第10話 くらげ
メトロの駅から直通のビルに入り、エスカレーターとエレベーターを乗り継いだ先に水族館があった。チケット購入の長い列に並んで「どうして水族館に行こうと思ったんですか」と尋ねたのは明らかに間が悪かった。九洞が気にとめていない風なのが救いだったが、やはり申し訳なくもあった。
「人間以外の生き物を見てみたかったからです」
列が進んだ分じりじりと詰めながら九洞が答える。
「動物園も候補にあったのですが、屋外のことが多いらしくてやめました。建物の中の方が涼しいと思って……日ヶ士さんは水族館にはよく来ますか?」
「いや、たぶんこれで三回目くらいです」
「動物園は?」
「それよりは……でもそんなに変わらないと思います」
「生き物が好きではないんですか」
「好きじゃないってほどでもないけど、特別好きってわけでもないですね。飼ったこともないですし……でも、散歩してる犬に会うとちょっと嬉しくなります」
「わたしもです。毛だらけで暑そうなのに、がんばって歩いていますね」
「はは、確かに」
十五分ほど並んでチケットを買い、展示エリアに入る。
「人が多いですね」
九洞がコンビニでもらった紺色の丸うちわを出した。
「もしはぐれたら、これを振って目印にしましょう」
「その色だとちょっと目立たなそうですね」
「それもそうですね」
九洞が引き下がる。そのすぐ脇を、半袖半パンの子どもが歓声をあげて走り抜けていった。驚く暇もなく今度は半袖半パンの男が躍り出て、子どもの手を捕まえる。
「パパ、おさかな」
「走ったらおさかなびっくりしちゃうよ」
背中を見送った九洞がこちらを向いて微笑する。
「日ヶ士さんが嫌でなければ」
何がと問う前に右手が差し出されていた。そろそろと握ってみれば、手のひらが思いのほか冷たい。
「わたしたちもはぐれてしまわないように」
願い事をするようなトーンで九洞が言った。
日の光に痛めつけられた目に、展示エリアの薄暗さが優しかった。アクリルガラスの前に重なる人影から、「何これ」とか「見て」とかいう言葉が絶えずわいている。
砂から生えるミミズじみた生き物や、泳ぎ回るイワシの群れを見た後、エイを目で追い続けていると、左手の中で九洞の右手が小さく動いた。どこかで「どこ行った?」と呑気な声があがる。
「あそこがすいています。見てみませんか」
ついていった先には壁から半球型の水槽が突き出し、中に何センチもない小さなものがいくつも浮かんでいた。傘の中心に核のような赤い球が収まっている。パネルにはベニクラゲという名前と簡単な説明が、手描きのイラスト入りで書かれていた。曰く、成体からポリプという段階に若返ることがあるらしい。
「不老不死ってことですかね」
「そうかもしれませんね。若返りは珍しい現象だと思いますが、それにしてはこの生き物はあまり知られていないみたいですね」
「だと思います。僕も初めて知りました」
「人間も若返りはしませんよね」
「シミやしわをとったりする人もいるけど、それはちょっと違いますよね。血管年齢とか骨年齢が若くなるっていうのも、別に体全体のことじゃないし」
老人のような見た目で生まれ、時間とともに若返る男の映画があった気がする。
「もしかして九洞さんたちって――」
「いえ、寿命が長いだけですよ。老化も死も避けられません」
九洞がわずかに腰をかがめて水槽に見入る。三年前のキューの横顔が青白く照らされている。
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