閑章・木喰仏もあるく:焼津市歴史民俗資料館

 江戸時代を代表するもう一人の造仏聖ともいえる「木喰」が居る。


 一般的に木喰は、その修行スタイルを指す。

五穀を断ち、その他のもので日々の糧としたと言われる。

 円空が活躍した時代を江戸時代前期とするなら、後期を代表とするなら、この木喰であろう。


 生涯に三度の改名したと言われ、「行道」「五行菩薩」「明満仙人」と変わる。

享保三年(1718)甲斐国(現在の山梨県)に生まれ、文化七年(1810)年に亡くなったと思われる。墓は無く、実家に紙位牌が届き、それになくなる日にちが書かれていた。享年93。


 数回に亘り、日本全国を巡り、1000体の造仏を請願し、これまでに約740体が確認されている。僅かな期間であるが、日向国(現在の宮崎県)国分寺の住職を務めたことがあり、こちらには、今でも木喰自作としては最大級の像が祀られている。


 また、オリジナリティあふれる和歌を詠み、時の小泉純一郎総理(当時)も、「まんまる丸く 丸くまんまる」の句を紹介していた。


 ご縁を頂いて、今年の六月から全国木喰研究会に参加し、新ホームページやFacebookページの立ち上げや木喰仏の記録撮影などを担当するようになった。所属する研究団体も円空学会を合わせると二つになる。


 これまでに宝蔵院(愛知県名古屋市)、温泉寺(岐阜県下呂市)、静岡県浜松市の何軒かの民家、岡谷市美術考古館(長野県岡谷市)寄託のもの、諏訪湖博物館(長野県下諏訪町)寄託のもの、花屋茂七館(長野県下諏訪町)、䕃凉寺(京都府南丹市)、そして今回のものとなる。


 出来るだけ沢山の木喰仏や付属資料を撮影し、後世の研究者へ残しておきたいと思っている。個人のものは、転売されることもあり、元の所有者の手を離れればその後はどうなるかが分からない。


 また、寺社にあったとしても、いつ気象災害や火事、盗難に遭うのかも分からない。

これは、円空像についても言えることで、行政のこう言った分野は年々予算が削られているので、ならば民間に力を貸して欲しいと言えば良いのにと常々思う。


 出かけるまでの旅費にしても滞在費も要らない。ただ、撮るのが楽しい。使用料?別に要らないです。ただ、撮影者に名前載せてくださいね。大丈夫、公的に使われるなら、それでOKです。そんな人もたまには居るもんです。


 さて、今回は、その木喰仏の記録撮影の記録です。


 昨日(令和5年10月7日)、静岡県焼津市にある焼津市歴史民俗資料館へ寄託の木喰仏三体の記録撮影に出掛けてきました。


 同行していただいたのは、事務局長の森雅子さんと嫁さん。


 午前6時半頃に自宅を出発して、高速に乗る前にローソンで軽い朝食を済ませました。

 車は東名の集中工事による渋滞を避けるために国道302号にある名ニ環の甚目寺南インターチェンジから、飛島経由、豊田ジャンクション、三日日ジャンクションを通り抜け、途中、数度の休憩を挟み焼津へ。


 焼津市歴史民俗資料館は、焼津市の文化センターの一角にあり、そこにはホールや図書館、小泉八雲の資料館もあり、今回は小泉八雲資料館の小ホールをお借りしての撮影となりました。


 事務所でWさんとSさんに挨拶をし、早々に撮影場所に案内されます。

 背景幕スタンドを準備して黒幕を、取り付ける。アンブレラ型LEDを展開し、カメラをセッティング。資料館のスタッフの方も、これはなんですか?と興味津々のご様子。


 SさんとWさんに大日堂の吉祥天を安置して頂き、撮り進める。保存用の箱は、円空木喰展のものをそのまま使われている様子。


 吉祥天は、丸髷でどこか唐様を思わせる装束を着、静かに微笑んでいる。


 やはり、1mに近い木喰像の向きを変えるのは大変な作業。

 職員の方にも手伝って頂き、なんとか向きを変え複数のパターンを撮影する。


 次は、同じ大日堂の不動明王。

吉祥天と同じく約1mに近い像高。

 過日、岡谷市美術考古館で拝観した拝瀧不動明王と同じ作り。


 ただし、尊顔の表情はこちらの方が迫力があった。智慧の利剣を持たず、右手の握りに穴が空いていない為、最初から持たせることは考えていなかったのだろうか?


 大日堂には、当初、三体の木喰仏があったそうだが、一体は行方しれずという。


 そして、最後の一体は勢岩寺の弘法大師だ。焼津市歴史民俗資料館寄託の三体の木喰仏で一番小さい。

 小さいながら、緻密に彫り込まれ、おまけに後背、背面に墨書がみっちりと書かれている。


 この像の撮影中に焼津市広報担当のOさんに色々と撮影方法について質問を受けたので、色々と情報交換をする。


 残念ながら、普段は収蔵庫で管理されているとのことで、数年に一度の展示らしいが、今回撮影した画像データを死蔵することなく使っていただけるようで、なんともありがたいことだ。


 撮影枚数は、赤外線撮影を含め約230枚。

今後、撮影したデータは、企画展のポスターや図録などにも使われることになるかもしれない。データの死蔵ではなく活用されることを望みますとお願いしておいた。


 焼津市歴史民俗資料館のスタッフの皆様、同行していただいた森さんに篤くお礼申し上げる。


 撮影後は、焼津市さかなセンターに立ち寄り、マグロづくし丼を食べた。

美味かったなぁ!


なお、近況ノートにサンプル画像が載せてありますので、気になる方はそちらもご覧下さい。

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