下に沈んでいて、空はゆっくりと夜へと移り変わろうとしていた。その向こうに……、遥か彼方に、彼の恋人がいるのだろうか。

 Xもまた、空に視線を向けながら、言う。

「メッセージ、きっと来ますよ」

 ――あなたが、その人を、信じている限りは。

 Xの真意は、私にはわからない。ただ、ひとたび疑いはじめればきりがないし、諦めてしまえば、仮に真実だったときにメッセージを受け止めることは、もう、できない。「信じている限り」というのは、きっと、そういうことなのだろう。私は、そう考える。

 そうだな、と、男性は豪快に笑う。全てのしがらみを、吹き飛ばすかのごとく。

 やがて、赤く染まっていた空が光を失い、闇へと移り変わってゆく。太陽の光の中では隠されていた星々が、一つ、また一つと空に浮かび始める。

 見上げる空には数多の星がある。見えるものも、見えないものも。その中に、彼の恋人が帰っていった星があるのだろうか。幾千、幾万光年の彼方、自分たちの知らない場所が――。そんな、らしくもないことを考えてしまった自分が、ちょっとおかしくなった。

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