水鉄砲

 池は名を〈水鏡〉といい、ひとのこころを映して望みの場所へ渡す力を持っている。

 ゆきを抱えて飛び込んだたつみは、水鏡に心を読まれて一度天の川まで連れて行かれた。驚いてこちらを見上げる幸に「やっぱり帰すのがこわい」などとは口が裂けても言えず、龍に身を転じてすぐさま邸まで駆け下った。

「こういうこともあるのね」

「そうだな、あやふやなまま飛び込むと思わぬところに出ることになる。ひとりのときは用心しろよ」

「わかった」

 もっともらしく忠告するが、いま用心せねばならないのは巽自身である。さいわい、幸は水鏡に夢中だ。なんにでも興味を示し、解き明かそうとするのは彼女の美点だが、そのまなざしはときに巽をひやりとさせる。

 天の川のときとも似た渦の感触、時のあぶく、光の魚。果たして、二度目は無事に下界へとたどり着いた。

 里のはずれの湧水のほとり。人目につかない場所を選んだのは、騒動を避けるためである。もっとも、庭を出歩いてばかりの幸は社に籠もっていた頃とは見違える健やかさで、よほど身近に接していた者でなければ気づかれることはないだろう。身なりも違えば表情も明るい。己のもとで開いた花だと見せびらかしたいところではあるが、それでは派手な攫いかたをした意味がない。

 龍神の巫女、贄の娘はその役割を全うした。

 そう思わせるために、天に上る姿が人目につくよう仕向けたのだ。

 巽は幸を地面におろし、ふかふかの土が重みに沈む。幸は深く息を吸い込んで、吐き出す声で感慨を口にした。

「なつかしい、濃い土の香り。天上よりもずっと湿って、重たいかんじ」

「そうかもな」

 幸にかかれば何でも比較観察の対象だ。ぶれない姿勢に、巽は思わず笑みをこぼす。

 滅多に人の来ない場所なので、足場が悪い。うねる木の根や石ころに足をとられぬよう、巽は一度離した幸の手をとって先を行った。

「どこへ向かうの」

「この沢と同じ」

 湧水はひとすじの流れとなって山肌を下る。道なき道をたどり、木立を抜けて、せせらぎの音が耳を打つ。寄り合う水が谷を拓いたのか、谷が水を集めたのか、流れはやがて大きくゆるやかに広がり、明るい場所へと二人を導いた。

 陽の光は天頂から降り注ぎ、煮炊きの煙が遠くたなびく。河原では、幸よりも年下の子どもたちが川遊びに興じていた。

「よう」

「あっ、たつみだ!」

「どこいってたんだよう」

 一人が飛ぶように駆けてきて、たくさんの子どもがあとに続く。次々に飛びかかられてなんとかこらえた巽に、およそ幸と同じ年頃の少年が疲れた様子で言った。

「あんたが顔を出さないから、しばらく大変だったんだぜ」

「悪い悪い」

「えーい」

「あっ、こらっ」

 子どもたちの手からぴゅうと水が飛ぶ。流れ弾は、巽のうしろに隠れていた幸にももれなく降り注いだ。

「おい、大丈夫か」

「びっくりした……」

 濡れた前髪をよける幸に、子どもたちの容赦ない視線が降り注ぐ。

「そのおんなだれ?」

「ばか、お姉さんだろ」

「おきゃくさん?」

「そうそう、お客さん」

 思わず見上げた幸に、巽は小さく頷いた。話を合わせろということだろう。

「遠くのまちからやってきて、この人に案内してもらっているところなの。みんなは?」

 腰をかがめて微笑むと、子どもたちは我先に声を張り上げる。

「たたかいしてんの」

「かっせんだよ」

「仕事のじゃまだから川でも行ってあそんでこいって」

「すいかとかきゅうりとかひえてるよ」

「つつみをつくったのはおれ」

「おねえさん、てっぽうみる?」

「そうすけ、てっぽうつくるのうまいんだよ」

 ねー! と子どもたちが振り返ったのは、はじめに巽に愚痴っていたあの少年である。

「そうなの?」

「うん、まあ、そう」

 幸の問いかけに、そうすけは軽くそっぽを向いた。耳が赤くなっている。

(おやおや)

 巽はにやつくばかりだが、幸はすでに手渡された竹細工に興味津々だ。

 篠竹でできた水鉄砲だ。親切な子どもが、幸に使い方を教えている。竹筒に水を汲み入れてから一回り細い竹でぐっと押し出すと、節に開けた穴から水が勢いよく飛び出す。細いほうの竹の先には布を巻き付けてあり、握りやすいようちゃんと持ち手もついている。

「あなのおおきさとか、たけのふとさとか、そうすけがやると一番よくとぶんだよ」

「おねえさんも、たたかいする?」

「いいの?」

 子どもに手を引かれ、そのままの格好で川に入っていこうとする幸を巽はあわてて止めた。帯に挟んで、衣の裾を上げてやる。

「行っておいで」

「あなたは?」

「俺は見てるよ」

 二手に分かれて陣地を決め、各々が手にした水鉄砲を撃ち合うのだという。巽とそうすけは勝敗を決めるようにと言われていたが、そもそもどうすれば勝ちなのか決まっていなかった。金切り声を上げながら水を撃ち出し体じゅうに浴びて、みんな見事にずぶ濡れになった。巽とそうすけももれなく道連れだ。

 そろそろ幸の息が切れてきたころ、丘の上から呼ばわる者があった。

「いけね」

 そうすけが慌てて子どもたちを呼び集める。呼んでいるのは、里の大人のようだった。

「つい遊びすぎた、ごはんの時間だ」

「ほんとだ、おなかすいた」

「はやくしないとおこられるよ」

 岸に上がって衣を絞りながら、ひとりの子どもが幸を見上げる。

「おひるはどうするの?」

「えっ」

 これには巽が答えた。

「このひとのぶんは別であるから、お前たちは母ちゃんのごはん食べてきな」

「ふうん。お姉さん、またね」

「またねー!」

 大きく手を振りながら遠ざかっていく子どもたちのしんがりで、ふとそうすけが振り返った。

「あの、その水鉄砲」

 幸は借り物を手にしたままだったことに気づき、急いで差し出す。

「これ、ありがとう、返します」

「いや、持っていっていいよ。また作ればいいから」

 じゃあ、と小さく手を振って、子どもたちのあとを追っていく。びっくりして固まった幸のかわりに、巽が「ありがとな」と声をかけた。

 残された二人は、熱した石の上に腰掛けて、濡れた衣が乾くのを待った。

「こうして大勢で遊ぶの、夢だったの」

 手にした水鉄砲を膝の上に大事にのせた幸の、濡れたままの睫毛、すこし上気した横顔。巽の胸がきゅうと鳴る。

「俺も、念願が叶った」

「え?」

「やっと抱いてやることができたからな。俺の依代、川の懐に」

「あっ」

 またひとつ胸のつかえのとれた巽だったが、一方の幸はなぜか目を丸くして、頬がみるみる赤くなる。

「だ、抱いてやるってそんな」

「あ、変な意味じゃないぞ、赤子を抱くのと同じ……って何を言ってるんだ」

「あなたはもう少しものの言い方を考えたほうがいいわ」

「やかましい、俺にやましいところはないぞ」

 言いながら、本当にそうだろうかと疑念が頭をもたげる。急に黙った巽から、幸はそっと距離をとった。

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