一話 出会い(改稿済み)

 「円空仏」として知られる木彫の仏像がある。


 江戸時代前期に生きた僧・円空が彫った木像で、彼は仏像、神像、人物像などを彫り残している。


 「円空仏」は、そんな木像の総称として使われるのだが、本来の実像ではない。

 そのようなこともあり、近年では「円空像」として取り上げる書物も少しずつだが見掛けられる様になってきた。

 このエッセイでは、それを踏襲したいと思う。


 さて、「序 ~僧・円空について」でも書いてみたが、円空像と言えば最大の特徴は「柔和な表情と微笑み」だろう。


 その顔は、観るもの、拝むものに対して、無言で全てを受け入れてくれるような気にもなるから全く不思議である。


 近況ノート「改題しました」にそれが判る写真を載せておいたので見て頂けると嬉しい限りである。


 さて、僕と円空像との出会いは、四十年前に遡る。


 当時、小学六年生の頃だった。

 四十年も前の記憶なのであやふやな所があるかもしれないが、その辺はご容赦願いたい。


 その日、名古屋に出掛けた父が某百貨店で開催されていた飛騨高山物産展で、令和の現在でも、岐阜県高山市国分寺通りに店を構える円空洞の店主・三輪年朗氏(故人)の彫られた黒く着色された木像を購入してきた。


 像高約十センチ体躯に富士山の形にも似た髪型、微笑みを浮かべた表情、刻線で表現された衣、蓮座に静かに座り更に筋彫りを多用した台座がその下に付く、そんな造形だった。


「えっ、これも仏さん?」

 これが最初に模刻とはいえ、円空像に接した際の感想であった。


 僕の住む地域は、小学六年生の修学旅行は京都奈良であり、仏像と言えば宇治平等院(京都府宇治市)の阿弥陀如来や東大寺(奈良県奈良市)の大仏さんや仁王の様な姿形だと思っていたので、まさかの極致であった。


 父は、その素朴な姿に見惚れたのかその日の内にもう一体予約してあるからとお金を持って出かけて行き、先に購ってきたものよりも大きめなものを購入してきた。


 その時の母は、やや呆れた顔をしていたが、次第に夫婦でその木像の魅力に取り憑かれたようだ。


 後に父が小さな本「円空仏」(保育社、カラーブックス、長谷川公茂著)を本屋で購入し、その黒い木像が円空仏と呼ばれるものの内の観音菩薩だと知るに至った。


 翌年には、「別冊太陽 円空 遊行と造仏の生涯」(平凡社、一九八二年)と「円空彫のすすめ」(日貿出版社、三輪年朗著)を購入し、彼は円空仏の模刻を始め、母を連れて近在の円空仏を拝観して回る様になった。


 この辺りから、父はPENTAX製の一眼レフカメラとレンズ、ストロボ、三脚を持ち、仕事の休みに母に撮影助手を頼み込み、共に撮影に出掛けるようになった。


 僕が中学生になり、しばらくして、家族でドライブがてら岐阜県羽島市にある中観音堂(岐阜県羽島市上中町)へ行くことになった。


 先に紹介した円空の本を見てみると、羽島市は円空誕生の地として紹介されていた。

 どの本にも中観音堂の蔵する仏像群の写真や記事は掲載されており、必ず訪れるべき場所として有名のようであった。


 その頃の我が家は、秋田犬が二〜三頭居たので出掛けるのも専ら近場の所が多く、多忙な両親とのドライブは思春期に入った身とは言え嬉しいものであった。

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