切手

 花の名は河骨こうほね。水中に白骨を累々と沈め、すっと立つ花は魂のありかを示す灯火。

 庭の池は見た目以上に深く、ふちから目を凝らしても水中にはやわらかな水草が揺れるばかりで、底の様子は杳として知れない。引き込まれたら最後だと、たつみゆきに言い聞かせている。河骨の名の由来となった白く太い根を「池に呑まれた者の成れの果てだ」と教えたら、幸は黙って水辺から離れた。

 この池、実は下界との通い路である。不用意に飛び込むと危ないのはたしかだが、慣れさえすれば好きなときに下界に降りて、また戻ってくることができる。じっさい、巽自身も力のないうちはこうした門をくぐって行き来したものだ。真実を教えないのは、ひとえに巽のわがままである。

 風もないのに水面が揺れる。そんなとき、通い路はどこか遠くとつながっている。巽の力も及ばぬ果ての果て、時を越えることも珍しくはない。稀にどこからか迷い込むものもあり、ろくなものでなければ巽が池へ投げ返すが、見どころがあればそのまま掬い上げて相応に扱う。

 その日、珍しく波立った池が紙吹雪を吐き出した。折しも風神が機嫌を損ねており、紙片は強風に煽られていくつかは無事に陸へたどりつく。

「今度はなんだ」

 ちょうど幸を呼び戻しに庭へ降りたところ、巽は小さな紙片をつまみ上げた。四角形はぎざぎざと奇妙な正確さで縁取られ、色鮮やかな鳥の図が驚くほどの精緻さで描き込まれている。

 裏と表、ためつすがめつしてから再び足元に目を落とすと、ほかにも似たようなものが点々と散らばっている。雄大な山に可憐な花、大福を描いたものまである。目につくものだけで、手のひらに小さな山ができた。

 巽が一枚一枚を確かめたのは、ひとつに好奇心、もう一つは幸が喜びそうだと思ったからだ。

「うん、これはいい」

 巽はにんまりと微笑んだ。紙片を積んだてのひらをもう一方でそうっと蓋をして、今日もまたどこかの木陰に潜んでいる愛し子を探しに行く。


 *


 その紙片の名は切手。

 便りを送るために支払う対価の証。

 これがのちに多くの人のあいだを行き交う世が来ることを、二人はまだ知らない。

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