第13話 切手

「いや」


 恒樹は両手を振った。ピアノが再び高らかにあわただしく歌う。


「怪しいと思ってるとかじゃないんだけど……でも、ちょっと気になってることがあって」


 九洞が無防備な表情で見てくる。


「九洞さんの見た目のことなんだけど」

「この体ですか?」


 シャツの背中の感触のない感触が腕の内側に蘇った。


「うん。体というか、外見というか」

「これは地球に来るにあたって支給されたんです。わたしの精神がわたしの本来の体を離れ、これに入っている状態です。地球で本来の見た目のまま活動するのはまだ難しいので」

「ええと……その見た目に変身してるわけじゃないってこと?」

「そうです。着ていると表現した方が近いですね。なので、本来の姿を見せてしまうような事故は起きえません。精神が飛び出して戻れなくなることもありません。日ヶ士さんを困らせることはないので安心してください」

「なるほど。なんとなく分かった気がする」


 湿った手のひらを握る。


「ちなみに、その体は誰か実在の人をモデルにしてたりする?」

「モデル?」

「いや、知り合いにちょっと似てる人がいて……もしかしてその人を見てつくったのかな、なんて。まあ偶然だよね」


 目をしばたたく九洞に、恒樹は再び手を振ってみせた。ピアノは変わらずけたたましい。しっくりこないので曲を変えることにする。音楽アプリを開くと、ジャケットの画像の下にタイトルが流れている――ピアノ・ソナタ第二番葬送第一楽章。



     ×     ×     ×



 トイレから戻る途中、総務の席に一人座る皆岸が目に入った。さりげなく通り過ぎようとして呼び止められる。


「この時間にいるの珍しくないですか? まだ定時過ぎたとこですよ」

「一件飛ばすことになって早く戻ってきたんです。――それ、今からやるんですか?」


 デスクには中身の入った封筒と切手が小さな山をつくっている。


「そうなんです。ほんとは明日でいいんですけど別件が入っちゃって、今日のうちに終わらせちゃおうと思って」

「……すいません、今日はお菓子ないです」

「いいんですよ。尻の叩き方は他にもあるんで」

「他?」

「どうでもいいおしゃべりとか」


 皆岸が目を細めた。


「土日はどこか行きました?」

「はい。水族館と……あと霊園に」

「水族館と霊園? え、なんかどっちも涼しそう」

「いや、霊園は暑かったですよ」

「ですよね。お墓参りですか?」

「親戚のとかじゃないんですけど、有名な人の墓があるから行ってみようと思って」

「あー、都内に何か所か大きいとこありますよね」

「皆岸さんは行ったことありますか?」

「ないです」


 皆岸が間髪入れずに答えた。


「幽霊とかいそうじゃないですか」

「そういう――」


 電話の着信音に恒樹は口をつぐむ。皆岸が一瞬顔をしかめてから受話器をとった。


「はい、朝日クリーンサプライです。お世話になっております」


 すぐには終わらないと踏んで席に戻ろうとする、その数歩目をねっとりした高い声がさえぎった。

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