第10話 大密林 討伐

 クリスがナステラーナ大密林に足を踏み入れてから5日が経過した。この頃になるとクリスもあまり怯えずにナステラーナ大密林に入れるようになってきていた。彼女の索敵能力があれば滅多に会敵することはないからだ。


 だがしかし、今日からは冒険者として更に一歩進んだ経験を積むことになる。密林の入口に立ったシオンは事前に伝えていたことを改めてクリスに通達した。


「さて、昨日言っていた通り今日からは戦闘をして貰う」

「は、はい……」

「勿論、魔物を殺すところまでやるからそのつもりで」

「わかりました……」


 ようやくナステラーナ大密林の環境に慣れてきたところに初めての殺しだ。クリスは自らの力が通じるか不安でいっぱいになりながら移動を開始した。


 今回の先頭もクリスだ。道中、シオンは彼女に平坦な口調で告げる。


「何と戦うかは自分で判断しろ。死ななけりゃ治すし、死にそうになればメイリアが間に入る。実力を発揮出来るように頑張れ」

「はっ、はい!」


 シオンの指示にクリスは頭を悩ませる。ナステラーナ大密林には多様な生物がいるが、比較的弱めの魔物と言えばキールモンキーかフォレストゴブリンだろう。

 しかし、それは単体での話であってキールモンキーもフォレストゴブリンも群れを成して生きている。特にフォレストゴブリンはそれなりに知能があるため今の自分が戦うには荷が重いとクリスは感じていた。


(群れからはぐれたキールモンキーとかがいればいいんだけど……)


 クリスは希望を込めて索敵するが、魔力感知圏内にそんな反応はない。この密林で単独行動出来るのはそれなりに強い魔力を持った存在ばかりだ。クリスは後続の二人にバレないようにこっそり溜息を吐いて思考を切り替える。


(こうなると、ビガー・ボアが有力候補だけど……上手く行くかなぁ……?)


 魔力を纏って突進してくる大型の猪を想像してクリスは難しい顔になる。一応、師であるメイリアからはこの密林の表層にいる大半の生物については一対一という条件でクリスが油断しなければ一人で殺せるとのお墨付きを得ているが、どうにも自信がなかった。手頃な獲物はいないかと索敵を続ける彼女だが、不意に大きな魔力を感じ取った。


(……っ! こっちに来る!)


 クリスの魔力検知にかかったのを察したのか真っすぐこちらに向かってくる大きな魔力の持ち主。木々をなぎ倒し、高低差や障害物をものともせずにこちらに向かって来る魔物は明らかに表層レベルの魔物ではなかった。クリスは怯えた顔で後方を振り返り、シオンとメイリアに告げる。


「ご、ご主人様。強い魔物が来ます」

「そうか」

「そうですね」


 クリスの報告にシオンとメイリアは素っ気なく応じた。それはクリスが求める反応ではなかった。


「あの、こっちに逃げ……」

「いや、倒せ」

「え……でも」


 逃走の提案に対し、予想外の返事を受けてクリスは動揺を隠せない。そんな彼女にシオンは尋ねる。


「お前の今日の目的は何だ?」

「……魔物を倒すこと、です」

「そうだな。敵はこちらをはっきり認識してる。その状態で逃げて目的達成のために別の魔物と戦うことになれば挟撃されるぞ?」


 シオンの言葉を受けてクリスは反論できずに縋るような目でメイリアを見上げる。出来ればシオンを取り成して欲しい。最悪、強い魔物と戦うことになるのは仕方ないとしてもせめて手伝ってほしい。そんな目だ。しかし、彼女は無表情のまま告げた。


「クリス、そんな目で見てもダメです。今回はあなたの落ち度ですよ?」

「え……」

「私は何度も言いましたよね? 魔力探知に頼り過ぎてはいけないと。前回で教訓を得た際にも」


 メイリアの厳しい言葉にクリスは頭の中が真っ白になる。そんな彼女にメイリアは続けた。


「クリス。あなたの魔力は確かに多いです。だからと言って魔力に任せて雑な操作で周囲全てを見渡そうとすればこんな事態を引き起こすことは想定して然るべきです。

 ナステラーナに初めて入った時はこんなことがないように細心の注意を払っていましたよね?」


 メイリアの指摘にクリスは黙って俯いてしまう。クリスにはこれくらいの言葉でも強い叱責になるのは理解した上でメイリアは言った。


「慢心は毒です。これに懲りたら次からは気をつけなさい」

「はい……」


 反省した様子のクリス。メイリアはクリスが反省したのを見届けてから委縮し過ぎないように彼女の目線に合わせて軽く微笑みかけた。


「反省したなら話は終わりです。大丈夫ですよ。あなたならこの程度の相手、難なく倒せます」

「頑張ります……」


 戦う前から意気消沈しているクリスにメイリアは少しシオンの方を見てから確認を取って告げる。


「恐らく、相手は縄張り争いに敗れて表層付近にまで逃げて来た手負いのフォレストデーモンです。手負いで気が立っているところに強い魔力を感じたので破れかぶれになって突撃してきているだけですよ。落ち着いて対処すれば問題ありません」

「ふぉ、フォレストデーモン……」

「縄張り争いに負ける程度の強さでしかも手負いです。怖がらなくて大丈夫ですよ」


 そう言われても怖いものは怖い。フォレストデーモンはナステラーナ大密林の深層にいる魔物の中でもかなり強い魔物だ。それこそ白銀級の冒険者レベルでなければ歯が立たないと言われている。

 そんな白銀級の冒険者でやっと戦えるレベルにある相手に対し、赤銅級をぎりぎり取れた程度の冒険者であるクリスがどうしたら戦えるのか。そんな疑念を込めた目でメイリアを見ると彼女は優しくクリスの顔を両手で包んだ。


「大丈夫です。万が一の際は私が出ますし、坊ちゃまもフォローに入ります。名前に怯えず実力を発揮してきなさい」

「……はい」


 観念したかのように項垂れるクリス。そんな彼女を見てシオンはメイリアが大丈夫と言い過ぎるがあまりに逆にプレッシャーを感じていることを理解して大きく溜息を吐いた。そしてシオンはその溜息にすら怯えるクリスの方に近づくと彼女の頭に手を触れて回復魔術を施す。


「あ……」

「これで落ち着いただろ。後は頑張れ」

「……はいっ!」


 魔術による強制的な精神の安定と興奮作用を与えるとシオンはメイリアに持たせていた簡易式の組立椅子に腰かけて観戦モードに入る。メイリアは少し複雑そうな気分になりながらその後方に控えた。


 程なくしてフォレストデーモンが視認出来る距離までやって来た。体長1メートル程の緑色をした醜悪な人型の化物だ。冒険者から剥ぎ取ったらしき衣服を乱雑に身に着けているが身体の至る所より黒緑の血が流れており、服もボロボロだ。

 これなら何とかなるかもしれない。そう思ったクリスはまだ遠い敵に対して先手を取りにかかる。


「風刺牙!」


 正しく強襲と言っていい速度で距離を詰めて来るフォレストデーモンに対し、風の魔力を纏わせた刺突を繰り出したクリス。不可視の弾丸。しかし、それがフォレストデーモンに届くことはなかった。魔力を感知したフォレストデーモンが避けたのだ。


「ギィィイイイィッ!」

「ッ!」


 不快な雄叫びを上げ、更に接近して来るフォレストデーモン。クリスは思わず身を竦め、メイリアに叱咤される。


「目を開けなさい!」

「~ッ!」


 メイリアの命令にクリスは反射的に従い、敵の姿を見据える。白く濁った胡乱な瞳と目が合った。ここまで強い殺意を向けられるのは初めてだ。クリスを痛めつけた前の主人でさえ、命を奪うことはしてこなかった。


(怖い……! 怖い怖い怖いっ! 助けて!)


「クリス!」


 戦う前から戦意喪失しているクリスを見てメイリアが再び声を上げる。フォレストデーモンとの距離はもう僅か。フォレストデーモンのこれまでの移動速度を考えれば最早ないに等しい。


 フォレストデーモンの前腕に魔力が纏われ、クリスに振り下ろされる。


「ひっ!」


 身を縮こまらせて何とか致命傷は避けたクリス。しかし、左腕を傷つけられた。傷は深く、血が噴き出る。クリスは涙を浮かべながらシオンたちの方を振り向いた。


「ご、ご主人様……無理です……助けて……」

「……ラキュア」


 返事は回復呪文。指示はない。クリスは負傷したはずの左腕が完治させられたのを理解すると困惑した顔でシオンに近付く。


「ご主人様……?」

「どこを見ているんだ? 敵から目を離していいとでも?」

「あっ!」

「ラキュア」


 更なる傷を負ったクリスに即座に回復が施される。抉った肉を喰らい、悦に浸っていたフォレストデーモンだが、そこでようやく魔力と気配を抑えた人間がそこに居ることに気付いた。

 知覚と同時にフォレストデーモンは彼我の戦力差を理解して逃亡を選択。しかし、それはメイリアによって阻まれてしまう。


 ここが死地であることを覚ったフォレストデーモンは破れかぶれになってメイリアに突撃するが簡単に組み伏せられ、ナイフで地面に縫い付けられた。


(……メイリアさん)


 助かったことに安堵するクリス。そんな彼女にシオンは告げる。


「さて、再開だ。メイリア、そいつをクリスと戦わせろ」

「えっ……む、無理です! 私なんかじゃ殺されちゃいます!」

「……坊ちゃま、やはりこれは」

「……無理か?」


 シオンの問いにクリスは何度も頷く。それを見てシオンは溜息を吐いた。


「はぁ……じゃあ仕方ない」


 許された。クリスが顔を上げるとシオンはメイリアの方を見ていた。


「悪いな。無駄骨を折らせた」

「いえ。それで、どうしますか?」

「これが無理なら今後も無理だろ。新しい奴隷にする」

「……それは」


 メイリアはクリスの方を見て口ごもった。しかし、シオンの方は何てことのないようにクリスに告げる。


「クリス、ご苦労だった。王都に戻るぞ」

「ご、ごめんなさい……」

「別に謝らなくていい。お前を買った俺が間違っていたんだから。悪かったな」

「え……」


 存在を否定される言葉にクリスの胸が締め付けられる。だが、そう言われても仕方のない結果だ。クリスは反論出来ずに俯いてしまう。そんな彼女に追い打ちのようにシオンは告げた。


「次の主人には恵まれるといいな。あぁメイリア、そいつはもう殺していい」

「……坊ちゃま、お言葉ですが、流石にこれが相手ではクリスが怯えるのも仕方のないことかと。普通の表層の魔物であれば」

「メイリア、今後のことを考えればここで切り上げた方がいい。出来るからと言って強制的にやらせるのは少し違うからな。強引に進めたのは俺だが本人に適性がないのに無理をさせたところですぐに限界が来るのは間違いない。なぁ?」


 メイリアの言葉を切って捨て、クリスに確認するシオン。一瞬だけ前世の苦い記憶が蘇ったが、それは今関係のないこと。肝心なのは無理をしないこと、させないことだ。そう思ってシオンはクリスにもう無理なことを確認したのだが、返って来たのは賛同の言葉ではなかった。


「が、がんばります……」

「もう頑張らなくていい。いや……次の主人のところで普通に頑張ればいい。こんなところで無理しなくてもお前には次がある」


 シオンはクリスに言い聞かせるようにそう告げる。その目には世間を知らぬ憐みの感情と自分に付き合わせて無理をさせたことに対する申し訳なさが込められていた。そんな彼の見当違いな気遣いはクリスにとって眼前の敵よりも何十倍も恐ろしいものだ。彼女は叫ぶようにシオンの言葉を否定する。


「い、嫌です! 頑張ります! 頑張らせてください! 売られるのは嫌です! メイリアさん、そいつを放してください! 戦います!」


 鬼気迫る表情でフォレストデーモンを睨みつけるクリス。この分であれば問題ないだろうと判断したメイリアはフォレストデーモンからナイフを抜き去り、クリスと逆の方面に立ち塞がる。


「ギッ、ギィィィッ!」


 身体の自由を取り戻したフォレストデーモンだが、状況が悪いのには変わりない。メイリアには敵わないことが分かっているため、フォレストデーモンは逃げ場を求めてクリスに襲い掛かった。


 瞬間、彼の視界は二つに分裂し、暗転する。


(正中線を真っ二つか)


 シオンが戦闘と呼ぶにはあまりに呆気ない処理を見届けてクリスを見ると彼女は荒く息を吐きながら泣きそうな顔でシオンに告げた。


「はっ、はっ……た、倒しました。だから、売らないでください……」

「……分かった。帰って食事にしようか」

「はい……」


 一度の戦闘で疲労困憊となったクリスを気遣いながら一行は前線拠点に戻った。



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