二十話 あべのハルカス美術館の円空展 そのニ
さて、前回の続きから。
第二章 修行の旅の見所をまとめていきましょうか。
しばし、お付き合い下さい。
今回のあべのハルカス美術館の円空展では、残念ながら北海道・東北期つまりは寛文六年(一六六六、三十六歳)の像が出展されていないのが残念な限り。
その後、寛文七年に愛知県尾張地方に足取りが確認されます。
その後、寛文九年(一六六九、39歳)の頃に名古屋市千種区にある医王堂(現在は、鉈薬師で知られる)の諸像を明から亡命し当時の尾張藩の典医であった張家の祖先一族の菩提の為の依頼で造像したと言われています。
その際、当時の尾張藩の家老職であった間宮大隅守にも面識が生まれ、のちの尾張地方の活動に繋がったのかもしれません。間宮家の菩提寺が愛知県田原市にあり、そちらのお寺には彼の家が寄進した二体の円空像が今も大事に安置されています。
残念ながら、鉈薬師の円空像群も滅多に出展されることの無くなった像ですので、現地でご覧下さい。鉈薬師の公開日は、近隣の覚王山日泰寺の弘法大師のご縁日(毎月21日10-14時)に開帳されます。
第二章の最初の文書は、「法相中宗血脈」です。血脈は、弟子が師僧の元で修行し行程が進んだ際に頂ける認可状だと考えて下さい。
ここ血脈は、円空が法隆寺の塔頭に逗留し修行をした際に巡堯春塘(じゅんぎょうしゅんとう)から与えられたものを円空が写したものと考えられています。
円空の自坊である弥勒寺(岐阜県関市池尻)には、こうした文書資料が幾つか残されていますが、円空が書き写したものには「曰(いわく)」と文末に書かれています。
そして、同じく法隆寺に伝わる金剛界大日如来があります。
以前、円空ツアーで訪れた際に拝観した際は、大きさが異なる大きな大日如来坐像の隣に安置されていたので、これがモデルになったんだろうか?と考え込んでいました。
第十九話に書いた第一章の三重県津市の区有管理の大日如来と同じように五冠仏を被り、胸の前で智賢印を組みます。五冠仏には、それぞれ一つずつに金剛界五仏の如来を彫っています。また、法隆寺に祀られている飛鳥仏の釈迦三尊を見た影響でしょうか。裳懸座、蓮座、岩座の三重台座が確認できます。
顔の表情も硬さが取れ、大分、微笑みが見られるようになってきました。
同じ奈良県でも南部に十津川村があります。
こちらも天河大弁財天社(さだまさしのライブトークや浅見光彦シリーズの舞台にもなりました)にも円空作の大黒天が祀られていますが、今回の出展はありません。
同村の栃尾観音堂から荒神が出展されています。
頭と胴体が二頭身というドラ◯もんのような体型だと考えていただいて良いかと思います。怒髪に吊り上がったかの両目。一見、怖い神様かと言うとそうでもなく、竈門のかみさまとのこと。栃尾観音堂には、円空作の大ぶりな観音菩薩が中尊で他にも数体の円空像が祀られています。
寛文後期を代表する作品として、円空は裳懸け座が異常に長い像というのを彫っています。その例として紹介されているのが、中屋薬師寺(岐阜県岐阜市)の薬師如来です。台座にベンガラなどの着色剤を塗布している為かやや赤っぽく見えます。彫りは浅く硬い感じがします。
また、同じ薬師寺には伝尼僧像と呼ばれる比較的大きな僧形像があります。
こちらは、顔に化粧の痕が残っているので、尼僧として伝わってきたのだと思います。
実際には、地蔵菩薩だったのではないかと思います。以前、記録撮影にお邪魔した際に持ってみましたが、二人がかりでないと動かすことができませんでした。
中屋薬師堂のものと前後しますが、同じ岐阜市内の美江寺からも裳懸け座の長い観音菩薩が出展されていますが、こちらは板材を彫ったかのような印象を受けます。
今回の出展では、次は延宝二年まで飛びます。つまり、三重県南部の伊勢志摩地方での活動期になります。
志摩市の少林寺の護法神、観音菩薩共に三重の円空展でも出展され、また、円空絵画と言われる大般若経の扉絵も三重の円空展の主要出品物でしたので、詳細についてはそちらの記事をご覧ください。
少林寺の護法神も観音菩薩もどちらも流木を材として造像されています。
特に観音菩薩は、流木の持つ自然な朽ち方が何とも絶妙な衣の表現となっていて素晴らしいと感じてしまいます。
奈良県大和郡山市の松尾寺からは、役行者が出展されています。
これまでに発見されている円空作の役行者は、十数体とそれ程多い訳ではありません。
よくお寺の境内で役行者の石像など見ますが、円空のものは細面でなく丸顔。目は三角形となんとなく笑っているかのような表情。
それでも錫杖を持ち、高下駄を履いて座る姿と言うのは他の作者のものと共通しています。
松尾寺の役行者は、円空が造像した肖像彫刻の中で丁寧に彫られているので、ひょっとしたら最初の役行者なのかもしれません。
次に紹介されるのは、愛知県名古屋市守山区にある龍泉寺の馬頭観音。
造像時期が延宝四年。円空が四五歳の円熟期の作品が続きます。
馬頭観音は、憤怒相の観音菩薩の化身で頭頂部には馬の頭部がなると言う像容です。
円空の馬頭観音も儀軌に違うことなく、宝髪は逆立つ形で表現され、尊顔は彫りが深く微笑みも非常にニッコリとされています。
胸の前で合掌されており、実にゆったりとした印象を受けました。
次は、熱田大明神。
龍泉寺は、熱田神宮の奥之院とされてきました。その為、ここに熱田神宮の神が祀られていてもなんの不思議もありません。
熱田神の本地仏を観音菩薩に捉えているのか胸の前で非常に大きな宝珠を両手で捧げ持つような感じです。宝髪は、結い上げた火焔状ではなく帽子を被ったかのようです。
龍泉寺の最後は、天照皇大神。「てんしょうこうたいじん」や「あまてらすすめらおおかみ」と読みます。
日本神話に出てくる伊弉諾と伊奘冉の子供で、伊勢神宮内宮の祭神としても知られます。
一般的に女性神として捉えられますが、一時期、男性神と考えられる時期があり、平安貴族の装束に身を包んだこのような像を彫っています。
次は、日本で一番円空像を所蔵している荒子観音寺(名古屋市中川区荒子町)です。織田家の武将で加賀藩の藩祖である前田利家の父である利春の居城があったのが荒子観音寺のある地でした。荒子観音寺は、名古屋市守山区の龍泉寺と共に尾張四観音の一つでもあり、艮(ごん、丑寅)の鬼門を守るのが龍泉寺なら、裏鬼門の坤(こん、未申)を守るのが荒子観音寺になります。
さて、そんな荒子観音寺からは、千面菩薩とそれを収めていた厨子、そして「木っ端仏」として知られる観音菩薩三十三応化神(さんじゅうさんおうげしん)が出展されています。
まず、千面菩薩という菩薩は、実際にはなく本来は千体仏の一種だと思います。お寺でたまに見かける阿弥陀如来の千体仏や地蔵菩薩の千体仏ですね。
救いを求める人の、その人に今必要な姿に変化して衆生を救う観音菩薩の化身として、研究家の先達は考えてきたようです。
種類も如来形や烏天狗系、怒髪の天部形、そして、菩薩形があり、中でも菩薩形が一番多いのだそうです。
そして、千面菩薩を収めた厨子には円空の自書で和歌が墨書されています。
「是や此の
腐れる浮き木
取り上げて
子守の神に
我は成す也」
この千面菩薩を収めた厨子の中には、非常に多くの木屑のような木片も収められていたそうです。
恐らくは円空が、造像の際に出た木屑を用いて更に小さな千面菩薩を作り、どんな衆生(仏の子)をも救うのだという強い意志が垣間見られます。
次に木端仏と呼ばれる木片に目、鼻、口を彫りつけただけの簡素な仏像で、背面に阿修羅身、優婆塞身などと墨書されていることから、観音経(「法華経 観世音菩薩普門本第二十五」)に書かれている観音の三十三の化身だと分かります。
簡素ながらも、もっとも円空らしいともいわれる像です。
次は同じく荒子観音寺からの出展の補修仏です。従来、荒子観音寺に祀られてきて損傷の酷い部分を円空が補修したものです。
補修仏は、これ以外にも愛知県尾張旭市の庄中観音堂の本尊や奈良県の個人蔵の地蔵菩薩などもあります。
そして、第二章の終わりを飾るのは、一宮市博物館から出展された寄託管理の三点です。
一点は、一宮市個人蔵の大黒天です。
円空の彫った大黒天の中では最大のものだった覚えです。円空美術館(岐阜県岐阜市、現在休館中)にも大きな大黒天がありますが、何故この巨大な大黒天が所蔵者のお宅にあったのかはよく分かっておりません。二〇一〇年に一宮市博物館で開催された「円空展」の図録によれば、「大人三人でやっと動かせるほど重い」と書いてあることから、その大きさが判っていただけると思います。
頭巾をかぶり、右手に槌を左手に大きな袋を持っています。
両目は、二本の刻線でそれぞれが表現され目尻が垂れさがっており、また唇はやや分厚く口角が上がっているのでにこやかに微笑んでいらっしゃいます。
正にそこに居るだけで、存在感が十分!とも言える作品です。
次は、一宮市の南にある稲沢市の阿弥陀堂所蔵の観音菩薩像です。
高々と結い上げた火焔状の宝髪、にこやかな尊顔に両手で未だ咲かぬ蓮華の蕾を大事そうに捧げ持っています。蓮座と岩座の二重の台座に乗る像高約一mのこの像は、意外と背が高く感じてしまいます。
二章最後の締めくくりは、本展初出展の一宮市にある三明神社所蔵の薬師如来です。
二〇二〇年三月に小島梯次円空学会理事長から、「新発見の円空像が一宮で確認されたので、真偽判定に行く際に記録写真を撮ってください。平日で大変申し訳ないんだけれども。」と言う依頼を受け、仕事を半休もらって出かけてきました。
ずっと、祠に入っていたので、状態も虫食いもあまり無くかなり良い状態の像でした。材は何かの遣れ材を用いたかのようで下部に節の大きなものが残されているのが判ります。
右手は掌を前に上向きの「施無畏印」、左手は衣の中に隠し、線刻で表現されたかのようなあまり立体的でない薬壺を持っていることから薬師如来だとわかります。
如来の特徴である肉髷(にっけい)は、台形の様に表現されています。
背面に梵字の「ウ」のような形が刻線で表現されているのですが、撮影当初、これはなんであろう?と悩みました。それから、五角形のものがその上に乗っていたので、これがさらに混乱を生み出します。
「あれ?このトランプのダイヤの様なものって、眼なんじゃないですか?じゃあ、蛇なのかな?」
と僕が指摘すると、恐らくはそうであろうと言うことになりました。
後日、常任理事のKさんから「恐らくは灌頂の際に用いられた何かの様な気がします。」と報告を頂きました。今後の研究が楽しみな像です。
以上、ここまでが第二章「修行の旅」の見所です。
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