四話 もう少し、詳しく円空のことを… (円空の生年と没年) ;(改稿済み)

 序文で円空のことをざっとまとめて書いてみたが、謎の多い円空の生涯をやはりざっとでは済ませられないと思い立ち、話が前後することをお許し願いたい。


 僧・円空は、江戸時代前期を生きた人物である。


 円空の人物史の中で、最初から判っていたのは亡くなった年月日だった。


 岐阜県関市池尻に現在も円空が住職だった弥勒寺がある。

 元々は、壬申の乱で活躍した身毛(むげつ)氏が開いた官寺だった。


 円空が中興するまでは、荒廃と再興を数度繰り返したらしい。

 円空が弥勒寺を中興し、大正九年(一九二〇)に全焼するまで、同寺には数多くの円空像、オリジナルの肖像画、自筆の経典や文書類が一切灰塵に帰した。


 今、弥勒寺に残る円空像や文書類などは火災消失後に寄進されたり、戻されたり、管理のために預かったものらしい。


 その礎石の残る旧弥勒寺境内を通り、竹藪の中の整備された小道を進む。


 途中、標識に従って右に曲がり、更に少し進んで左へ折れる。

 そして、弥勒寺歴代住職の墓所にたどり着く。


 竹藪のヤブ蚊は冬でも元気が良く、虫除けや虫刺されの薬を必ず持ってのお参りを強く推奨しておきたい。


 彼の墓石は自然石を粗く割り、平面な箇所に石鑿で碑文を彫ったのだろうか。


 それに依れば、円空が亡くなったは「元禄八年七月十五日」である。元禄八年は、干支では乙亥(きのとい)である。


 そもそも干というのは、木火土金水と陰陽(兄弟)の組み合わせからなり、

甲(きのえ)

乙(きのと)

丙(ひのえ)

丁(ひのと)

戊(つちのえ)

己(つちのと)

庚(かのえ)

辛(かのと)

壬(みずのえ)

癸(みずのと)

の十種で構成される。


 支は、十二支のことであり、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥で構成されるから、こちらは皆さんもご存知のことと思う。


 元号は一年の途中で変わる場合があるが、干支は変わらない。余談だが干支の関連する言葉で一番知られるのは、還暦である。

 つまり、六十年後に再び同じ干支が巡ってくるという訳だ。


 昭和三十年代以後にいわゆる円空ブームが各地で起こり、様々な円空像や円空が書き残した和歌や墨絵などが見つかった。


 群馬県の一宮である貫前神社旧蔵の大般若経の断簡が見つかった。


 それには「壬申年生美濃国圓空(花押)」と自署されていた。

 これにより円空が生まれた干支と生国が判明した。美濃国は、現在の岐阜県南部にあたる。


 さて、墓碑に刻まれた元禄八年は、乙亥(きのとい)であることは先述した。

 元禄八年までに壬申(みずのえさる)の年は二回ある。


 元禄五年(一六九二)と寛永九年(一六三二)だ。仮に円空が元禄五年に生まれたとすれば、数え四歳で北海道まで行っているという訳の判らないことになる。


 それから考えると、寛永九年(一六三二)の生まれとした方が説明がつくということになり、円空の誕生年が確定した。



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