二三話 あべのハルカス美術館の円空展 その五

 さて、前回まではあべのハルカス美術館で開催中の円空展の第四章「祈りの森」で展示されている千光寺(岐阜県高山市丹生川町下保)所蔵の円空像、作品目録の五〇番不動三尊までの見所をまとめました。

 今回は、五一番の弁財天及び二童子の見所から始めたいと思います。


 それでは、しばしお付き合いください。


 五一番の弁財天及び二童子は、円空が飛騨に滞在した有力な物証として挙げられるものの一つとなっています。

 頭頂部に宇賀神がちょこんと乗ってます。丸顔の弁財天が岩座に座り、袖に隠れた両手で宝珠を持っている感じです。

 二童子ですが千光寺の場合、両面宿儺の背面に功徳天十五童子と墨書が残っていることから、この二体もその内の二体と考えられますがどの眷属が名前が書かれていないので分かりません。


 さて、この弁財天及び二童子ですが、円空の飛騨滞在の有力な物証と先述しました。

では、何故、有力な物証と考えられるのか?

それは、この三体が納められた厨子の左右の扉の内側の朱書きが重要なポイントになります。その内容については、会場でお確かめください。


 続く十一面観音菩薩及びニ脇侍は、千光寺が管理する白山神社からの移座と聞きます。

白山神社ですから、白山妙理大権現の本地仏が十一面観音菩薩、大汝峰の本地仏は阿弥陀如来、別山の本地仏が観音菩薩ですから、当然、脇侍もそれに倣った形になるはずです。

しかし、観音菩薩は別として阿弥陀如来は肉髷で作られていません。

 背面を確かめてみると、十一面観音菩薩は種子である「キャ」、白山妙理大権現、真言、脇侍にはそれぞれ種子である「キャ」白山脇侍、千光寺と墨書があります。


 次は、護法神一対です。

千光寺では、立木仁王に次ぐ像高でも知られます。

怒髪、憤怒相で両手で五角形の武器のようなものを持っています。

以前は、「金剛神」として名前がついていましたが、今回の展示から名前が直されたようです。片方は短髪で男性らしい感じですが、もう一方は怒髪が肩まで伸びており何だか女性であるかのようにも思えます。

憤怒相なのに口角が上がっているので、微笑んでいるようにも見えます。

同様の像が、高山市内の飯山寺にあります。こちらの像は、飛騨高山まちの博物館でいつでも公開されています。


 続いても、護法神です。

そもそも、護法神って何なんでしょう?

「法」は、あくまで仏法を意味しますから、それを護る存在だから護法神と先達は定義したんだと聞き及びます。つまり、何の像だか分からないときは護法神にしておけば良い!という風潮が一時期にはあったんだそうです。

一般に知られる護法神では、四天王、十二神将、八部衆などです。

この像も護法神ですから、怒髪、憤怒相の様相をしています。


 次は、金剛童子です。

宝髪が丸髷を結っている童子のようにも見えます。両手で棒状の武器を携えているかのように見えます。先端が尖っているかのように見えるので、存外、剣なのかもしれません。持ち手の部分に三本の刻線がありますが指を表現している可能性も捨てきれません。


 次は、龍王が三体続きます。

難陀(なんだ)竜王、跋難陀(ばつなんだ)龍王、八大龍王の三体です。


 難陀竜王、跋難陀龍王は、兄弟の龍王と言われます。釈迦が誕生した際に清らかな雨を降らせ最初の沐浴をさせた龍です。烏帽子の様な冠を被るとても簡素な造りなので、背面に墨書で尊名が書かれていなければ何の像だか分からなかったと思います。


 八大龍王は、先述の難陀、跋難陀、を含めた八柱の龍王の総称で、難陀、跋難陀、沙伽羅(さがら)、和修吉(わしゅきつ)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)から成ります。


 沙伽羅龍王の三女は、善女龍王になられた方でも知られます。


 八大龍王は、難陀竜王、跋難陀龍王と違い、頭部も円空の作る龍頭で表現され、身体もとぐろを巻く姿で表現されています。


 高山周辺は、江戸時代前期に度々凶作や旱魃に襲われたそうですので、百姓に請われて造像したものが千光寺に納められたのかもしれません。


 次は、宇賀神です。

元々は日本固有の神様です。穀霊神とも言われ、稲をネズミから守った蛇が神霊化したものと考えられるので、顔は老人男性、身体は蛇と言う像容です。八大龍王と同じくとぐろを巻く姿で造像されてます。同じ様な宇賀神も幾つか見つかっていますが、首の様に見える数本の縦の刻線は長い髭を表現しています。


  次は、迦楼羅が二体です。

一体は、先の尖った頭部に鑿で怒髪を表現し嘴を尖らせています。両目は刻みを入れただけで表現しています。

もう一体は、頭は平たく鑿で斜めに削り怒髪を表現。両目も立体的に▽状に表現しています。


 迦楼羅と言えば、釈迦を守護する八部衆の一柱なので、円空が迦楼羅を独立して造像することは無かったのではないかと小島梯次・円空学会理事長は述べられています。


 千光寺も真言宗の古刹であり、修験道とも密接な関わりがあったので烏天狗が彫られていても何ら不思議ではないと思われています。


 続いて、狛犬です。

普通は、神社を守護する雄雌で一対ですが、千光寺に残る狛犬は一体しか現存していません。もう一体は、朽ち果ててしまったのか誰かが持ち去ったのかは不明です。

胸に残る四つの渦巻き模様は、現在でも神社などに見られる石造りのそれによく似ています。

 恐らくですが。千光寺が管理していた神社からの移座と考えるのが妥当ではないでしょうか。


 次に男神像です。

非常に簡素な造りで先に挙げた難陀龍王と同系統の簡素な造りをしています。

背面には、和紙が貼られそれに白山神社 烏帽子神像と墨書されていますが円空の筆跡ではありませんが、その下に梵字の墨書の一部が確認できます。


 最後に小さな如来像が三体あります。

ただ、内一体の背面の墨書は、「サ(観音)」が書かれており、また宝髪の形状も富士山型をしているので、どう考えても如来とするのはおかしいのですが?

この「第四章祈りの森」の見どころをまとめるに当たって「特別展 飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」(2013年東京国立博物館)をもう一度見返してしまいました。


 この辺りが気になってしまったので、今回の展示の監修をされた小島梯次・円空学会理事長に確認を取ったところ、「美術館の方から展示目録の下稿をもらった後、その辺りも修正をして有ります。」とのことでした。

東京国立博物館の「飛騨の円空」展の図録からの解説をかなり引用されていましたが、直して有りますとのこと。


以上で、第四章祈りの森のまとめを終わりたいと思います。

続いて、第五章旅の終わりをまとめていきたいと思います。




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