第14話 幽暗

「ごめんくださあい」


 受付に人影が立っている。満面の笑みで会釈してきたのは、時々顔を見せる保険外交員だった。その後ろにはスーツ姿の見慣れない女性が従っている。入社直後に受けた猛烈な勧誘を思い出し、恒樹は内心渋い顔で応対に向かった。


「お忙しいとこ失礼いたします……あら日ヶ士さん、ご無沙汰してます。幌田さんはいらっしゃいますか? まだ戻ってない?」

「ええと」


 席の方へわざとらしく首を伸ばす。


「まだですね」

「あらららそうですか、まだですか。そしたら申し訳ないんですけど、これを渡していただけます?」


 妙に大きなカバンから引っぱり出された、妙に膨らんだ封筒を受け取る。


「はい」

「お手数かけてすみません。あとね日ヶ士さん、ついでにちょっとだけお付き合いいただきたいんですけど……ほら、ノギチちゃん」


 腕を軽く叩かれ、控えていた女性が小股に進み出る。金属製の名刺ケースを持っていた。


「最近入った新人でして、一緒に回ってお勉強中なんです。よかったらお名刺の交換だけでも」

「ああ、はい」


 恒樹の準備を待ってから、女性が名刺を恭しく差し出してくる。


「フソウ生命関東第二支社のはるかと申します。よろしくお願いいたします」


 静かだが聞き取りやすい声だった。名刺には氏名の隣にシンプルなタッチの似顔絵が載っている。目がただの黒々とした丸で描かれていて、深い穴をのぞくような不安を掻き立てられた。


「朝日クリーンサプライ営業部の日ヶ士恒樹です。よろしくお願いいたします」

「ありがとうございます、日ヶ士さん。頂戴します」


 乃木地が名刺ケースをしまうなり、先輩外交員が何度か手を鳴らした。


「日ヶ士さん、お忙しいところありがとうございます! 乃木地ちゃんはね、もう少し元気に! もう夕方で疲れちゃったかしら? もっと食べて運動してスタミナをつけましょうね、夏バテしちゃうといけないから」


 乃木地が微笑したまま返事をした。


 恒樹は受付で二人を見送り、どうしたものかと名刺をぼんやりながめる。裏面を見ようとひっくり返した時、紙が重なっていることに気づいた。二枚目には上の端にボールペンの細い字で〈お連れ様へ〉とだけ書かれている。不気味なほどの余白から冷たい風を感じた気がした。恒樹はちらりと九洞を顧みる。九洞が恒樹の横に立って紙に目をやる、そこへ皆岸がやって来た。


「応対ありがとうございます」


 一歩下がる九洞の腕がうっすらと透け、皆岸の腕と交差し、そしてすり抜けた。


「ああ、大丈夫です」

「え、なんですかそれ」

「え」


 紙を引っ込めるわけにもいかず立ちつくす。


「なんですかね……なんかくっついてました」

「お連れ様ってなんですか? 私じゃないですよね……あ」


 皆岸が眉をひそめる。


「まさか日ヶ士さん、霊園からんじゃないですか?」

「え……いや、それはないと思いますけど」

「なんでそう言い切れるんですか? 塩まいとこ、塩」

「ええ……」


 皆岸が席に戻り、恒樹も受付を離れる。〈お連れ様へ〉の紙は通勤用のショルダーバッグにしまった。

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