十一話 三年ぶりの研究会(改稿済み)

 去る十月二三日、茨城県水戸市にある茨城県立歴史館で実に三年ぶりとなる円空学会の研究会が全国木喰研究会との共催で開催された。


 円空学会の会員の多くが東海地方に在住の為、普段は愛知県や岐阜県を中心に研究会が開催されることが多い。

 関東での開催は、二〇一六年五月の埼玉県春日部市にある観音院以来であるから、実に六年ぶりということになる。


 前夜に名古屋市中村区にある劇団四季劇場でミュージカルのキャッツを観劇し、研究会当日の朝から名鉄、東海道新幹線を乗り継ぎ、品川駅で常磐線の特急常盤に乗車。


 品川駅から水戸駅までは約七〇分。

隣に座る妻と時折喋りながら、車窓を眺める。

土浦駅を過ぎ水戸駅までに広がる光景は、田園や蓮根畑でありどことなく円空の生誕地と言われる岐阜県羽島市に近いのだなと感じた。


 程なく、特急ときわは、水戸駅のホームに滑り込む。

カメラリュックを背負い直し、撮影機材の入ったスーツケースを引き列車を降りる。

駅ビル内の店舗で昼食を摂り、荷物が多いのでタクシーで会場まで移動することにした。

 北口を出、タクシー乗り場へ向かう途中に水戸黄門と助さん格さんの像があったので、乗車前に写真に収めておいた。


 水戸駅からタクシーで約十分。距離にして四〜五キロと言ったところか。

間もなく偕楽園内にある茨城県立歴史館の正門前に着き、タクシーを降りる。


 歴史館に入館すると既に何人かの円空学会関係者が到着されており、T常任理事が歴史館スタッフと打ち合わせの真っ最中だった。

 先着の参加者に師匠の一人であり友人でもあるY先生と相方のNさんに再会。

お二人とも車で神奈川県からのご参加。

彼らとの付き合いも随分と長くなり、コロナ禍前には、幾つかの寺社や施設での調査や記録撮影に一緒に出向いた仲でもある。


 特にY先生とは両親の代からの付き合いで、歳も三十以上も違うのに本当に良くして頂いている。


 いつものように軽口を叩きながら、会場に通されるのを待っている間に歴史館発行の資料を二冊買い求めた。


 そうこうする内に別行の小島梯次円空学会理事長が引率する全国木喰研究会のバスツアー参加者(一部、円空学会会員と重複)も合流し、会場であるバックヤードの一室に案内される。


 参加者は、全員で二十三名。

部屋は、長机が幾つかくっつけられており、その周りに参加者がいる訳だがかなりの窮屈感であった。


 机の上には、二つのダンボール箱が置かれ、それに一体ずつの円空像が収められていた。

 片方の箱を受け持ち、巻かれた紐を解く。

ぎっしりと詰められた詰め物、かくや「貴重品の移動の為の梱包はこのように行うべし」と言う見本のようだ。


 箱の中からそれぞれの像を取り出し、机の上に敷かれた布の上にそっと横たえる。

像の高さの割に底面積がどちらも小さく、また、会場が狭い上に人が多い環境下では転倒するというリスクを考えた結果である。


 最後の参加者がやや遅れているようだったので、先に小島理事長が挨拶を行う。

そうこうする内に彼女が会場に到着し、ようやく三年ぶりの研究会がスタートした。


 僕の司会進行により、円空学会としては三年ぶりの研究会であることを告げ、参加者に感謝の意を伝える。

 また、茨城県立歴史館のS学芸員の紹介、そして、全国木喰研究会のM事務局長から挨拶を頂き、小島理事長にマイク(実際にはマイクは使っていないのだが)を渡し、二つの像についての解説をしてもらう。


 一体目は、茨城県笠間市にある月崇寺の観音菩薩である。

像高(台座を含めた総高)四十四㎝、最大幅十二㎝、最大奥行十二㎝。

全体の作りは、非常に簡素である。


 恐らくは、後の千光寺(岐阜県高山市)蔵の観音像群(千光寺表記では、「三十三観音像群」)に繋がっていく原型とも思われる。

材を活かしたのだろうか、像自体はかなりの前傾姿勢をしていたので、転倒の可能性を感じたので自立させるのは本当に観察(拝観)の時間だけとした。


 観音菩薩だから、円空作の場合は蓮座、岩座(または筋彫り座)の二重台座に乗っていることが多いのだが、この像の場合は、岩座だけに乗っていた。


 さて、本像は造形よりも背面の墨書に注目されることで有名な像である。

「萬山護法諸天神

 御木地土作大明神  延宝

 サ(梵字)観世音菩薩  八年庚申秋

            九月中旬   」

とこの様に書かれている。

もちろん、円空の自署である。


 文中、最も有名な行(くだり)は「御木地土作大明神」である。かの五来重

(ごらいしげる、民俗学者、宗教学者)をして「円空は木地士を出自に持つ。

円空は、美並(岐阜県郡上市美並町)の生まれ」だと言う大胆な仮説の論拠の一つとしたことで知られる。


 更には、これまでの論拠とされてきた同像の背面赤外線写真の「土」は物によっては「士」に見えるものもあり、今回の研究会で実際にどのように写るのか僕にとっての最大のテーマだった訳だ。


 とりあえずは、この像についてはここで留めておく。


 そして、もう一体は元々は岐阜県関市の個人旧蔵の十二神将の一体で「辰」像である。

 甲冑姿の武神将が宝珠らしき物を持ち、岩座に立つ。

そして、兜の上から左肩に掛けて竜が乗るという形である。

高さ五四.〇㎝、幅十三.五㎝、奥行八.〇㎝。


 前述の観音菩薩と同様に自立させようとしたがかなりの不安定感である為、こちらも大事をとって拝観まで寝せておくこととした。


 この「辰」像は、他の十二神将共にアメリカの個人に売却されたと一時期言われていたが、東京都・個人蔵、荒川豊三資料館(岐阜県可児市)にそれぞれ一体ずつが確認されているので、存外、噂話というのは当てにならないものだと思う。


 この像もやはり、背面に墨書が残されているのだが意味合いが今ひとつ判らない。


 その辺りは、先頃、発行された「円空学会だより第二〇六号」に辻村智浩氏が詳述されているので筆を譲ることとし、読者の皆様には何かの折に、図書館などでご覧頂ければと思う。

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