七話 カメラのこと(改稿済み)

 プロローグ的なパートもそろそろ終わりかな。

今回は撮影のことを書いてみようと思います。

しばし、お付き合いのほどを…。


 父が円空学会に入会し、しばらく経つと母は後幕の幕待ちを任せられ、僕は父の予備機で撮影の真似事をする様になっていった。


 父は殊の外、PENTAXがお気に入りで、本体はMV-1、Super A、ME Superと遍歴をする。

 最後まで使っていたのはMV-1だったか。

撮影を始めた頃は、五〇ミリの標準レンズ、三五ミリの広角レンズを使う様になった。所謂、カメラ沼、レンズ沼というやつだ。


 円空学会には、撮影の名人が数人いらして父は最初の頃、関市の後藤英夫氏にアドバイスを貰っていたが、職人気質の父は長谷川公茂氏の撮影技法を取り込んでいった。


 最初は、カメラのストロボ端子に直接ストロボを取り付け直照させていた。ものの見事に白トビをしており、かなり苦労していた様だ。

その後、ストロボシューから伸びる延長コードを手に入れ、光を当てる角度に変化をつけることで陰影が生まれるように工夫していった。


 一方、僕の方は長谷川先生や後藤先生から、写真を撮る際の心構えや被写体の捉え方の初歩の手解きをご教授頂いた。


 また、これまでの回に登場した佐藤 真先生には円空像の観方をご教授頂いた。

これらの知識や経験は今でも役に立っている。

本当にこの頃はまだ、記録撮影というものに興味がなくて、いわゆる円空本に掲載されているような芸術的な写真の方向ばかりを追っていた気がする。


 ただ、自分の両親の歳よりも上か同じような人ばかり、なかなか円空像に近づいて撮るというのは難しかった覚えだ。


 あとは、身近にいる父の撮影の影響だろうか。いざ撮影しているとアレコレと口を出してくる。ヤレヤレと思うこともしばしあった。


 大学を途中で退学し、数年すると何となく円空学会から距離を置きたくなり出した(理由はあえて書きません。まぁ、気分的に方向が違ったとしか)頃に、一〇万画素のデジカメが発売された。


 その後継機(三〇万画素)が出た時に購入してみた。

まだまだ画質は粗く、とても使えるレベルのものではなかったかな。

その後、Canon EOS5 QDが発売され、ボーナスでこれを買った。

実質、最後に買ったフィルム一眼レフ機になった。


 途中は端折るが、二〇一二年から再び円空像と深く関わりを持ち始める。

その頃は、Canon EOS Kiss X4を使っていた。

入門機としても使いやすかったので、機械がどことなく苦手だった某先生にも勧め、その後継機のCanon EOS KissX5を買わせてしまった。


 しかし、カメラ沼、レンズ沼というのは凄いもので次から次に試して(買って)みたくなる。

 ある意味、麻薬のようなものなのかなぁと反省する時がある。

が、後悔はない。


 現在は、Canon EOS5DsR(約5千万画素)、Canon EF24-70mm F2.8L、Cosina Carl Zeiss Makro Planar*2/100を中心に、その撮影シチュエーションに合わせ替えて使っている。

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