第28話 しゅわしゅわ
注文を決めた後もなお、九洞が熱心にメニューを見つめている。恒樹は花火を見ようと思った理由を聞きかけて、すんでのところで言葉を組み直した。
「花火大会、もう明日だね」
九洞がメニューを閉じて静かに微笑む。
「そうですね」
「どこで花火に興味が出たの?」
「最初は単なるアトラクションだと思っていましたが、調べてみたら色々な意味が込められていると知ったんです。それで気になって」
意味、と問う暇もなく九洞が続ける。
「あとは、読んだ小説の影響です」
「小説?」
「はい」
「夏目漱石の?」
「いえ、夏目の弟子です」
誰の名前も思い浮かばない。
「その人の話に花火が出てくるんだ」
「はい。悲しい気持ちになるほど美しいと書かれていました」
「へえ」
恒樹は店員に注文用紙を渡し、九洞を促しながら席を立った。ドリンクバーは想像以上にラインナップが豊富で、まずは飲んだことのない白いぶどうのジュースを選んだ。注いだ後に気づいて氷を追加し、ついでにお冷やももらった。後から九洞がグラス二つを持ってくる。一方はお冷や、一方は炭酸入りのぶどうジュースのようだった。ほどなくサラダとメインが運ばれてきて、テーブルの上がにぎやかになる。
「本当にいいんですか?」
「え?」
「こんなにごちそうになってしまって」
「ああ、全然」
九洞の分のサラダを取り皿に盛る。
「せめてわたしが食べた分だけでも」
「そんなに高くないし、おごれるのもこれが最後だからさ」
サラダの皿を引き寄せたところで、九洞はアパートを去るだけであって、今生の別れというわけではないのだと気づいた。連絡先だって知っているし、九洞が星に帰らない限りは会おうとすれば会うことができる。
「でもさ」
「そうですね」
穏やかな声にさえぎられる。
「では、ありがたく頂きます」
サラダを何口か食べた後、九洞がフォークをスプーンに持ち替えた。焦げ目の香ばしいドリアが湯気を立てている。キューもこの看板メニューをよく頼んでいたのだったと思い出すうちに、九洞がこんもりとすくって一息に口に入れていた。
「あ」
九洞が口元を隠して天井を仰ぐ。
「熱いでしょ? 出していいよ」
下顎が何度か動いた後、のど仏の辺りがぎこちなく波打った。そこに炭酸のぶどうジュースが流し込まれる。赤い顔をした九洞が肩で大きく息をついた。
「ごめん、先に言っとけばよかった」
「いえ、わたしが油断していたんです。ですがもう大丈夫です」
九洞の目にうっすらと涙が浮かんでいる。
「おいしいですね」
「はは、よかった」
九洞が微笑をたたえ、空のグラスを手に立つ。二杯目に選ばれたのも炭酸入りのぶどうジュースだった。
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