02:金魚

 金魚のデモ行進により道の通行が制限されている、という。

「ええと、それは、どういう意味ですか?」

 Xの戸惑いも当然といえよう。少なくとも『こちら側』において、金魚とデモ行進という言葉が共に語られることはありえない。

 しかし、通行人を整理していた制服姿の男性は、逆に「何を言っているのだ」とばかりの視線でXをじろじろと見やる。

「金魚の問題を知らないなんて、一体どこから来たんだ、あんたは」

 それでも、男性はXが本気で首を傾げていることは理解したのだろう、面倒くさそうな表情ながらに言葉を加える。

「このあたりじゃ、ここ最近になって、金魚が自分たちの権利を認めるよう主張し始めたんだ」

「権利……、ですか?」

「そう。飼い主を自分から選ぶ権利、って言えばいいかな。それに、好きな相手とつがう権利もか。金魚ってのは、我々に管理されてるからこそ、この時代まで生き延びてきたのにな。そこを履き違えてるんだ、奴らは」

 男性の言葉には、金魚という名で呼ばれるものたちへの、否定的な感情が少なからず含まれていたが、この『異界』における金魚がどのようなものなのかわからない以上、私もXと共に首を傾げるしかない。

 男性がXに話をしている間に、少しずつ、ざわざわとした音が近づいてくるのがスピーカーから伝わってくる。やがて、それが拡声器を通した声であることがはっきりしてきたあたりで、男性がXに向けていた視線を切って、通行人を制限して空いた道を見やる。

「ほら、来たぞ」

 男性の視線を追えば、プラカードを持った一団が口々に何かを主張しながらこちらに向かってきていた。

 ――金魚にも権利を。

 ――管理者選択の自由を。

 ――悪しき血統主義を終わりにしよう。

 それぞれの単語の意味はわかるが、果たして彼らの主張の意味するところを正しく理解するのは不可能だった。ただ、練り歩いてくるそれらを見つめるXの視界を通して、この『異界』において金魚と呼ばれるものの姿を知ることは、できる。

 Xの目を通してディスプレイに映るのは、日の光に煌めくオレンジがかった色の鱗に、大きく広がった半透明の鰭。本来、魚の特徴であるはずのそれを、人間の肉体に生やしたものたち。

 魚の特徴を持つ人間――人魚といえば、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『人魚姫』が最も有名だろう。この国における人魚の物語を引くならば、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』か。人のそばにあり、人に形を似せながら、人ではありえないもの。童話に語られる人魚とはそういうものだ。

 そして、きっと、この「金魚」と呼ばれている人魚もそうに違いない。人の姿に似せた、人ならざるもの。

 彼らは、童話絵本に描かれるような、腰から下がまるまる魚の尾になっている人魚とは異なり、脚は人間のものとほとんど変わらなかった。ただ、裸体のところどころを赤みを帯びた金の鱗が覆っており、腰や肩口からは半透明の鰭が広がり、さながら薄赤のドレスを纏っているかのようだった。

 男性の姿をしたもの、女性の姿をしたもの。巨大な体をしたものがいれば、ひときわ小さな形のものもいる。ほとんどは美しい姿をしていたが、中には病にでもかかっているのか、破れた鰭を引きずる金魚もいた。

 ――自由を。

 ――金魚に自由を。

 ――我々は、もはや観賞されるだけの生命ではない。

 プラカードが掲げられる。生きたいように生きる権利を訴えるもの。好きな相手を愛する自由を訴えるもの。見た目による差別を訴えるもの。いくつもの主張を抱えて、金魚たちはまっすぐに歩いていく。しらじらとした素足で地面を踏みしめ、ゆっくりと、しかし確かに。

「変わらないよ、こんなことをしたって」

 男性の声が、金魚たちを見つめるXの耳に届く。

「血統の管理をやめれば、観賞の価値のない金魚が生まれる。よほどの物好きじゃなきゃ、形の悪い金魚なんて飼いたがらないだろ。捨てられた金魚に、生きる術なんてない。つまり、金魚に自由なんて与えれば、たちどころに滅びていくだけさ」

「……なるほど?」

 Xは言う。それは、男性の言葉に理解を示した「なるほど」ではなく、単なる相槌の意味合いでしかないことは、わずかに上がった語尾で明らかだった。いっそ、男性の言葉に納得していないと言い切ってしまってもよかったかもしれない。

 Xはこの『異界』のことを知らず、ましてや金魚ではありえない。だから、彼らの訴えも、そしてその訴えに対する男性の反応も、解釈のしようがないのだ。私がそうであるように。

 ただ、『異界』でなく『こちら側』に生きるものの、ごく素直な感想として。

「何一つ変わらなくても、滅びに向かおうとも、誰にも聞き届けてもらえなくとも」

 目にも鮮やかな金魚の行進が、行き過ぎていくのを視界に映しながら。

「今を生きる以上、幸福を望むことは、やめられませんからね」

 そう、Xは呟いたのだった。

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