二四話 あべのハルカス美術館の円空展 その六

 さて、数回に亘ってあべのハルカス美術館で開催中の円空展の見所のまとめもそろそろ終わりが近づいて来ました。

第五章は、「旅の終わりと」と題されています。この頃になると、円空も齢五十代半ばになっています。どんな旅の締めくくりとなるのでしょうか?

 暫し、お付き合いください。


 円空の飛騨入りは、貞享二から三年(一六八五-八六)に掛けてと元禄三年(一六九〇)です。つまり、円空が五四歳以後ということになります。


 さて、第五章旅の終わりの最初の三体は、千光寺に程近い高山市内の寺社からの出展となります。


 思惟菩薩は、その形状から名付けられた像であり、本来の尊名ではありません。

首を少し傾げ、右の頬に手を当て何かを思惟している(考えている)ことから思惟と菩薩を組み合わせた造語と言われています。円空像ではありませんが、奈良県の法隆寺の横にある中宮寺わ京都の太秦にある広隆寺の像にヒントを得たのかもしれませんが、実際には如意輪観音ではないかと推定されます。


 女性的な微笑みなので、この像のファンもかなりいらっしゃるのではないでしょうか?

以前、美術手帖の円空特集の号で表紙を飾ったこともある像です。


 次は、柿本人麻呂です。

所謂、人物像です。

柿本人麻呂は、万葉集を代表する歌人でもあり、円空は大変尊敬していたのではないでしょうか。その形は百人一首などに描かれた挿絵(肖像画)に基づいているようです。

現在までにこの像を含め四体が確認されており、荒子観音寺(愛知県名古屋市中川区)に一体、願成寺(愛知県名古屋市中村区)に二体があります。荒子観音寺と願成寺の一体は、一つの材を二つに斜め割し、それぞれに造像していたのが分かっています。


 後日、何の気なしに調べていたら、今年は柿本人麻呂が亡くなってから丁度千三百年なんだそうです。何故他の三体も借り受けて展示しなかったんだろう?と不思議に感じてしまいました。


 次は、愛染明王です。

頭に獅子が乗る赤い明王でお馴染みです。

これまでに六体確認されている内の最後の一体です。他のものを紹介するのであれば、荒子観音寺のものがおそらく最初の作、関市円空館に収蔵されている物の他、不動明王と合体している両頭愛染明王で六体だったかと思います。

円空の彫った愛染明王は、共通して頭上に獅子が乗り、左手に五鈷杵を持ち、二臂または六臂です。

飛騨高山まちの博物館寄託のこの像は、六臂のものとなります。


 続いて、不動明王です。

高山市内の素玄寺の所蔵です。

円空の彫った不動明王は、大小併せて約九十体が確認されていますが、最大級の大きさを誇ります。

 数年前の円空大賞展でも公開されましたが、やはり迫力があります。

右手に持つ利剣も左手に持つ索も後補ではなく、円空が造像時に彫り込んだものです。


 六九-一、六九-二、七〇番の三体は、同一のお寺の出展で、十一面観音菩薩を中尊に脇侍に不動明王と毘沙門天という天台様式の三尊です。ただ、脇侍に比べて、中尊が小さ過ぎるので、元々は別所の所蔵だったのかもしれません。管理の為、お寺に移されたそうですが、本来は庚申堂に祀られていたと聞いております。


 中尊の十一面観音菩薩は、過去にレプリカも作られており、我が家にもそのレプリカが玄関に置いてあります。


 頭頂仏は無く、小面も本面の上部にまとめて彫られています。ただ、その数は、六面。本面を入れても七面しかありません。円空が意図的に省略したのでしょうか?

右手は掌を衆生に向け与願印を。

左手は水瓶を持っています。水瓶に挿してある蓮の花も円空による彫りつけられたものです。そして、蓮座と岩座の二重の台座に乗っておられます。


 二体の脇侍である不動明王と毘沙門天は、はたして後期の像なのか?と少々首を捻りたくなる感じがしてます。彫りが硬いような微笑みがあまり見られないというのも、それに拍車をかけています。


 以前、赤外線撮影もしているのですが、この二体からは墨書痕の反応が見られませんでした。


 目録の七一番の二体は、岐阜県関市の神明神社の善財童子と護法神とも言われる像です。

普段は、関市池尻にある関市円空館に寄託展示されています。善財童子と言われる像は、僧形で合掌をしていることから、「自刻像」とも呼ばれてきました。護法神は、怒髪で憤怒相をし、宝棒を持っています。


 何処かで見た構成だと思いませんか?

そう、栃木県日光市の清滝寺の不動三尊や千光寺の不動三尊の脇侍と同じ構成です。


 つまりは、善財童子が矜羯羅童子で、護法神が制多迦童子と言うわけです。

神明神社の境内にかつては護摩堂があったと言うことで、そちらに祀られていたのではないかと推定されています。ただ、中尊の不動明王が円空作であったのかは、今では不明です。


 こちらの二体は、一木で作られているのでピタリとくっつくことが証明されています。


 次は、円空の自坊・弥勒寺からの出展で、「被召加末寺之事」です。呼び方としては「ひしょうかまつじのこと」や「ひしょうかすえでらのこと」どちらが正しいのかは分かりません。この書き付けから弥勒寺が三井寺(園城寺)の円満院の末寺として正式に認められたと言うことになります。


 続く目録の七三番の三体は、岐阜県高山市上宝町にある桂峰寺からの三体です。


 「十一面観音菩薩」は、頭頂仏が無く小面も五つと欠損が一つという像です。

背面に飛騨の山岳霊場である六つの山と本来の尊名、年号と月日が墨書されています。

優しいお顔立ちは、見るものを魅了します。

以前、別冊太陽の円空の特集号の表紙を飾っているので見たことのある方も意外と多いのでは?と思います。


 「今上皇帝」は、幞頭冠を被る神像の形で造像されています。背面墨書が特に有名な像で「當國萬仏 十マ佛作已」の一文と年号月日が墨書されています。

「當國」は、日本全体を指すのか?それとも、飛騨国だけを指すのか?も分かりません。また、「十マ佛」は何を意味しているか定かではありません。


 小島梯次・円空学会理事長、山田匠琳・円空学会常任理事らと共に現地で詳細な記録撮影と採寸などの調査をした際、この部分の赤外線撮影もしていますが「マ」と書かれていないことだけは断言ができます。


 そして、最後の一体は「善女龍王」です。

 本体だけを見ると童女のあどけなさよりも老女のやや疲れた顔に見えてしまいます。右肩から伸びる龍の顎は先端が折れてしまったかのようです。転倒した際に破損したのでしょうか?背面には墨書が残ります。


 次の七四番は、「青面金剛神」です。

庚申講を行う際の主尊とされます。

昔から、人間の体内には三匹の虫「尸(し)」が住んでいます。六〇日に一度やってくる庚申の晩に宿主から抜け出て天帝に報告に行くと言われてきました。それを防ぐ為に庚申の夜は一晩中起きて過ごすのだそうです。それを庚申講と言います。特に今でも岐阜県関、美濃、白川町、下呂市の一部ではその風習が残っているそうで今でもやられていると聞きます。


 この像は、正面と左右の三面から成り、胸の前で宝珠を捧げます。足下には三猿が彫られています。所謂、「見ざる、言わざる、聞かざる」ですね。


 普段は、下呂温泉合掌村(岐阜県下呂市)の円空館に寄託展示されています。同館には他の形態の青面金剛神も展示されているので見比べてみるのも楽しいと思います。


 青面金剛神に続く七五番の三体は、下呂市(旧下呂町)の一つ北にあたる萩原町にある無住のお堂です。こちらには、観音菩薩、善財童子、善女龍王の四体が祀られており今展にはその内の三体出展されています。


 お堂の名前が藤ケ森観音堂(無量寺)と言い、お堂の前に大きな藤棚があります。以前は、藤まつりの際に公開されたこともあったそうですが、台風の被害でお堂の屋根が壊れ、その後どうなったかは不明です。屋根の修理は終わったそうですが。


 中尊の観音菩薩は、宝髪が結い上げられたタイプ。円空が菩薩(観音を含む)を造像する際に富士山状、火焔状で宝髪を表現するのとは、また違うタイプです。両手で蓮を持ち蓮座岩座に乗ります。出展されている中では、愛知県稲沢市の板葺阿弥陀堂の観音菩薩(一宮市博物館寄託)に似ています。阿弥陀堂の観音菩薩はかなり細長く感じますが、藤ケ森観音堂の観音菩薩は当時の人たちによく似たお姿なのかなと思います。


 脇侍の一体である善財童子は、僧形で衣の中で結印をして居ます。足の表現は無く筋彫り台座と一体化していると言っても過言ではありません。斜め前から鑑賞すると顔が斜め上を向いているのが分かります。藤ケ森観音堂から更に北上した下呂市小坂町にある妙喜堂にある同種の像は更に空を仰ぎ見るかのように造像されているので、円空が何の意図を持ってこのように彫ったのか想像してみるのも良いのではないでしょうか?背面に尊名と種子の墨書があります。


 もう一体の脇侍である善女龍王は、他の類例と比べると頭部に乗る龍の形状が宇賀神の作りに似ています。宝珠を持っているので、一見、宇賀神が頭上に乗る弁財天の宇賀弁財天立像ではないかと勘違いしてしまいそうですが、背面に墨書で「善女龍王」としっかりとあります。背面墨書は他に種子と真言があります。


 そして、このあべのハルカス美術館の円空展の鑑賞の旅も、岐阜県関市洞戸町にある高賀神社蔵(洞戸円空記念館寄託)の三体の像で締めくくられます。

高賀神社は、高賀山を中心とする修験道(高賀六社一寺)の中心となる神社です。

平安時代には、妖魔の猿虎蛇がこの地を荒らし回り、藤原高光が高賀神の本地仏である虚空蔵菩薩の援けを得て見事に退治したと言う伝承が残ります。

以前、書いた郡上市美並町の星宮神社も六社の内の一社です。

 おそらく、円空の修業時代も山伏の一人として高賀山周辺を経巡っていたのでは無いでしょうか?


 さて、そんな高賀神社には、多くの狛犬や円空が読んだ歌集の他、龍の彫りをされた錫杖などが残されており、それらは普段は洞戸円空記念館に展示されているので、そちらをご覧になるのも宜しいかと思います。


 そんな洞戸円空記念館から十一面観音菩薩、善財童子、善女龍王の三体が出展されています。三体の共通点は、幅が無いので異様に細長く見えるということが言えます。


 中尊の十一面観音は、化仏の周りに正面を配しています。右手は、与願印。左手に水瓶を持ち、蓮座岩座の二重の台座に乗っておられます。本面の顔立ちは、口を除けば岐阜県羽島市にある中観音堂の中尊である十一面観音菩薩に戻っている気がします。ただ、口角の上がり方が高賀神社のものの方が深い気がします。


 脇侍の善財童子は、頭の頭頂部が尖っています。そして、面長であるため、かなりの異相に感じてしまいます。


 もう一体の脇侍の善女龍王は、今展に出展されている他の同種像よりも異相です。

龍の顎の間から本面が顔を出しています。


 いずれにしても、高賀神社の諸像を最後にと思ったのかそれ以後の造像はしなくなったのかと言う説を考えると、これまでの円空像の持つ”微笑みの集大成”がこの三体の像にあるのかもしれません。


 最後の方、急ぎ足になってしまった感がありますが、これから、あべのハルカス美術館で「円空展」をご覧になる方への少しでも案内になればと思います。

また、同展をご覧になられた方は、少しでも共感を頂けるとここまで書いたことに意義が見出せる気がします。


以上、あべのハルカス美術館で開会中の円空展の見所のご案内を終わります。

皆様、お疲れさまでした!

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