十八話 美並ふるさと館での調査と記録撮影 其の一

 去る令和五年十一月十二日、十八~十九日、延べ三日間に亘る「美並ふるさと館」での調査と記録撮影に参加してきました。


 「美並ふるさと館」と言うのは、岐阜県郡上市美並町高砂にある星宮神社の境内の隣地にある郷土資料館で、館内には「円空ふるさと館」と「生活資料館」から構成されており、円空ふるさと館には極初期像から後期像に至る九十二体の円空像が寄託展示されるという国内屈指の展示施設です。


 「美並ふるさと館」は、東海北陸自動車道の美並インターチェンジで降りて、車で約10〜15分です。星宮神社の境内地に隣接しています。

 星宮神社は、高賀山六社信仰の一角を成し、藤原高光の猿虎蛇(鵼の一種か?)退治の伝承にも深く関わっています。


 以前にも書きましたが、昭和五十年代に入って、五来重(ごらいしげる、人類学者)氏や旧美並村が中心となって、美並出生説や円空の出自が木地師だという説が出され、現在では美並町の大事な観光資源の一つとなっています。


 円空学会の中でも、羽島出生説と美並出生説の根深い対立があり、美並出生説を唱える一派は円空学会を辞することになり、円空学会と美並の地は疎遠になってしまいました。


 誤解を与えない為に書いておきますが、円空学会として出生地がどちらが正しいと言った見解を出したことは無く、あくまでその判断は、所属する会員が個々の判断で出しているものでしかありません。


 ちなみにですが、僕は美濃出生地説です。

なんせ、円空の自書資料で群馬県の貫前神社旧蔵の大般若経奥書にしか今のところは証拠が残っていない訳ですから。


 さて、時は巡り、今から数年前に小島梯次円空学会理事長に「美並ふるさと館でも記録撮影がやりたいですね」と話したことがあります。


 美並町を中心に活動された池田勇次先生もかなり前に亡くなり、最近になって円空と関わりのあった神主のご子孫も亡くなり、今後の美並の円空研究が廃れるのではないかと言う危惧が地元の方から小島理事長の下に寄せられ、それならば円空学会の力で再度の大調査が行えないかと動き出したのが今回に繋がりました。


 美並ふるさと館を管理する郡上市役所美並振興事務所の担当者と小島理事長の契約に関するやり取りに、僕は文面のチェックと追加の条件の提示で参加しておりました。


 美並振興事務所の担当者は、それぞれの所蔵者に確認と許可を得て頂くのにかなり苦労されたことと容易に想像ができます。


 そのような経緯を踏まえ、著作権は誰に帰属するのか、撮影した画像データはどのように取り扱うのか、画像データの保存についてなど、契約交渉を進める上で詰めていきました。


 そこで改めて確認したことは、著作権はそれぞれの撮影者が有するが著作財産権を行使しないこと、写真を使用する際はクレジットを明記すること、郡上市と円空学会は記録された画像データを適切に管理し活用することが決められました。

 また、今後、得られた画像データを死蔵することなく、活用して行くと言うことで意見の一致をみました。


 9月に入り、円空学会の総会の準備と並行する形で、参加者の厳選と日にちの決定、宿の手配と話が進みました。

 調査と記録撮影の日にちが、十一月十二日(日曜日)、十八(土曜日)〜十九日(日曜日)と決まり、直ぐにやったのは宿の手配です。


 美並ふるさと館から車で約三十分以内でツインの部屋を探すと関市内のホテルが見つかり、早速手配。その二日後には小島理事長に頼まれ、シングルで更に四部屋を追加することになりました。


 その後は、新たに導入したアンブレラ型LEDの照明装置を使っての木喰仏の撮影(木喰もあるく)でその威力の確認と運用のシミュレーションを行い、全身撮影にはアンブレラ型LEDを。拡大撮影には手持ちLEDライトを使うという方向性で落ち着きました。


 さて、調査及び記録撮影の初回である十一月十二日。その日は、岐阜県各務原市にある航空自衛隊岐阜基地で、五年ぶりにブルーインパルスが飛ぶと言う情報を事前に得ていたので、午前七時二十分には自宅を出発。その三十分後に東海北陸自動車道の各務原インターチェンジの出口は渋滞が始まっておりました。


 渋滞が予想された各務原インターチェンジを難なく通り過ぎ、長良川サービスエリアで小休止。昼御飯時に食べるオヤツの購入とトイレ休憩を終え、屋外に出たところでその日に参加する小島理事長他と遭遇。なんたる偶然!


 挨拶を交わし、一足先に長良川サービスエリアを出発。

 美並インターチェンジで降り、国道一五六号線を少しだけ南下。

 美並苅安駅(長良川鉄道)の南側にある踏切を超え、長良川を越え、山間の道を進むこと約二〇分で星宮神社の鳥居前の駐車場に到着。残る参加者が既に到着されておりました。


 午前八時三十分頃になり、小島理事長を代表とする一台が少し離れた駐車場に到着されました。

 その後、星宮神社の収蔵庫内にある古仏などを特別に拝観することに。


 事前にT常任理事が現地を訪れた際に神社の氏子代表に「十二日に円空像などの調査でお邪魔するので、その際に、収蔵庫の古仏などの拝観ができませんか?」と頼んでいてくれたようです。なんともありがたや!


 しかし、ここで時間を使ってしまうと言うのも惜しい、何せ美並ふるさと館の円空像は九十二体もあるので時間の浪費は極力避けたいところ!

「小島先生、そろそろ道具を持って移動しておきますね。」

「分かりました。」

 嫁さんと共に車に戻り、撮影に使うLED照明や折り畳み机を持って、美並ふるさと館の入り口前に移動するのでした。


 入り口を潜り、館内へ。

郡上市美並振興事務所の担当者の方にまずは挨拶をし、名刺交換。

すると、初日の参加者も続々と館内へ。

撮影に使う道具を分担して持って頂き、円空像の展示室へ。


 念の為に書いておきますが、入り口から円空像展示室まで五十〜六十m程離れております。途中、七、八段程の階段がありますが、足の悪い観覧者向けにスロープエスカレーターがあるので心配ありません。


 手前の部屋を仮に第一室、奥の部屋を第二室と呼称しますね。


 第一室には、円空の生涯(美並出生説による)の解説、円空写真家の後藤英夫氏(故人)の写真パネル、白山神からの託宣を得たとの記述がある十一面観音菩薩、円空自書の資料が並びます。


 第二室は、円空像展示室の肝と言われる場所で、大小様々な円空像が九十体並びます。

第二室に入り、直ぐを左手の展示ケースから寛文三年以前の作と考えられる五体の神像と、八幡大菩薩。

 そして、惟喬親王(これたかしんのう)と呼ばれる像。木地師の租と呼ばれる平安時代前期(八四四-八九七)の実在の人物ですが、何故この像が惟喬親王なのかは不明です。

背銘の刻書や墨書も無く、正しい尊名は分からないとするのが正しいのかもしれません。


「小島先生、今日はこの神像五体から始めて、そちらの薬師三尊までを目標にしても良いですか?」

「分かりました、準備ができたら声を掛けてね。」


 撮影に使うテーブルを配置し、その後ろに背景幕スタンドを設置。アンブレラ型LED照明を展開し、テーブルを頂点になるべく同じ角度になるように設置し、マルチタップの延長コードに電源コードを繋げました。


「バッグから、手持ちのLEDライトと電池出してくれない?」

と、嫁さんに頼みつつ、カメラバッグから愛用のデジタル一眼レフカメラと使うレンズ、レリーズを取り出して三脚にセットし、いよいよ撮影開始です。

 

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