第11話 緑陰
水族館を出た頃には昼飯時を過ぎていたが、暑さのせいか空腹を感じなかった。次の目的地を探すにも暑すぎて大人しく駅に向かう。電車に揺られる間に少しは食欲がわき、朝と同じコンビニに立ち寄った。
「アイスを食べようと思うんですけど、九洞さんもどうですか? 小さいのもありますよ」
「冷たいお菓子ですね。はい、食べてみます」
九洞がにこやかに答えた。その顔や服のどこにも汗の気配がないことに、今になって気づいた。
恒樹は一口サイズのものやソーダ味のアイスバーを示し、有名なものだと説明した。続けて、大きな箱は中身が多いので避けるよう伝えた。九洞はコーヒー用の氷入りのカップを指差し、「これもアイスですか?」と聞いたあと静かになった。二人ともレジに行くまでにたっぷり五分かかった。ついでに二リットルの麦茶も買った。
悩んだ末、恒樹は食べたことのあるコーンタイプのバニラ味を選んだ。コンビニの向かいの小さな公園に急ぎ、木陰のベンチに腰を下ろす。アイス部分がもげないようにミシン目から開けていると、
「今日はありがとうございました」
九洞がアイスバーを袋から取り出している。袋には桃の写真と商品名が大きくシンプルに載っていた。
「霊園も水族館も、どちらも行けてよかったです」
「こちらこそ楽しかったです。自分だけじゃなかなか行く機会がないので」
「それは嬉しいです。――あの、日ヶ士さん」
「はい」
「一つ、お願いというか提案があるんです」
明日も出かけたいと言いだすのかと内心身構える。
「今、日ヶ士さんもわたしも敬語ですよね」
「ああ、はい」
「日ヶ士さんがわたしに話す時、もう少し親しい感じにしていただけませんか?」
「ええと……あ、タメ口ってことですか?」
「そうです。タメ口」
「はい、いいですよ。全然」
「ありがとうございます」
九洞が目を細めてアイスバーを口にする。恒樹もチョコとナッツを戴いたアイスにかじりついた。九洞が打ち解けてくれたのかと思うと素直に嬉しかった。自分としても、この丸二日足らずの時間は密度濃く感じている。家族や同僚とは話しそうもないことを話し、彼の故郷である知らない星について聞き、今日はちょっとした観光もした。実は一週間ぐらい経っているのではないかと思えるほどだった。その一方で、自分が彼に適当な心の開き方をできている自信はなかった。ナッツのかけらが奥歯に挟まる。話したくないことは聞かれても話したくないと答えればいいが、自分が聞かなければならないことには触れられないままでいた。犬歯がきんと痛み、アイスを積極的に食べないのはこのせいだったと今さら思い出した。
アパートはタイマーで冷房をつけていたおかげで涼しかった。いち早くシャワーを浴びたいのをこらえ、洗濯物を片付け、たまっていたワイシャツにアイロンをかけた。明日は絶対にだらだらすると決めた。ようやく汗を洗い流して洗面所を出ると、九洞が扉のすぐ外に立っていた。
「あの」
「なん――」
言葉を差し替える。
「どうした?」
「わたしもお風呂に入ってみたいんですが、いいですか?」
「お風呂? お湯ためてないけどいい?」
「はい、日ヶ士さんが今したようなやり方で大丈夫です。体を拭くものだけ貸していただけますか?」
「着替えは? ていうかその服ずっと――」
「ああ、着替えは必要ありません」
着ているシャツを見下ろして九洞が言った。
「これは体の一部のようなものなので」
「ならいいけど……」
バスタオルを受け取った九洞が洗面所の扉を閉める。何秒もしないうちにシャワーが流れはじめ、恒樹は「あ」と声をあげた。
「石鹸とシャンプー分かる?」
返事はなかった。覚悟を決め、ノックをして洗面所に入る。
「分からないことがあったら言って」
シャワーカーテンと水の音越しに返事が聞こえた気がした。リビングに戻り、ベッドに背中を預けて息をついた。
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