十四話 観音院の円空像群・2(追記加筆)

 さて、前回は、埼玉県春日部市小渕の小淵山観音院の所蔵される七体の円空像の内、大きい方の三体(聖観音菩薩、不動明王、毘沙門天)に付いて書きました。


 今回は、小さい方の四体(蔵王権現、役行者、護法大善神、徳夜叉大善神)について書き進めたいと思います。

しばし、お付き合い下さい。


・蔵王権現 像高39.8センチ

 役行者が修行中に感得したした修験道の本尊で、釈迦如来、十一面観音菩薩、弥勒菩薩が合体したものとされます。

よく知られるのは、奈良県吉野町の金峰山寺の国宝のものがあります。


 観音院の蔵王権現は、円空作の唯一の蔵王権現と言われます。


 他の蔵王権現と同じく、やはり、怒髪で憤怒相です。

 ただ、目の上の斜めの刻線の間、丁度、眉間に第三の目が彫られているのが分かるでしょうか?


 同院の不動明王と同じように鼻は三角鼻ですが、欠失が見られます。

その下にやや厚めの唇が彫られて、その両端に上に向けて牙が突き出ています。


 尊顔の右横に渦巻きで雲紋か風紋が彫られているのが分かります。

蔵王権現が普段から居るのが峻険な山の中だからでしょうか?

渦巻きの中に三鈷杵の一部(恐らく上側)が彫られているので、雲間に鳴り響く雷をイメージさせます。


 高く振り上げた右腕は、この渦巻き紋の中にあり、恐らくは三鈷杵を持っているのでしょう。

 左手は、拳を握り腰に当てています。何かを持たせると言う意図は無いので、穴は開けられていません。


 蔵王権現は、峻険な山に居ると先述しました。右脚で山肌を蹴り上げ、左足が岩座に着くという「動き」が表現されています。


 背面には実に多くの梵字が墨書されています。「イ(文首記号、雲)」と「ウ(最勝)」の両方が併記されるのは、延宝八年頃の極僅かな時期だけなので、関東に来て比較的早い時期に造像されたのかもしれません。


 底面を見ると角材で造像されていることが分かります。

また、観音院の他の小さな三像に比べ、とても軽いと言うのも特徴の一つです。



・役行者 :像高30.5センチ


 役行者は、大和時代に実際にいた人物とされ、日本の独自の「修験道」を開いた祖として知られています。

 円空像に限らず、一様に長い髭のある老人の姿で錫杖を持ち、高下駄を履き、椅子に座る姿で表されることが多いようです。


 円空は、奈良県大和郡山市にある松尾寺に一体(おそらく初作)、愛知県名古屋市中川区の荒子観音寺に一体、岐阜県個人蔵の一体、残りは関東地方十体の計十三体が確認されています。


 観音院所蔵の役行者は、頭上に鳥が乗っているように見えます。「これは修験道独自の頭巾の被り方だ」とある方にご教授頂きました。

 しかし、どう見ても鳥が翼を広げ、役行者の頭を包み込んでいるようにしか思えませんでした。

 同様に頭上に鳥が乗る円空像は、愛知県個人蔵の秋葉大権現があるぐらいです。


 この像は、役行者ということもあり高齢の男性ですから、額、目尻、頬に何本もの皴を表す刻線が刻まれています。光の当て方によっては、本当に老人のように見えるから不思議なものです。が

 残念ながら、髭は確認ができませんでした。

 同様に顔に皴がたくさん彫られた像が、美並ふるさと館(岐阜県郡上市美並町)に寄託展示されている「庚申」像があります。


 右手で錫杖を持ち、左手で金剛杵を持っています。

 錫杖の柄頭の房に見えるようなものは、鉄輪ではないかと先日の調査(2023年4月29日)にお付き合いして頂いた仏像イラストレーターの田中ひろみさんの意見を頂戴しました。

 左手の金剛杵はその枝分かれした形状などから五鈷杵のように見えます。


 正面からは分かりづらいのですが、椅子に腰かける姿。高下駄を履き岩座に乗るというそんな像容をしています。


 背面には、他の像と同じく梵字が幾つも墨書されているようです。蔵王権現に

はるかに重く感じてしまいます。比べると



・護法大善神 像高29.1センチ

 円空学会をはじめとする円空研究家の中では、鳥をイメージさせる像は、愛宕神、秋葉神しかないと言われています。

愛宕山太郎天狗、秋葉山三尺坊天狗もいずれも烏天狗と密接な関係性があります。


 頭髪は一見すると怒髪のようにも見えます。

 両目端は吊り上がり、立体的に彫られています。

 嘴は、カラスのような若しくは猛禽類のものを想像させますがカッと広げ、その間には舌が及位見えます。


 造形的には頭と胴体だけの非常に簡素な作りがユーモラスな像です。


 背面には、「(梵字)護法大善神」と墨書され、この像がそれであることを示しています。また、その左側にも漢字で文字が書かれているのが分かります。


・徳夜叉大善神 像高28.8センチ

 これも先に書いた護法大善神と同じく謎の多い像です。

頭部の形状からは、稲荷(狐)とも牛とも言える獣のようなものを想像させますがハッキリとしたことは分かりません。

 口の間から延びる下のようなものは、九州地方の唐津焼や有田・伊万里焼などの産地で成形道具に使われる牛ベラを思わせます。


 そもそも、「徳夜叉」自体が何を意味するのかが分かっていない以上、軽々に稲荷の類にしても大丈夫なのか?と考えてしまいますが、如何なものでしょう?


 背面墨書を観察し、これまでに「徳夜叉明神」などと紹介されてきました。初回にお邪魔した時からいろいろと赤外線撮影の方法を変えてみたりしました。


「徳夜叉」は綺麗に写し出すことができますが、その下の文字はかすれたのか洗われたことによる影響なのか定かではありませんが、判別がしにくいのが現状でした。

しかし、何とか判別することに成功し、正しくは「徳夜叉大善神」ではないかという確証を得ました。


・役行者、護法大善神と徳夜叉大善神

 これは、先程、仕事をしながら考え事をしていたときに思い当たったことです。

役行者には、前鬼と後鬼という鬼の夫婦が側使いとして仕えていたそうです。

後に前鬼は、大峰山前鬼大天狗という天狗に変じたそうです。


 先に紹介しましたが、円空は秋葉神も愛宕神も烏天狗の形状で造像していますので、ひょっとしたら「護法大善神」=「前鬼」ではないかという考えに行き当たりました。

 では、「徳夜叉大善神」は?ということになりますが、「徳」のある「夜叉」と分けて考えると、「夜叉」は鬼神とも言われますので「鬼」を想像させます。


 そこから、「徳のある鬼」と考えると前鬼の奥さん、つまり「徳夜叉大善神」=「後鬼」なのかな?という考えに至りました。

果たして、真実はどうかは分かりませんが、役行者、護法大善神、徳夜叉大善神のいずれも持った感じでは、木の触った感触、質量もどこか似通った感じがしました。

ひょっとしたら、同じ材を使って造像した可能性も否定できません。


 これも今後、考察を深めていきたいことの一つとなりました。


・追記となります。

 明治維新の修験道廃止令が出るまで、この春日部市小渕の小淵山正賢寺観音院の隣地には、「不動院」と言う関東修験道の一大拠点があったそうです。


 日光街道に近いと言うことも影響してからか、徳川幕府の寵愛を受けたそうです。


 円空の関東下向も、この不動院の本尊の造像依頼を受けてのものだったと言う説が出されています。


 残念ながら、不動院が廃寺となり、この円空作の本尊も東京へ移座し、遂には東京空襲で灰燼に帰してしまったのだそうです。


 この不動院には幾つもの子院があり、その中には今でも円空像を受け継ぐ家があるのだそうです。


 不動院と観音院の繋がりは、よく分かっていませんが、不動院よりも前に建立されていたことから、円空の表敬訪問を受けて交流を持ったのかもしれません。


観音院の円空像は三つのグループに分かれます。

・聖観音菩薩、不動明王、毘沙門天

・蔵王権現

・役行者、護法大善神、徳夜叉大善神


この内の幾つかは、不動院廃寺に伴う移座の説も出されていますが、更なる調査が待たれます。

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