十九話 あべのハルカス美術館の円空展 その一

 本日2月2日から、あべのハルカス美術館(大阪府大阪市阿倍野区)であべのハルカス美術館開館10周年記念事業の一つとして、「旅して彫って祈って 円空」展が開会となりました。


 今回は、単館での展覧会となりますので全国巡回は無いのが残念です。


 これまでに僕のところに入っている情報からまとめるなら、千光寺(岐阜県高山市丹生川町)の62体が出展数としては最多です。

その他、荒子観音寺(名古屋市中川区)、観音院(埼玉県春日部市)、栃尾観音堂(奈良県天川村)など総数で約160体の円空像や資料が集まった展覧会となっています。


 千光寺蔵の諸像は、円空が当時の高山入りを果たし、千光寺に長逗留しながら周辺を行脚し、造像したのが貞享二から三年(円空が54から55歳頃)と考えられているので、後期像に分類されます。


 円空は、千光寺を拠点として高山周辺で活動していたと先述しましたが、その時の住職の名前を舜乗(しゅんじょう)と言い、その人となりについては「近世畸人伝」の円空の項に付随する形で紹介されています。

 それに拠れば、舜乗はおおらかで人の良い性格だった為か千光寺のある袈裟山の八丁坂を登るのに「四つ這いで登ると楽だ」と里の人に言われ実際にやってみたと言う記事が載っています。


 円空が貞享ニから三年に亘って、高山入りしたと言うのは、千光寺蔵の弁財天及びニ童子の厨子の扉の朱書きと同町板殿(いたんど)にある薬師堂の鰐口の銘から推測されております。


 さて、今回のあべのハルカス美術館での円空展は、全部で五章から構成されています。


 第一章は、「旅の始まり」と題されています。出展リストに沿って、ざっとではありますが今回の展示の見所などをレビューできればと思います。感想や意見はあくまで僕の主観に基づいていますので、ご理解ください。

 しばし、お付き合い下さい。


 入り口で観覧客を出迎えてくれるのは、千光寺蔵の立木仁王です。本来は一対(二体)ですが、片割れは損傷がひどいのでお寺の円空仏寺宝館でお留守番をしています。


 ご存じの方も多いと思いますが、円空を紹介した記事の載っている「近世畸人伝」の挿絵に使われているあの仁王さんですね。


 近世畸人伝には、「枯れ木をもて作れる仁王あり」とありますが、実際には生木に彫られたと考えられています。


 円空の彫った仁王(金剛力士)は、寺院を守る一般的な仁王と違い、どことなくユーモラスで楽しげな像です。他の仁王は全身に力を満たし、睨み、邪や悪を威嚇します。しかし、円空の彫った仁王は、笑いをその表情に浮かべてます。


 円空作の最も大きな仁王は、荒子観音寺(名古屋中川区)で、円空が彫った全ての作品の中で最大の大きさのものとなります。

こちらは、お寺の仁王門に祀られているので、いつでも拝観が可能です。


 さて、現在、千光寺には極楽門が新しく建てられていますが、そこから本堂に向かう石の階段には元々、仁王門があり、そちらに祀られていたのだそうです。


 以下、出展目録に沿って話を進めていきます。

 第一章の最初は、「円空の肖像画」があります。これは、千光寺に伝わるもので、唯一現存するもの。裏書があり、それには池尻弥勒寺(円空の自坊、岐阜県関市池尻)の複製であることが記されています。

 五冠仏の頭巾を被り、法衣を着た恰幅の良い姿で円空が描かれています。

 残念ながら、オリジナルは弥勒寺が有していましたが、大正年間の火事で全焼してしまい残っておりません。

 この肖像画には、円空の木端書きと言われる「一心」が付随します。


 次は、「近世畸人伝」が並びます。

円空の挿絵としては、最も古いものとなります。円空の伝記が記された最初の書物としても知られます。板木によって刷られ、多くの本が残っています。


 そして、もう一つの文書資料は「東蝦夷日誌」です。幕末の慶応三年(1867に北海道の名付け親である松浦武四郎によってまとめられた地理誌であり紀行書です。西蝦夷日誌と共に「蝦夷日誌」として知られます。これに円空の足取りが記されています。


 そして、ようやく極初期の寛文五年頃に造像されたものが三体並びます。

 十一面観音菩薩は、真教寺閻魔堂(三重県津市)にあるお堂に祀られています。二〇二二年に三重県総合博物館で開催された「三重の円空」展に出展されたので、ご覧になられた方も多いのでは無いでしょうか?


 円空らしからぬアフリカ彫刻を思わせる独特な容貌をしています。尊顔は面長に見え、女性のような印象を受けます。また、円空の彫った十一面観音でこの像だけが両袖から流れるかのような比礼(ひれ)が垂れているのが分かります。

 実のところ、記録が無いため造像時期が円空の北海道東北行きの前なのか後なのか不明と言われます。


 二体目は、先述の十一面観音菩薩と同じく、三重県津市にある区有の金剛界大日如来です。こちらも、先の「三重の円空」展に出展されていたのでご存じの方も思います。いらっしゃると思います。


 図録や出展目録を確認して頂けると分かるのですが、造像時期が寛文五年とされているので、その頃には円空は既に脚を運んでいると言うことが想定されます。


 津(安濃津)は古の頃から交通の要所でしたので、南に行けば伊勢神宮へ、西に行けば奈良へも行けるのでどちらかに行ったのかもしれません。


 略式ながらの五冠仏や胸の前で組む智拳印が特徴的です。


 そして、第一章の最後に展示されているのは、岐阜県関市にある天徳寺の釈迦如来です。

 極初期像のほとんどは、岐阜県郡上市美並町に集中しているので、津へ向かう際に立ち寄ってこの像を彫り残したのだろうかと想像が膨らみます。

 

 以前にも書いていますが、極初期像の特徴は、如来の場合だと肉髷の螺髪が立体に彫られている。彫り全般が丁寧で細い、表情が硬い、目が二重の刻線で表現されて目尻が釣り上がる、衣紋や蓮座の花の葉脈が細やかで丁寧に彫られている。と、こんなことが言えると思います。


 また、極初期像の特徴として、蓮座の両脇にでっぱり状になったものがありますが、これは仏の着る衣の一部が垂れている垂衣(すいい)を表現しているのではないかと考えられています。


 天徳寺の釈迦如来も、その範疇を離れることはないと思いますが仏像の仕上がりとしてはまとまっていると思います。


 次回から、第二章の見どころダイジェストに移ります。

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