二八話 温泉寺の取材
朝、六時半頃になり、妻と共に車に乗り込み最寄りのコンビニへ朝食を買う為に立ち寄る。
支払いを済ませて、車内で買ったばかりのパンをパクつきコーヒーで押し流す。
妻は車が動き出してから、おもむろに朝食にありつく。
稲沢北インターチェンジから東海北陸自動車道に乗り、一路、北を目指す。
昨日までの雨は、朝にはすっかりと上がったものの木曽川を越えた辺りから再びパラつきだす。
長良川サービスエリアを休憩地として考えていたものの素通りし、美濃関ジャンクションで東海環状自動車道へと流出し、多治見方向へ。そして、富加関インターチェンジで高速から離れ、県道五八号線を下呂方面へと走らせる。
今回の取材(調査及び記録撮影)の目的地は、岐阜県下呂市に温泉寺というお寺。臨済宗妙心寺派で創建が1671年(寛文十一年)。
お寺をお邪魔するのも、最初は円空ツアーで、2回目が円空学会の総会だった。なので、今回は3回目の訪問となるが実に10年ぶりぐらいの筈。
温泉寺に到着し、駐車場から今回の同行者でもあり、お寺との折衝にご尽力頂いた地元に顔が効く円空学会会員のSさんにメッセージを送ると同時に、Sさんが到着。
助手席の妻とあららと苦笑いを交わす。
Sさんとの出会いは、下呂市内の数カ所を回るツアーであったと思う。それ以後、南飛騨の下呂市周辺の調査や記録撮影で何かとご面倒をお掛けしている。70代で恰幅がよく、JR東海のOBでいらっしゃる。僕の両親とも面識があり、時折、話題に出ることもある。
今回の温泉寺の取材も彼の尽力あってのものだ。
三人でカメラや撮影の為の道具類を運び、庫裏の玄関を開けて訪いの声を掛ける。
「おはようございます。円空学会のSです。」
「お待ちしておりました。」
事務所から作務衣姿の住職が姿を見せる。
「こちら、円空学会の副理事長のMさんです。」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします。こちら、お供えです。」
手土産を渡しつつ、挨拶を交わす。
玄関には、禅宗寺院の庫裡の守り神でもある韋駄天が厨子に納められ祀られている。住職がお鈴を鳴らして合掌。続いて僕らも合掌する。
広間に通され少し待つと、住職が塗り盆に円空像を載せ持っていらした。
「木喰仏もお願いして良いですか?」
「分かりました。」
そう仰って、再度、寺務所に戻られた。
その際にカメラバッグからカメラを取り出し、撮影の準備を徐に進める。
「思ったよりもテーブルが高いね。幕を持つ手が辛いかも。」
妻がそんなことをこぼす。
「うーん、そうだなぁ。確かに辛いか。小さな像はこれでも良いけど、撮影用のテーブルを車から持ってきてくれる?」
と応じる。
ここで、温泉寺が所蔵する円空像と木喰仏を紹介することにする。
善女龍王は、その昔、弘法大師が祈雨の修法を行った際に現れたことが知られる。また、法華経第五巻提婆達多品(だいばだったぼん)第十二には八大龍王の一人・娑竭羅龍王の八歳の娘として描かれる。
それまでは、女性は成仏することができなかったが、宝珠を釈迦に献じることによりそれまでの行いが認められ変男子し成仏したと書かれる。
円空の彫った善女龍王は、頭部の上や肩の上に竜の頭部があるのが特徴といえる。
温泉寺の善女龍王には、背銘に「善女竜王」と書かれ更に幾つかの梵字も書かれている。
善財童子は、文殊菩薩の従者である。
奈良県桜井市に安倍文殊院に快慶作の国宝にもなっている像が特に有名である。
善財童子は、華厳経の「入法界品」に五十三人の知恵者を巡り、悟りを得るまでの旅を描いている。円空は、その姿に自分の姿を重ねたのだろうか?
円空の彫った善財童子の殆どが僧形で立像であり、合掌している。ただ、僧形だから善財童子と言うわけではなく、聖徳太子、八幡大菩薩、地蔵菩薩もあるので見極めが必要と言える。
温泉寺の善財童子も、他所の同様の像と同じく僧形で合掌している。背面には「善財童子」と墨書されている。また、大日如来の真言が見られる。
先述の善女龍王と善財童子は、観音菩薩の脇侍として彫られた例が多いので、その判断材料の一つとされる。ちなみに円空が彫り残した観音菩薩を中尊とする三尊形式には、観音菩薩+不動明王+毘沙門天と観音菩薩(十一面観音菩薩)+善女龍王+善財童子の二つがある。
温泉寺の阿弥陀如来は立像で、先の二体よりも小さい。
阿弥陀如来は西方浄土の主であり、日本では浄土真宗や浄土宗の主尊である。また、他の仏と異なり「阿弥陀定印」という印相を組む。
平安時代末期には滅法思想が広がり、救いを求めて阿弥陀如来が広く信仰されることとなる。
温泉寺の阿弥陀如来は、肉髷から本体、台座に至るまで多数の筋彫りによって装飾彫りがなされている。
背銘は、頭部裏に「ウ(最勝)」の種子、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の種子などが確認できる。
温泉寺が所蔵する円空像で最後のものは、宇賀神だ。
宇賀神は、日本固有の神で老人男性の頭部にトグロを巻く蛇身という形で表現される。
老人男性なので長いひげが首の様に見え、暫し観る者を混乱させる。
穀霊神であり、それが転じて財福の神として祀られる。
天台系の寺院では弁財天と合体し、宇賀弁財天として祀られることもある。
温泉寺の宇賀神は顎の下から垂直に長い髭が伸び、左右に伸びる互い違い段でとぐろを表現しているオーソドックスな形状となっている。尊顔は和かな微笑を浮かべ、可愛らしいと感じる。
背面は、肉眼ではかなり見難いが胎蔵界大日如来の三種真言が墨書されているのが分かる。
木喰仏の地蔵菩薩は、割愛させて頂く。
話を戻そう。
そうこうしている間に妻も広間に戻り、撮影の準備を続ける。
カメラ(SONY α7RV、令和6年2月下旬に購入)にSIGMA製の24-70mm標準ズームレンズを取り付け、70mmのマクロレンズをサブレンズとして使うことにする。それに三脚を取り付け更にレリーズを取り付ける。他に赤外線撮影ができるコンパクトカメラ、ビデオライト、赤外線補助灯を準備し、黒布の背景幕をテーブルに備え付けて撮影の準備を終える。
これまでに使ってきたカメラ(Canon EOS5DsR)よりもより精細に写るので、カメラの技術進歩には舌を巻く。
妻に背景幕の先端を持ち上げてもらい、まずは善女龍王から。次に善財童子、阿弥陀如来、宇賀神、木喰仏の地蔵菩薩へと取り進める。
それぞれに採寸をし、正面全身から始まり、左右斜め前、両側面、背面、赤外線背面、像を倒しての頭上と底面を基本とし、あとはバストアップを撮影する。
光の当て方も大体、三パターンを撮るようにしている。
大体、一体で三十〜五十枚撮影するのはいつものことで、これで約二時間が過ぎる。もちろん、緊張と上がるテンションでかなりの汗をかく。夏の撮影は、特に大変で絶対に替えのシャツが必要となる。ひどい時は、体重が2キロほど落ちることもしばしだ。
最後に木喰仏を含め、五体で集合写真を撮影してこの日の取材を終えることとした。
本当は、この後、温泉寺に程近い飯屋で昼食を摂り、もう一軒取材に行くのだがそちらは秘仏の為、一切の情報の公開を禁じられた為に割愛とさせて頂く。
今回の温泉寺の取材には、ご住職ご夫妻、下呂市在住のSさんに大変お世話になりました。
末筆になりますが、改めてお礼申し上げます。
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