十三話 観音院の円空像群・1
埼玉県春日部市小渕に小淵山正賢寺観音院があります。
宗派は、本山派修験宗という少し耳馴染みのない宗派です。ざっくり書けば、京都市にある聖護院を本山とする山伏のお寺です。
明治維新後の修験道廃止令の為に、今では檀家が無く、かなり運営も大変とお聞きしていますが、毎年5月3日から5日まで「円空仏祭」と称して寄託先から七体の円空像が里帰りして開帳されます。
観音院所蔵の円空像は、
・聖観音菩薩
・不動明王
・毘沙門天
・蔵王権現
・役行者
・護法大善神
・徳夜叉大善神
です。
大きな像三つ、つまり、聖観音菩薩、不動明王、毘沙門天。小さな像四つ、つまり、蔵王権現、役行者、護法大善神、徳夜叉大善神の2回に分けて記事を書いてみようと思います。しばし、お付き合い下さい。
注: 円空像の高さについてですが、本来の像高は本体の高さらしいのですが、僕は台座を含めた全ての高さ(総高)こそが像高だと考えていますのでご了承下さい。また、幅、奥行に関しても、その像の最大のものを指します。
・聖観音菩薩は、像高195センチの大作です。
一人で動かそうとしてもかなり大変です。
これまでに三度、観音院へお邪魔して記録撮影や調査を繰り返してきましたが、毎度、春日部市教育委員会の職員のOさんにお手伝い頂いております。
高く結い上げた宝髪の間に化仏の阿弥陀如来が彫られていますが、その上にカキツバタ類の花が墨書されています。以前聞いたところに依れば、周囲に湿地帯があり、カキツバタ類の花が群生していたそうです。
円空もそれを見て、描いたのかもしれません。他所の円空像でも桜か梅を描いたものがあるので、ちょっとした洒落っ気だったのかもしれません。
また、眉間には梵字の「イ(文首記号、雲)」のような渦巻きが墨書されているのに気がつきます。
柔和な顔つきは、拝む者観る者を安心させます。
少し開いた唇の間には、造像の際に彫り残したものではないかと言われます。
歯ではないか?舌ではないか?と諸説言われますが、どちらも聖観音菩薩が衆生に何かを語りかけているようにも見えます。
胸前の右手は、親指と人差し指で輪を作りOKサインを出しているようです。
それぞれの関節は二、三本の横の刻線で表現され、掌紋は十本の刻線で表現されています。
左手は蕾の蓮をしっかりと持っています。
どちらの手も、像高と比べかなり大きく作られているのも特徴と言えます。
この聖観音菩薩の下半身には、二つの渦巻紋が彫られているのが分かります。
これらが何故彫られたのかは分かりませんが、聖観音菩薩が普段から居ると言われる場所が補陀落浄土であり、その海や現世の雲間からこちらを見守っているので、雲紋や風紋ではないかという説も出されています。
観音院の聖観音菩薩は、蓮座岩座の二重台座に乗り、底面を見ると角材で造像されていることが分かります。
幅が45センチ、奥行きが14センチですから、梁などの建築余材や古材を用いて造像されたのかもしれません。
背面を赤外線を用いて確認すると、幾つもの梵字(種子)が確認できますし、手斧(ちょうな)で材を製材したことが分かります。
・不動明王
聖観音菩薩の脇侍として、毘沙門天と共に造像されています。像高132センチ。
不動明王と言えば、大日如来の教令輪身として憤怒相の怖いイメージのある仏として知られますが、円空の彫った不動明王はどれもが微笑みを浮かべているようにも見えます。
不動明王の頭の上には、普通、蓮の花が開いたもの(頂蓮)があると儀軌(ぎき、いわゆる設定です)には書かれていますが、円空は蓮の花が蕾のものと開いたもの、どちらも彫っているようです。
観音院のは、蕾の頂蓮です。
額の斜めに幾筋も彫られた刻線が忿怒の相を表しているのは、他の円空作の不動明王、愛染明王、天部と同様です。
左目は天眼、右目は地眼と言われ、空と大地を広く見、仏や衆生を悪魔などから守る為に見張っているのだそうです。
右目の目尻は、剣の超えた先にも数本の刻線があると言う。細工が細かいです。
鼻は、三角形の低いもの。これは、不動明王が奴婢(奴隷)の姿をされているので、敢えてそれを表現されているのでしょうか?
口は、両端がほんの少し吊り上がる感じで、少し微笑んでいるかのようです。左端から下に突き出す牙は長く鋭く、右端の牙は剣に隠れるように上に突き出ているのが確認できます。
聖観音菩薩と同様、左右の手は像高に比べかなり大きく感じます。
左手は、悪霊や魔物を縛るための羂索を巻いた状態で持ち、右手は利剣を持って構えています。
観音院のものは、両手とも作り付けですが、他所のものだと両方とも別パーツで穴だけ開けられている場合もあります
奴隷の装束を思わせる下半身の巻スカート上のものは、まるで鱗のようです。
他所の別種の円空像の中にも、同様の鱗状の法衣の表現はあるので何らかの意図はあるのだと思います。
そして、裸足で岩座に乗ります。
こちらも聖観音菩薩と同じように関節が刻線で表現されています。
また、背面に墨書痕が幾つも確認されています。
・毘沙門天-龍王
不動明王と同様に、聖観音菩薩の脇侍として造像されています。像高134センチ。
聖観音菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊形式は、天台系の寺院でよく見られます。
円空の作で、同様に三尊形式で三体が残る場所は、この観音院と愛知県尾張旭市の庄中観音堂(旧蔵、現在は尾張旭市に寄贈され、スカイワードあさひで公開されています。)の二箇所のみ。
観音院の毘沙門天は、何故か頭上に龍王が乗っています。所謂、合体仏とでも言うのでしょうか?
同様に岐阜県郡上市美並町の美並ふるさと館に展示されている薬師如来の肩に龍王の頭が乗るもの、愛知県知多郡阿久比町の宝安寺の薬師如来-観音菩薩などの例もあるので、一像に複数の神仏を組み合わせたものなんだと思います。
他の龍神や竜王のようにカッと見開いた双眸、ヒダヒダの鰐のような顎は迫力があります。また、顔の両側には幾つもの渦巻き紋が彫られています。これが果たして雲なのか暴れる水をイメージして彫られたのかは不明です。
雨乞いの祈願なのか雨が止んで欲しいと言う願いが込められたのか、今になって知る術はありません。
頭部は兜を被り、両目端は吊り上がっています。額の斜めに彫られた刻線は憤怒相と言われますが、どこと無く眉毛に見えてしまいます。
肩から胸に掛け、前掛けや涎掛けのように見えるものは甲冑と言われています。おそらく、円空も三国志などで中国の鎧の挿絵を見たのかもしれません。
同様の表現は、岐阜県高山市の国分寺蔵の弁財天などに見られます。
また、他所のものと同様に多宝塔を大切に両手で持ち、沓を履き、岩座に乗っています。
先に紹介した聖観音菩薩、不動明王と同様に幾つもの梵字(種子)の墨書痕が確認できます。
・不動明王と毘沙門天-龍王
2014年に初めて観音院を訪れて二体の底面の写真を撮影し、後日、ふと二体の比較をしたところピッタリと重なるのでは?と思い比較画像を作ってみました。
その確認を山田匠琳・円空学会常任理事に伝えて確認してもらったところ、間違いないだろうとの回答をもらいました。
そして二回目の2016年に再訪した際に二体を立てた状態で重ね、写真を撮りました。
この時は、不動明王に割れが見られたので倒した状態で重ねることは断念しました。
それから7年が経ち、不動明王の割れが修復されたとのことで、今回ようやく倒した状態で撮影することに成功しました。
二体を重ねた結果、
幅49センチ、奥行き16センチ
と言うことが分かりました。
このことから、聖観音菩薩と共にこの二像も合わせて元々は一木だった可能性も出てきました。ひょっとしたら、本堂の梁とおなじぐらいの長さ(195センチ+134センチ=329センチ)なのかもしれません。
これは、今後の研究課題にしたいと思います。
観音院の円空像群・2に続きます。
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