黄金では買えないもの
家に戻った私は、一人自室でワインを傾け、妻が焼いたヴィジタンディーヌを食べながら、その帰りを待った。ヴィジタンディーヌというのはアーモンドの粉とバターで作った焼き菓子で、エレナがこれを作るのが得意である。ちなみに、金塊を模した形に焼き上げてある。私の職業に合わせてくれているのだそうだ。
ちなみに妻は修道院に、孤児たちの世話をしに行っていることになっている。嫁入り前からしばしばそうしていたというが、おそらくは実際には修道院に行っていることになっている日取りの半分くらいは、あの娼館で時を過ごしていたものだと思われる。ま、今となっては詮無き話ではあるが。
「ただいま戻りました。あら、あなた、今日はお早いのですね。夕食はこれからでいらっしゃいますか?」
私は仕事が忙しいので、日が暮れる前に自宅に戻っていることはそんなに頻繁にあるわけではない。
「ああ。食事にしよう」
私は使用人に命じ、食卓の用意をさせる。妻は趣味で菓子を焼く以外の料理は基本的にはしない。
「エレナ。何から話したものかとは思うのだが」
「なんでしょうか」
「……だいたいのことは、リリィから聞かせてもらった。お前の過去についてだ」
「まあ」
エレナは驚きの表情を浮かべる。それはそうだろう。だが、それ以上の感情は読み取れなかった。私は言葉を続ける。
「お前の実家の者たちはそのことを知っていたのか?」
「誰も知らないですわ。わたくしのことは修道院に通う、真面目な娘だとばかり思っているはずです」
「では……私からも、そのことを知らせるのはやめておこう。離縁もせぬ」
「いいのですか? わたくし、嫁入りのとき生娘と申し上げておりましたが」
「別にそんなことを求めてお前を迎えたわけではない」
「私の実家、貴族といっても所詮准男爵家ですし、惜しむほどの家縁でもないと思いますわ。わたくしを離縁すれば、他の家と繋がりを作ることもできましょう」
「私は、お前との関係が名残惜しいのだ」
「なぜ?」
私は言葉に詰まった。
「……なぜだろうな? 私自身にもよく分からない」
「わたくしは」
妻はすらすらと言葉を続けた。
「いま三人ほど軽い付き合いのある殿方がおりますけど、本当のところわたくしもこの家から出たくはありませんわ」
「何故だ」
「お金がありますもの」
そう言って、妻はにっこりと笑った。
「私に金がなかったら?」
「きっとわたくしは、今もあの店にいたことでしょうねえ」
「なぜ、お前はそんなことをしている? 金が必要だったのか?」
「いえ」
妻は、ここで頬を赤らめて言った。
「わたくし、男の人と楽しく寝るのが好きですの。はじめての相手は、店に入るよりも前、男友達の一人でしたわ」
「まったく……私だけが、本当に私だけが何も知らなかったんだな」
「そうですわね。あなたの前では、いえ、この屋敷の寝室においては、わたくし猫を被っておりましたから。わたくし貴族のはしくれですけれど娼婦でもありますので、そういった手口はそれなりに学んでおりますの」
「そうか」
「ねえ、あなた。わたくしのことがお好き?」
「そうだな。愛している、のだろうな」
「嬉しいですわ。お金があるのはいいことですけれど、わたくし、愛のない結婚をしたものとばかり、ずっとそう思っておりましたの。あまり、頻繁には可愛がってもくださいませんし」
「お前は私のことが好きか?」
「さあ。でもこれからのことは分かりませんわ」
妻は、私の前で初めて見せる妖艶な顔を見せて、こう言う。
「では、夕食も済みましたし、寝室へ参りませんか?」
こう続ける。
「愛という言葉は、わたくしにはよく分かりませんけど」
さらにこの言葉が出る頃には、既に臥所の中だ。
「あなたの子を、授かりたいとは思っておりますもの」
フィナンシエの惜別 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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