「上は洪水、下は大火事、なーんだ」

「あら大変じゃない」

「おい、真に受けるなよ」

 格子戸の向こうとこちらで二人きり。里の者たちはみな野良仕事に出ており、こんなところでぶらぶらしているのはこの若者くらいだ。最近なぞかけに凝っているらしく、仕入れてきたネタを片っ端からゆきで試しているようす。幸は幸でほかにすることもないので、結局まじめに付き合っている。

「これは答えも有名だぞ。風呂だよ風呂」

「お風呂ってそんな大ごとだったの」

「何言ってんだ」

 幸が知っている風呂は、大盥にぬるい湯を張り、薬草を詰めた晒の包みが沈められているものだ。洪水はともかく大火事になっていたとは知らなんだ。そう言うと、若者は渋い顔をして黙り込んだ。

「悪かった」

「なにが」

「いや、里人が当たり前と思っていることが、誰にとっても当たり前なわけないんだよな」

 顎をさすって考え込む口元にちらりと鋭い犬歯がのぞく。わずかな時間を積み重ねていくうちに、若者はずいぶんいろんな表情を見せるようになった。幸自身にも同じことが言えて、彼と話すたび己の心のかたちが変わるのがわかる。面をかぶったような世話役の女たちも、社にいたずらして逃げていく童たちにも、きっと別の一面があるのだろう、ということに思い至ったのも最近になってからだ。

「いま、いくつだったか」

「十四」

「そうか。もう少しの辛抱だな」

「なにが」

「いや、こっちの話」

 そろそろ、と腰を上げた若者をつい目で追いかける。止めるすべも、理由ももたない。己には何もないと実感するのはこういう時だ。この小さな社と、ここから見えるものがすべて。格子戸に背をもたせかけ、未練がましい息をつく。

「ほれ」

「ぎゃ」

 何か緑色のものが膝の上で跳ねて、幸はひっくり返ってしまった。よくよく見ると投げ込まれたのはただの草の穂。犯人は腹を抱えて笑い転げている。

 とうに立ち去ったと思った若者が戻ってきていた。

「なんなの」

「ほれほれ」

 次々投げ込まれる草の穂と、結び合わせて人形にしたものがいくつか。

「ちょっとした暇つぶしにはなるだろ」

 人の形や動物の形。作り方を訊ねたら、自分で考えた方が暇つぶしになるだろう、ときた。

「やってやろうじゃない」

「その意気だ」

 まもなく、幸は自分で形を作り出すまでになった。ただ、はじめにもらった兎の人形だけは、緑の穂が枯れてからからになってしまっても大事にしまってとってある。

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