第5話 線香花火

 朝食をとりながら、仕事中の動きについて九洞と作戦を立てた。一つは、コミュニケーションにはチャットアプリを使うこと――九洞に言われて友達一覧を確認すると、知らない間に九洞のアカウントが登録されていた。もう一つは、九洞は必要に迫られない限り物に触らないこと。心霊現象と思われないように、扉は開け閉めせずにすり抜けるが、電車の吊り革には安全のためつかまっておく。


 駅の売店で麦茶を二本買い、一本を九洞に渡した。上り電車に三十分弱揺られ、駅から仕事場まで歩く間、チャットアプリの通知は届かないままだった。便りのないのがよい便りなのか、それとも遠慮されているのか判断がつかない。仕事場までの最後の直線の前に手早く入力する。


〈困ったことがあればいつでも連絡してください〉


 既読がつき、OKを掲げるシロクマのスタンプが返ってきた。


 タイムカードを押して席についた。社用のタブレットで今日の予定を開き、恒樹はわずかに胃がすくむのを感じた。ため息を細く細く吐きながら画面をスクロールし、そして一番上に戻る。意を決してスマホを手にとった。


〈僕を含めて色々な考えの人間がいます。不快な言動があるかもしれません。すみません〉


 背中と壁の間には九洞の気配がたたずんでいる。


〈はい。分かっています〉


 吹き出しに続いてOKのシロクマが再び現れた。プリインストールではないそのスタンプにどこか見覚えがあった。スマホをポケットにしまうと同時に扉が開き、二人が話しながら入ってくる。


「おはようございます」

「うっす」

「おはよー」


 向かいの席とその隣に、男たちがどっかりと腰を下ろした。


「え、もう買ったんすか?」

「ガキがスーパーで見て欲しいって言うからさ」

「早くないっすか? まだ七月始まったところっすよ。え、何尺玉っすか?」

「ふつーのパックだよ、線香花火とか色々入ってる。周りに誰もいないから庭で打ち上げられるってか、馬鹿にすんなよ」

「まあうちの方が田舎っすけどね、ハハ」


 ほろの笑いにかぶさるように始業五分前のチャイムが鳴った。恒樹はタブレットを社用の大きなカバンにしまい、首から名札を下げる。立ちながら送った視線に九洞がうなずいた。


 資材は昨日のうちにライトバンに積んでおいた。運転席に乗り込んだ後、九洞が助手席に座るのを見届けた。キーを回せばジングルに続いて英語が流れだす。九洞が後部座席や車外に目をやった。


「あ、すいません。ラジオです」


 つまみをいじって音量を下げる。


「そうだ、車の中ではしゃべって大丈夫ですよ。チャットは見れないので……でも、姿は消したままでお願いします」

「分かりました」


 国道に出る交差点でさっそく信号に引っかかる。


「日ヶ士さんはいつもまじめなラジオを聴くんですか?」

「え?」

「政治や経済の話題なので」


 恒樹は「ああ」と言葉を濁した。英語の放送局を選ぶのは、静かだと寂しくて妙に緊張するし、かといって騒がしい話を浴びる気にもなれないからだった。落ち着いた話しぶりや全く知らない洋楽を聴くともなく聴くのは好きだ―聞き取れる単語は二年経っても「US」か「Japan」くらいだが。


「なるほど。なんとなく分かります」


 信号が青に変わる。


「わたしも日本語の勉強には苦労しました。今でも翻訳に頼ることがあります」

「本当ですか?」


 すごく上手です、という返しが高慢に思えて恒樹は言葉を探す。


「ネイティブスピーカーみたいですよ」

「ありがとうございます。よかったです」


 視界の隅で九洞が微笑した。


「とはいえまだ知らないことだらけです。先ほどは線香花火について調べました」

「ああ、さっき他の社員が話してましたね」

「はい。線香は死者に捧げるもので、花火は火薬を使ったアトラクションだと認識していました。なので、どういうつながりがあるのか気になったんです」

「確かに」

「香炉に立てると線香のように見えるから」


 香炉という言葉が、ややぎこちなく発せられる。


「だから線香花火だそうです」

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