幽霊の出ない部屋
尾八原ジュージ
心理的瑕疵要素あり
以前付き合っていた女の子が自殺したと人伝に聞いた。住んでいたアパートの一室で、クローゼットの中のポールに紐をかけて首を吊ったという。ネットで検索すると案の定空室で入居者募集中とあり、相場よりもかなり家賃が安い。何度か訪れたことのあるその部屋の間取りを眺めているうちに、元カノのことが無性に懐かしくなったので、僕はすぐにその部屋を借りて引っ越すことにした。
さて引っ越し初日、造り付けのクローゼットを開けたてしながら、ここで彼女が亡くなったんだなぁなどと感慨にふける。内側の板になにやら大きな染みがあるが、それ以外はなんということもないただのクローゼットだ。あの子ここで死んだのかぁ、もしかして僕と別れたのが原因だろうか、などと大それたことはなるべく考えないようにしながら、淡々と荷物をほどいた。自分のせいで女の子が一人死んだなんて、自意識過剰もいいところだ。
その夜、疲労困憊して明かりを点けたままベッドで眠っていると、肩を揺さぶるものがいる。さては元カノの幽霊かと思って喜んで目を開けると、見たこともない女が僕を見下ろしていた。顔が妙に長くて、お世辞にも美人とは言えない。僕はたちまちのうちに興味を失って目を閉じ、もう一度眠ろうとした。
するとまた肩を揺さぶられる。「しつこいな」と言って手で払うと、「ぎっ」と虫のような声が聞こえて気配が消えた。
目を開けると女の姿はなかった。代わりに白い、スカートの端っこのようなものがクローゼットの戸の間からはみ出している。ふと悪戯心が沸いた僕は、取手にモップを噛ませてつっかい棒にし、荷物の整理は諦めてひたすら待つことにした。ついでにうっかり施錠を忘れていたらしいサッシもきちんと閉めた。
一日目、クローゼットの中で時折ガタガタと音が鳴る。耳障りだがひたすら放置した。二日目、まだガタガタと騒ぐ。大小便の臭いがし始め、しくしく泣く声もする。ガタガタ言うたび外側からバンバン叩いたり、あれこれ声をかけたりしていたら、夕方には静かになった。三日目、完全に音がしなくなり、僕は自分がなぜここに、好みのタイプでもなんでもない女を閉じ込めているのかわからなくなった。つまり飽きたのだ。
戸を開けてやると女がベルトで首を吊って死んでいた。なぜ吊ったのかは知らない。とにかくどう見てもリアルな肉体を持ったものが死んでいるので、僕は110番に電話をかけた。
「うちに知らない女が侵入して、勝手に首を吊ってたんです。もうどうしていいのか」
警官はすぐにやってきた。結局女はれっきとした人間で、精神科への通院歴があって、よくわからないけどまぁ自殺なのは確かだし、とにかく事件性なしということで落ち着いた。女の遺体は運び出され、空っぽのクローゼットが残った。遺族からは中身の弁償ということでいくらかお金をもらい、僕は新しい服を買ってクローゼットに入れた。
その後、元カノの幽霊も、顔の長い女の幽霊も出ない。僕はただ単に相場より家賃の安い部屋に住んでいるというだけで、すこぶる快適である。
幽霊の出ない部屋 尾八原ジュージ @zi-yon
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