秘密の、恋の物語

一河 吉人

秘密の、恋の物語

 

 これは、だれにも言えない物語。



 決して明かされることのない、秘密の、恋の物語――




 ――――――――――――――――



 私の思いは、決して実を結ぶことはないのでしょう。この気持は秘められたまま、胸の奥底に仕舞われたまま、しかし決して消えることのなく、くすぶり続けるのでしょう。





 私が聖女として大神殿に見出されたのは、七つになってすぐでした。


 聖女とは、数多くの聖職者の中でも特別に選ばれた存在です。そして、魔王の討伐に、その生命を掛けることを定められた存在です。


 この国は、いえ人類は、滅亡の危機に瀕していました。強大な力を持った魔族の侵攻に耐えきれず、その版図は縮小の一途を辿るばかりでした。


 希望の見えない人類は、伝承に縋ります。出処も不明の、極めて儚い最後の灯火。


 曰く、天より遣わされた勇者が聖騎士、英雄、賢者、聖女と共に悪を打ち倒すであろう。


 極稀とはいえ実際に現れる聖女や賢者、聖騎士はともかく、太古の伝承にのみ残る英雄は勿論、実在を示す資料の一つもない勇者を、誰もがどこかで信じてはいませんでした。でも、その希望は人類に必要だったのです。


 状況が一変したのは、王都の商人の息子が「英雄」の神託を受けてからでした。


 少し生意気なだけの、どこにでもいる少年。それが神託を境に、剣を握らせれば近衛騎士すら寄せ付けない戦士へと変貌したのです。

 もはや事実など二の次、誰もが勇者や、聖騎士、賢者、聖女の出現を祈りました。


 一年後、聖騎士と賢者が相次いで発見され、もはや伝承を疑うことすら憚れるようになりました。私が神託を頂いたのは、そんな矢先のことでした。


 お役目を頂いてからは、毎日が必死でした。死ぬことは、怖くありません。恐れるのはただ、聖女の使命を果たせないことだけ。どんな魔物にも打ち勝てるよう、全力で修業に励みました。才能があったかどうかはわかりません。ただ、訓練において一度も手を抜いたことがないのが、私の誇りでした。


 私は順調に成長し、王都でも有名になりました。誰もが私に手を合わせ、ひざまずき、祈りました。それは市井の人々のみならず、騎士や、大商人や、貴族や、そして王族の皆様も同様でした。


 私は、王子様の婚約者となりました。




 勇者様と出会ったのは、十四の春でした。



 人類に残された、最後の希望。どんな逆境にも挫けぬ、永遠なる炎。全ての闇を振り払う、煌々と輝く光。


 あれも、聖女の力だったのでしょう。勇者様が使命を得たと、私にはその時はっきりと分かったのです。王子も、賢者も、英雄も、それは同じでした。


 全国に渡る捜索の結果、北の領で発見された勇者様は、ごく普通の、十五歳の男の子でした。


 それから二年間、私たち五人は同じ使命を持つ者として、励まし合い、支え合い、頬を拭い合いながら辛く苦しい訓練を乗り越えました。私たちは一つの命でした。


 私たちに下された指令は、魔王の強襲。人類はその勢力を減らしすぎて、すでに魔族と全面的な抗戦を続けることは不可能でした。世界を覆い尽くさんと侵攻を続ける悪逆非道の軍団、その指揮官を討つことのみが、ただ一つの方法でした。

 

 王子が聖騎士の力で皆を守り、英雄がその力で魔物を薙ぎ払い、賢者があらゆるものを焼き尽くし、私が聖女の力で皆を癒やし、そして勇者はどんな苦境においても決して屈することなく、手にした聖剣で闇を切り裂いていきました。


 私たちの作戦は、秘密裏に進みました。王国の上層部の、そのごく一部にしか知らされていない、極秘の反攻。英雄の斥候術と、賢者の結界魔術によって身を隠し、何の情報も無い敵国をひたすらに進み、目の前の魔物をただ打ち倒す。帰る道など無い、一度きりの進軍。


 具体的な作戦などありませんでした。でも、だからこそ相手も無警戒だったのでしょう、幸運にも私達の歩みが止まることはありませんでした。


 空の見える道は避けて深い深い辺境の森を進み、冬の大山脈を越え魔王城を急襲する。どうしてあんな無謀が実現したのだろう、今でもふと思います。魔王城の警備が手薄だったのは、只々偶然でした。


 一人残っていた四天王の魔神が何かを語っていましたが、耳を傾けていた者は一人もいませんでした。私たちはとうに限界を通り越し、真っ当な思考などすでに不可能でした。どうも戦闘の苦手な魔族だったようで、これは運がいいな、と思ったような気がします。そんな相手にすら、勝利を得られたのは偶然の要素が大きかったのです。私をぎりぎりで支えていたのは、勇者の存在でした。


 勇者はその力で、誰より真っ先に危機へと立ち向かいました。絶望的なほどの強大な魔物を打倒し、世界を全て燃やし尽くしてしまうほど苛烈な魔法から私たちを守りました。数を数えるのが虚しくなるほど何度も、何度も何度も、私は勇者に命を救われました。四肢のちぎれた勇者の体を癒やすのに、涙を流すこともいつしかなくなりました。私は、勇者に恋をしていました。


 あんな状況だから、あんな異常な状況だからだとは思いたくありません。しかし、己の危険を顧みず身を挺して守ってくれる異性に、好意を抱かずになんていられるでしょうか? 幾度となく絶望の淵から掬い上げてくれた存在に、特別を感じずにいられるでしょうか?


 王子は素敵な男性でした。彼との婚姻に、疑問を抱いたことなどありませんでした。ですがそれは、相手が英雄でも、賢者でも同じだったでしょう。


 私の心をかき乱したのは、ただ勇者だけでした。ついに魔王の前に立ったそのとき、私には勇者が全てでした。


 死闘、などという言葉では生温い戦いがそこにはありました。私たちは吠え、叫び、わめきながら剣を振るって、生命を削って魔術を現し、とにかく目の前の相手を打ち据えることだけに己の全てを捧げました。勇者は歯茎をむき出して唸り、王子は端正な顔を歪めて奇声を発し、英雄は治癒術の暴走で複数生えた右腕を振り回し、賢者は魔術の行使に邪魔な肉と皮を削ぎ落として骨だけになった左手をかざし、私は糞尿を垂れ流して神に祈りました。もはやどちらが魔物か分かったものではありませんでした。私たちのほうがより獣であった、それが決め手だったのかもしれません。


 ついに勇者の剣が魔王を切り裂き、彼の者の存在全てを消し飛ばしてからのことは、よく憶えていません。ただ、勇者をこのまま死なせてはならない、という思いに支配されていたような気がします。魔王を倒した、その事実に満足しては二度と立ち上がれないように思いました。それは、皆も同じようでした。あれだけの戦いの後ですら膝をついて休む者はおらず、すぐに帰還の準備を始めました。帰る、絶対に帰る。残った魔力を、残っていない魔力すら絞り出して皆を癒やし、荷物をまとめ、私たちは裏口を目指し走り出しました。魔王城を空けている幹部の一人でも帰ってきたらそれでお終いです、とにかく時間との戦いでした。


 あの時、英雄が足をもつらせたのは本当に偶然だったのでしょうか?


 彼が誤って罠を発動させたのは、これが初めてでした。私は、正直理解が追いつきませんでした。気づいたときには、私達たちは見知らぬ洞窟に投げ出されていました。転移の罠でした。


 後から分かったことですが、私たちが送られたのは魔王領と元人間領の境目にあった、名も無い洞窟でした。

 

 生息する魔物は、疲れ果てた私たちにすら傷一つ付けることはできないくらいに弱いものばかりでした。移動先の指定されていない転移の術といえば、凶悪な魔物の巣や悪辣な死霊の住む陵墓はもちろん、灼熱の火口や凍える極北の島、果ては天蓋を越えた遥か彼方など、どこに送られるか分からない、凶悪で必死の罠です。その悪辣極まりない仕掛けによって命を救われる、こんなことがあるのでしょうか。


 あのときほど、自分の利益を感謝して神に祈ったことはありませんでした。私は羞恥心により消え去りそうでしたが、それでも祈りを止めることはできませんでした。すでに枯れ果てていたと思われていた涙が、とめどなく溢れました。


 私たちはひとしきり笑い合い、そして泣き合うと、すぐに眠りに落ちました。泥のように、とはあの時のことを言うのでしょう。絶対的な体内時計を誇る英雄ですら時を刻めぬほどに、私たちは深く長く眠りました。


 再び目覚めた時、数日は経っていたでしょう。それでも癒えた消耗はわずかでしたが、王国に帰り着くには十分でした。


 魔王という支配者を失った魔族たちは大きな内戦に突入し、人間領は取るに足らぬ存在として捨て置かれました。


 私たちは、勝利しました。




 使命を果たした私たちは、日常へと戻りました。もちろん襲ってくる魔族が皆無になったわけではありません。私たちは傷を癒やすと、各地へ赴き魔族を討ち払いました。でもそれは日常でした。


 出発前で止まっていた時間が、再び動き出しました。王国も段々とその機能を取り戻し、大規模な戦勝祭が企画され、私と王子の結婚が発表されることになりました。


 ですから、私の旅もここで終わりです。


 勇者様の隣にいた私は消え去り、残るのは王子の隣にいる聖女だけ。


 この燃え盛る炎がいつしか失われ、後には燃え尽きた白い灰と、一片の炭が残るだけ。


 あるべきものがあるべき姿に帰る、それが、望まれた世界です。


 私たちが命をかけて勝ち取った、勝利の証です。


 でも、私だけは逆でした。


 私の時計だけは、止まってしまったのでした。


 私は、神様に祈りたかった。


 もし、私が使命を果たしたご褒美として、願いが一つ叶うなら。


 勇者様に攫われてどこか遠く、誰も知らないところへと消えてしまいたい。他に何も要らない、ただ二人であればいい。


 もちろん、そんなことにはならないのです。


 私の時計が進んでいたのは、魔王領の道なき道を進んでいた、泥水を舐め、魔獣の肝をすすり、終わることのない殺し合いに明け暮れていた、あの短い時間だけだったのです。


 私の居場所は、魔族領にしかありませんでした。



 私の思いは、決して実を結ぶことはないのでしょう。この気持は、秘められたまま、胸の奥底に仕舞われたまま、しかし決して消えることのなく、くすぶり続けるのでしょう――





――――――――――――――――



(いや、無理だから!)


 王子は焦っていた。


(流石にあんな顔されたらバレバレでしょ。勇者にべた惚れの聖女を娶るなんて無理)


 王子は、常識人だった。


(でもこの婚姻は、父上や大臣たちが何度も議論を繰り返して決めた一手。王国と教会と纏め上げ、疲弊した民に希望を与える最善手だ。たかが王子の僕が口を挟んでいい問題じゃない。こういう横紙破りが許されるのは……魔王を倒した勇者、お前だけだ!!)


 王子は祈るような視線を勇者に向けた。


(ほら、見ろ! あの聖女の顔を!! 僕が許す、拐え! 拐って何処かで幸せになってくれ!!)




――――――――――――――――



(いや、無理だから!)


 勇者も焦っていた。


(そりゃ聖女の気持ちはバレバレだし、俺個人としても憎からず思ってる。一緒になれたらどんなに幸せかって感じるよ。だけど魔王を退治した勇者なんてもう用無し、むしろ危険人物としていつ消されてもおかしくない存在だろ。現に一部貴族の目が怖すぎるぞ。こんな中で聖女をさらうとか、粛清派に絶好の理由を与えるだけだろ! そもそも俺はただの羊飼いの子なの、政治とか国とか分かんないの! さっさと北へ帰って羊と遊んで暮らすんだから! どうしてもって言うならお前のとーちゃんがどうにかしろ。危険な貴族を説得して、教会にも根回しして、安心して俺が暮らせるようにしてくれ!!)


 勇者は国王へ念を送った。


(聖女の願いは叶えてやりたいが、俺だって死にたくない! 国王様だろ、なんとか上手いことやってくれ!!)




――――――――――――――――



(いや、無理)



 王も焦っていた。


(王子と聖女の結婚は絶対に必要。国と教会の結びつきを強め、人々を一つに纏めなければ疲弊しきった人類は耐えられない……無理なもんは無理!)


 王は眉間にシワを寄せて勇者を睨み返した。


(だが無理にこの婚姻を進めてしまえば禍根を残す。王子を廃して勇者を皇太子にでもするか? しかしそれでは貴族連中の収まりがつかん)


 王は腕を組むと顔を上げ


(つまり、王子の代わりにワシが聖女と結婚すればいいんじゃな!)


 国王はクズだった。


 長ずるにつれ段々と美しくなっていく聖女を、異性として意識するようになってもう久しかった。具体的には十歳になるかならないかくらいの頃から意識していた。しまくっていた。ぜひ73番目の側室として迎えたかった。


 だが、仮にも息子の婚約者、流石に手を出す訳にはいかない。悔しさで枕を濡らしたことも一度や二度ではなかった。王子に暗殺者を差し向けたことも多かった。


(これが……誰にも言えない、秘められた恋……)


 それはただの肉欲だった。


(だがこれで全てが丸く収まるぞ! 魔王は死ぬし聖女は手に入る、ガハハ、やはりワシは生まれながらの王よ!!)


 王は欣喜雀躍した。


(そうとなったら善は急げ、早急に工作を進めて戦勝祭までに話をまとめねばならぬ。そうじゃのう、禍根を残さぬよう勇者も消しておくか……)


 王は宰相に目で合図した


(とういことじゃ、あとは上手くやってくれ!)




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(マジもう無理)


 宰相は激怒した。必ず、この邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。宰相は政治に詳しい。宰相は、王の乳母の息子である。幼少の頃から王を補佐するべく走り回っていたが、王のその人間性を憎んで、憎んで、憎み抜いていた。だが人類滅亡のかかったこの時代が、王が倒れるのを許さぬ。こんなクズでも国を纏めるには必要だし、王家を繋ぐには子種は多い方がいい。王の放蕩も、歯を食いしばって見逃した。関係者に頭を下げ、土下座し、後頭部を踏まれ、涙をのんで王を盛り立ててきた。


(だがそれも全て終わりだ! 魔族の驚異が去った今、もはや遠慮はいらぬ。むしろこの機会に事を進めぬことこそ人類にとっての痛恨! そうだ、これこそが私の使命!)


 宰相は五十にして天命を知った。


(幸い王子は人格者で才覚も十分、勇者という絶対的戦力もある。教会からは新しい妃を見繕う必要があるし、貴族どもの粛清も必要、復興は始まったばかりで、魔族領もいつまた統一されるか分からぬ。やるべきことは山積みだ、だがやるぞ! こんなに仕事が楽しいと思ったことはない!!)


 宰相は国王に強く頷いてみせた。




 数カ月後、魔族から開放された人間領で貴族たちと狐狩りを楽しんでいた国王は、誤射された矢が偶然尻に刺さり驚いて暴れだした愛馬から振り落とされ、頭部を強かに打ち付け帰らぬ人となった。

 その死を強く痛んだ王子は聖女との婚約を返上して偉大なる王の喪に服し、多くの貴族がその責を問われて粛清され、英雄は腕が8本になり(これが8月の語源である)、賢者はリッチへと転生し、北方の天領では一組の仲睦まじい羊飼い夫婦の姿が見られるようになったという。




 これは、だれにも言えない物語。



 決して明かされることのない、秘密の、こいの物語――



  

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