白虎像 その3

 白虎堂のすべての仏像が綺麗に手入れされ、3体の手直しがすんだ頃、落ち葉の季節になり、寒さが厳しくなり始めた。

 「悠才様、やっとこの時が参りました。私もこの日を楽しみにしていました」

 悠才は大いに気色ばんで答えた。「はい、私もうれしいです。こんなに待ち遠しい思いは初めてのことでした」

 2人は、白虎像のお清めから始め、隅々に至るまで水拭きをして、白日のもとに祀った。最初の計画通りに調べを進めたが、揺らぎは現れなかった。

 「素空様、白虎様はどの方向から見ても揺らぐことがありません。如何なる訳でしょうか?」悠才の問いに、素空が答えることはなかった。素空は白虎像の謎をほぼ理解したが、それが故に、悠才に答えることができなかったのだった。素空は白虎像の色付けをして手入れを終わることにした。

 「素空様、妙ですね。右と左で白虎様の舌の色が違っています。左の白虎様は赤い舌で、右の白虎様は黒い舌です」悠才の言葉に、素空が左右の白虎像の舌を検めると、悠才の言う通りだった。黒い舌は木肌の色にほんのりと墨を引いたような黒で、赤い舌は茜色あかねいろに近い色だった。双方とも舌の色は、際立って濃くはなく、白虎像の印象を変えることはないほどだった。

 「悠才様、なるほどおっしゃる通りですね。形は異なっていても、同じ白虎像と分かりますが、舌の色には何かを区別する意味がありそうです。急がずとも、そのうち分かるでしょう」そう言うと、素空は白虎像を元の色に合わせて色付け始めた。

 「素空様、色付けの顔料はどこから手に入れたのですか?」悠才は、素空が事も無げに色付けの支度を始めたので尋ねた。「正倉しょうそう憲仁大師けんにんだいしから頂きました。白虎像に合った顔料を頼んでおいたのですが、舌の色の違いに気付いておいでだったようですね。正倉には宝物の修復に使う顔料があると思って、お願いしていました」悠才は、何時も手早くそつのない素空に感心した。素空は色付けをしながら、悠才と白虎像、赤い舌と黒い舌…素空は自分の思いを、その先に進めようとしなかった。

 白虎像の手入れが終わった。素空と悠才が最初に見た時に比べると、まるで新品同様になった。そこに、高善大師こうぜんだいしが遣って来て、見事に修復された姿を満足そうに眺めながら言った。「素空よ、見事に仕上がったな。わしが初めて見た時は、既に先の姿であったから、建立された頃はこのような姿であったとは思いもしないことだった。時に、このように手入れをしたのは、白虎像には何かしらの役目を持っていると思ったのではないのかな?」

 素空は思いの端を口にした。「お大師様、2体の白虎像は、もともと外にあったものと推測いたします。全身に色付けをしたのは、風雨に耐えるようにとの工夫と存じます。天安寺あるいは、白虎堂の大事の時は、外に祀ることが良いかと存じます」

 素空の言葉に、高善大師が答えて言った。「素空や、そなたが申す通りにしよう。更に天気の良い日にはなるべく外に祀るようにしようぞ。ところで、肝心の白虎像の真贋のほどを教えてくれまいか。四神ししんが人の作りだしたものであれば、白虎も青龍も想像の産物と言うことになるのだが、そうした物を何故祀るのかと言うことだよ」

 素空は、高善大師と向き合い、声音を変えて噛み締めるように言った。

 「お大師様、この世で人のために作られた物はすべて魂を持ち、役目を終わる時は供養に値するのです。また、時として不思議を現すのは、魂を持った証です。してや、白虎像が優れた彫手によって作られたものであれば、四神の存在を現すことは大いにありると存じます」

 素空は、白虎像が関わる揺らぎのことを口にしなかったが、遠からず高善大師も知ることになるだろうと思った。

 素空は、憲仁大師を訪ね、白虎堂の手入れが終わったことと、白虎像の顔料の礼を言った。そして、白虎像に付いて、知る限りのことを報告した。

 「ほほう、薬師堂の屋根の上の揺らぎが白虎像と関りがあるとは…」憲仁大師は、素空の報告に驚いた。

 「素空よ、四神に付いては、わしにも多少の知識があると思うていたが、それがまことであれば、正倉に保管している朱雀すざく青龍せいりゅう玄武げんぶの朽ちた姿も粗末にできないものだな」憲仁大師の言葉に、素空が驚いて正倉の四神を検分したいと願った。

 憲仁大師が答えた。「素空の願いであれば、是非もないことであるよ。これから夕餉ゆうげまで、正倉は素空のために開くとしようぞ」素空は恭しくこうべを垂れて、憲仁大師の後に従った。

 憲仁大師は、素空を伴ない正倉の錠を外して、中に導いた。「素空よ、そなたの目を引くものが数々あるだろうが、今は四神のみを見ることだよ」憲仁大師の言葉に、素空がすぐに答えた。「お大師様、もとより承知のことです」素空は答えた後、素直な質問をした。

 「それにしましても、正倉の中は随分と広いものですね。この中のすべてを記憶していらっしゃるのでしょうか?」

 憲仁大師は微笑みながら答えた。「わしが御仏に与えられた唯一の才がこのことであるよ。正倉の収納物は言うまでもないが、天安寺のすべてのお堂に御座おわします御本尊と、書庫にある原書の経典などを、由来に至るまで記憶に留め置くことが、わしのお勤めであるよ」

 憲仁大師は答えながらも先に進み、正倉の北の隅まで遣って来た。周囲は見るからに紛い物まがいものと分かる仏像と、朽ちかけた品々が雑然と置かれていた。

 素空が言った。「お大師様、こちらですね」素空が示した先に、黒いかたまりが1つ、その脇に朱雀と青龍の朽ちた姿があった。

 憲仁大師が言った。「正倉と言えども、宝物ほうもつばかりが納められている訳ではないのだよ。その昔宝物であったもの、御仏の御姿をかたどった贋物、捨てるに忍びないものばかりが、この北側の一隅いちぐうに集められているのだよ。そなたにはいずれ、正倉の御仏を手入れする頃に、すべてを見てもらおうと思っているのだよ。そろそろ、収納物の始末をする時が近付いたようだ」

 憲仁大師の勤めは永く、数々の品を扱いながら、処分することなく務めていた。

 『処分は最後に1度するが良い。元に戻らぬと悔いが残る』前任の大師の教えをしっかりと守っているのだった。憲仁大師は、西院の僧の中から既に、維垂いすい臥円がえんの2人の僧を後継候補として人選していた。素空が現れた今が、役を退く好機と思っていた。

 素空は、焼けて炭となっても、おぼろげに百年の昔の玄武像を見取っていた。やがて、視線は青龍の朽ちた姿に移った。力強く反り上がった姿は、細かな彫りが消え去り、幾つかの部分が欠落していたが、素空は青龍の威容を確かに捉えた。次に、朱雀の朽ち果てた姿に目を移すと、ウム、と声を発した。朱雀はただの木くれと化し、見る影もなく朽ち果てていた。ただ、在りし日の朱雀像の大きさだけは想像できた。

 素空が言った。「お大師様、まことに素晴らしい宝物ほうもつをお見せい頂き、ありがとうございました。四神の彫り手は、少なくとも2人いたようです。いずれも確かな腕を持ち、四神の威光を現す見事な物であったと推測いたします」

 憲仁大師は、素空の見立てであれば、そうに違いないとは思ったが、四神の彫り手の数が分かるとは、驚くばかりだった。憲仁大師はフッと人の才に思いを深くした。多くの記憶を抱える自分の頭脳が我知らず備わった物であれば、素空の才とは一体どのようにして得たものなのだろうか?天賦のものなのか、不断の努力の賜物たまものなのか…恐らくその両方なのだと感じた。『御仏に与えられたものを更に大きく増やすことは、頂いた賜物を更に価値のあるものにすると言うことなのか?』憲仁大師は自分の記憶の才を益々磨くためにはこの役目に更に精進することしかないと結論した。

 天安寺の秋は一段と深くなり、憲仁大師は僧衣の裾を揺らしながら、釈迦堂へと歩いて行った。雪の季節はもうすぐそこまで近付いていた。


     仏師素空天安寺編 中巻 終わり

     天安寺編 下巻に続く(下巻は四神建立その1から)

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仏師素空 天安寺編(中) 晴海 芳洋 @harumihoyo112408yosi

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