12:すいか
「立派な、スイカですね」
「だろう? アンタ、食っていくかい」
「……お金、持ってないんですが」
「いいよいいよ、食ってもらうために作ってんだから」
Xの視覚と繋がるディスプレイには、一面の畑が映し出されていた。『こちら側』のそれと特に異なるようには見えない、スイカ畑。立派、というXの言葉通り、足元に丸々と実っているスイカたちは、両手で抱えなければ持ち上げられないほどの、見事な大きさだった。
そして、Xの視線を受けた一人の男性が、朗らかに笑っていた。見たところ、Xと同じくらいの年の頃だろうか、日に焼けた肌に、ところどころが土で汚れている、動きやすそうな服装。言葉を信じるならば、どうやら彼が、この畑の持ち主のスイカ農家であるらしい。
男性は視界に映っている中でも、一際大きなスイカの蔓を切って、持ち上げてみせる。緑の地に黒い縞模様の球体は、つややかに日の光を照り返している。
「しかし、アンタ、この辺じゃ見ない顔だよな。どっから来たんだ?」
「そう、ですね。ここからは、ずっと、遠い土地です」
どこ、と問われても困る、というのが本音だろう。『異界』ではよく投げかけられる問いだが、Xは未だ決まった答えを用意してないと見え、答えを出すのに、必ずワンテンポ遅れる。
とはいえ、男性はXが答えあぐねたことにも、いささか具体性に乏しすぎる物言いにも、特に引っかかることはなかったとみえる。スイカを両腕に抱え、Xの前に立って歩き出しながら、言う。
「へえ。どんな場所なんだ? この辺は見ての通り畑しかないし、俺も畑の世話ばかりで、遠出をすることもなくってな」
「そうですね。静かで、変化には乏しいですが、過ごしやすい場所ですよ」
おそらく、Xが言いたいのは、研究所地下の独房と、『潜航』を行う研究室のこと。Xにとっての世界とは、その二つだけだったから。静かで、変化に乏しく、けれど、きっと「Xにとっては」過ごしやすいのだろう、外界から隔絶された空間。
もちろん、Xの言葉がどのような場所を示しているのかなど、男性には何一つ伝わらなかったに違いない。スイカを抱えたまま、無精髭の生えた顎をしゃくって、笑う。
「なるほどねえ、静かってのはなかなか想像できないな。この辺りは、いつだってうるさいから」
「……そう、ですか?」
少なくとも、スピーカーから聞こえてくるのは、Xと男性の声以外には、吹き渡る風がスイカ畑の葉を鳴らす音くらい。うるさいどころか、心地よい静けさだと言っていい。
だが、Xの疑問符に対し、男性は畑をぐるりと見渡して、「ああ」と目を細めてみせる。
「今はちょうど、どいつも寝てる時間だからな。もうすぐ、起き出してくるよ」
一体、それがどういう意味なのか、私にはわからなかったし、Xにも当然わからなかったに違いない。首を傾げる気配が、ディスプレイからも伝わってくる。しかし、男性は既にXから視線を外していて、その不思議に答えてくれることはなかった。
男性は、畑の端に位置する井戸へと向かう。井戸には近頃めっきり見なくなった手押しのポンプが設置されており、どこか懐かしい風情だ。その傍には木の箱がいくつか転がっており、それらに視線を向けながら男性が言う。
「その辺に適当に座ってくれ。本当はきちんと冷やした方が美味いんだけどな、まあ、今回は許してくれよ」
「ご馳走していただけるだけで、ありがたいです」
そうかい、と男性は笑みを深めて、井戸から水を汲んでスイカにかける。その様子だけでも十分に涼しそうだ。Xは言われた通りに木箱に腰かけ、男性とスイカを見つめる。
これから、スイカを切るのだろうか、それとも割って食べるのだろうか。そんなことを考えていると、不意にスピーカーから奇妙な音が聞こえてきた。
それがスピーカーの故障でないことは、Xが辺りを見回したことからも明らかだった。最初は、風の音に混ざってかろうじて届いた、か細い、弦を擦るような音色。断続的に響くそれは、徐々にあちこちから聞こえてくるようになり、やがて無数の音色が重なり合い、何とも形容しがたい不協和音を奏で始める。
そんな、耳慣れない騒音の中に、どこか溜息混じりの男性の声が混ざり込む。
「ほら、目が覚めたらこの通り。うるさいだろ?」
「目が覚める、って……」
言いかけたXの言葉は、喉の奥に飲み込まれることになる。奇妙なのは何も音だけではなかったのだ、ということに、一拍遅れて気づく。
Xの視界に映るスイカ畑が、蠢いている。先ほどまでの、風に吹かれて葉が揺れている、などという自然の現象ではあり得ない、どう見ても不自然な葉の動き。否、これは――葉が動いているのでは、ない。
「うちの畑のやつらは、特に生きがいいって評判なんだよ」
生きがいい。何が? 決まっている。
蔓に繋がれながら、ぽんぽんとボールのように弾みだした、スイカたちだ。
緑の地に黒い縞模様。見た目は何一つ『こちら側』のスイカと変わらないというのに、畑のあちこちで、鳴き声を上げながら跳ね回っているその姿は、奇天烈という一言に尽きる。
「今年は例年よりさらに出来がいいんだが、生きがいい分この通り、とんでもなくうるさくてな」
「は、はあ」
当然のように――実際に、この『異界』ではきっと当たり前のことなのだ――語る男性に対し、Xは上の空の返事をすることしかできないようだった。まだ、目の前の状況を飲み込みきれていないと見える。
すると、男性の手によって井戸の水をかけられていた大きなスイカが、にわかに震え出す。絶え絶えの小さな音が、スピーカー越しに聞こえてくる。
「蔓を切ってもまだ生きてんだ、なかなかしぶといだろ」
言いながら、男性は震えるスイカを持ち上げる。そして、次の瞬間、高く持ち上げたそれを、石造りの台に叩きつけた。
想像よりもずっと軽い、皮の割れる音と――それとは別の、耳の奥に残る甲高い声を立てて、緑の球体が割れる。分厚い皮に隠されていた内側の赤が、辺りに飛び散る。
その破片のひとつひとつが動き出すことは、なかった。鳴き声も、もう、聞こえなかった。
割れた破片のうち、特に大きなひとつを拾い上げた男性は、にこやかにXに向き合う。
「ほら、食ってみてくれよ」
手渡されるのは、黒い種を点々とまぶした、赤々とした果肉。
それは、『こちら側』と何も変わらないスイカだ。
そのはず、なのだが。
Xは、ごくりと唾を飲み込み、それから。
「いただき、ます」
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