第23話 シグルーン家 (上)

「君、憑依者だね?」


 ジースの問いにシオンはどう答えるかほんの僅かな時間だけ逡巡した。相手がカマをかけてきているのであれば即時に否定が出来たのだが、どう見ても何らかの確信を持っているのを受けて少しだけ悩んでしまったのだ。それを見てジースは頷く。


「答えなくていいよ。僕がそう思っているだけだから」

「はぁ。取り敢えず私はラムダ家を追い出されたシオンですが」

「うん。そう答えておいていいよ」


(何で以前のラムダ君と違うと分かるんだ? 何らかの鑑定スキル持ちか? ラムダ君との交流はなかったはずだが)


 シオンが内心で疑問を抱いている間にジースは続けた。


「ぶっちゃけた話、以前の君がどうだったのかは興味なくてね。僕の愛しのカナリアが気になると言っていた今の君に興味があるんだよ」

「はぁ。そう言われましてもシグルーン伯のような高貴なお方と一般人となった私に接点はないかと愚考致しますが」

「いや、君はこれから王国……それどころか他国にまで名を轟かす人になるだろう。シグルーン伯の名において、それは確実だ」

「随分と高く評価していただいているようですが、私がそれを望んでいないので遠慮願いたいですね」


 シオンがそう言うもジースはやけに様になる苦笑を浮かべてそれを否定した。


「いや、類は友を呼ぶ。君のような力ある者のところには様々な力が集まるだろう。それは単純な戦闘力だけじゃない。権力、財力、魅力……君が持つ力に魅せられて多様な力を持つ人物が集まるだろうね」

「なら安心です。私には何もないので」


 今度は即答したシオン。それを聞き、謙遜かと思ったジースだったが、彼の表情を見てそれが本心から告げた言葉であるのを理解した。そうなれば次に浮かぶのは疑問だ。ジースも本心のままに尋ねた。


「これは異なことを。君に何もない? 万の魔物の軍勢を退け、王都で話題の中心となるであろう君に? 面白いことを言うね」

「別に面白くもなんともないただの事実ですよ。私には自分の身を守る程度の微力しかなく、ラムダ家に追い出されて何の権力も持ち合わせていない。財産と呼べる物はクリスくらいしかなく、魅力なんて欠片もない」

「……過剰なまでに自分を卑下するんだね? 何故?」

「別に、卑下も何もしてないですよ。ただ事実を述べただけ」


 自嘲気味な笑みを浮かべてシオンはそう告げる。ジースは複雑な表情になった。


「ふむ、蝶よ花よと育てた我らのスウィートエンジェルカナリアちゃんに初めて気になる異性が出来たと言われたからすっ飛んできたんだが……」

「安心してください。私と彼女の間には何もない」

「何だとテメェ。うちのカナリアちゃんに魅力がないってのか?」

「急に喧嘩腰になりましたね……」


 魔力を漲らせて威圧してくるジースにシオンは苦笑する。このままだと殺されてもおかしくないぐらいの勢いで来たジースだが、この程度の圧力で自分を曲げていては前世の会社では給料を貰うことすら出来なかっただろう。クリスが飛び出して来そうになっているのを見ずに手で制し、シオンは続けて言った。


「シグルーン嬢がどうこう、ではなく私には誰かに好かれるほどの魅力がない。それだけの話です」

「……? どういうことかな?」


 怒りの圧力を困惑に変えてジースはシオンを見据える。相手の態度の急変に対しても一切動揺を見せずにシオンは淡々と答えた。


「そのままの意味ですよ。私みたいなその場その場を流されながら生きているだけの薄っぺらい人間に好意を示すような人はいません」

「少なくともカナリアちゃんは君に会って一緒に戦って、生まれて初めて異性というものを意識したんだけど。やっぱりカナリアちゃんを馬鹿にしてるのかな? ん?」

「それは戦場における高揚の一時的な作用ですよ」


 また発せられたジースの圧力を一切気にせずにシオンは平然と断言した。ジースはかなり微妙な表情にさせられる。


「うーん。どうにも君は自己肯定感が低いね。三人で万の軍勢と相対したと聞いた時は我々のように自信に溢れていて勢いで生きている人間かと思ったんだけど」

「流れに従って死なない範囲で生きてるだけです。それ以上でもそれ以下でもない」

「うーん……難しいなぁ」


 いまいちシオンの心情を読み切れないジースはどうすれば彼の心を引き出せるかと思案する。しかし、話題を選ぶのが面倒臭くなったのかジースは彼にとって一番大事な問題に対してシオンがどう答えるのかという一点勝負に出ることにしたようだ。


「突然だけどシオン君。君は誰かを好きになったことはあるかい?」

「ありますよ」

「……本当に? この人のためなら命を懸けられる。そんな熱烈な恋愛をしたことがあるのかな?」

「あります」


 特に気負いなく答えたシオン。拍子抜けするほど簡単に答えた彼に疑問の念を抱くよりも先にジースは彼の目に狂気ともいえる炎が宿って消えたのを確認した。


「いいねいいね。おじさん、そういう話を聞きたかったんだよ。ちゃんとシオン君も人間してたんだね?」

「そうですね。あくまで人間の、常識的な範囲で、でしたけどね……」


 思い出すのは前世のこと。しかし、想い続けることすら叶わず、破れた恋。そんな聞こえのいい物語ですらない、自ら諦めた、土俵に立つことすらしなかった過去の思い出。そんな過去にシオンが浸ろうとする前にジースが口を開く。


「常識的な範囲で命は懸けられないよ」

「……命を懸けるのが当たり前という世界はあります。愛にも色々ありますが、自らの生命を擲って相手のために尽くす。それがスタートラインという世界は確かに存在するんですよ」

「興味深いね。いや、僕たちシグルーン家も愛こそ人を強くすると信じてるんだよ」


 笑顔で君は話が分かるねと言っているジース。その目は澄んでおり、自らの発言を一切疑問に思っていなさそうだ。だからこそ、シオンは彼を冷ややかな目で見る。


「愛は、人を強くする。ですか。そんな生易しいものじゃないですよ」

「ほう? その心は?」

「……それは、そこに至るほどの愛を持てなかった私が語れる範囲ではありません。私では、私程度の愛情では自身の命より大切なものだと信じていたはずの者に簡単に置いて行かれてそれに口出しことすら出来なかった。それだけが事実。それ以上でもそれ以下でもありません」

「非っ常に気になるところでぼかすんだね君は……」


 いつの間にか前のめりになっていたジースだったが、シオンが話を打ち切ったことで深く座り直す。


「まぁ、君にも色々あったことだけは分かる。そして君も愛に生きる者ということが分かった」

「……いや、私の愛はもう死んでいます。約束も果たせず、最後まで一途に思うことすら出来ず、ただ流されるだけの生きる屍が私です」

「大丈夫。愛がすべてを解決する」


 そう言い切ったジースの顔は満面の笑みだった。部屋の外が少し騒がしくなり、女性陣の交渉が終わったことが分かる。彼女たちが入室許可を求めようとする少し前にジースは好々爺の笑みで告げた。


「君は愛に生きていたんだね。だからこそ、己の理想とする愛を貫けなかった自分が許せない。分かった。カナリアを伴侶にするにはまだ色々と不十分だと思うからあの子を渡すことは出来ないが……君たちの行く末は非常に興味がある。これからも仲良くしようじゃないか」


 ジースの言葉にシオンは苦い顔をして何も言わなかった。



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