The Government

赤川凌我

第1話 The Government

 The Government

 シルベスターアクマニヤンは美貌の青年である。彼は日本において生を受けた。幼少期は何不自由する事無く太平無事な生活を謳歌してきた。しかし日本政府の二進も三進もいかない無能ぶりに15歳以後に業を煮やし始めていた。彼は両親や祖父母を籠絡し、幼少期から膨大な数の本を読んできた。その内、彼は独自の哲学を持つようになり、学問や現実の山積した諸問題に関して独自の意見も持つようになった。彼は周囲の大人に媚態を使い、また時折道化も使い、彼らから多くの行為を抱かれていた。特に学校の長身の女性教師から度々性的対象としてシルベスターは見られていた。彼は内心その事に愉悦を感じていた。その女性教師は彼とセックスしたい、と同僚に話していた事さえあったという。彼は15歳となり、県内随一の高等学校へと進学した。彼の周囲の人間関係はその地元からの物理的遠隔さから秩序が大幅に変わった。彼は中学時代、不世出の絵画の天才として周囲の生徒や教師から一目置かれていた。彼は好調な時と不調な時との差が甚だしく、彼自身の学業成績や絵画もその余波を存分に受けていた。周囲の拍手喝采を受けたかと思えば人非人のような傍若無人な振る舞いをする事ももはや通例であった。

 彼は高校では勉強をサボタージュして無為徒食のような日々を送った。酒とたばこに耽溺したり火遊びをしたりしていた。21世紀の日本において学生はかなり大人しく、真面目であったので少年少女が酒やたばこを嗜んでいる事は滅多になかった。これは日本人の生来の気質が影響しているのかシルベスターは判断しかねていた。彼は日本政府に対し、若干の不信感を抱いていた。しかし彼は政治や経済を勉強しなかった。ただ盲目的、近視眼的に自分の日本政府への不信感を募らせてた。この社会は間違っている、全てイカサマだ、彼はそのように周囲に吹聴したりしていた。近代の人類史は思弁的な学問の緩慢な盛衰を経て、実証科学が長足の進歩を遂げていた。多くの人の弁舌では日本の経済は凋落し、今や中国や韓国の台頭によりかつて栄華を極めていた電子機器業界も斜陽産業となっていると言っている。しかしシルベスターはこれに内心反駁していた。日本の産業は単に指針を変えただけだ、大局的な戦況が見えない連中が侃々諤々の議論を交わすが、そんなものは単なる小鳥の囀りのようなものである、彼はそう思っていた。

 彼の人生は芸術方面への退廃感から一旦芸術家ら離れ、アカデミズムを帯びた分野へと進んだ。彼は依然として多くの本を読んだ。書籍として出版されている専門の論文を読んでいる事も珍しくなかった。彼の10代の知的能力は減衰する事がなかった。志向を変え、形態を変え、彼の知能は際限なく発達していっているようであった。彼は学業成績が優秀であった。彼は成績優秀である事を自分の誇りとしていた。その事によって内心自身も抱いていた。そして自分は世間の愚物や落伍者なんかとは違って、高潔な人間であるとの選民思想的な固定観念を漫然と抱いていた。彼は先人の理論を踏襲し、自分の理論を構築していった。その過程は一朝一夕に出来るものではなかったにせよ、19歳の時には彼は思想の大家になっていた。彼はゲームやいじめを享楽する愚昧な連中を軽蔑していた。どうして勉強も出来ない馬鹿があんな風に臆面もなく大胆な行動を取れるのか彼はずっと疑問だった。しかし彼らは無知文盲さ故に大胆さで武装しているのだ、とシルベスターは思うようになっていた。コロナウイルスが下火になってくるにしたがって日本の世相も徐々に変遷していった。彼は日本だけが全てではないことを知っていた。彼は彼の尊敬する師匠から広大無辺な海外へ行く事を勧められていた。彼自身も粘着質な日本で一生を終えるつもりはさらさらなかった。そして彼は留学に向けて清濁併せ吞む勉強を開始した。興味のなかった歴史や宗教学なども彼は熱心に学んだ。殊に彼の琴線に触れたのは歴史上の知の巨人たちである。彼は彼の携帯の待ち受け画面に偉人の肖像を設定していた。

 「人生とは、級数だ」彼は突如として自室にて朗読者のような巧みな抑揚をつけながらそう言った。彼が積み重ねてきたものは単純な級数であった。幼い頃から多くの事を学んできた。体育会系の連中や、粗暴な連中からは距離を置き、部活動もずっと文化部であり、彼はスポーツを憎んでいた。別に運動がきらいな訳ではない。体育教育が半ば強制的にスポーツを押し付ける事にもほとほと嫌気が差していた。愚鈍な周囲の少年少女が熱中する意味も分からなかった。

 彼はよく思考の海に逗留した。一つのテーマを選べば、それを何週間、何か月、何年も続けた。天才とは忍耐である。どのような傑出した人物であっても自分の仕事を継続させる忍耐がないと人類の生活の在り方そのものを変革する偉業を成就させる事は出来ない。彼の思考は主に本を読むことによって上達していった。彼の文章はプロの物書きが書いたような理路整然さ、流麗さがあった。彼の周囲には彼に羨望や憧憬の眼差しを向ける者も少なくはなかった。しかし彼の知能は主に自分の興味関心のある分野に飲み向けられており、それ以外の事に関しては凡人未満の無能ぶりであったため、彼は自分が周囲の多くの人から良く思われているという事は自覚していなかった。

 学校の教師たちは生徒を啓蒙したかったからなのか、自己顕示欲を満たす為なのか、生徒たちに熱心に自分の長広舌を展開する事が常であった。シルベスターは教育熱心な教師がいる事は非常に有難い事だ、日本の未来の前途洋々さに貢献するものだと最初は思っていたが、次第に教師連中の頑迷固陋さやバイアスの強い主張を聞くにつれ彼らに対し、嫌疑や不信感を高める事になっていった。彼は今でも日本の学校教育には良い印象を持っていない。この国の学校教育に満足している人間は余程の能天気か低能だけだろう、シルベスターはそう思っていた。

 彼は勉強において出題者の意図や問題を解決するための明晰な分析能力を幼い頃から持っていた。それ故彼は小学校時代には神童とも言われていた。彼は勉強こそが人生の右往左往を決定づける値千金のものだと思っていた。彼は自分の収入の低さから自分を卑下したりする人間も見てきた。その収入に影響を与えるのが教養であり、学歴である。彼はそう考えていた。しかし世の中には学問のみならず適正にばらつきがあるのだから、内心彼もこれに関してはあまり口外はしないようにしていた。彼の両親も彼の傲慢な物言いを改めるべく努力した。他人の感情の機微を教育し、センシティブな言動全般に対し、緘口令を敷いた。

 彼は高校二年生、17歳の頃に学校一の美少女と噂される女子生徒と話すようになった。何故か彼女の方はシルベスターに冷罵を投げかける事が多かった。彼が彼女の姉から聞くところによると彼女は好きな異性にはあのように冷たい言動をとってしまうのだと言う。行為を打ち消すためにそうするのだと言う。シルベスターは彼女のルックスが端的に言えば好みであった。彼女の名前は水山恵子と言った。彼の夢の中では恵子がよく出現した。しかし高校三年生になるとシルベスターは、思春期特有だろうか、精神病に近い自分の狂気を打ち消すべく知的研鑽に励んだ。彼は元々社交的な方ではなかったが18歳になってからは特に人と関わらなくなった。そして女性の好みもその精神秩序の流動が反映されたかの如く、躍動的に変わった。

 「あら、シルベスター君。おはよう」彼は恵子からそのように挨拶される事もあった。彼は美少年と言って差し支えのない美貌で身長が180㎝以上あったのでモテそうには見えるのだが、その天才性は他の追随を許さず、多くの女子生徒からは巨星のように仰ぎ見られていた。恵子はその行為から度々シルベスターに話しかけた。彼の方も彼女からの接触を拒否するのも嫌だった。昔とは言え、自分が惚れた女だ。彼は高校の卒業間際あたりから勉強の息抜きに彼女と食事をしたりした。高校では下級生の生徒や同級生の生徒などがもろに彼の真似をするようになった。彼は恵子意外とは接しようとしなかった。徐々に彼は恵子との関係を共依存的なものに感じだしていた。これではいけないと彼は思った。

 彼は高校を卒業し、東京の名門私立大学に進学した。本当は東大にも入れたのだが、大学を独自に色々調べていくにあたって、自分にとって本当にためになる場所、そして充実した設備のある場所はどこかという事にクローズアップしていくと、その進学先の名門私立大学が最上位に挙げられた。彼は高校卒業前に恵子に告白をされた。彼は恵子との関係は自分の精神的成長を妨げるものだと思っていた。したがって彼は恵子の告白を断った。俗に言えば振ったという事である。恵子は涙を見せた。そして恋人でなくても良いから女友達としてこれまで通り接してほしいと彼に哀願した。

 彼は大学入学を期に陽気なキャラを確立させた。今までの自分の青春時代のような陰隠滅滅とした現実の二番煎じはもう懲り懲りだと思っていたからだ。そして自分のキャラを変えるべく、若者ファッションの金字塔とも言えるブランドの衣服を買ったりもした。またダイエットのために即身仏の如き絶食生活も試みたりもした。彼は拒食症とでも呼ぶべき長身痩躯を手に入れた。当然女からはモテた。人間関係との不和も軋轢も彼は避けていた。皆仲良く過ごせば良いのだと彼は思っていた。それは平和ボケした感覚であった。しかし彼の心の政府はそれを自分の中枢に据え置き、明晰な頭脳を持ってして現実的諸問題を補足して、そして対処していた。

 彼は大学時代、フリーランスとして稼いでおり、その収入は天文学的なものであった。彼の生活は酒池肉林であり、彼はその辺の大学生とは一線を画す存在となって行った。彼は元々上品な顔立ちをしていたものだから、多くの人からはどこのボンボンだと思われていた。しかし彼のその巨万の財は外ならぬ彼の実力で掴んだものに相違なかった。

 彼は人間の心には政府のような役割を担う意識が存在しているのだと考えていた。そしてその政府の枠組みは、心の構造と不確実性により絶えず悠然と変化しているのだと考えていた。それは彼なりのこの世の真理の発見であった。彼はこれまで迫害をされてきた人物たちを思い、自分の反骨精神やら、ブラックユーモア、アイロニーなどによって芸術的に昇華し、彼らに恥をかかせてやろうとも思うようになった。彼はその意思を基調として小説やエッセイを書き始めた。その作品群が誰の目にも映っていない事は彼の脳髄でも明らかであった。大体玉石混合のネットの海に文学の編集者がわざわざ無名の物書きの作品を読んで没入する訳がない。彼は半ばそう考えていた。

 彼の父親はアメリカ人で、母親はウクライナ人である。彼の良心の意向により、シルベスターを含めた彼ら家族は日本に住むことになっていた。なんでも最先端の科学技術のエンジニア、研究者が日本には不足しており、エンジニアである父と理系の研究者である母が招聘されたといった按配である。日本での暮らしは彼ら家族にとって適性のあるものであった。実はシルベスターが生まれる前、彼らは南アフリカ共和国に住んだり、オーストラリアに住んだりしていたのだが、どこも彼らにはしっくり来なかったらしい。シルベスターという明らかに日本語ではない、何語を使っているのかどうか分からない名前は彼の父が主な名付け親である。またアクマニヤン家は何やらヨーロッパの伝統ある貴族階級の一派であるらしかった。彼ら家族はお金で苦労した事はなかった。またお金の増やし方の技術も彼らは精霊勤勉な勉強によって既に心得ていた。彼らは自分達で振興宗教を作った。それは現代の三大宗教と比較しても遜色のない緻密な論理構造や美的様式を持っていた。彼らはその宗教をアクマニヤン家の家宝として尊重していた。シルベスターもそう言った家族の伝統を受け継ぎそれらの経験を自分の作品に利用していた。ドストエフスキーがてんかんとしての経験を自身の作家活動に利用したのと同じように見方を変えれば障害はセールスポイントにもなる。それは疾病利得と言っても良いのかも知れない。シルベスターは長髪の男であった。しかし不潔な長髪ではなく、よく似合っていた。正直予備知識がなければぱっと見で彼の性別を判断する事は困難を極めると思う。少年時代から彼の友達の保護者ママ達の井戸端会議では彼は可愛いルックスだと評判であった。

 彼は精神障害者差別撤廃を志す善人であった。彼は無知蒙昧にも差別に加担しようとしている人間を見ると烈火の如く憤激し、彼らを必要以上に病的に罵倒するようになっていた。「おいお前、統合失調症患者がそんなに憎いのか?」彼はネット上で差別的言辞を弄した連中に度々絡むようになった。彼自身も逐一そういう行動を取る事は大抵の場合徒労に終わる事を経験則からも知っていたのだがその習性を辞めずにはいられなかった。「なんだよ、お前。じゃああいつらみたいな犯罪者予備軍を社会で野放しにするつもりか?所詮あいつらなんて生物的ゴミなんだぜ。社会の発展を阻害する連中だ。発達障害とかならまだ生かしようがあるけど、あいつらは駄目だ。ゴミだ」「そういう自分はどうなんだ?自分の事を棚に上げてよくそんな差別が出来るものだな。統合失調症だって懸命に生きているんだ。公称していないだけで社会で普通に働いてる人もいる。極端な危険思想を一般化するなよ」「もしかしてお前、統失か?なんであいつらにそこまで肩入れする?邪魔な奴は淘汰されてしかるべきだ」このような優性思想の発露を見ると彼は一瞬絶句せざるを得なかった。こんな奴が日本にまだ他にもいるのだと考えると彼はそいつら悉く、ただちに駆逐しなければ、と思った。彼は昔誤診だってにせよ、一過性の精神病を患っていた。差別されている精神疾患者を見ると彼は放ってはおけなかった。「大体お前みたいな低能は自分がなった事がないからそんな横柄で歪曲した事が言えるんだ」「苦し紛れかい?お前のその言葉は全然俺の反駁になってないよ」「反駁するまでもない。反駁する程の価値もない。あまりにも根本的な部分でお前は僕とは相容れないから、僕はお前やお前のようなクソ雑魚どもを非難したり、糾弾する事しか出来ない」「それは正義なのか?俺にはお前のその態度だって偏ったものに思えるぜ」「偏った部分のない人間なんていない。お前だって知っている筈だ。一人前の大人なら。大体精神疾患は個性なんだ。LGBTと同じだ。これから幸福な日本社会を目指すにはお前のような思想は僕達の足を引っ張る」

 彼はそう吐き捨てた。そしてその一部始終を彼は自分のブログでしたためた。彼は彼のファンからは災難だったねと言われた。このSNSが普及した現代では障害者差別を根絶するのは無理ではない、と彼は思った。精神疾患者は見た目が普通に見える事が多いから理解がされずらい。ハラスメントを受ける機会も多い。そもそも日本社会には部落企業も多いからハラスメントは日本の至るところで跋扈している。それを告発しない人間がいるのも彼はナンセンスだと思っている。

 日本社会の樹立には初めから民族の同一性と地理的な風土が多分に影響している。人間は何かの問題と相対した時、それを一つの原因にこじつけたりする。そして精神障害者がそのこじつけに乱用されるのも多い。まだまだ精神障害者に対する理解が少ない。これから僕はこの多くの人間の中での政府を批判し続けないといけない。いかにむかつく人間であれ万人が意見を言う権利は守るとヴォルテールが言ったように僕にも言論の自由があるのだ。精神障害者の有望な前途の為にも、僕は悪戦苦闘してやる、そうシルベスターは思っている。

 障害者は普通の人が受けられるサービスを受けられない機会にも対峙する事もある。シルベスターは精神障碍者ではないものの、精神病院から退院して初めて訪れた大学の語学の教授にこれがどのような授業なのかを聞いた事がある。その男の教員は「あなた、頭悪いでしょ?大体体調不良で休むんなら休学届を出さないと。このままあなたがいたってこの授業に参加している皆の足を引っ張るだけだよ」彼はその無神経ぶり、低能ぶりに絶句した。彼は二の句をつごうにも告げなかった。大いなる天才と邂逅すると、そのすごさに圧倒されると言うが、大いなる馬鹿と邂逅した時もそれに似たような感じを受けるものだ。これらは極端から極端の旅行のようなものである。そしてその教員は悪びれもせず「で、どうします?この授業辞めます?」彼はその授業が必修である事はこの教員も知っている筈だ。こいつはなんてことを言うんだ、と思った。これは彼が受けたあからさまな差別であった。彼は嘆息しつつその教室から撤退した。そして彼はその事を慟哭しながら大学の保健室の職員に話したのである。やはり天才であっても傷つく時は傷つく。人間の持つ痛みは普遍的なものである。その事を彼は思い知った。彼は彼の作品の中でその教員を何度も何度も殺害した。しかし何度殺害しても差別そのものに対する怨嗟や呪詛は消えなかった。今でも彼はあの教員が不幸になる事を祈っているのである。彼はもう大学を卒業したのに。差別のガバメント、消すべき絶対悪だ。

 この世に屹立する差別意識、それは人間の愚かさによって支えられている。今日でも愚かさを野放しにした人間は差別に拍車をかけようとしている。

 彼は休日に暇つぶしも兼ねて、自分のコンセプトアルバムの楽曲の歌詞を書いた。これが曲になるかどうかは分からないが、ともかく歌詞を書いた。アルバム名は「The Government」、比喩によって心の政府を表現するのがそのアルバムの肝である。彼の歌詞は以下の通りである。

『You Bustard, Fuckin Twisted Government』


僕の政府は僕に責め苛む事を強要し


僕の国家には嘲弄と諧謔が向けられる


発狂しなくては知ることが出来なかった


幻聴と陰謀と戯れた僕


活字の読解に手こずり


自然淘汰を出し抜く見通しも立たず


ただ気が滅入る程の田舎でネットサーフィンだ


文明そのものを、或いは文明の閃光を自分の中に見出だせば後はそれを信じるだけ


疑問の余地なく文明は絶対善、自然淘汰は絶対悪


人間などは敵ではない人間を買いかぶる事もない

天才でも低能でも結局は人間だから


車輪で回るメリーゴーランド、大規模なスキナーボックス


さしあたりそのような世界で生きる生命体だ


薬、カフェイン、アルコールで抑うつを解消しくそ食らえな偏執政府を打ちのめせ


ステレオタイプを砕き壊せ

自然淘汰を始末せよ

革命を連続して発生させ

障害者階級の英雄になるんだ

この観念に隷属せよ、さもなければ君は死ぬよ

Nowhere gun,どこにも行き場のない男よ


諸君のような男どもにも似たような所はあるだろう


形式は違えど大局を見据え最善手を尽くそう


人生のオチがついたら、行きつく場所は同じだ


甚大な苦痛を伴う生存競争の果てにまた会おう


僕は粉々に破壊して見せる


腐敗を

淀みを

自然淘汰を

ステレオタイプを

悲劇を

悲観を

卑屈を

独裁者を


見る影もない肉塊に

障害者のカタルシスと自己満足の為に

必ず粉々に破壊してやる


『Fill In The Blanks』

僕は巨人達の肩の上で鮮やかな景色を俯瞰し

巨人達の業績の空白を埋める

ただ単に埋め続ける

僕はある青年のフラストレーションを昇華させ

彼の失った正気で人生の空白を埋める

ただ単に埋め続ける


一人取り残されると悲観が僕の中を支配的になる

発狂後に得られた教訓は「見えてるものが全てではない」と言うこと

僕は巧妙に幾重にも捻りを加えてやろう

観衆への衝撃という目的を成就させるために


男と女では土俵が違う

少女よ、君が性差の空白を埋めるんだ

力で敵をねじ伏せろ、フレームに捻りを加えろ

尤も、もし君が善い人ならば力が手にはいっても

決して傲慢にはならないだろう


呆れた軍事的な人々の知覚を撹乱し、ノックアウトに導く

全ての既存のフレームはパラダイムシフトをし

また僕はフレームをつくっていくよ

自分への絶対的な自信を保持して


ただ単に埋め続ける

ただ単に埋め続ける

ただ単に埋め続ける

...

『Egoistic Anarchy』

無政府状態の一般化

理論的にそれが可能だろうか

際限なく迫害されて、疲れはて

社会思想は不毛の極致に帰結する

政府の束縛が閉塞を招いたとして

代替のフレームを諸君は形成できるか?


皮肉な偶然の集積が悲観的な悪習慣につながっても

社会は自然淘汰を黙認するのみ

日本という未開な工場で共産された産業廃棄物は

悪辣な世相の負の遺産となる


坊や、良い子だねんねしな

体罰などの諸暴挙で文明の反感を買った

そんな坊やはねんねしな

救いようのない低能クソもどきはねんねしな

ここはいつからアホの見本市になったんだ?


真理の大海も吟味なくしては単なる肥溜めに過ぎない

天才も自信なくしては単なるメンヘラに過ぎない

メディアにおける裏目とは何だ?

トリニトロトルエンか?硫酸か?

通俗的な逆襲は一体何に相当する?


『Ideology』

目新しいものなど何もない

全ては無造作に反復していく

身長を気にしていた若い時分の自己も

いつかは苦笑いできるようになる

無意識に発明を思いついたら

リビドーの赴くまま発散していけばいい


うららかな光線と蓮の池

散在する青桐の樹の下には

高さ八尺程の釈迦が瞑想している

空は青く、眩いばかりに青く澄みきっている

天高く水平飛行しているアホウドリは

極楽の山の頂にいる処女を見守っている


惑星の楕円軌道が基調になり

時空に歪みが生じ、それが私へと変わる

私は歩行する私を見定めおもむろに

死界の次元へと神経を転送させる

そして物質としての役割を身勝手に辞退するのだ


苦痛と快楽に質量が設定されて

彼は子宮を脱出し産声をあげる

生命とは人格神の存在よりもまず

抽象的な魂たちの共鳴によって

自然発生を繰り返し、一定の基準を満たすと

刹那的な聡明さと朗らかさの永劫回帰を

ほしいままに支配できるようになる

『Yer Sabotage』

1.無論俺には障害がある

しかし大胆不敵にいくぜ

無論僕には障害がある

だが突破してみせる


※それでも快適にサボるぜ

満を持して勝利する


2.熱風の伝搬を支配する

いかれた男は止められない

自殺を誘う言霊を

栄養素として翻訳する


3.そうだ、思考の淀みは消えた

全ての舞台装置のイデオロギーを

ふてぶてしくぞんざいに扱う

俺は世紀のスキッゾイドマン


サボタージュとは枠組み的アンインストールである


サボタージュとは枠組み的アンインストールなのさ


サボタージュが人生に必要だって気づかないのかい?

『Frames(Schizoid Men In Civilizations)』

論理的秩序を持った言語が頭にある

そんな言語で理論と計算のフレームをつくった

観客とテレビカメラのない所でゲームをしよう

そうすれば面白い対局になるだろうから


そして彼は悲観という狂気に支配されて

彼の成功は長くは続かない

大日本帝国のごとき持久力の欠乏で研究することさえ億劫になっていく


楽観的集中力で全ての低能どもから抜きん出る

不確定要素は何もなく、確実に自然淘汰を殺せる

大物然としたマッチョを気取った豚やろう

それが男の本性だ、それすら嘲弄してやろう


そしてレトリックの超絶技巧のフレームと相対し

君はひときわ奮い立つ

偉人の伝記を読んで自己同一化を体得したなら

勝負の時間だ、実力をぶつけよう

文明の象徴よ


『Advantages』

我々が勝ち取った

思考撹乱のアドバンテージ

諧謔精神のアドバンテージ

楽観的集中力のアドバンテージ

フレーム創造力のアドバンテージ

小手先のテクニックのアドバンテージ

記憶力のアドバンテージ

閃きのアドバンテージ

メンヘラのアドバンテージ

ユダヤ人のアドバンテージ

エトセトラエトセトラ

全てのアドバンテージは我々と自然淘汰との闘争の戦利品へと価値変容させていく


...Civilization, it's all over right now!!!


彼は以上の詩作により幾分か自分の心が昇華されて行っているのを感じた。また彼は全日高校生時代、学生たちの面前で暴力教師から暴行を受けた経験も生かして作品を作った。

それは以下の通りである。

『精神疾患と東京』

現実を直視するのが怖くて、人間も怖くて、人生に絶望しているほぼ働いていない時間以外は自室にこもっている、半ば引きこもりのような生活を送っていた。

寂しくて苦しくて、母親とのラインにもまだ依存していた。何を考える事もなく、何も生まれず、何も増えず、ニーチェの厭世思想のようにただ年齢ばかりが積み重なっていった。また、自分から精神病などと吹聴して回ったものだから、対人関係も上手くいかなかった。結局私は入院前と何ら変わることのない男だった。大したことではない、プログレッシブツイストと言うだけあってひねくれ過ぎたその性格も私には価値あるものだとは思えなかった。

そんな中、父方の祖父の訃報を聞いたのはつい一週間前くらいの事だった。私を含めた幼少の孫達を可愛がってくれた追憶をすると後を追って死にたくなったが、すんでのところで自制した。私には15歳の頃からの思い出の方が病的な鮮やかさを持って襲撃してくるので、祖父の死によって自殺するのではないかと言う懸念もすぐさま消失したのだった。

上京後の私の職場について説明をしよう。私の職場は中小企業の本店であり世田谷区の中心からやや東にそれた場所にある。職場には私と同じ躁鬱病の佐々木さんと、統合失調症の佐藤さんが同じ障害者雇用で採用された私の知る中で数限りの人達である。私がちなみに一番若い。今私は家路について帰っている。帰っているのだがさっきから頭が痛い。

「舐めとんのかお前ー!」、その声が聞こえて来ると、私の後頭部に強い衝撃が走り、一瞬だけ一切の代謝機能を停止した。それから私は駅のホームに身を投げ、通勤中使っている電車に轢かれて死亡した。


彼らは大体このような創作を行ったのだ。彼の如き芸術の天才にとって創作は息をするのに等しい。18世紀の数学者であるオイラーが死んだとき、「彼は生きる事と計算する事を辞めたのだ」と言われている。オイラーにおける計算がシルベスターにとっては創作なのだ。そして彼は創作をする事で生きている実感を得られていた。その他の人間関係などでは彼は非常に煩わしさを感じていた。一応彼には友人もいたし、恋人もいた。性交渉も晩熟だが数年前に済ませている。

 シルベスターが24歳の時、彼の両親は殺された。そしてその犯人は逮捕された。シルベスターは涙を流した。彼は泣きわめいて、疲れ果てて熟睡した。そして彼は両親の死亡がひょっとしたら冗談なのかも知れない、ドッキリなのかも知れないと思い、それが事実でないように心から祈った。しかし翌日彼が起きても両親はやはり死んだままであった。シルベスターは犯人を憎悪した。それも心の芯から憎悪である。犯人はシルベスターの両親と知り合いで、何不自由のない生活を送っているシルベスターの両親が日ごろから妬ましかったことが彼の犯行動機であった。シルベスターはその事情を知って、「そんなものの、そんなものの為に、僕の両親は死ななくてはいけなかったのか!そんなものの、そんなもののために、人を殺すのが正しいと本気で思っているのか!」と夕暮れの海岸で咆哮した。ふざけるな。しかも犯人は日常から精神障害者差別をしていたという。犯人は肉体労働の鬱憤をよくパチンコや賭博に使っていたようで、借金も相当あったようだ。犯人がシルベスターの両親を殺したのは金銭の強奪目的でもあったのだろう。結局犯行の杜撰さや、無残にも思えるアリバイ作りにより、凶行から1日も経過しないうちに犯人は逮捕された。犯人の名前は相田真というらしい。年齢は36歳。今現在は刑務所で服役しているらしい。裁判では容疑を完全に認めた。のみならず死刑を望んでいたらしい。馬鹿みたいな犯行動機や、その行動の軽薄さがあれど、彼自身も他の自殺者と同じように自殺願望を抱いていた。しかし自分で死ぬ勇気がなかった。結局シルベスターの両親の殺害の口実は本当の理由ではなかったという事だ。本当は、死にたかったから殺したのだろう。(ふざけるな、ふざけるな。僕のお父さんと、お母さんはな、本当に大切だったんだよ。僕は彼らに十分に親孝行も出来てなかった。これからしようと思っていた矢先に、なんでこんな不幸に巻き込まれないといけなかったんだ。僕の命で僕の両親が蘇るならそうしてほしい。彼らの死は僕にとって本当に悲しい。大切な人たちだった。愛していたのに)彼はよくしくしく泣くようになっていた。彼は大学を卒業してから自宅付近の職場で働いていたのだが、職場でも情緒不安定になり、業務中に涙を流す事も多くなってきた。

 そして犯人の障害者差別。この出来事は日本のあのような産業廃棄物を統御出来なかった事に責任があり、犯人の心の政府にも問題があり、したがって諸悪の根源は政府、ガバメントにこそある、と彼は確信するようになった。いつまでも悲嘆に暮れているのは大人の男のやる事ではない。彼は暫くすると何事もなかったのように現実世界に戻って行った。精神病ではないものの、普段から飲んでいる睡眠導入剤。彼は両親の分まで幸せになってやると思った。そして同じような不幸な事は起こってほしくないと、人情を燃やし始めた。大切な人を失う事の悲しみ。まだシルベスターの祖父母は生きていた。彼の祖父母も息子や娘の死を聞いて、体調を悪くしたと言う。

 シルベスターは28歳になった。何故だかこの時期の日本は一夫多妻制が認められていた。シルベスターの精子を欲している多くの女性が彼と結婚し、子供を作った。破竹の勢いでの夫婦生活の進展である。シルベスターは既に多くの文学賞を受賞し、現代の文豪と呼ばれていた。そしてその専門知識の広範さから学校の臨時職員のようなものも仰せつかった。彼は良い夫であった。多妻以外の女性とは関係を持たず、記念日や手伝い、気遣いなどは一級品であった。たまに周囲が見えなくなる時があるが、基本的に優しく、穏やかな性格は変わらなかった。彼は一週間に二度程アルコールを摂取した。既に多妻の献身と財産によりヒモに近い生活を彼は享受していた。しかしそれでも彼らは妻たちへの負担を軽減しようとして働いていた。週4日労働であった。また自分は男であり、女性の厄介になり続けるのはプライドが許さなかった事も彼が働く理由の一つだった。彼は東京の就労移行支援に行って、自分に合う仕事を吟味してトライアルアンドエラーを繰り返した。そして経験を積んで、彼は今や頼りがいのある大人の男となった。

 彼は髪を短髪にしていた。おかげで食事の際に自分の髪を結ぶ必要もなくなった。髪で視界が邪魔になることもなくなった。しかし彼はいつの間にかまた長髪にしたくなっていた。彼と言えば世間のイメージでは長髪の美青年であったし、彼自身もその事を分かっていた。

 彼は自身の哲学を記した論文を書いた。それは痛烈な日本人批判でもあった。彼は今や浮世離れした人物となっていた。勿論過度に目立つのを抑えて彼自身はよくサングラスをかけたり、無礼な行為をしないよう心掛けた。彼はジャパニーズジェントルマンとして認められる事を望んでいた。また彼は日本の根付いた負のムードや退廃理性が嫌になって、万人と積極的に交流する事はなかった。無論仕事ならどのような人間とも表面上は平和に過ごした。しかし彼が本当に愛していたのは彼を本当に安心させてくれる人たちだった。彼の妻は全員175㎝以上の長身美人で、巷ではシルベスターの妻、などと言われている。そう言われている本人たちはそれ程迷惑そうではなかった。彼女達は自身にシルベスターとの関係性が存在する事を内心誇りに感じていた。

 シルベスターは学習に貪欲な男だった。現代日本で重要だと思う事は片っ端から取り組んで、瞬く間に習得した。彼は本当に、立派なジェントルマンであった。何やら彼の名前は海外の方がファンが多いらしく、彼は仕事で海外に呼ばれる事もあった。基本的に海外での使用言語は英語である。彼は一応6年間も英語の教育を受けていたが本格的に英語を学び始めたのは自分が海外で良く知られていると知った時である。彼は主にイギリス英語の発音を練習した。今や彼は英語をネイティブと同じくらい流暢に操れている。

「よー、シルベスター」「よー」「仕事かい?」「そうだよここのところ日本に一度も帰ってない」「日本は良いよな。面白い漫画もアニメもあれば、料理もうまい!」「個々の料理も悪くないよ。特にジャガイモ料理なんて本当に美味しいよ。僕はいつもチップを渡してるよ。富裕層の余裕かな」「嫌味か、貴様」彼はアメリカにいる時このような会話を黒人の兄さんとした。彼らは彼のユーモア感覚に近いらしい。また英語という言語もシルベスターには簡単明瞭で、とっつきやすいように感じた。日本にいると英語勉強を一生懸命に頑張っている人たちをたまに海外かぶれなんて言う輩もいるものだが、ここ海外ではむしろ、文法が間違っていても、発音が間違っていても良いから発言する事が重要だとシルベスターは学んだ。日本にいる時は目立ちたくなかった性格がシルベスターは海外に出て目立ちたがり屋の性格に変わった。国家が彼を変えた。そして国家に住む良い人たちのガバメントが。彼の妻はたまに彼の仕事に同伴したりするが基本的に仕事で海外に行っている時は日本待機である。浮気を気にしてか、彼の海外での仕事の時にはよく彼のメールに彼女たちの着信が入る。シルベスターは律儀にも彼女たちのメールに丁寧に変身をしていた。彼女達は彼がいなくて寂しがっているようであった。彼女達は一図であったし、シルベスター以上の良い男など日本には一人もいなかったから浮気をしようとすら思わなかった。

 彼が海外出張の際に書いた論文がある。それは次のようなものだ。

ア.通俗性、あらゆるものの哲学的慣性について(愛の蓄積による慣性も含む)

 人間は余りにも革新的なものと対峙した時、それに対し倒錯的愛である無知の慣性を得てして自由闊達に表現するきらいがある。愚鈍な批判者としての一面は誰にでも備わっているものだが革命的なものについては保身の慣性、そこに留まろうとする美的感受性の暴走は始末におえない。日本人はある意味過剰に芸術的な存在になっている。その中心にはガラパゴス的美的感性の拡張が前提となっている。私はこのような問題に対してどのような解剖が出来るかと考えた。あのアインシュタインでさえも晩年になるに従いその愚性を惜しげもなく量子力学に投じた。どのような人間であってもその同一性が恒常不変のものである事は理論的にあり得ない。それならば日本人の美を尊ぶ、この独特な哲学は推移してゆくものであり、のみならず脆弱かつ矮小なものであり、それ自体も人間の儚さを表現する至高の言葉として私の眼前に躍り出るのだ。私が日本人を過剰に芸術的な存在と一般化するのは、日本社会、日本文化の静謐性を彼らの日常生活の一挙手一投足から垣間見ているからだ。七転八倒する日本人はこれまで美、換言するに慣性の独自的表現を行ってきた。革命的な事柄についてもやはりその内部には一面的には平和的とも言える慣性を孕んでいるのだ。平和は美の象徴である、それは心で捉えた安息であり、したがって快楽であり、したがって美と言えるのだ。

 よく日本人の性格的特徴に集団主義や同調圧力、出る杭は打つ、などがあるがこれは間違いなく、美への執着、コスモス(秩序)への執着があるのだと私は考える。これまでの文章で僕は平和的という名の美というコンセプト、そしてそれを更に突き詰めた秩序という名の美というコンセプトを語ってきた。これらを成り立たせる大黒柱が美を希求する愛の介在である。人間は必ずしも美しいことをすることで利潤を得られる生き物ではない。そればかりか美しいことに反する犯罪や非行に走ってしまうことも往々にしてこの国ではある。しかしそういった膨大な事例を視野に入れてもなお、この美に魅了され、それによる理想的な空間を構築しようという観念は日本人の精神において殊に顕著なのではないかと私は考えるのである。無論それによる弊害はある。それは組織の腐敗や革新的アイデアと革新的アイデアを生み出す人間の士気の剥奪といった形で表れる。その美があたかも日本の社会活動における全領域において専制的な影響力を持っているのだと錯覚させる弁論術、レトリック、などいわば手品師のイリュージョンのようなものが巧みにこの社会には蔓延しており、最初はそれに負けたくないと奔走する人間であっても何時しかその全体性の胸囲に飲まれ、屈服し、打算的な意味で日本人独特の美に隷属するようになる。それはいわば日本社会の悲劇なのであるがそれが黙認され、それが個性だという風に放任に似た態度を徹底した結果、現在の古代ギリシアに遥かに劣る日本の文明が跋扈しているという次第である。日本の未来に警鐘を鳴らし、その認知を人口に膾炙させようとした愛国者たちは無残にもその理想を成就させることを諦めたり、また半ば諦めたりしているのはそのニーチェの言辞を借りれば畜群のごとき、肯定も否定も出来ない風土と習慣が完成されているという悲惨さを眼前に見ているからに相違ない。それは美に基づいた、もっと言えばその盲目的な愛に基づいた宮殿であり、その宮殿こそが物質が一つの状態を保とうとし続ける力、慣性の力とも暗喩的に表現できるのではないかと私は考えるのである。

 愛の連続性は、愛の継続的な蓄積性とも表現できる。本論文での私の提唱する慣性というものはこれまでの議論の中で愛を端緒としたものであると私は述べた。ではその愛が継続的に蓄積した場合はどうなるのか。その時にこそ私は愛が偉大な文明を創り、偉大な芸術体系を創り、おそらくヘーゲルの言うように社会全体の弁証法的運動によって絶対精神がもたらされるのと同じように、愛の継続的な、そしてひたむきな投与により人類はその創造せしめる体系の強靭さ、緻密さを得ることができるのではないかと私は考えるのである。主観と客観の統一、それがなされるのはこの種の愛によるものではないかと思う。この種の愛はその性質上、客観的なバロメーターによる推断と、自己のバロメーターによる推断の統合が行われ、そしてその両者の完全な均衡が保たれているが故に自然淘汰されずに存在しているものである。これは公理的にその存在が長期間にわたり成立している以上やはり社会的関係を考慮し、社会での応用をも考慮した際に導きだせる事柄なのではないかと私は考えるのである。愛、これはまことに複雑な概念だ。しかしながら同時に神秘性をもその内奥に鎮座してある。この愛は日本人にとっての武器となり、その有効活用が功を奏すれば前人未到の領域の踏破につながる可能性も十分に想定できるのである。


イ. 哲学的な贅論

 私の主要な学説には贅論というものがある。これは贅肉とも比喩的に表現できる何かと何かの空隙にフォーカスした概念である。そこで哲学的な意味におけるその贅を用いた贅論をここから先で私は述べたいと考えている。哲学史においての贅論とは、プラトンによるイデア論、デカルトによる方法的懐疑、ゼノンによるストア主義、懐疑主義、ヘーゲルなどの弁証法的世界観、またマルクスによる弁証法的唯物論、実存主義、言語哲学、認識論、功利主義、プラグマティズムなど実に筆舌に尽くしがたい程の異常な色彩を持って、今尚私を圧倒している。こういった主義思想が如何にして生まれるか、それは人間の省察によるものであり、この省察はいつなされるかと言えば当面の人間が立ち会っている問題の余暇の間である。この余暇は直観的感性の空隙であり、贅とも言えるものである。またその贅が期せずして問題解決の糸口になったり大道具になったりすることも人類史上ではしばしばあった。まだ科学が自然哲学という名称だった近世ヨーロッパでは例えばニュートンによる万有引力の発見につながったりした。この万有引力による科学革命はやはり大胆な精神を持つ人間による大仕事であり、それはただ無目的性に生きる人間からの脱皮であり、無目的性、換言するに直観的感性の贅論的空白によって生まれた十分に考察可能な時間の介在なくして成立はしないものである。贅は人間の日常に隣り合わせの平行宇宙のようなもので、その平行宇宙を前提とした次元の決壊そのものが人間精神の栄光のために必要不可欠なものであるのだ。如何にその根底にキリスト教の信仰などの宗教心が宿っていたとしても、その構造の中に群論で言うところのガロア群のようなものの精神的な有機体が眠っており、それが人間の営みに友好的に機能することで我々はその恩恵を十分に得ることができる。その宗教の基本理念の是非に関わらず、17世紀のニュートンによる科学革命はその中心にキリスト教的文化が存在しており、すなわちキリスト教の勝利であるとも言うことができるのではないかと私は考えるのである。ヨーロッパの哲学はキリスト教などの宗教と不可分のものであり、それ故、吸う息、吐く息さえも聞こえてきそうな生きた哲学であった。

 人間の知的生活における贅論はどのような問題解決に対してもやはり重要なものであると言わざるを得ない。それがいかに閉口してしまう程の枝葉末節なものであれ、贅論的な空間における人間の知的躍動にこそ人間自身の尊厳がある。パスカルが、人間は考える葦であると言った。葦とは植物であり、ある意味では実に的を射た表現だ。植物の育つ箇所にはその植物に適した環境でないといけない。それが人間の場合は贅であり、この発想は人間全体のこれからの知的生活を考えるうえで再三になるが、やはり重要なものなのだ。もっとも現実には人間の贅は常に植物のごとき風林火山のもとにあるのではなく、その根源には花鳥風月や惻隠の情などの日本人の文化に如実に表れている重要な美的涵養が最も有効である。これらは最も優秀に働くと言って良い。なぜならキリスト教的世界観のごとき壮大さやそれゆえに生起する荒唐無稽さと言ったものより遥かに表現しがたい抽象的な、いわば抽象性において贅に似た性質を持っているからだ。類は友を呼ぶという俗諺があるように親和性のある物事同士は相互に影響しあい、その美を尊ぶ生命力を源泉としてキリスト教よりも社会的に人畜無害な、したがって弁証法的平衡状態を保つのに、そして主観的な曲解を客観的に見て中和する効果が確認されるからだ。

 天才は社会不適合者であり、社会適応性を犠牲にして創造性を開花させた人間であるとの宮城音弥氏の洞察的な分析がある。この天才そのものが、社会的に有効に働くのは天才という存在そのものが神秘的な贅論的概念であり、もっと言えば贅そのものであるからだ。彼らの存在は社会にとって少数派であるが故に不当な扱いを受けたりする訳だが結果論として彼らの正しさが理解され、証明された際に彼らは贅の位置に還元される。そして贅論における贅との同一化が完了される。出生の際には異化された状態である人間が死という場面を経過することなく贅になるのだ。

 また人間自体の贅世界を体験する際に肝を銘じておくと良いあり方として人間は自分の極端さを愛することだ。自分の極端さを尊重し、それが社会の法や倫理、道徳に触れない限りは存分に生かした方が良い。仮にその生きざまに後ろ指をさす人間が多数いるこの日本社会においてもそうやって生きることで、嫌われてもいいや、との心境にたどりつく段階がある。この中でこそ人間の個性は光り輝く。


ウ. 端整な顔が人間的であり、醜い顔は非人間的である(カントの理論とレヴィナスの理論の融合)

 私は大学時代、熱心に哲学を勉強する学生であった。その際にレヴィナスやカントなどの著名な学説も読んだ。そしてそこからの着想としてリフレクシオーンした結果私はカントの美的判断である、美と崇高、そしてそこから派生した力学的崇高と数学的崇高の理論とレヴィナスの顔という概念を現実の実際の顔について、そして比喩的な顔についてどのように応用可能か、これから先に述べたいと考えている。

 レヴィナスの顔とは、肌が露出した生き物の部位、転じて社会における外部性なのではないかと私は考える。社会における顔とは人によって様々だ。時と場合に応じて自分の顔を使い分けたりする人間もいる。そんな中で美しい顔が人間的であり、醜い顔が非人間的であると私は考える。美しい顔ほど称賛され、人間にとって必要な待遇を受ける場合が往々にしてある。そして醜い顔ほど、内心引いた状態で接するものだ。これは顔が何よりも人間的であり、したがって先進的であるということを示す証左であるからだ。美醜の判断は人によって様々であるし、文化圏によって違う。したがって、この社会で受け入れられてきた美がほかの社会では歯が立たないだなんてこともざらにある。そういった事態ではやはり一つの社会における美しい顔というのは安物の花火のようなものである。人間を中心に添えると、その顔の造形にも注目することが多い。そういう中で生きている人間は多かれ少なかれ顔という概念に否応なしに向き合わないと生きてはいけない。しかし醜い顔の人が必ずしも不当な扱いを受けたり、美しい顔の人が必ずしも順風満帆な人生を送るかと言えばそうではない。しかし人間の原始的な部分ではやはりこの顔における言説が通用する。私の生きる社会や他の社会では本音と建て前というものがあるし、万人にとって開かれた地平を展開するためには顔ごときで差別したり、不当な扱いをする人間は社会においてひんしゅくを買うことになるので、したがってこういった性向は多くのちゃんとした社会では成り立たない。したがってここでの私の主張はナンセンスであるとも言えるのではないか。

 また、個人個人の役割である、人格としての顔にも美しさというものは働く。今度は外見的な意味ではなくその人の人格が美しいものであればあるほどその人は他人から尊敬される。尊敬を集めることができるのだ。これは前の段落で外見的な顔の美醜が人間関係における尊重を集めると主張したこととほぼ別個に、二元論的に働くものである。社会において美しいマインドを持っている人間はやはり尊重される。

人間的かどうか、それは畢竟、尊敬すべきものがあるかどうかだ。それの基軸にはいつだって人の美を仰ぎ見る習慣というものが幾分かの影響力を持っている。そしてこの美に耽る精神はカントの理論、美的理論に即して言えば美と崇高の二種に分けられる。最も率直な美である美、形式に関わる美と、没形式的に働く崇高というものがある。これの美については今までに私が述べてきた通りだ。人は美しい顔を人間的(特別扱い)の対象とし、醜い顔を非人間的とみなす。しかし非人間的であるからといって一概に差別を被るとは言えない、むしろ非人間的であるからこそ、得体の知れない権威や威信、頼りやすさ、尊敬を感じる場合もある。人間的か、非人間的かの内奥は人の美的尺度によってもさまざまであるし、それよりも各人の価値観に依拠するものであることは明白である。また崇高というものは量の対象である、美が質の対象であるのとは対照的に。これまで直面的な美について私は論じてきたがそれよりも量が対象となる崇高はどのようにしてこの現実社会で認められているか。これは日本経済全体としての顔が経済大国であるという評価に多く依存しており、したがってそれが主要な顔であるのだと私は考える。これは肩書のみならず、経済規模という量的な箇所でも非常に大きな印象を他人に与えるものだ。また若い世代のテクノロジーとの親和性、またそれによる発信力の拡散力にも目を見張るものがある。ツイッターなどでは多くの人間が多くの人間からの称賛を浴び、情報の経済的流動が日常茶飯事として起こっている。これらの美は力であり、一部は力学的な、力の巨大さを指し示す崇高であったりしたり、また一部では数学的な、数の多さを指し示す崇高であったりするのである。またその両者を兼ね備えているものも理論的には認められるのではないかと私は考えている。それは西洋美術であれば巨匠たちの絵画作品であったりする。それは卓越した芸術作品の群れであるのだと私は考える。最終的に無敵とも言えるのはそういった卓越した芸術作品の群れであり、そのような芸術作品はいかにして生まれるのかと言えば民衆の無尽蔵にも思える科学革命を誘発したキリスト教のような精神的な主柱があるからであり、それの介在しない芸術作品はあるにはあるがやはりそれは古典的なものとは違う。人類が最も旧友のように馴染んできた精神はそうした古典的信仰にこそある。

 

これの正当性は我々には判断できない。しかし彼は彼なりに独自の理論を練った事は事実である。日本人はあまり自分からこういう理論や個性を持ちたがらない。しかしシルベスターは自分の性格の劇的な変化により大胆な事を爆発的に遂行できるようになった。

 シルベスターの妻たちはどこかしら個人である彼のジョディフォスター似の母親に似ていた。彼の政府は樹立30近くを経て、ようやくローマ帝国並みの繁栄を取るようになった。もはや彼にかなうものは誰一人として存在しなかった。好敵手もいない。彼は暫くの間、ずっと仕事をしてメディア出演なども多く引き受けて、もはや成功のスタンダードモデルとして扱われるようになった。また出る杭を打つ性質や、控えめで大人しかった日本人の気質も驚く程変わった。もはや日本はかつてのような日本ではなくなり、政府そのものもシルベスターに影響を受けた人物が牛耳り、その辣腕ぶりを発揮するようになった。日本はアメリカの属国ではなくなり、世界第一位の覇権国家になった。日本人である事が名誉になった日本人たちが世界各国で活躍しているという話まである程だ。もはや日本はかつての地味で、陰湿な、気色悪い日本ではなくなったのだ。シルベスターはその事を知り、非常に満悦していると言う。

 31歳。彼は新たな歌詞を書いた。「The Government」の歌詞は既に作曲も完了してアルバムが出来ており、一世を風靡していたのだが、彼はそれでも飽き足らずまた歌詞を書いた。それは次のようなものであった。


『Cold Turkey(Schizoid Man's Reprise)』


目が冴える

体が疲れる

足元が覚束無い

視界が白くなる

眼球が気持ち悪い

全てが脅迫的だ

冷たい七面鳥、僕を接近させる

遥かなる狂気へと


我流の心理療法

効果はない

不安の炭酸

醜く飽和する

不自然な催眠

手足が痺れる

脳裡には電気椅子の番人

冷たい七面鳥、僕を焦らせる

健常への執着で


助けてくれ

容姿は問わない

薬はもう嫌だ

たかが二つまみで地獄の体験ツアー

聖人君子よ、何でもするから

あの頃に戻してくれ

冷たい七面鳥、痺れを切らしやってくる

時空を超えて


強張った笑みで

光速で

後ろに迫る

死の仲介役者


『J.S.Bach's Benefit』


ある日の夜、僕はバッハの曲を聞いた。

ゴルトベルク変奏曲をレクター博士のように落ち着いて聞いていた。

ドイツの森、シュヴァルツヴァルトを想起すると、僕の精神は神の遺志に流れ込んだ。

ゆっくりと、着実な大局観が僕の実存を意識させた。

人生は音楽だ。

主旋律は外面、副旋律は内面を表す。

愛する者の死も、短調へと変貌させる、満足感による幸福度は長調へと。


どうかしていた、今もどうかしている。

僕たちは一人一人が極小な存在で、気狂いなんだ。

前の個を脱し、新たな個に到達すると、僕たちは1つまた疲弊する。

もう止めようか、この辺で。

真理などは問題ではない。

強硬手段などでごり押しをしない限りはどんな危険思想ももはや危険ではない。

僕たちはいつでも悪にも、正義にもなれる。

僕たちは状態変化の能力がある。


エジソンの蓄音器などが発端となり、電磁気の商業利用が始まった。

そしてその恩恵で現代の不安と自分に対する不信は、スモッグとなり僕たちの視野を充満させた。

しかし、バッハの曲がある限り希望はある。


『Rational Trust(If You Polish It Grows)』


人生はくそみたいなものだ。

だけど、くそにも深みを加味する事が出来る。

明るい面を見よう。

見方を変えるだけで、呼吸は整い、安息は訪れる

分からないものはどうやっても分からない。

自分の限界を知ろう。



彼は孤独な男で友達はいない。

異性との接触も図れず。

誰とも意思疎通をしなかった。

いつもしかめ面で独り言を言っていた。

彼の噂は未知への恐怖で脚色されていた。

同情が欲しくて吹聴したのに、社会の不寛容が耐えず彼を苦しめた。


誰が誰を嫌っていたっていい。

だけど、絶望から試行錯誤を止めてはいけない。

特殊相対性理論の重力場は、抽象事象へも作用するから。

怒りと不満のコンセプトじゃ誰も救われない。

のみならず、かえって君を傷つける。


情緒があるのならまず不完全な自分を愛そう。

夜には君が君を慰めるんだ、他人の手でしてもらったってそれは善とは呼べない。


 シルベスターはまた長髪になっていた。彼は35歳になった。彼の妻たちは加齢により歳をとったがそれでも芸能人風情より格段に綺麗なままである。シルベスターの精神はこの35年間もの芸術創作による魂の燃焼で燃え尽きていた。最近彼は悪口が大半である幻聴や被害妄想の症状に傾いている。彼はおそらく一生懸命に、ストイックに、一図に、したたかに生き過ぎた事で精神が酷く摩耗していたのだろう。彼はこの頃ニートのような生活を送っていた。幸い金だけは一生かけても使いきれない程莫大にあった。しかし彼はかつて妻たちに見せていた男として働いて、家庭に貢献するというプライドがなくなってしまった。彼は既に仕事を退職し、あまり外出しなくなっていた。気が付くと対人恐怖や社会恐怖に激甚なまでに精神を蝕まれるようになっていった。彼の文章は既に小説を初めて書いたような出来栄えになっていった。加齢とともに彼の痴呆は始まって行った。もはや鋭敏な感覚も、文章的な技巧もなくなっていた。彼はこのあたりが引き際だろうと思って、文壇から忽然と姿を消した。しんどい、しんどいのだ、しかし彼はそれまで上手く休憩出来た事がなかった。彼はそれまで一心不乱に努力し続けていた。しかし加減が出来なかったのである。

 彼の精神科での診断は統合失調症の疑いあり、から統合失調症へと変わった。彼が日常的に書いている日記の余白には「僕にはもう、何もない」という悲痛な走り書きが書かれていた。彼は自分の両親の幻覚も見るようになった。しかし彼は自分の統合失調症としての症状のほとんどを統合失調症ゆえの症状だと自覚しており、病識もあった。彼は既に精神医学の知識を余すことなく吸収しており、バイブルにDSMを読んでいたりもしていた。彼は従順で素直な患者であった。また彼の周囲の患者も大部分は従順で素直な患者たちであった。症状は千差万別であった。精神科の待合時間に小説を読める程認知機能に大きな障害いない人もいた。かくいう彼も認知機能は大幅に欠損している訳ではなかった。しかし彼が燃え尽きている事は医者の目からは瞭然であった。彼は最早復職の意志はなかった。彼は時代の敗北者としてこのまま人生を平穏無事に過ごす事をこの頃既に決めていた。

 けれども、彼の食生活は零落してはいなかった。彼は妻たちの熟考された献立に基づいて作られた手料理を食べていた。彼は筋トレをしたりはしなかった。しかし秋や冬になるとよく午前中に散歩に出かける事も多くなった。彼はよく老人たちから話しかけられた。若い頃の彼は人を寄せ付けないようなオーラがあったようだが30代になると彼のオーラは温和で平凡なものとなっていた。もっともオーラというのは形而上的で、つかみどころのない表現であるが。彼はここのところ、泣けるような小説や泣けるような映画など、とにかく泣くことを喜悦の代物として楽しむ享楽主義者になってきた。彼は若い頃のような耽美的な芸術に対する熱意をあまり感じなくなっていた。加齢に伴い、感受性も変化していく事を彼は実証的に確認する運びとなったのである。彼は自殺をしたかったのだが、残された妻子の事を考えるとそうする訳にもいかなかった。補足として、彼には子供もいた。既に多妻との間に50人前後の子供がいた。その家族の圧倒的な規模に基づき、豪邸はかなり大きなものとなっていった。

 彼はネットで情報発信をしてから既に10年以上が経過していた。彼は自身の統合失調症の事をネットで発信していた。丁度彼が25歳前後の頃にはネットの普及によってなのか、統合失調症の情報発信者が相次いで出現していた。その事が彼には嬉しかった。もっとも彼が正式に統合失調症で間違いないと医師の口から診断されたのは30代で、20代の時は半ば夢遊病者的に、自分が統合失調症患者なのだと思い込んでいたのである。彼は大学時代フロイトの著作を読んで勉強していたので、自身のヒステリックな行動やノイローゼの根源がリビドーの固着にある事を理解していた。もっとも人間の万事において性衝動がその根源となっているという主張に彼は反対していた。実際その極端な思想に反対する人物は多い。しかし彼は無意識の発見や防衛機制などを理論的に提唱し、20世紀の巨人となったフロイトを尊敬していた。彼は20歳前後の頃、自分の事をユダヤ人だと思っていたので、当然ユダヤ人であるフロイトにも愛着が沸いていた。フロイトの登場によってダリなどのシュールリアリズムの無意識という概念を盛んに導入した芸術形式も誕生した。現代ではどんな前衛芸術であれ、多くの日本人は寛容で、倫理的道徳的に直観的に正しくないと思うこと以外は迎合していた。これは日本人の崇高な芸術精神の表れだと彼は思った。もっとも彼は日本人に肩入れしすぎている節もある。しかしそれでも彼は歳を取るにしたがって日本を愛するようになって、日本人を愛するようになった。彼の容貌は完全に白人のそれである。しかも女顔美形であったし、並外れた長身でもあったためよく目立っていた。

 「あっ、おーいシルベスター!」彼が東京の往来を歩いていると男の声が聞こえた。どうやら自分に向けられたものだと彼は気づいたらしい。後ろには和服の姿の中背の男が経っていた。髪を結んでいる。一目見て分かった。彼は諌山だ。諌山は彼が大学時代、当時住んでいた地区で再会を果たした彼の中学時代の友達である。精神が不安定なシルベスターを気遣って何度も食事に行ったりした。長い事音信不通だったが彼はここで働いているのか、そうシルベスターは驚いた。「元気してんの?」「うん」「お前どこで働いてんの?」「今は体調崩して働けていないんだ」「そうか、精神科でそう言われたの?」「うん」「燃え尽きてしまってどうしても働けないんだ。妻たちはそんな僕に優しくしてくれるし、僕たちが共同で稼いだ巨大な財産もあるけど。でも子供たちもいるから働いていないお父さんは彼らに悪いからね、ちょっと最近焦眉の急って感じだよ」「お前の妻は何人いるの?」「10人」「10人?!」彼はオーバーリアクションをした。シルベスターは諌山との再会が心底嬉しかった。「シルベスター、お前今暇だよな?一緒に飲みにいかないか?」「そういえば僕は最近滅多に酒飲んでないな。いいよ。僕も友達と飲みたい。こんんなに気さくで良い友達とね」「大げさだなあ。俺はお前の理解者のつもりだよ」シルベスターは昔と同じように自分に関わってくれる諌山の存在がありがたかった。シルベスターにとって諌山はキリスト教における使徒の声、イスラム教におけるムハンマドの存在のようなものであった。彼らは仲良さげに喋った。感極まってシルベスターは泣いたりもした。また諌山とシルベスターの友達の現状も諌山はシルベスターに知らせてくれた。

 「俺も結婚したんだよ、男とね」そうだった、日本では同性婚が法律的に認められたのだった。LGBTの理解の機運が高まり21世紀は多くの性的少数派が権力を持つようになり、また多くの人から理解されるようになった。また啓蒙活動としてSNSに漫画を投稿する事もよく見るようになった。

「諌山は今、幸せなの?」「そりゃ幸せよ」「どこで働いてんの?」「ゲイバー。水商売だよ。でも職場ではインテリのゲイも多くて俺は楽しいよ。客や仕事仲間とアカデミックな会話をしてるよ」「僕は色々と創作をしてたよ、君と再会するまでの間に」「知ってるよ、お前は今や人類史上最高の芸術家と世間で言われているよ」「それは恐悦至極だけど、今の僕はセミの抜け殻みたいなものだよ。何かに情熱を傾ける事も出来なくなった。何も生産しない。そして歳を食うにしたがって社交的にはなってきたものの、やっぱりまだ対人恐怖があるよ」「カウンセリングはせんの?」「カウンセリングには良い思い出がないんだ。今までカウンセリングが僕の現実について上手く機能した事がないんだ。スクールカウンセリングの時代からそうなんだよ。本当に悲しいことにね」僕はアルコールが入って思わず感情的に昂って泣き始めた。「まあ、人生色々あるよ。どんな天才でもそうさ。特にシルベスターは天才肌なんだから、才能あるんだから、まだまだこれからだよ」


そしてシルベスターは諌山と別れた。そしてその日の内に彼は自分のブログの記事を書いた。それは次の通りである。


≪Slight Return≫


僕は15歳の頃、洋楽という宝の山に邂逅した。それ以降僕は洋楽の虜であった。僕は本当にドはまりした。無論洋楽を好む事がどこかかっこいいという印象も先行していた事は否めない。しかしそれ以上に洋楽には僕を大いに魅了した。その翌年に僕は統合失調症の急性期を経験し、狂気の泥沼に溺れる事になるのだがその前段階として自閉や内向の傾向があり、そしてその最中に洋楽の存在があった事も否めない。僕は理工科学校の少年達の無神経さや品性下劣さに失望した。そして自分自身にもそういった側面がある事も僕は認めていた。僕は自分の美の世界にて陶酔していた、その美とは外ならぬ音楽の美しさだ。耽美的であったと言っても差し支えない。また僕の今回の記事は割とライトな感じで書きたいと思って、僕はこの記事を書いている。したがって文章の語彙の難解さや深淵な哲学で読者を圧倒し、そっぽを向かせる懸念もない。少なくとも僕は意識的にこれからの弁舌を意気揚々と展開するつもりだ。まあ少し話がそれたが今回は今までのスタイルのように体裁を整える事もない。その点は安心してほしい。洋楽、殊に最初の時点では僕はジミヘンを愛好した。今回はそのジミヘンの楽曲のブードゥーチャイルドの副題に影響を受けた愚直なタイトルである。まあ、とにかく僕の没入経験、西田哲学的な言辞を弄すれば純粋経験のようなものになるのだが、その時の記憶に戻り、定住し、その地点からこの僕の現在の人生を鳥瞰図的に見てみようという内容の記事を今回は書こうと、僕はそう思ったのである。




 なぜ僕はここまで狂ってしまったのだろう。そりゃ人間は誰しも狂気を孕んだ精神構造を持っている。しかしだからと言って狂気一辺倒になってしまう事は幼年期の僕をまっさらに、純粋に見てみても想像だに出来ないだろう。実際僕は幼少期は別に発達障害とかではなく、かなり明るい性格であった。それが思春期の荒波を経てここまで変わってしまうのはホメオティック突然変異のようなものではないか。まあこんな事は生物学畑出身の人間には御法度の、荒唐無稽な表現だろう。僕は単に道を踏み外した。それを遺伝子の特異な変遷などといった概念で説明するのは明らかにナンセンスだ。しかし今の僕はどこかそういった厳密な理論からは逸脱した人間に、自分を捉えている。僕はこれ程までに生き延びてきた。閉塞した日本社会だ、生まれた頃からバブル崩壊後の不景気で、未曽有の災害があり、コロナもあった。今や多くの知識人によって世界は混迷の時代にあるとの発言を憚らない人物ものさばっている。まあ大変話がそれたが前述の突然変異の文言は完全な比喩表現である事を読者には理解願いたい。




 僕はずっと孤独だった。いや、孤独であろうとしたのだ。僕は対人恐怖が深刻化していた、統合失調症や過去のいじめ経験、そして当時進行形であった迫害経験によって。しかし僕はそれら一切の責任を社会に丸投げする事はしない。そして全て自分の責任であると断定する事もしかねる。責任の所在を問う事は汚い大人のする事だ。僕は昔はそう考えていた。しかし人間は汚さと共にある。誰だって直接的な汚さ、吐しゃ物だのクソだのウジ虫だのハエだのは反射的に忌み嫌う。僕だってそうだ。しかし直接的でない汚さにはどうか。例えば汚さにも純度があって、いかにも美と調和、そして快楽に満ちた綺麗さとの比率があるとすればどうか。そしてそこに俗にいう黄金比のようなものがあるとすればどうか。僕は童貞なのでよく分からないが、恋愛において「この人はここが無教養だし、低収入だけど、わたしを心から愛してくれるから好き」のような例など否応なしに世の中では仄聞する。これはどういう事か。読者にもよく考えてもらえたら幸いである。おそらく長所は綺麗さの自己同型であり、短所は汚さの自己同型なのだと僕は考える。これは僕がガロア理論から得た着想である。自然科学や数学の法則を全く違う分野に当てはめる事は勇気のいる事だが僕は確実にそう考えている。まあ不完全さを愛す事が人間を愛する事であり、また人間を憎悪する情緒も胸中に同居させる事もそこから導き出される自明の事柄である事を僕は声高に言いたい。




 僕のジミヘンの楽曲の記憶、スライトリターン、少し戻るから着想を受けたこの記事、正直どのような内容になるかはこの記事を書いている僕自身にさえ皆目見当もつかない。ジミヘンの曲は15歳の僕にとっては本当に美しいものであった。勿論、美しさにも種類がある。僕の場合は静謐さを帯びた美しさではなく、僕を励ますもの、抑圧された性衝動を発散させるものであった。こういったコンテンツに邂逅する人物は社会の成員全員ではない。そんな中で僕がジミヘンに出会ったのは本当に運命的な出会いであったのだ。しかしながら経験蓄積の逗留において彼の音楽を持ってしても僕の心を真に救うものにはなり得なかった。彼の音楽は僕を一時的に醜悪な巷や学生寮から解放する事はあっても生活そのものを変化させるパラダイムシフトの如き衝撃はなかった。それでもないよりはましであった。歴史上、それまでの体系の常識を180度変える大発見や大発明は多くの賢人によってなされてきた。その変革の歴史によって我々の生活は成立している事を僕は常日頃から感じている。ジミヘンの音楽は僕の心の歴史にコペルニクス的転回を見せる事はなかった。やはり正面から僕が自身の抱える懊悩を解消するには僕自身が能動的に行動する事によってしかないと僕は当時からずっと考えていた。しかし15歳からは僕の統合失調症が前駆期とは言え既に発言していたので中々高度な知的活動を推進する事は困難を極めた。また再三言うように僕には根深い対人恐怖もあり、往来の人に道を尋ねる事すら不能な有様であったから社交を要する事柄はからきしダメになっていた。どうすればいいか、僕は相当悩んだ。しかし僕は時間が僕の心の闇を解消する他に決定的な回復を果たす手立てを思いつかなかった。それほどまでに長きにわたり思考が貧困化、矮小化していた事が僕の半生の顧慮から伺える。




 スライトリターン、僕は自分の嫌な部分を消去し、全ての技巧を忘れ去って、一度自分の純粋であった頃に戻ってみようかと思う。この世の中、非常に緊迫した諍いもあれば粉砕も戦争も差別も偏見も、人間の問題点を挙げればもはや埒が明かないのだ。僕がジミヘンの音楽に魅せられた事、それは英語のリスニングが不得手であった僕にとってはもはや歌詞そのものの意味に焦点を当てた純粋経験ではなかったように僕には思える。僕は人生の性質を調べなくてはいけないのだ。それも個別の問題に直面する都度、それを氷解、解決させようとするのではなく、もっと本質的な方途、人生を明晰に解剖する為の方途を僕は発見しなければならない。たとえそれが主観的なものであっても、僕は僕自身とけじめをつける為に今一度本気でこの大きな壁を乗り越えなければならない。




 この社会では僕が生まれる以前から様々な不均質、不調和があった。人間は完璧な生き物ではない。むしろそのような要素のない社会はかえってうすら寒いものだ。だからその意味では僕が生まれる以前より社会はあるべくしてあったのだ。でもそのあるべくしてある、の部分はこれまで数多の革命家が十分とは言えないまでも必死に努力してきた結果の話であり、何もしないまま、腐敗や汚職、犯罪を野放図にしたまま歴史が進んできた訳ではない。どこの国にも自分の正義感や信条に基づいて行動する人物が数多くいた。如何にそれが誤った道であっても、独裁や粛清であっても、彼らはそれを行ってきた。そもそも誤った道、すらも一概にそう形容する事は出来ない。人には歪な生い立ちや障害の末、非常に不道徳な、倫理に背くような思想を持つようになる事も珍しくない。それどころか、サイコパスのような、定義上モンスターのような人間がいる事も事実である。そもそも人の美的感覚にさえ相違がある。絵画の例を挙げる。昔の日本では水墨画や狩野派などが一世を風靡していたが、その反面欧米社会ではまあ変遷はあれど印象派や写実主義などやはり日本のアートスタイルと全く同じものがあった訳ではない。まあ人間社会はかくして厳密に考察を加えて見れば文明が発達し、利便さも拡充した昨今であってもまだまだ発展途上の赤子のようなものであると僕は言わざるを得ないのである。




 僕のこれまでの記事がそうであるようにやはりこの記事も論理的に破綻していたり、支離滅裂であったり、どこか整合性に欠けるものであるかも知れない。その点は僕は読者にお詫び申し上げたい。まあそれより僕はこれから口だけではなく、真に前向きに人生を進めなければならない。そもそも僕は童貞であるから特に恋愛の世界では完全に最下層の序列に属する人間である。いや、この修辞もおかしい。真に前向きに生きるのなら例え事実であっても自分を卑下したままでいる事は非生産的だ。どうして僕はそれに気づかないのだ、初歩的な事ではないか。僕は自分の認知の歪みを直すという意味でもこのブログを書いている。いわゆる認知行動療法というやつだ。しかし僕は全くその目的を見失って迷走しているではないか。これまでの僕は結局悲劇の英雄に自らを仕立て上げ、その世界の中に陶酔している事で純粋経験を得ていたのだ。スライトリターンとはよく言ったものだ。少し戻れば色々な事が見えてくる。すなわち僕のこれまでのネット活動の大部分は完膚なきまでに破壊された。いや、僕が自らの手で破壊したのだ。その意味で僕はニーチェやヒュームと同じ破壊者だ。




 さて、さて、近代科学がニュートンの微積分を更に改良し、変分法や微分方程式を生み出し科学の記述を更に変幻自在にする事が可能となったように僕もこれまでの思想家や周囲の烏合の衆達の手法を一際改良する事で今回の文章錬成に至った訳である。まあ僕が研究対象にした彼らの生き方や思想そのものについて、僕は少なくとも真面目に議論を展開したつもりだ。その中ではガロア理論の応用も見られるという事で僕のこれまでの人生は必ずしもゴミではなくなった。この記事を査読するレフェリーがいたとすれば僕の一連の記述には僕の若年故説明不足な点も多分に見られるであろう。僕の学生時代も僕の説明能力の低さの憂き目にあい、卒論のフレーム理論などは激賞されなかったではないか。僕はこれまでのようなハリボテではなく、真に自分の問題点に目を向け、それにより落胆したり憂慮したりするのみではなく前向きに変えようと頑張らなければならない。そうでなければ僕という存在は如何に業績が煌びやかであるとは言え、タイムラグのある現在においては本当にワンオブゼムになりかねない。僕はそれを危惧しているのである。自分自身が平凡であってはならないというのは別に僕が優性思想や選民思想の如き心理状態にあるからではない。上手く説明は出来ないが僕が僕自身である事にもうこれ以上嘘はつけない。せめて僕だけは美しい存在でいたい。無論それは杓子定規の美しさである事は第一原理だが、とにかく自分の納得するまで自分の中の嘘を排除していきたい。全ての嘘を抹消する事は出来ない。それは膨大な事例を考慮しても決定的な原理である。とにかく前述したような恋愛における不完全さを受け入れた好意を自分に抱くようにさせるにはその心における方程式を新たに創造し、有限体を使い自分を納得させる事を選ぶことに議論の余地はない。確かに大がかりで壮大な言説だし、これは人類文明の水準から見ても難攻不落の難題である。しかしこの事に注力しない以上僕はこの先延々と自分の人生に消化不良を抱いたままになる。仮に自らの心的な満足を得られずに潰えたとしても僕がそれを達成しようと努力したその事実だけはやはり誇れるようなものである。そうした上で、僕はやっと悲劇のヒーローから喜劇のヒーローへの変貌を遂げるのである。仮にそれが死の直前であっても、僕はその境地にたどり着いたならこう言いたい。今際の句として。「僕は自分の真のつとめを果たせた」と。仮にそれが誤謬であっても、そう思って死ねたなら、その時の僕は歴史上どのような人物よりも高貴であり、歴史上どのような大富豪より裕福である。




 畢竟、僕のスライトリターンとは、経験量や心理的状態を「少し戻す」ものではなかった。僕のスライトリターンはやはり僕自身の人生の在り方をプライドも投げうって全身全霊で見つめなおすという行為そのもの事であったのだ。しかしそう言っている内に僕もまた僕の好きな音楽を聴きたくなったな。体力があり余り過ぎてまだ僕は睡魔が訪れていないので眠くなるまで僕は好きな音楽でも聴いていようか。純粋経験はその変性意識状態、トランス状態の中にこそある。仏教徒が声明念仏によって超自然の恩恵を授かろうとするように僕は自分の考えを今回念仏の如く、懸命に話し続けたつもりだ。この文章が少しでも読者諸兄姉の琴線に触れたり、また何かの犯罪以外の行動を起こすための活力に結び付けば僕は作者冥利に尽きる。幸甚である。合掌。



シルベスターは空から魔法陣のようなものが発生したのを見た。するとそこを通り抜けて突如としてコスプレイヤーのような飛行する女性が出てきた。(なんだなんだ)彼はその超常を見て愕然とした。そして隣に210㎝はあるような巨人の超美人に見える人間がシルベスターに話しかけた。「びっくりしたかね?」発声された声は低かった。シルベスターはこのような男は見たことがなかった。「あんたの仕業か」「私が創ったこの世界において物語の発生源は全て私の脳内だ」そして海からはゴジラが咆哮しながら現れた。シルベスターは何が何だか訳が分からなかった。「これは幻覚か?あんたは僕のイマジナリーフレンドか?」「私は赤川凌我だ。私を殺しても復活するぞ。何故なら私は既に不滅だからな。どんな残忍な手段を使って殺したとしても」赤川?赤川次郎から取ったのか?それとも本名なのか?彼はそう思った。彼は周章狼狽だった。

空から現れた美少女はシルベスターに話しかけた。「あなたが私のマスターですか?」何のことだか彼には分からなかったが彼はそうだ、と答えた。「私はあなたのお手伝いに来ました。ゲット帝国の魔の手からあなたを救うためにやってきました。あの海にいる巨大な怪獣はゲット帝国からの使者です。私はこの世界の平行世界に位置している世界から来ました」そして彼女は手を握って、話した。すると海の怪獣は爆発四散した。丁度初代ウルトラマンで宇宙恐竜ゼットンが科学特捜隊のペンシル爆弾で爆発したような光景であった。彼は内心面白さを感じたが今はそれどころではない。赤川はシルベスターに話しかけた。「この世界は私が秩序を作っているそこの魔法少女もさっきの怪獣も全て私の頭の中でひねり出した」シルベスターはナンセンスな世界だと思った。もっと緻密で情緒あふれる作品は書けないのかと思った。巷にあふれているライトノベルだってもっと面白いのが書かれてあるだろう。赤川は一瞬むっとしたような表情になった。「私はこの世界の、ひいては宇宙の覇者だ。人間が何を考えているのか理解する超能力くらい持ち合わせている。君は身の程を弁えたまえ」「空中浮遊も出来るのか」「出来る」「テレポートは?」「出来る」「光線は打てるのか?」「打てる、どんな荒唐無稽な事でも私には出来る。そして君たちも私の意志によって動かされている」

シルベスターはもう何も言えなかった。圧倒的な力を前にしてはただ沈黙せずにはいられなかった。「さて、移動しようか、お嬢さん、それからシルベスター、私の手を取った」「分かったわ」それまで静観していた小娘が口を開いた。透き通るような美しい声だと改めてシルベスターは思った。そして彼らは赤川の家らしき場所についた。「ここは?」「軽井沢だ。私の別荘だ。既に私はこの世界での記憶や記録を弄って、私が最初から存在していた世界に改竄されている。私の年齢は33歳、キリストの享年と同じだな。まあこれは表面上の話であって、実際の年齢は、そうだね、1000歳は超えてるよ」彼らはよく話した。そして彼らは打ち解けた。案外この赤川という男は面白いやつで、様々な雑学をしっているし、何より知能が高かった。彼はIQテストを受けた事があってそのIQはなんて1000だったらしい、シルベスターはそのような検査には興味はなかったが、天文学的な数値だということは分かった。ガウス分布に従って、知能指数は分布しているのだから、恐ろしい数値だ。案の定、計測のミスだと勝手に思われて、そのままIQテストと赤川は縁がなくなったらしい。

 そしてこの世界に赤川のブログが突如として現れた。閲覧者数の少ない底辺ブログだったが、彼独特の気迫というものがあった。そして文体もシルベスターのそれと若干似ているように思えた。それは次のようなものであった。


≪退廃理性批判≫


これまで日本では多くの歪曲した文化的根性論が一定数跋扈してきた。それらは近年下火になってきたように思われるが、僕が僕の過去を想起した際にはやはり彼らの意見が往々にして僕に決定的な不快感を抱かせる。精神病が気の持ちようだとか、被害者に非があるのなら体罰もやむなしと判断する判断力、犯罪は社会にも責任の一端があるのにいざ犯罪が起こるヒステリックに犯罪者そのものの悪質性や残虐性を論じ批判するという腐敗した性根。これらはことごとく退廃した理性であり、現代人である我々が十分に改善しなければならない問題である。僕が高専という理工科学校に通学していた時、僕の頭部を渾身の力で殴打した教員がいた。彼は僕を辱めるだけに飽き足らず自分が軽んじられていると感じると僕に懲罰を与えたのだ。この記憶は忘却したくても中々出来るものではない。その時には教員を称賛し、僕を諧謔的な存在として、いわばエンタメとして笑いものにする学生もクラスにはいた。まあこのブログでもその一部始終については再三再四説明したし、小説として文章に書き起こしたりした。このブログを通読している読者諸氏ならくどいようなのでこれ以上は記述しない。まあ何が言いたいかというとこの社会の中でこう言った健全さを喪失した退廃理性が蔓延しているということだ。そしてそういった理性を振りかざす暴漢を許容する社会の受け皿というのも整備されている。無論完全な社会などない。もし社会に対して完全な秩序整然さや公序良俗を徹底することに腐心すればそれはほぼ例外なく失敗に終わるだろう。そもそも人間にはエゴイズムがある。もしそのような美辞麗句にも類似した理想郷を創造したいと考える指導者がいたとしても、彼らが大成すれば必ずしも正当な社会が完成されるとは限らない。その良例がドイツ国民党、ナチスドイツのナチズムである。


 僕が小学生だった時、余りにも粗悪で醜怪な体育会系精神に僕は苦悶したものだ。スポーツの指導者や体育教師は軒並み全体性を尊重し、のみならず軍事的な土臭さをも尊重していた。無論それらがデメリットのみで構成されているというのは極論である。それらの体系が社会の成立に奏功している節があるのもまた事実だ。しかしながら僕はそれらの体系について嫌忌せざるを得なかった。僕はいじめにあったこともある。肌が変色しやすかったので黒人と揶揄されていたのだ。どうして人間の多様性を嘲笑するのか、それらは概して全体性の過剰な支配の産物であり、それもまた退廃理性なのだ。退廃理性は全て社会か或いはそうでなくても天才にとっては害悪である。ずっと僕は苦しんできた。また高校時代以降は僕に嫉妬する連中もいた。僕は断じて不細工ではないのに、僕の顔面が醜いだの、国語便覧に掲載されている不細工な文豪と似ているだのと、その劣悪さについては思わず閉口し、辟易してしまったものだ。僕は彼らと付き合うのも甚だ煩わしく感じ、統合失調症発症を契機として愚者との意思疎通を最大限遮断した。高校時代に話の通じる人間は精神科医くらいしかいなかった。僕を認めてくれたのも精神科医とその他少数の人間に限っていた。天才を理解するには時間がかかるとはよく言ったものだ。天才のしていることは凡人には理解できないのだ。僕にはこれまでの業績から天才と認めても差し支えない程の証左は揃っている。


 僕は最近放送大学の講義番組を享楽している。これらは僕にみなぎる知的欲求を感じさせ、殊に数学の講義については無限の美と調和を感じずにはいられない。僕は20歳の頃から数学の独自の勉強を開始し、今では現代最先端の数学を完璧に理解できる程になっている。数学科の人間でないのに僕は元来理系であるから数学に魅了されずにはいられなかった。一応僕は先日卒論の口頭試問や期末試験、期末レポートを無事に終わらせ、大学に足を運ぶ必要はなくなった。まあ後は卒業式の時くらいだろう。大学に行くのは。何も名残惜しさは感じない。僕は大学生活を、この激動で失意に横溢した大学生活を全う出来た。このことは僕の自信につながるものである。独学する力も身についた。卒論でも専門の自然科学知識を入れ込んだりもした。普通統合失調症患者、特に破瓜型の統合失調症患者は勉強など録に出来ないし、出来たとしても卒業まで休学や留年を挟むのが通例である。そんな中で僕は本当によくやったと思う。学術論文も独自に20本書いて、その中で50以上の定理や法則、原理などの学問的発見をしてそれらを証明した。そしてそれらはかなり分厚い本になるが資金が貯蓄出来次第、「赤川諸理論」として自費出版し、欲しい人に売り、その重要性を理解可能な人々に理解され、整理されることを僕は望む。僕はどんな偉人も超越したのだ、事実的に。20歳の頃は僕はニュートンを超えると豪語していてそれを聞いたケースワーカーは小馬鹿にした調子で笑っていたが、その夢想が遂に現実化したのだ。このような展開は僕以外の誰が想定しただろう。僕も最後まで自分の可能性を信奉し、努力し続けてきて良かったと思う。


 さて少し話が脱線したが、今回の記事のテーマは退廃理性の批判である。僕はこれまで様々な退廃理性を眼前に見据えてきた。それらの過程では苦心惨憺して何とか批判したいと思いながらも青二才の僕にはそれを実現する能力がなかった。勇気もなかった。


 反射的に、理解できないものを差別するという風潮が依然としてこの社会では存続しているように思える。これらは根絶しようのない人間の特質に即した性向である。もし根絶させようとするならそれは前述したように独裁者的な様相を露呈することも十分に想像出来る。人間が人間を糾弾し、人間に憤懣やフラストレーションが蓄積し、性的倒錯や精神疾患発症などにつながり、果ては犯罪へと至る。これらはこの社会における人間の動向を観察すれば万人に理解されうる典型的なロジックである。また薄弱な根拠で他人にレッテル貼りするのも差別を助長する典型的な行為であることを我々は今一度意識した方が良い。


 また宗教は諸刃の剣である。宗教と言っても宗教学の理論では原始宗教、古代宗教、近世宗教、現代宗教などが類型化されているがそれらの弊害と言えば、各地における紛争や過去の植民地支配が物語っている。また中国やロシアなどの共産主義的勢力は極度に蒸留された宗教的発想の彼岸である。一つの大義名分を掲げ、国際社会において覇権を獲得しようという野望が中国政府やロシア政府にはあるのだと僕は思う。ロシアだとウクライナへの侵攻問題などが最近では大々的に、かつ矢継ぎ早に報道されている。これらは宗教的世界観におけるカオス、混沌とも言えよう。とにかく人間の歴史には宗教は切り離せない。純然に宗教であると断定できなくても人間の文化には宗教のイデアが存在していることは否めない。無論それらの大抵は無意識的に存在しているものに相違ないが。余りにも独善的な宗教や、不調和、不均質を強いる行き過ぎたストア主義も、僕に言わせれば退廃理性である。これらはやはり良くないのだ。なんでも中庸が一番だ。ミドルセンス。芥川龍之介も彼の著作の中で中庸について述べていたように思う。哲学者のラッセルはその中庸についての嫌悪感を若年の頃から抱いていたという。


 暴力は駄目だ。暴力は如何なる理由がされど駄目だ。暴力の最たる例である傷害事件ももっと駄目だ。それらは定言命法として我々の認識内に幼い頃から半ば洗脳的に刷り込まれてきた。それの正不正は問題ではない。我々は退廃理性の区域外にあるものであればどのような思想を持ってもいい。無論退廃理性の全てについて僕も明晰判明に理解できている訳ではない。そもそも退廃理性を批判する我が内なる実践理性、生得的、アプリオリな道徳観念自体も恒常不変なものではない。しかし僕は過去の文明とは対極をなす退廃理性を批判せざるを得ない。また神経が高ぶっているときは退廃理性を非難することさえもあるだろう。体育会系、屈折したいじめや迫害、無理解から生じる劣悪かつ極端な主義主張。これらは概して下等な様式である。


 僕は大学生活が完全に終わってからというもの、本当に毎日だらだらと過ごしている。酒も飲んでいる。まあ週二回程だが。最近はジャックダニエルやバーボンなどのウイスキーではなく白ワインを愛好し楽しんでいる。白ワインの魅力に気づくとは正直僕自身も想像だにしなかった。まあ人生はこういった不確定要素があるから面白いものだ。また僕は東京の障害者支援サービスを展開する企業の下見も行った。極度に僕のイメージが見学した内容と乖離しているということはなかった。しかし僕はいたたまれない。どこか迷走している気さえするのだ。だから僕は京都の障害支援機関に昨日コールを入れた。また近々、直接会って話し合う機会を設ける手筈を整えるとのことだ。まあ今年からの東京での生活は障害年金だけではどうしようもない。家賃も高いし、生活保護を受給しなければ最低限度の生活を享受することは理論的に困難になるだろう。僕はもう標準語以外話したくないし、地方なんかで死ぬのは御免被る。僕は今年から完全に躍進し、邁進するのだ。


 僕が自身の大学生活で得たものは多い。健常者と比較しても実に激動の期間であった。精神病院への入院、アルコール中毒、研究生活、迫害、孤独、厭世主義、悲観主義。必ずしもその時代は喜劇的な様相を呈するものではなく、寧ろ悲哀に満ちた記憶の方が多いだろう。しかしそれでも僕は大学に進学したことを心から光栄に思うし、学費を納入してくれた両親には感謝している。もし精神疾患で僕のような気質を持っている人間がいたら大学に進学すれば、死と隣り合わせになるにしろ宝珠のような黄金経験を得られる可能性が高いので是非大学に進学してほしい。そしてそういった人間は対人恐怖も標準搭載されているだろうから自分が没頭できる、研究や勉強、創作活動などに無我夢中で、全身全霊で、孤立無援で取り組んでほしい。それらは結果として上手くかなくても良い経験になると思う。自身の評価様式を左右する経験にもなるだろう。


 巷の多くの女性は可愛く、綺麗になるために日夜ファッションを研究したり、メイク技術を向上させたりている。それらは美という名の力を欲する欲動に支配されているものである。その内奥ではリビドーの力動が働いている、と僕は捉えている。それは力への意志とも言えよう。そして僕は女性ではないが、その正規部分群を持っている。経験論的には一部は印象として、一部は観念として。僕は真理や芸術的美を目指し、日々研究したり、創作活動を行っている。やはり僕も性格的には両性具有であるということだ。最近の日本ではジェンダーレスなんちゃらとか言う中世的な男性女性が一定の寵愛を受けている。僕のジェンダーレスはそう言った精神性にのみだが該当するのだと思う。頭髪はニュートンみたいに長髪にしているが、別に僕は外見的にはただの長髪の男である。そもそも身長も202センチあるのででかすぎるだろう。まあ僕はでかすぎるのを気に入っているし、この背丈なら175センチ以上の長身美人とも釣り合うので自分に自信を持っている。もちろん僕のこの外見に対する自信は一歩道を踏み外せば、ナルシシズム的フィーリングに直結するものである。まあなんでも紙一重が合致する事象なんて山ほどあるだろう。逆説が合致する事象が山ほどあるように平易な概念で物事をある程度統一することは可能であるのだ。


 人生に王道なし。基本的に人間はサルトルが「存在と無」で述べたように自由の刑に処せられている、というのが現代の実存主義思想の中心的役割を担うものである。しかし王道がないからと言って、人間の自然法的規制がなければこの世はそれがある場合と比べて遥かに地獄的である。まああっても地獄的なのだが。仏教の古典によれば、この世は一切皆苦であり、解脱することによってこの世の真理を会得すべきであるらしい。そして我々は全員が仏になりうる性質を持っている、一切衆生悉有仏性だったか。まあ東洋思想ってのは僕にはこれほどまでに西洋的体系が支配的な今日の事情においてはやたら古色蒼然なものに見えて仕方がない。


 この記事の締めくくりとして、退廃理性は全体性的観点から抑制すべきである。この記事の冒頭で過剰な全体主義は罪であるかのような論説を僕は展開したのである意味この主張は矛盾しているように思えるだろうが、やはり根幹の部分でふるいにかけ、天秤にかけることでそれらのどれが退廃理性か、あるいは一般理性かを判別する必要がある。まあどこか逆説的な言辞になるが、僕が考えているのはそういうことだ。したがって、この一連の批判も、少なくとも僕の胸中では一定の価値があるものである。忘れてはいけないのは人間の発明した概念や、無意識、常識などの固定観念は大同小異であり、扱う際には危険性が生じる。その点でヴィトゲンシュタインの言った、「語りえぬものには沈黙しなければならない」の原理が人間の生活一般に機能し明晰に語りえぬものには沈黙し、そして慎むべきである。何も主張せず、何も行動しないことに抵抗を感じる人間もいるだろうが、寸毫でも安定的思考を欲する日本人に限って言えば、以上の命題を日常的に意識していれば良いだろう。もしそれでもいいと言うのなら好きにすれば良い。僕にはそんな人間を止める権利などないし、能力もない。しかしそうした上で生じた退廃理性を孕む事物は、やはり僕にとって批判し、のみならず批判せざるを得ないのである。


 シルベスターはその後、魔法で出現した坂本龍馬や、織田信長と話をしていた。赤川は細胞レベルからものを創造したり、または復活させたりを出来るようだった。「日本の歴史の偉人になってどう思う?」「ちょっと当惑してるよ。だって生前は他人の評価など気にせず一心不乱に頑張ってたから」「わしも同じく」「今やあなたがたの名前は歴史の教科書で大絶賛されてるよ。それにあなたがたの研究者もいる。多くの人たちがこの日本の豪傑としてあなたがたの存在を据え置いているよ。多分あなたがたが街に繰り出せば大騒ぎになるよ。サインを求める人も多いと思うよ」「あまり大騒ぎにはなってほしくないかな」赤川はそう口を開いた。後々の処理が面倒なんだよ、世界を元通りの秩序整然としたものに戻すのは。水をさすようで悪いけど、と彼は言った。彼らはそのまま話し続けた。シルベスターは多妻に今日は友達の家で泊っていく、夕飯はいらない、と連絡を入れた。魔法少女は先ほどから夕飯を作っている。彼女は非常に料理上手であって、話しながらでもキッチンからのいい香りがしてくる程だ。赤川は好きな音楽について話し出した。彼はブラックサバス、ピンクフロイド、ビートルズが好きで、彼らのアルバムは全て持っており、タイムスリップして彼らのライブにも全て行ったらしい。その音楽ですら彼らの創造ではないか?とシルベスターは彼に言った。「それはそうだが、自分で無意識に創っておいて自画自賛のようだが、私はあの音楽を真の傑作だと思っている。アイオミのギターリフは素晴らしい。ファーストからフィフスのブラックサバスのアルバムは全部買いだね。それからオジーオズボーンの怪しいボーカルも素敵だし、ギーザ―バトラーのベースも刺激的だ。ブラックサバスの作詞は大体ギーザ―バトラーがやってるみたいだけど、あの退廃的、過激な世界観は、私は好きだなあ。ビートルズも良いよ。特にジョンとポールの天才が二人同じバンドにいたというのが大きいよね。あの音楽は当時としては珍しかったみたいだけど、今でも全然色褪せないし、ゴミの山である邦楽より断然良いよ。正直私はウルトラマンや少年期の思い出のアニメやゲームの曲以外の邦楽は見下してる。全然聴いててわくわくしない。何か間抜けに聞こえるんだよね。ピンクフロイドについてはやっぱ音の高度さが良いよね。彼らは楽器の使い方というものをよく知っている。シドバレット脱退後のピンクフロイドはもはや伝説だよ。私の高校時代の主治医もピンクフロイド好きでね、私はよく彼からピンクフロイドのアルバムを借りたよ。我々は良い友と友だった。年は二回り以上違ったが。体調不良で顔面蒼白の時にもピンクフロイドを聴けば少し体調が良くなったりもした。そうだ、私ピンクフロイドの記事も書いたんだ、見てくれ」赤川は一通り話し終えるとおもむろに彼らに自前のパソコンで文書を見せた。まだ完成していないワードファイルのようだった。それは次のようなものであった。

はじめに

皆さん!音楽は聴きますか?僕は23歳の音楽オタクでよく自分の好きな音楽を聴いて癒されて、励みになっています。僕がここでこうして文章を作っているのもその音楽好きの熱に影響されての事なのです。僕はよく洋楽を聴くのですが、今回はその中で僕の大好きなバンド、ブラックサバス、ピンクフロイド、ビートルズの中のピンクフロイドについて紹介したいと思います。ピンクフロイドとはプログレッシブロックと呼ばれている音楽ジャンルの泰斗であり、彼らのアルバムの『The Dark Side Of The Moon(邦題:狂気)』はなんと、ビルボードのヒットチャートに741週ランクインし続けたというギネス記録にも認定される化け物染みた記録を打ち立てました。そんなピンクフロイドの魅力とは?じっくりと語りつくしたいと思います。

第一章

ピンクフロイドのオススメナンバー

ピンクフロイドというバンドは類稀なる歴史的なバンドの一つです。そしてピンクフロイドのアートスタイルは多分に変化に富んでおり彼らの活動は幾つかの時代に大別出来ると思います。最初に初期のリーダーが在籍していた時代、そしてそのリーダーが抜けてデヴィッドギルモアやロジャーウォーターズなどといったメンバーがその才能を開花させた時代、そしてロジャーウォーターズ脱退後、etc..と本当に様々です。この章で紹介するのは僕がおすすめする彼らのナンバーですがそれを語る前に予備知識、前提知識といったものがあった方がよりピンクフロイドの活動に重みや深みが感じられると思います。

最初のリーダーであるシドバレット、彼は天才的に華やかなアーティストでした。彼は美大出身で後のピンクフロイドのメンバーとなるロジャーウォーターズを率い、ピンクフロイドというバンドを名付け、活動していく事になるのです。彼は作詞作曲、ギター、ボーカルを担当し、初期のピンクフロイドのフロントマンとしても遺憾なくその過剰な才能を牽引し様々な影響力を多くの人々に与えていく事になるのです。なお、ピンクフロイドという名前の由来はブラックミュージシャンの名前のピンクとフロイドを合わせて作った、と一般には言われています。彼は非常にルックスが良く、実際当時のピンクフロイドの中では最も華やかな男でした。彼が主導したアルバムもあります、それくらい彼の輝きは当時、恒星の輝きの如く燦然と輝いていたのでしょう。しかしながら五年ほどの音楽活動の後に彼はLSDなどのドラッグとロックスターとしての重圧に耐えかねて統合失調症を発症します。精神に異常をきたしてからはインタビューでも支離滅裂な発言が目立つようになり、演奏能力も著しく凋落したと言われています。そしてメンバーも不本意ながら彼を見限る事となり、彼自身の音楽的キャリアはいったん終わることとなります。それでもメンバーはやはり彼の事を忘れられず、『狂気(The Dark Side Of The Moon)』の成功の後も『炎(Wish You Were Here)』で彼の幻影をテーマに残されたメンバーは作詞作曲することになります。シドバレット在籍時の僕のおすすめ曲は「See Emily Play」です。この曲のユーチューブにあるPVはどこかおかしげな雰囲気のあるもので一見の価値ありです。

そしてシドバレット脱退後、ピンクフロイドは『原子心母(Atom Heart Mother)』というアルバムをリリースします。このアルバムのジャケットは大草原の牛が採用されておりこのアルバムのジャケットが記憶に残っているという音楽ファンも少なくはないでしょう。この曲は最初の一曲目が極めて長大で20分程あります。曲名はアルバム名と同じ「原子心母(Atom Heart Mother)」なのですがこの曲はイギリスの前衛音楽家との共同合作と言われています。この曲も僕のおすすめです。というかこのアルバムの最後のインスト中心の曲である「Alan’s Psychedelic Breakfast」以外は非常に芸術性の高い曲ばかりです。具体的には「If」、「Summer 68」、「Fat Old Sun」などがそれに該当します。このアルバムの最後の曲以外のピンクフロイドの曲は聴いていてそれほど重くもなく激しくもなく、しかし同時に無味乾燥すぎる事もない、リラックス出来るアルバムだと思います。

次のおすすめ曲は『おせっかい(Meddle)』。このアルバムはプログレとしての本格的な出発点と言って差し支えないと思います。このアルバムにも「Atom Heart Mother」と同様に長い尺の曲が存在します。その曲は「Echoes」というのですが、この曲は往年のピンクフロイドファンの中でも極めて評価が高く、ピンクフロイドの代表曲の一角とみなすファンも相当います。それほど偉大な曲なのです。そしてこの曲も僕のおすすめです。このアルバムの曲は一曲たりとも捨て曲がなく僕はこのアルバムの全ての曲をおすすめとして挙げたいです。「Echoes」の始まりは電子音が鳴り響いて、まるでそこから舞台装置が動きだし、波紋が広がっていくように曲が展開していきます。ピンクフロイドの歌詞はプログレの名にふさわしく難解なものや婉曲的なものも多くてこの「Echoes」の歌詞もその雰囲気があります。シドバレット脱退後からロジャーウォーターズが脱退するまでのピンクフロイドの歌詞は大部分がバンドのベーシストであるロジャーウォーターズが作っているのですが彼の歌詞には独特の存在感やカリスマ性といったものも僕は感じます。言葉一つ一つの重みが曲全体を更に高い次元へと昇華させているように僕には思えるのです。この『おせっかい』での他の曲、プロレスラーの入場局にもなった「One Of These Days」、落ち着いた曲の「A Pillow Of Winds」、爽やかな曲である「Fearless」、軽やかな散歩気分になる「San Tropez」、メンバーが飼っていた犬のシーマスの鳴き声をリードボーカルにした少し変わった曲である「Seamus」、どれをとっても一級品です。僕は高校時代から洋楽に傾倒していて、作詞作曲も、演奏もするのですがそんな僕でも『おせっかい』は素晴らしい作品と言える出来栄えです。アルバム全体としての完成度は高く、後のヒットを飛ばすアルバムたちの足掛かりともいえる作品となっています。

次にはいよいよ『狂気(The Dark Side Of The Moon)』です。このアルバムは前述したように偉大な業績を残した非常に偉大なアルバムです。このアルバムはまさにピンクフロイドのコンセプトアルバム作りの結実と言えるような出来栄えです。作品全体の質としても当時匹敵するアルバムはない程極限まで洗練されたアルバムです。またこのアルバムからの「Money」はPVとしても公開され、それも人気を博したようです。僕はよくこのアルバムを聴くのですがいつ聴いても独特の安心感に包まれてしまいます。このアルバムは一曲一曲を取り上げて論じるのではなくアルバム全体を一つの作品として捉えた方が分かりやすいと思います。まあ強いて言えばAny Color You Likeから始まりBrain DamageからEclipse に至るまでの一連の流れは神がかっており聴いてて没入してしまいたくなるような完成度です。またそれ以外の、「Time」や「Money」、「Us And Them」も非の打ちどころのない曲です。それでもアルバム全体として聴いた方がその哲学的、文学的な歌詞と神秘的な曲調との親和性から極上の気分を味わえるようになること請け負いです。このアルバムは本当にすごいです。すごすぎて筆舌に尽くしがたいのでそのすごさを知りたいのならアルバムをまっさらな気持ちで聴いてみるのが良いと思います。またアルバムジャケットのプリズムによる分光を示しているイラストもシンプルでありながら、しかし同時に最も確実に独自性を維持出来るものでありこのジャケットがプリントアウトされたTシャツやマグカップ、その他諸々の商品も販売されております。このことはそのキャッチ―さが公に認められた事を物語る様相だと思います。おすすめはアルバムそのものです。70年代のみならず音楽界そのものに幅広い影響を与えた、数学で言えばガロア理論のような偉大なアルバムです。これはプログレにフォーカスして楽しむつもりのない人でも一度は通過しておくとその見識や感性の涵養につながって良いのではないかと、僕は思います。

次のおすすめもアルバム自体です。というかこれ以降は基本的にアルバム単体を指しておすすめとすることが多いです。ご了承ください。そして紹介したいアルバムは『炎~あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)』。このアルバムは前述の如く、脱退したシドバレットについて作成されたアルバムです。狂気からこのアルバムと続いてその出来栄えの良さと言えば滅多にないものがあると思います。ギルモアのギターの音色も非常に劇的で魂を揺さぶられるような気持ちにさせられるアルバムです。このアルバムに収録されている曲はShine On you Crazy Diamond Part1、Welcome To The Machine、Have A Cigar、Wish You Were Here、Shine On You Crazy Diamond Part2 です。この狂ったダイアモンドとも訳される長めの曲はアルバムの冒頭と最後に収録されており、その構成が聴衆の美的感覚を刺激する事もあるのではないでしょうか。またその他の曲もアルバム全体の構成要素として十二分の機能を果たしておりその躍動感も素晴らしいですし、音楽的にもプログレの氷山の一角とみなしても差し支えないだろうと個人的には思います。またこのアルバムのジャケットは燃えている背広の男ともう一人の燃えていない背広の男が握手をしているというなにやらシュルレアリスム的な感じのジャケットです。またトリビアとしてこのアルバム収録時に見るからに変貌したシドがレコーディングスタジオに現れ、ロジャー以外のメンバー全員、彼が一体誰だか分かりかねたというエピソードもあります。シドバレットはバンド脱退後絵や小説作りを精力的に行いながらも自らの家族と一緒に過ごしていたようですが、シドに思いを馳せたアルバムレコーディング中に妙なタイミングで出現したシドの神出鬼没の天才性のようなものも感じ取れますね。このアルバムも後に紹介する『ザウォール(The Wall)』などもあわせて多大なセールスを記録したと言われています。

次に紹介するのは『アニマルズ(Animals)』、イギリスの工場地帯に豚のバルーンが浮いているジャケットです。このアルバムのコンセプトは人間社会における動物的メタファーの表現です。知識階級は犬、富裕層は豚、一般市民は羊というようにそれぞれの曲の題名に即した歌詞が書かれています。この着想の元ネタは作家の書物によるようです。これも同様のタイトルで、パートで分かれているナンバーが頭とお尻についています。この流れは先ほど紹介した『炎~あなたがここにいてほしい』の構成と似ていますが、その長さは短く、なおかつエレキギターを使用しないアコギ単体の曲です。これもアルバム全体で聴いた方が良い部類の作品です。僕は統合失調症を15歳の頃に発症しており、最初に受診した病院から打って変わって地元の病院、二個目の病院を受診したのですがそこの主治医がピンクフロイドの大ファンで彼はこのアルバムの事をギターの音色が素晴らしいと評価していました。彼は他にはLP版の『原子心母』も持っており、高級外車の車内ではピンクフロイドの曲を流しているという徹底ぶりを見せていました。僕は彼と懇意でしたが、大学入学を期に京都に移住してからは当然転院を余儀なくされそこからは別の精神科に通っているのですが二個目の精神科との記憶は良い記憶として依然僕の脳に焼き付いています。少し話はそれましたがこのアルバムも本当に素晴らしく、かっこいいアルバムなので是非聴いてみてください。暇つぶしにも最適です。

次に紹介するのはロジャーウォーターズが中心となって作ったアルバムの『ザウォール(The Wall)』です。僕はこのアルバムはアルバム全体が素晴らしくおすすめ出来るものではないと思います。という訳で僕はこのアルバムの幾つかのおすすめの曲をピックアップして紹介したいと思います。このアルバムでは後にPVとしてリリースされた「Another Brick In The Wall Part2」が一番有名ですし、なかなか批判的というかイギリス的というか、とにかくダークさの中にも芸術性があって、この曲は僕のおすすめの曲です。他にはギルモアのギターの魅力の真骨頂が味わえる「Comfortably Numb」や力強い曲である「Young Lust」、どこか怪しげで魑魅魍魎な「Run Loke Hell」、法廷を中心にした「The Trial」などが僕のおすすめです。この曲はロジャーがピンクフロイドのメンバーのヒット曲ばかりを要求し、傲慢にふるまう現状に業を煮やしファンにつばを吐きかけたり、観客の前に壁を作って演奏したがった事が発端とも言われているようです。このアルバムは学校教育や社会の中での抑圧感、疎外感も基調として作られたアルバムです。これ以降、メンバーはそれぞれソロで活動をし始め、ピンクフロイドとしての活動はしばらく休止する事になります。


 一同は何を書いているか分からなかったが、その場の全員は赤川のピンクフロイドへの熱意だけは感じ取っていた。並々ならぬ、狂人染みた熱意だ。これは彼が23歳の時に書いた文書らしかった。彼は15歳で統合失調症を発症し、青春はなくなり、ただ闘病だけがあった。彼の友達は一人もいなかった。彼はただ一人で孤独感に苛まれながら読書や音楽鑑賞をしていたと言う。彼はこの宇宙の支配者となったら多くの人たちと友達になった。しかし知的レベルがあまりあっておらず、それは表面上の人間関係であった。その事を赤川は嬉々として喋った。彼らは一緒に食事をとった。坂本龍馬や織田信長ももはや彼の家族のようだった。そして夜9時から赤川の生成した酒を飲んだ。ウイスキーを飲む者もいれば、ワインを飲む者も、ビールを飲む者もいた。坂本龍馬や織田信長の時代には日本には日本酒しかなかったらしく、彼らがウイスキーを割って飲んだ時はとち狂ったかのようにウイスキーを絶賛していた。魔法少女は少女と称しているが、本当は25歳だと言う。それなのに何故魔法少女を名乗り、魔法少女の恰好をしているかとシルベスター達は彼女に言った。赤川はそれは私の趣味だと言った。「見えてるものだけが、全てじゃない。これは人間界の基本だ」と彼は言っていた。シルベスター達はそれを聞いて。そいつは違いない、と笑った。穏やかな時間であった。シルベスターは自分の今までの苦労がささやかながら報われているかのような心地さえした。

 また赤川の出身は群馬県らしかった。シルベスター達は深夜の2時まで酒を飲んでいた。飲みながらの話の中で、彼は書く小説のネタについて周囲の人間に相談していた。こういうのを書けば、結構ヒットするのでは、と思う小説の着想をシルベスターは惜しげもなく言及した。赤川は「発想は素晴らしいが、形に出来るかどうか、分からない。君の歳のは未知数だが、どこまで出来るか。実際絵画を描く人なんかでも頭で思いついた事を再現するのは甚だしい労力と技術がいるらしい。シルベスター君にそこまでのものがあるか?」シルベスターはあると答えた。シルベスターは芸術の天才である。それくらいはお手のものでこれまで多くの修羅場、土壇場を乗り越えてきた。百戦錬磨の猛者なのだ、戦国時代の勇猛果敢な武士のような猛者なのだ。

 坂本龍馬は明治維新の時代、ちょうどヨーロッパのセントヘレナ島へと流されたナポレオンのような存在が日本にいた事を語った。激動の時代の日本政府において巧みな手腕を持った人間がおり、偉大な才能であるにも関わらず現代ではほとんど知られていないらしかった。彼はナポレオンの如く日本政府に用済みの烙印を押され、東南アジアの無名の島へと流されたらしい。そしてその事を坂本は赤川に調べてもらったらしい。赤川の調査能力はFBIのプロファイリングやCIAの諜報能力すらも軽く凌駕している。彼にとってはどんな調べ者もスーパーコンピューターのような高知能と超能力によって造作もなく行えるらしかった。

 赤川は自分の人生について語った。「私は群馬県の南部で生まれたんだ。当時は1998年でね、丁度阪神淡路大震災の時に近かったか。子供時代は腕白坊主でね、よく周囲の子供たちと外で遊んでいたな。別に私は病弱でもなかったから活発に外で遊べた。カブトムシを取りに行ったい、虫で遊んだりした時もあったな。また近所の遊泳禁止の池で泳いだ時もあったな。私の友達と遠くまで自転車でこいでいったこもあったっけ、向こうの親御さんと私の親御さんからは心配されたよ。私は4人兄弟の2人目でね、下に妹と弟がいた。兄弟の仲も良くて、よくなんとか教室とか言って遊んでいたな。当時は本当に能天気だった。

また私は小学校低学年まで暴力が好きで、多くの人を気に入らないと殴って流血させたりしたな。今では後悔してるよ。理不尽な暴力が如何に邪悪か、理解できたからね。無知とは最大の恥である。無知であったがために犯罪は起こる。全ての犯罪が無知に起因する訳ではないけど、それが温床となって発症した犯罪も相当多いんじゃないかな?まあとにかく、私はそうやって生きていた。幼稚園で2人の女児からキスをされていたこともあるらしい、記憶にないがね。昔は進研ゼミなんてものもやってたけど、小学校に入ると勉強しなくなって成績不振者になったなあ。私は友人が多かった。15歳まではね。私はよく友達の家でゲームをしたりした。でも私は今も昔もゲームがド下手だから、よく一緒に王令した友達をぶちぎれさせていたなあ。男子にとってゲームが下手なのは差別の対象だった。でも私は多くの友達を持つことが出来たんだ。昔は小柄だったからよく周囲の女子生徒から可愛いー、なんて言われてたな、あの時私は完全になめられていた。15歳までは運動が得意で足も速かった。また中学では一念発起して勉強に臨んで、学年でトップクラスの成績だった。何でも記憶力が良かったらしく社会の成績も良かった。英語はすーっと頭に入ってきたので英語の成績も良かった。そして数学も。私は突出して出来たのは英語、社会、数学の三科目であった。他の科目はあまり得意ではなかったし好きではなかった。中学校の図書館ではよく偉人の伝記や、自然科学の本を読んでいた。たまに小説も読んだが、昔の私は他人の作った世界に入り込む事が嫌いだったので好んで読んだりはしなかった。文学少年や文学少女は当然いたが、私には彼らの感受性が理解できなかった。モンスターのようなものに思えた。人は余りにも自分と異なる人物に対しては恐怖を抱くというが私の文学少年少女たちに対する感情はまさにそれであった。成績優秀であったからよく無理やり私は集団のリーダーにされたりしていた。私の父親は何やら保護者会のリーダーだったらしく、活躍していた。がしかし、そのようなもの私にとっては便所のネズミのクソのようにどうでも良い事だった。私は中学時代、陰でモテていたらしい。イケメンで、勉強もできるから、だってさ。笑っちゃうよね。しかし恋愛や女性そのものにも興味はなかった。男といる方が楽しかったし、好きだった。もしかすると私は中学時代ゲイだったのかも知れない。中学時代の私は小柄で可憐な美少女染みたルックスだったらしい。ジャニーズみたいだと言われた事もある。何でも先輩から犯されかけた事もあるらしい、私の友達から聞いたところ。その真偽は定かではないが私はよく昔から女性に可愛いと言われていた。無論今の210㎝の巨人、女顔美形とは言え巨大な私の体躯を見ると、恐怖や驚きが先行して大多数の人間はそんな事は思えないだろうがね。女顔が長身で相殺されているのさ。

私は15歳まで実に多くの友達を作った。しかし社会に出ると、人間関係は必ずしもそのような仲良しごっこではなかった。まあそれは後の話だ。私は中学三年生で急に燃え尽きた。虚脱感が襲って来たんだ。私は勉強も出来なくなり、夜更かしを頻繁にするようになった。有難かったのは私の真の成長期は20歳以後だったという事だ。もし15歳前後が私の成長期ならきっと私は私の両親や兄弟のようなみずぼらしい低身長になっていたに違いない。私は周囲の受験に燃える勢いとは対照的に、勉強に対して寸毫も集中できなくなっていた。焦燥感や不安は半端ではなかった。思えば私はあの時、頼れる大人に自分の事を相談していればよかった。しかし当時の私にはそのような素直な事が出来なかった。やせ我慢してしまう傾向にあったのだ。こんなのは大したことない、周囲に迷惑をかけるわけにはいかない、と私は必死に思っていた。結果として私は志望した高校に合格したのだが、それは不本意な合格であった。無論無駄なプライドがあったのでもし受験を失敗しても絶望していた事だろうと思うが、しかし私は入学直前ベッドで泣いていた。どうしてこんなことに、どうしてこんなことに、ただひたすらそう思っていた。私は親元を離れ、学校の学生寮に入った。

相部屋の連中は嫌な奴らばかりだった。私を罵倒する者、私の就寝を邪魔する者、傍若無人な者、私は業を煮やし、中途で学生寮を退去した。寮生活は閉鎖的で、息がつまるようなものだった。私にあのような集団生活は出来ない事を私は確信した。私は学校の工学の勉強について適性が全くなかった。私はクラスのワーストスリーの成績不振者に名を連ねるようになった。また私の容貌に嫉妬するチビの男からは露骨に軽蔑されるようになったし、無視されるようにもなった。私はずっとクラスのほぼ全員からいじめられている、迫害されていると思い込むようになっていった。その中でも私に優しくしてくれる人もいた。しかし私が教員に暴行を受けて、性格が沈降したあたりから周囲の人間は話しかけたいけど、話しかけずらかったらしく、誰も私と関わろうとはしなかった。急激な凋落である。周囲の目にも私が駄目な方向に向かっている事は明らかだっただろう。

翌年、私はその学校を辞めた。そして新たな学校に過年度入学をした。高校生なんてものは他人の年齢に敏感である、嫌な気遣いをされないよう、私は入学後年齢を偽った。私は一部の男子生徒から性別を疑われていた。本当は女じゃないかと疑われた事もあった。スタイルが良かったからなのか166㎝しか身長がなかったのにクラスでの背の順は後ろの方になっていた。私は自分の身長を打ち明ける事はなく、170ちょいなんて嘘をついてたりもした。一念発起したからか最初の内は高校で成績優秀者だった。しかい夏あたりから具合が急激に悪くなった。それ以前でも成績が優秀だろうが女子にモテようが嬉しいどころか、不安しか感じなかったのでおかしいとは思っていた。夜更かしも続いていた。しかしおかしいと思いながらも中々心療内科や精神科に行く決心がつかなかった。

私は夏以降幻聴や被害妄想が始まった。最初は実際に被害を受けている可能性もあるから周囲の人間に、自分は悪口を言われていると訴えたりもした。彼らは相手しないばかりか、そういう私を更に責めたてた。泣きっ面に蜂という俗諺の偉大さが分かった気がした。私はどこでも多くの人から気持ち悪い、不細工、きしょい、などと直接的な悪口、そして私を婉曲的に責める悪口の双方を発症した。私は流石におかしいと思い、自身について病識を持ち、学校付近の心療内科を母親と共に訪れた。私は統合失調症だった。私は統合失調症なんて病気を初めて知った。しかしその症状の該当具合から自分はまさにこれなのだと思った。それから私は勉強も部活も、出来なくなった。向精神薬のせいでぶくぶくに太り、醜くなった。私は多くの人から見捨てられたように感じた。所詮自分なんてクソ雑魚産業廃棄物なのだと思った。私は二度目の高校であるから、本当は治療に専念する為に退学したかったのだが出来なかった。やはり私は優しい心の持ち主だ。親に迷惑をかける訳にはいかなかったのだ。私は3年間、高校生活を送った。私は知能検査でIQ1000であったから、進級や卒業については難なくできた。認知機能障害もありながら無理やり本をよんだりもした。まあそのせいで長期間読書が嫌いになたんだけどさ。

私は二個くらい学習塾を転々とした。それは私の進級や卒業についてある程度一役買っていた。しかし私はもはやコミュニケーションは完全に不能となった。友達も2人しかいなくなった。私は15歳から洋楽を聴き始めた。それまではアニソンやクラシックが主だったのだが。そして洋楽の知識もかなり富んだものになっていった。私はドアーズのボーカルであり、詩人でもあったジムモリソンに憧れて彼の詩集を買って、精読したりもした。また自分で詩を作る事も多かった。私は自分の事を人非人だと思っていた。根拠はなかった。しかし私に月並みな幸せは訪れないのだと当時思い込んでいたし、そう思い込んでいる場合はどのような刺激に関しても絶望的な色彩を帯びていた。

私はいつも携帯を触っていた。マスターベーションもよくしていたがそんな自分に罪悪感を抱くようになっていた。また当時の私は女体は好きであったが女という生き物そのものには中々ピンと来なかった。

私は高三からフロイトの精神分析学を愛読するようになった。私は茫漠とした精神医学の理論よりフロイトの理論を好んだのだ。あのように神話的な世界観を構築する事は時代の流れからみても類まれなるものだ。20世紀は早発性痴呆の名付け親であるとされるクレペリン、精神分裂病の名づけ親であるとされるブロイラー、そして三大心理学者のフロイトを除く二者、カールグスタフユング、アルフレッドアドラー、ヴント、カールロジャース、フランクルなど様々な精神医学の泰斗が出現した。当時は脳科学の分野でもカハールやゴルジ、セカールなどが出てきた時代だった。私は21世紀の自分の苦心惨憺な生活から一度離れ、学問の歴史というものに傾倒するようになった。学問を学ぶのに、その歴史から手を付ける人は専門家にとって一番序列の低い学習者であるようだが、私はそんな事は気にしなかった。私は自己治癒の為に、そして自己研鑽の為に、痛々しい現実から離れていた。もはや私は統合失調症を発症してからはあまりイケメンと言われなくなった。また私のカミングアウトにより、周囲の人間が、私が自分達より一歳年上だと知っていた。また私は対人恐怖もあった。孤独に苦しみながらも、他人を牽制するなんてアンビバレンスな行動だ。常識的に考えてみれば撞着しているようにも思えるだろう。

私は二度目の高校を無事卒業し、適当なFランク大学に進学した。大学でもまだ私はデブのままであった。しかも実家から離れた事により私は好きなものを好きなだけ食べていた。一度実家に帰った時、私は弟からデブだと言われたりもした。当時の私は身長170㎝であったので低身長ではなかった。また大学に入学してから私は中学時代の友達と再会して一緒に飲みに行った。私の友達は私を見て「ぷよった?ふっくらしたな」と言われた。これは私にとって激甚の痛痒であった。私の大学時代は1年の内は悲喜こもごもだったが2年に上がった時に精神的な不調を経験し、まともな生活が出来なくなり、精神病院に入院した。精神病院の入院代は思いの他、高額であった。私は病院内で論文を書いていた。入院前に私はずっと食事が取れなくなって普通の体重位に落ち込んだ。私は入院前に178㎝の身長で周囲の人間と比較しても180弱との事だったのに、何故か測り方が悪く大学二年の時間差付きの計測では169㎝だった。私はショックで泣いて錯乱した。しかしやはり175㎝の入院患者から見ても私は彼と同じくらいだとの事だった。ちなみに私は底上げの靴などではなく普通の靴を履いていた。病院から大学に通った時は写真を撮られたり、保健室を訪れた時には私はモデル?と聞かれたりしていた。また私は長身美少年と病院内で有名になっていたらしい、これは会話の中で、直接人から聞いた情報であり、したがって幻聴ではない。

私は病院にいる間、視覚過敏を感じるようになった。白い光が非常に眩しく感じるようになったのだ。私はそれが本当につらかった。私のサングラスは小さいサイズのものしかなく、私は内心そのデザインが嫌いであった。後に私は別の度入りサングラスを買う事になり、今私がつけてるサングラスもそれだ。

私は病院で友達が出来た。私たちは忌憚なくしゃべった。病院内の娯楽は他人との会話がそのウェイトを大きく占める。私は狂ったように人と話すようになっていた。また入院して暫くたってから病院内にいるというのに私は幻聴を多く聞くようになった。内容は私を貶めたり、悪口を言ったりするものだ。悪口はそれ以前からあったのだが、貶める幻聴が大挙してきたのはそれが初めて出会った。無論微細には貶める幻聴もあったにせよ、あれ程までの量で私の脳髄をいたぶったのは20歳の精神病院入院時代に相違なかったのだ。

私は精神病院を退院して大学に通いだした。休学はしていなかったので2年前期の単位はほとんどとれていなかった。それでも東奔西走して私は読書を無我夢中でしたり、数学、自然科学、哲学の研究や勉強を独学で始めるようになった。そして23歳の頃、ストレートで大学を卒業したころには22本の学術論文を執筆出来ていたんだ。また何故か大学で私はいつの間にか有名になったらしく、よく学生から可愛い、女の子顔、めっちゃ美人で可愛い、かわいくて綺麗、すっごい綺麗などと容姿を褒められるようになった。大学四年に私は実家に帰ったのだが、90歳の祖父から娘のようだ、とか女なら凄いべっぴんさんだ、と言われたので私の女顔美形はデブの期間を経てようやく元に戻ったんだと思ったよ。私は自分の容姿に自信を持つようになった。一部の連中はやっかみで私の事を不細工だとか言うが、そんなのカスどもの囀りだ。真に受ける必要もないだろう。それから10年、まあ色々あったが、それでも十分私は懸命に生きたよ。そして私はこの宇宙の支配者となった。私の頭の中でデウスエクスマキナと契約を果たしたんだ。確かにぶっ飛んだ話で、諸君には俄かに信じられないだろう。しかしそれが基で私は宇宙の支配者になり、超能力を持つようになったんだ」

 彼らは静かに赤川の話を聞いていた。流れるように丁寧なその言葉は壮大なワーグナーの音楽のようであった。シルベスターは赤川の人生は自分に似ている、と思った。自分に似ている人間がいるとは思わなかった。勿論赤川を人間と呼ぶにはあまりにも能力が逸脱しているので歯がゆいのだが。

赤川は自分の書いた記事を見せた。「ほんの少し、私のブログを見てくれないか」それは次のようなものであった。


≪赤川凌我の宮殿≫

身長210㎝、人類史上最高の功績、ソクラテス五人分の功績。僕はこれ程までに大きくなった。そして僕は自分の中で大宮殿を作った。これは一朝一夕に完成したものではない。今やその宮殿は僕の中で何物にも代えがたい影響力を持っている。僕は馬まで僕に対する差別や偏見に直面した際、同様にこちらも差別と偏見で応戦した。しかしそんなものは悪の循環論法で際限なく続く。したがって僕はその原始的なサイクルから足を洗おうと思っている。差別や偏見があってこその世の中だ。完全な調和なんてものは人間社会において滅多にない。今回僕はこの僕のブログで思うところを述べようと思う。言葉の奔流だ。お付き合い願います。またここからの記事はゴールデンウィーク故脱力して書くので割と注意散漫な、雑駁なものになると思う。その点を念頭においていただければなと思う。


                      恐れとおののきの宮殿


 第一の宮殿、「恐れとおののきの宮殿」。僕の中でやはり統合失調症の存在というのは大きい。主たる症状である幻聴や被害妄想、向精神薬による過食。他にも様々な筆舌に尽くしがたい問題が精神科医療には山積している。最もそれは精神医学というものがまだ創始されて歴史が浅いからだ。カウンセリングではヴントがライプツィヒ大学で初めて心理学部のようなものを設けたらしい。精神病院ではサルペトリエール病院といったところだろうか。もっとも統合失調症の存在自体は有史以前から確認されている。仄聞するところによるとユダヤ教の教えでも世界で最もやばい病気は統合失調症であると言われているらしい。僕は統合失調症になってからも清濁併せ呑む経験をしてきた。勿論それは僕が否応なく体験したものであった。幻聴、これは今でも尾を引いている。なんでこんな恐ろしいものが人間の知覚に生じるのか。とにかくこの幻聴、悪口が大半の幻聴で僕は頻繁に傷ついている。外出すると「きもい」、「不細工」とか言われるし。まあ純粋に思考してみれば公然と他人を誹謗中傷する人などいない訳だからこれらが幻聴だという事は容易に理解できるのだが。しかしそれが理解できるからと言って信じられるか否かは別の問題だ。この敬虔さ、信仰心を牛耳る病が統合失調症なのではないかと思う。実際僕もずっと悪口を言われていると頑なに信じている。どこに行っても聞こえるのはつらい。一時期は家族からもきもいと言われた事がある。何もかも信じられなくなった。恐れ。そしてその症状を冷静に俯瞰する事で得られるおののき。それはグロ画像を見た時のあの戦慄に相当する。本当に不愉快で、どうにかなりそうなくらいだ。これからその幻聴や被害妄想がなくなる事を祈るが。ストレスが比較的少ない日常を送っても払拭できなかったのだから一筋縄じゃいかないのは一目瞭然だろう。今もこうして僕の心の中の公演を速記として記録している。また他の症状もこの恐れとおののきの対象内である。抑鬱なんて、細心の注意を払っても来訪する。神出鬼没の存在である。しかし心の病と言うのはなまじ不可視なので対応がとりずらい。かくして僕が作り上げた近視眼的な、誤った認知による宮殿は今尚これほどまでの深刻な被害を保持している。被害妄想もやはりこの宮殿の範疇である。何か一つでもおかしい事があると僕はそこに焦点を合わせて嫌われているとか思ってしまう。まあこんな事は統合失調症患者でなくても起こる事なのではあるが、やはり人間としてこの世界に誕生した以上ミスアンダースタンディングから逃れる事は不可能であろう。この宮殿は僕の狂気の宮殿であり、すなわち僕の一部である。統合失調症の幻聴や被害妄想なんてものは主観的な要素が強く、立証しがたい。本人の世界でしか分からない事を完全に否定してしまえば動揺や当惑、周章狼狽にも繋がる。こんな世界は消えてしまえ。何度そう思った事か。世界は非情なもので僕に対して冷遇する人間も存在する。先日行った美容室でも店員に僕の事をきもいと言われた。クライアントとして来てるのに、なんたる罵詈雑言か。僕は明確な殺意を覚えた。この宮殿における殺意というものはもはや避けて語る事の出来ない重要な要素だ。当然だ。普段からこのような宮殿を胸中に宿しているのだから、ある程度異端視されるのは仕方ないし、当人にはその指摘が甚だ無神経に感じる事だろう。統合失調症になってしまってはほとんどのケースで勉強も出来なくなる。僕は勉強に一時期矜持を感じていたのでこれは本当に辛酸を舐めるような経験だった。


 ちょっと炎のような弁舌で饒舌に語りすぎたのでここで一段落を入れる。まあこの宮殿は本当に冷酷なもので生きる意味を失わさせる。世間において精神疾患を持たない人間がすこぶる羨ましく感じる。僕はこの宮殿のせいで友達作りも恋人作りも出来なかった。二進も三進もいかなかったのだ。こわい、こわいよ。おそろしい、おそろしいよ。なんでこんなに怖くて恐ろしいのだろう。なぜここまで歪な感情がここまで膨張したのだろう。そして結果的に宮殿を、その体系を作り上げる事になったのだろう。僕はこの運命を呪詛したり怨嗟せずにはいられない。無論再三言っているように学問と芸術において黎明を、抜群の功績をあげた事は統合失調症による副産物だったのだが。しかしそれにしても統合失調症にならなければと思う事は少なくない。この心許なさはなんだろう。この不安定さはなんだろう。病気が相対的に泰平無事に落ち着いたとは言えやはり僕はこの世界で生き抜く事にただぼんやりとした不安を感受せずにはいられないのである。


                          倒錯の宮殿


 第二の宮殿、「倒錯の宮殿」。僕はもはや人間関係が希薄となり一般の会話をする事すら不能になり、大抵の人間に共通のあの妙に超然とした感じを取り繕うことも困難になった。長い間、統合失調症の症状に囚われ、逗留していると次第に認知にもバイアスが生じる。無論一般人にも認知のバイアスはある。しかし僕のバイアスの特異な点はそれが統合失調症によるものだという事だ。統合失調症さえなければ僕は現実を正当に受け入れる事が出来たであろう。ここで言う現実とは一般的な大衆のフィーリングや価値観の現実である。僕は倒錯してしまった。一時期はスナッフフィルムを愛好していたおぞましい時代もある。今あのような怪奇趣味には本当に総毛立つような不快感を感じるが一時期そういった時代も僕にはあった。今でも僕の精神はおかしいのだろう。おかしいと思える内は狂人ではないとの言説も巷にはあふれているが、本当にそうだろうか。僕はそれに対して方法的懐疑を展開さずにはいられない。まず僕は豪傑デカルトにならって、自身の心を解剖し、小部分に分解すべきであるだろう。僕は今何とか傍目には普通の人に見えるように全精力をかけて演じている。僕の好敵手は人間ではない。当面の好敵手は僕の中のこの第一、第二の宮殿なのだ。そしてその中心にいるのは悪魔然とした僕自身であり、結局その撲滅運動は全て自分の破壊に向けて動いている事は確かなのだ。通常のファッションが僕には理解できない。服装なんて致命的にダサいのを除けばどれも大同小異に思える。僕はシンプルな服だけを着ている。無論210㎝身長があるのでXLサイズ一択だが。XLが僕にはジャストサイズである。倒錯、倒錯、倒錯。僕は頭がおかしいのだ。なんでここまで日常の刹那に対して不安定になり、感傷的になるのかが分からない。僕は数学について空想する瞬間だけは生き生きとしている。しかしそんな事長い時間出来る訳がない。考える事にもエネルギーを浪費させる。古今東西、思考についての難点は誰にでもつきものだ。そしてその特徴があるが故に人生は攻略しがたい難攻不落ぶりを見せるのである。今やグロ趣味は僕にはない。僕にあるのは日々静謐な時間を歩みたいということだ。いかなる刺激も、今はいらない。ただ単に落ち着いていたい。他者からの評価などを歯牙にもかけず、天上天下唯我独尊というように。このブログで僕は今の倒錯ぶりを明確に言語化する事は出来ない。しかしそんなものはこのブログの記事を耽読している慧眼や審美眼を所有している優秀な読者諸兄姉なら理解できるかも知れない。まあ僕のネット上での言動は多くの人のひんしゅくを買うものであるかも知れない。その可能性があるという事実だけでやはり僕は大なり小なり倒錯しているのだ。まあこれまでの僕の活動を一挙に顧慮すれば、僕の存在が不世出のものである事も示されているかも知れない。しかしながら僕は現在の水準を遥かに超えているが故に9割強の人間には理解も評価もされない事、そしてそれが成就されるに至る時間もかなり長い事も僕はきちんと了解している。


                           統一の宮殿


 第三の宮殿、「統一の宮殿」。僕はアインシュタインの果たせなかった統一場理論を完成させた。それは今思えば感慨深い。これは数学と論理の道具を使って証明し、発見した訳だから未来永劫正しい訳で僕が歴史上の偉人になる事を僕は確信している。しかしそれが僕の生前になるか、死後になるかは未だに五里霧中である。統一というコンセプト。シェリングの思想でも有機体の統一というものがあった。それは結局フィヒテの思想と合わせて、後にヘーゲルによってドイツ観念論として完成されるのである。弁証法の結実であり、ドイツ観念論の体系化である。彼らにあやかって、僕も自身の考えを綿密に体系化し、統一する事が必要である。いつまでも自分の胸中を曖昧模糊とさせておくのは放任であり、怠慢である。僕はネット上や現実世界では大言壮語を言っているだけの斜陽族のように思えるかも知れない、傍から見れば。僕は今、犯罪者や犯罪そのものに対して嫌悪感を抱いている。それは僕の犯罪的倒錯が下火になった事を如実に示している。この第三の宮殿は僕の徳であり、生命力の一種である。少なくとも僕はそう信じている。学問において幾つも統一をした僕なら僕自身の胸中の統一もきっと可能だろうと思う。僕の意識、無意識、それらを覗き込んだ時、それらの深淵を覗き込んだ時。僕は本当は精神病になりたかったのではないかと思う。事実僕は精神崩壊する事が僕を超人にさせるプロセスだと考えていた、中学時代に。そして勉強に対して倦怠感や嫌悪感を抱き始め、統合失調症の前駆症状が始まってからはさらに自分を激甚の悲哀と絶望で追い詰めようとしていた。これも倒錯的な破滅願望である。あるいは無意識にはフロイトの言うようにデストルドー、あるいはタナトスなのではないかと思う。役に立たないものを尊ぶ精神が数学の黎明に寄与するように、僕の役に立たない執念が僕の人生に深い影を落としていた事は確かであるだろう。僕に一流の数学者であるという側面があるという事も事実だ。僕の快挙はいずれ理解される。今は無理でもガロアのように。


 僕は精神病になりたかった、そして精神病になった。心の成長に精神病が必要だと踏んだからだ。しかし今や精神病は僕の人生にいらない。僕の統一は精神病の根絶によって完成される。いかに自分の頭で様々な観念を反芻しようと、どんな宮殿をつくったとしても、結局のところ精神病を排除する事がなければいたちごっこである。僕はこのような泥沼化した現実に終止符を打つべくこれから努力していきたい。僕は教養を身につけた。これだけでも想像を絶する収穫である。ひとたび精神崩壊したなら普通教養とはほとんど無縁の存在になる事は不可避である。しかし僕が現実を決めつけすぎずここまで努力を続けてきて本当に良かった。これは僕の不可知論者の、決めつける事に対する抵抗感が功を奏したのかも知れない。僕は20歳の頃、ニュートンを超えたいと多くの人に言った。彼らは僕を嘲笑ったが畢竟僕はニュートンを超える事が出来た。これも想像を絶する収穫である。


 ここまでの長広舌がどこまでの効用を発揮するか、僕には未知数である。ともかく僕はこれまでの人生で、殊に統失発症以後に長足の進歩を見せた。僕の胸中は統合失調症による認知の歪みとそれによる対人恐怖などの弊害、そしてそれに対峙した僕なりの検閲が行われている。そしてそれは生命力といった形で内なる闘争が行われている証左である。混沌の中に、闘争を望む。そして何かが牛耳って、何かが新たな政府を創設する。そして...これは永遠に続く。このプロセスの存在とその温床となる精神的肉体的要素の維持を僕は自身の生命力の維持と同一視している。ともかくこれが僕の胸中の統一であり、僕の第三の宮殿、「統一の宮殿」の結実である。そしてその統一をも僕は血気盛んに、勇猛に破壊して、この全ての僕の宮殿をナパーム弾やミサイルで蹂躙しつくし、新たな世界を創造する。王などいらない、皇帝などいらない。





彼らは赤川のブログを熱心に読んだ。このようなブログはあまりネット上では見かけない。赤川はこのような文章を書き続けて来たのか。シルベスターは尋ねた。「赤川は突然この世に現れて、記憶や記録にも手を加えたものだ。するとこのブログも完全にでっち上げたものなんじゃないか?」当然違う事はシルベスターも分かっていた。しかし彼はそう赤川に尋ねた。「これは正真正銘私が書いたものだ。確か23歳頃だったかな?私が神のような存在になったのは30くらいだったからそれまで私も色々と統合失調症患者として情報発信をしていたんだよ。でも皮肉だよな、誇大妄想の世界で過ごす事も通例な統合失調症患者が神的な存在になるなんてな」赤川はほくそ笑んだ。確かにな、とシルベスターは言って同様に笑った。シルベスターは赤川と会話をしている時間はまるで自分自身と会話をしているような気分になっていた。このような気分は甚だ新鮮なものであった。また同性であるから些末な悩みに関しても共有可能だろう。

「他にも見てくれ、私の記事を」と赤川は言った。その場にいる織田信長や魔法少女や坂本龍馬は影が薄くなっているが、その場で赤川のブログを読んでいた。



≪Burn≫

僕は今日障害者雇用の採用が決まった。一般に世間ではA型作業所と呼ばれる職場だ。仕事は清掃。これから僕は一生懸命働いて生きていきたい。僕は自分の生活費や貯金の為に本当に努力し続けたい。最近は仕事に必要な基礎体力の向上の為に筋トレを始めた。食生活にも注力して筋肉の事しか考えていない。僕はロックミュージシャンのザックワイルドのような体に憧れている。したがってその意味でも僕は筋トレを鋭意行っている。しかし今日は筋肉痛なので筋トレを休んでいる。筋肉痛の時に筋トレをするのは筋肉に良くないからだ。とにかく筋肉の事を考えている。


 ディープパープルのナンバーにバーンというものがある。これは中学レベルの語彙で燃えよという意味だ。鬼滅の刃でも「魂を燃やせ」なんてフレーズが劇場公開の際に掲げられていたのを僕は鮮明に覚えている。また古代ギリシアのイオニア自然学を代表するヘラクレイトスも万物の根源は火であるというような事を言った。生命活動は魂の燃焼なのだ、と。また岡潔も天皇と謁見した際に数学とは魂の燃焼である、とか言ったそうな。火と言うものは言わば僕達の文化の一部になっている。


 今日僕はフリーランスの仕事を終わらせた。完全に業務を完了させて一安心といったところだ。本当はライティングの仕事をやりたかったのだが現実は非情なものだ、その原則を僕は甘受し、フリーランスの仕事を終えた。今後やる予定もない。というかフリーランスの仕事に対して人々の猜疑心がすごい。皆この種の仕事を怪しんでいる。まあそのメカニズムは詐欺などの犯罪の温床であるし、転売に加担したとかで逮捕された一般人のニュースがそれを物語っている。僕は業務内で自身の仕事に関する情報を克明に記録し、業務に不備がないか、細心の注意を払っていった。まあ結果的にそれは功を奏し、無事業務を全て完遂する事が出来たという事だ。


 しかし感慨深いのが僕が定職に就けたということだ。これは非常に喜ばしい出来事だ。数年前の僕は働くことなんて考慮出来る程病気が良くなっていなかった。高2で発症、厳密には15からだから今年で8年目だ。本当に統合失調症を相手にして善戦したと思うよ。僕は膨大な功績を残した。長足の進歩を芸術、学問、精神などの幅広い範囲で発揮した。これも非常に良い事だ。大学に進学して良かったと心から思っている。昔は働くなんて時期尚早だと思い込んでいたが今は絶好の機会だと思っている働き始めるのに絶好の機会だと。そしてこのブログ歴も早いもので数年間も続けている。無論多少の浮き沈みはあったものの継続して更新する事が出来ている。これも換言すれば成功経験の一種に相違ない。僕はこれから社会人として勤労の義務を果たす。これから艱難辛苦もあるだろうがそれでも何とかやっていきたい。僕には栄光がある。ガロアと違って時間もある。ありったけの勇気を持って生きていきたい。いつでもそうだ、僕の個性は豪快である事。それは主観的な意味でもあったし時には客観的な意味でもあった。そして時折悲観的な意味でもあったし楽観的な意味でもあった。様々な意味が僕の胸中を巡回し、脳髄を駆け巡っていった。とにかく、とにかくだ。僕はここまで来た。僕にとってこの人生の眺望は極めて風流なものだ。日本人の芸術的感受性が惻隠の情やもののあはれであると言われているように僕の芸術的感性は冒頭でも一通り述べたように燃焼である。つまりバーンburn、燃えよ、という意志こそ僕の情動のあらゆる原動力であり、リビドーであるのだ。これを忘れて生きる事は芸術的原則を忘却して生きる事と等しく、そんな事はプログレッシブツイスト(観念派)の芸術家である僕にとっては言語道断である。美学を失うという事は僕にとって死や命に相当する値千金の代物なのだ。いつの時代だってそうだ。芸術家は多種多様な信条を持つ。広大無辺なこの世の中には。いささか逆説的な言辞を弄すれば信条を持たない芸術家は真の芸術家ではない。芸術に携わる資格がない。差別的だが僕はそのように思うのである。


 場の哲学、僕はヴィトゲンシュタインの哲学、写像理論を元とした言語論的弁証法を展開する彼の哲学をこよなく愛している。僕は本当は大学ではヴィトゲンシュタインの研究をしたかった。しかし僕の哲学的研究はまだフロイト、デカルト、ヘーゲル、ユングに集中しており、その仕事を放棄してヴィトゲンシュタインの研究をする事は出来なかった。もししていれば僕の精神は再起不可能なまでに意気消沈し、今頃瓦解していた筈だ。まあ今でも僕はヴィトゲンシュタインに思いを馳せる事がある。それは僕にとっての黄金の色彩を感じさせるものである。そう、第三の目で。しかも彼はルックスも良い。僕は彼の事を哲学者不世出のイケメンだと思っている。身長は175㎝くらいであったと口伝があるのだがそれでも僕は彼をイケメンだと思っている。まあ僕に彼のような髪型は似合わないが。彼の哲学は言語そのもの、物自体を言語論的転回で批判しなおすという事だった。言語が成立する場、ないしは理論が成立する場を、彼は研究しつくした。そのようなクリティークだったという訳だ。しかしその思想の起源を遡れば似たような思想を持った人物は多い。ヴィトゲンシュタイン本人も自らの著作の中で「自分のような思想を持っている者には簡単に自分の理論は理解されるだろう」と言っている。これは彼が自らの思想を卑下して言ったものではなく、むしろそのような考え方に逢着する事は背景の事項を考えれば自明の理だとしたのだ。まあ彼は自身の哲学を「場の哲学」などとは銘打っていないし、彼の研究者もそのような言葉は使っていない。この場の哲学というのは僕がそう言っているだけなのだ。しかし僕に似た思想を持っている者には簡単に僕の創造物を理解できるだろう。そのように僕は頑なに信じて疑わないのである。まさにヴィトゲンシュタインがかつてそうであったように。


 とにかく僕は今命を燃やしている。しかしそれは無秩序な燃焼ではない。少なくとも意識的にはそのように思ってはいない。僕は自身の哲学、信条、思想の悉くをわずか8年の間に完全に構築した。そして最近その結実を自信を持って公言する勇気が生まれたので公言しているのだ。昔僕が自分の統合失調症を高校で吹聴して回ったような自信で。しかしあの頃の無鉄砲な愚行というよりは僕の今のこの一挙一動は全て試行錯誤によって完成された気品ある所作の一種である。


 僕は最近上着にスーツのジャケットを着ている。しかしこれからの季節は暑くなる。皆さんも体調には注意してください。日本には四季がある事が特色だと言われているくらい日本の季節はメリハリがある。その景色も雪化粧や枯葉、紅葉、繁多な夏草、桜などがあるように非常に、突拍子もなく美しい。昔の日本人はこのような景色に芸術的感性を掻き立てられ、それを芸術や文化に昇華したのだと考えるとまさに感無量である。僕はこれまで23歳の歳月を生きてきた。その中で僕は様々なものを得てきた。生まれは和歌山県南部の中流家庭なので、生まれが順風満帆なものだと必ずしも言えなかったがそれでも統合失調症に邂逅し、凌辱されるまでは割と幸せだった。しかしあの頃の僕は誰もがそうであるように人間的にも知的にも未熟であった。様々な黒歴史を行ってきたし、それは最近まで下火になる事のない傾向として完全に風化する事はなかった。しかし僕は思うのだ。人間とは恥の中でこそ強さを身に着けるのではないかと。黒歴史があるからこそ、人間的であり、喜劇的でもある。無論それらにも両極的な概念はある。そしてそれらを婉曲的に表現した作品群が巷には横溢し、人口に膾炙しかけている。日本のソフトパワーは中でも群を抜いて素晴らしいらしく、クールジャパンだとか昔言っていたように近年世界中で指数関数的なセールスを記録しているようだ。無論そこにも商業的才覚に恵まれた商人が介在している事は自明である。しかしそれを度外視しても内に秘めた力動に全く価値がなければこれ程までな広がりを見せるロゴスもない訳である。少なくとも今の時代はその事を端的に証明しているのではないかと僕は思うのである。


 僕は昨日高校時代お世話になった精神科医についてリサーチした。すると彼は悪口を言われていた。それも一部なのかステマなのか定かではないが支配的なものであった。僕はそれを見て甚だ当惑した。なぜ彼が。まあ思い当たる節はないでもない。彼は老齢からか記憶力が著しく衰弱している。そもそも彼のおおよその年齢を知っている僕としては彼がいまだに故人でない事に一抹の嬉しさを感じつつも吃驚仰天したのである。そして彼は無神経な物言いをすることがある。もちろんそれが全てではない。彼自身も自分の言動を省察しているようであった。それでもたまにイラっとする事が僕はあった、過去の診察でね。殊に差別や偏見、無神経さという事に神経質になりがちな一般の精神疾患者達が彼の言動に反感とか反発する事も論理的には理解できる。それにしてもあれほどまでに嫌われているとは。僕の診察が厚遇だっただけなのか。確かに僕の診察時の服装は学生服である事が大変であったから浮世離れし、それが彼の感性を刺激し、ある種の温和さを生み出したという想像も出来なくはない、多少非現実的で無理やりな想像だが。とにかく彼の口コミを見て彼の事を僕は不憫に思ったのである。精神科医とは辛いものだ。無論僕にも嫌忌する精神科医はいる。有田の精神科医だ。それと同じようなものだと考えるとなんとなく溜飲を下げられる心地がしないでもない。


 僕は仕事が始まるまでの間、好きな音楽を聴いて過ごしていこうと思う。ブラックサバス、ビートルズ、ピンクフロイドが特にお気に入りで僕はよく一人でそれを大音量にして聴いて悦に入っている。それが日常となっている。音楽抜きに僕の人生は語れない。特に統合失調症発症以後の人生は。音楽はいつでも僕を融和し、慰撫してくれた。そんな大切な存在だ。もちろんただ歌詞がグロくて曲調が騒々しいだけのナンセンスな音楽や音楽ジャンルも巷には存在している。しかしそのような音楽はやがて変遷する聴衆の感性に即して自然淘汰されるだろう。むしろそうなってくれなければ困る。僕はそう願いたい。


 それにしても僕のこれまでの人生は本当に濃厚だったなあ。僕は頻繁に自分の記憶を反芻し、その結果である現状に陶酔している、酔いしれている。嫌な記憶はあまり重視しないようにはしている、がしかしそれも口先だけのものなのかも知れない。そのテーゼの反証としてこれまでの僕の創造物が存在している。まあ具体的には言わないが僕の「りょうがチャンネル」やこのブログ、僕のツイッターを見てくれている諸氏ならその事はむしろ一目瞭然に近いと存じる。


 僕はこれまで相当な量の論文を書いてきた。その中で革命的な事柄の発見発明を破竹の勢いでしていった。本当にあのような神がかった事が僕にはよくできたなと感心する。筒井康隆が自身の作品である、「残像に口紅」を読んで同様の事を感じたように。そうそう、僕もその作品を拝読した。面白かったけど僕は俗物図鑑や富豪刑事、笑うな、とかの方が好きかな。彼は名作を数多く生んだ稀代の文豪である。彼自身は自分が文士、すなわち文豪である事を否定しているが同様に彼も言うようにそのような風格は少なくとも感じられる。客観的に見てもそう感じる。


 イングランドの音楽が世界を変えた。ビートルズ、ブラックサバス、レッドツェッペリン、クイーンなどなど。僕のような玄人でなくても彼らの音楽に魅了される聴衆は後を絶たない。皆が良いというから良いのだ、なんて物言いは資本主義の汚点のように象徴的に輝いている。それは民主主義の負の側面なのかも知れないし、日本人の集団主義、同調圧力に近い物なのかも知れない。しかしそれでもそういった事柄とは独立して僕はビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドなどのイギリスの音楽の大ファンであり、音楽の急先鋒、音楽的ソムリエと言って差し支えない。僕はそれほどまでに音楽について倒錯的とも言える情熱を願わずにはいれない。なぜならそれも僕にとって炎や火の風物詩であり、なぜそう思うかと問われれば僕の窮地とともにあり、僕を向上不変な美と力動で魅了してやまない存在であるからだ。そのようなカタルシス効果を持つコンセプトは枚挙に暇がないのである。



シルベスターはブログを読み、赤川に尋ねた。「お前のブログは通常何字くらいなんだ?割と分量が多いようだが」

「小説や絵画や詩などを除けば大抵5000字だ」「この頃は障碍者雇用で採用が決まったのか?」「ああそうだ。大卒後しばらくの間、親からの説得で京都にいることになったんだよ」赤川は遠い目をしてそう言った。

「僕がこの前遮二無二書いた詩だ。見てくれ」そう言ってシルベスターが自作の詩を赤川たちに見せた。


『Lock』

火薬を発火させろ、闇夜のしじまに猛り狂うスキゾイドマンよ

知的に満たされないとたちまち抑うつに陥るしかない

殺人者の後ろ姿を一瞥し、その極端さに安堵する

同年代との日常会話も知的早熟さの為に不能になった

そして精神疾患によって他者を牽制し

お前についての辛辣な噂話が拡散された

挙げ句、お前に憧れ真似する男も出てきて

徐々にお前は現実の何とも言えない愚にもつかない本質に気づき

忽然と落胆しただろう


お前は世界で数人レベルの頭脳を持ちながら

恋人の理想は高く、誰よりも恋愛下手で

周囲からの評判はパッとしない

大学に通っても、学友は一人たりとも出来ず

ただ物憂げな視線をローソンの店員へと注ぐ


爆発させろ、怒気鋭く弁舌でまくし立てろ

饒舌なその知的パフォーマンスは誰よりも輝く

何か一つ、自分を魅了する経験をうずたかく蓄積し

ペーパーテストや学歴でお前を推断することの出来ぬように

無限の力を振り絞れ、それが若者の特権だ

取るに足らない者達を衆人環視の中で蹴散らし

自分でデモンストレーションを行え

さすれば革命は完了する


『Stock』

お前には一際輝く才能があり、何者もしなやかなお前の肉体を制御する事は出来ない

節制した食事があり、日常的な読書習慣があり

心のヒナギクはかつての少年時代の充逸した血潮を反射するかのように

昨今のお前の眼前に厳然と佇んでいる

元気で行こう、絶望するな、では失敬、との太宰治からの激励

お前には故人の力さえも奮然と加わっており

過去の成功は今はただお前を鼓舞する


お前はお前と同類だと自称する冴えないチビ野郎から離脱した

あの時代は何も生まれなかったが、今の超人としての実力を充電する充分な期間へと変貌を遂げた


お前はイカれた武士だ

悲嘆と情熱的、それと力への意志を組み込んだ合金の刃で

誰よりも抜群の、知的な発達を完遂させた

畳の上で死ぬか?戦場で死ぬか?

知覚過敏等の残遺症状があれど、お前は一人前の大人の男だ

お前は偉人として大成したのだ

ただ生きる為の労働より卑しさのない、倦怠感のない偉大な労働を生業とするのだ


『Barrel』

血まみれの月曜日、富裕層の鼻っ柱をへし折った功罪は忽ち新たな世代の金字塔となった

若者に銃を持たせる事に功を奏した者達は

遮二無二働き、自己を患者に投影した精神科医にぐうの音も言わせなくなる

知識人も、生ける伝説も彼らを認めはじめ

程なくして産業革命と同水準とも目される革命の立役者となった


得てして彼らの脳裏には眩いばかりの格闘者の偶像が鎮座しており

用意周到に知識の武器を兼ね備えた人を貴重な資源とみなす


 

一同はシルベスターの死を静かに読んだ。この作品の見せあいは非常に静謐な時間であった。換骨奪胎を日ごろから心がけて世界の色んな詩の世界をシルベスターは読んでいる。ささやかだが赤川はシルベスターが普段どういう詩を読んでいるのか、おおよそ察しがついていた。翌日彼らは分かれた。赤川は依然として読書に没頭する日を過ごすらしい。シルベスターは妻子と一緒に日々を過ごした。彼は妻子を愛していて、彼らがいるだけでシルベスターは幸福であった。統合失調症になって、疲れ果てても彼の家族愛はしたたかで、変わらなかった。家族こそがシルベスターの居場所だった。

また、彼は赤川の論文を読んだ。読んでほしいと言われていた彼の創始する理論精神学の分野の論文だ。





≪特殊フレーム理論≫

 序論


 私はフロイトによる精神の理論を研究していく中でフロイトを主とした精神医学、心理学の文献を読んできた。しかしこれまでの体系には説明に不足がある。統合失調症当事者であり、同時に精神的疾病のメカニズムの解明に並々ならぬ情熱を持っている私なら既存の体系に独自の視点から解釈を加えられるのではないかと考えて特殊フレーム理論というものを構築していく。当事者研究の延長としての意味でもこの理論の構築は非常に意義があるものである。

20世紀以降今まで盛んに論じられてきたフロイトの理論ではある問題点があった。フロイトにはまず精神構造を二つの場合に分けて論じた。具体的な精神の役割や働きの場合においては超自我、自我、エスの図で示される構造であり、自覚の領域では意識、前意識、無意識の三層の構造がフロイトによって論じられた。



しかしフロイトはこの二種の構造で、人間の本能や知覚や思考能力について極めて重大な近視眼的誤謬を犯している。これらの構造では無意識とエスの側から昇華すべく人間の精神にたちどころに影響を与える性質を持つ性衝動が重要である。その性衝動は人間の幼児期の段階でも口愛期、口唇期、肛門期という極めて初期の段階の発達作用において一般に支配的になる。しかしながらこのような性衝動を重視するフロイト流の考え方は、人間には正しいこと欲求するという原理があることを踏まえるなら、フロイトによって定義された二種の領域による精神構造も含めてこの原理に即して書き換えられねばならない。

それを如実に示す格好の例はポンゾ錯視である。児童がポンゾ錯視の図を初めて見た時に、快不快の原則によって成立する性衝動に従えば、児童は二本の長さの等しい平行線分に交わる一点透視の萌芽のような二本の線分の視覚的情報に即した知覚の過誤から平行な二本の線分は手前が短く、奥が長いと答える。しかしデカルトの言うような最も明証性のある要素以外を疑うといった方法的懐疑式のアプローチをポンゾ錯視に適用すれば、その児童は定規で平行な二本の線分の長さを測ることによって、錯視の事実が導出される。こうしたケースでは、フロイトの提唱した性衝動だけではその因果関係、すなわち方法的懐疑が作用せず、ポンゾ錯視の知覚の誤謬にはまった場合の因果関係を十分に説明することができずないという、フロイトの提唱した理論の問題点がある。無論フロイトの理論が役に立たないというわけではないが、人間の根源的な衝動の認知を改めることによって私はフロイトの提唱した二種類の精神構造そのものの体系を私は特殊フレーム理論で書き換えたい。

ここでは方法的懐疑の思考形式を取り扱ったが、そうした態度を人間が取り得ることは正しさを求めるという正義の原則に即した、正衝動(しょうしょうどう)とさしあたり私が名付ける衝動が人間の精神の内に眠っていることを十全に示唆する証左である。他にも様々な正衝動の事例とそれを端緒とした新たな私の学説の提示を特殊フレーム理論では主に行っていく。フロイトは後期の彼の学説で死へと向かう衝動(デストルドー)を挙げたが、これも性衝動と同様、正衝動を度外視しているので、現実の諸相を説明したものとしてはほとんど意味のないものである。フロイトの学説では重要な要素を説明できないという問題を解消するために、私は解決法として正衝動を筆頭とした着想をここで理論化し、体系化していく。

本論はフロイトの精神分析学での学説を基にして、精神と精神に関わる様々な問題について論じるものである。第一章では、先行研究としてフロイトの『精神分析学入門』や他の学説を取り上げ、次に第二章ではそれらの問題点を指摘する。私の新知見を論述していきたい。その新知見が精神医学、心理学に対してどのようなどのような結果を生み出しそうなのかを考察する。また本論文は統合失調症が自我障害の一種であるという前提のもとの構成となっている。その点もあわせて留意してほしい。


第1章 先行研究の踏襲


第1節 ノイローゼにおける固着について


まずフロイトが研究した精神障害の一つであるノイローゼについて見ていきたい。フロイトは性衝動(リビドー)の関係から様々な類型のノイローゼを確認し、それを説明した。私の理論で性衝動に対する事柄を述べる前に精神的障害の代表例の一つであるノイローゼについて私は述べる。以下、それについてのフロイトの言辞である。


第一。二人の婦人患者はどちらも、あたかも自分たちの過去のある一定のところに〈固着〉されていて、それからどうして自由になってよいかがわからず、そのために現在と未来とから身を遠ざけているような印象をあたえます。昔、人々が苦しい運命を耐え忍ぶためによく修道院にひっこんだように、彼女たちは病気のなかに身をひそめているのです。第一例の婦人の患者にとって、この宿命をもたらしたものは、現実にはもう放棄されている夫との結婚です。彼女はそのさまざまの症状を通じて夫と交渉しつづけています。私どもは、夫のために弁護し、許し、崇め、夫を失ったことを嘆くあの声を理解することを学びました。彼女は若いのですし、他の男たちによって熱望される値打ちがあるにもかかわらず、夫に対する貞操をまもるために、現実的ならびに空想的〔魔術的〕なあらゆる用心をしたのでした。彼女は知らない人たちの前には姿を見せず、身なりをよくすることもしませんが、同時にまた腰をおろしている安楽椅子からそんなに急には立ち上がることもできません。自分の名前の署名を拒み、だれであれ私から物をもらってはならないのだ、という理屈をつけて、だれにも贈り物をすることができないのです。

第二の婦人患者は若い娘さんでしたが、この場合は、思春期以前にすでに生じていた父親への性的な執着が、彼女の生活に対して前の例と同じような固着をもたらしています。彼女は自分自身でも、こんな病気にかかっているかぎり結婚はできない、という結論を出しているのです。彼女は、自分が結婚しなければならないはめにならないように、そして父親のそばにとどまることができるように、このような病気になったのだということが当然推測できます。(フロイト『精神分析学入門』第18講、435-436頁)


 ここでは婦人二人の過去についての固着がフロイトによって説明されている。フロイトの学説でエディプスコンプレックスというものがある。これは男児なら彼の母親、女児なら彼女の父親というように近親相姦的に性愛を抱くことがフロイトによって認められた概念である。第二例の婦人のケースではこのエディプスコンプレックスが、言葉そのものとして述べられてはいないものの、父親への固着と彼女自身の過去への固着からノイローゼを引き起こすことになった、と私は解釈した。実際フロイトは後の第21講で「エディプス・コンプレックスがノイローゼの核心とされるのは当然のこと」だと指摘している。またノイローゼという言葉の意味は、ヒステリーや抑うつ状態パニック障害などの分類に代表されるような、神経症とも我が国では翻訳された概念である。ノイローゼ(神経症)の治療法の模索は、フランスの神経病学および精神医学の研究者であるシャルコー や、オーストリアの生理学者であるブロイアー などの先駆者によって既に行われていた。この講義ではフロイトがそうした研究を踏まえながら自身の学説として思う所を述べたのである。また第一例の婦人のケースではエディプスコンプレックス的ではないものの夫との結婚という間柄に対する病的な固着が示されており、これもまたノイローゼの固着という概念の重要性を述べるためには重要な部分となっている。そしてノイローゼの歩む無意識的な過程について、前述した二種の婦人を例において彼は次のように述べる。


私はブロイアーとともに次のように主張しようと思います。私どもがある症状につきあたるごとに、この患者には特定の無意識的な過程が存在しており、まさにその過程こそがこの症状の意味を内包していると推定してよい、と。しかし同時に、症状が成立するためには、この意味が意識されていないことが重要なのです。意識的過程からは症状は形成されるものではありません。無意識的過程が意識されるようになるやいなや、症状は消失せざるをえないのです。

 みなさんはここに一挙にして治療への糸口を、すなわち症状を消失せしめる道を認識するわけです。事実、このようにして、ブロイアーはヒステリー患者を回復させました。つまり、言いかえれば、その症状から患者を解放したのです。彼は症状の意味を内包していた無意識的な過程を患者に意識させる技法を発見しました。そして症状は消失したのです。

ブロイアーのこの発見は思弁の成果ではなく、患者の好意によってなされた幸運な観察の成果でした。みなさんは、こんどもまた、この発見を別のある既知の事実に還元することによって理解しようと苦労なさるには及びません。この発見を一つの新しい基礎的な事実として認めればよいのです。この事実の助けをかりて、みなさんは他の言いあらわし方を用いてくりかえすことをお許し願います。

症状の形成は表面には出ないでいる別のものの代理なのです。ある種の心的過程は、正常な場合には意識がその存在を知っているほど広範囲に発展すべきはずだったのです。ところが、そうはなりませんでした。そのかわり、中絶させられ、なんらかの意味で妨害され、無意識の状態にとどまらざるをえなかった過程から、症状が生じたのです。ですから、すりかえのようなことが起こったわけです。このすりかえをもとにもどすことに成功すれば、ノイローゼの治療はその使命を果たしたということになります。

ブロイアーの発見は、今日においてもなお精神分析療法の基礎であります。症状はその無意識的な前提条件が意識されたときに消失するという命題は、その後におこなわれたすべての研究によって実証されています。もちろん、この命題を実行に移してみようとする試みは、思いがけない驚くばかり複雑なことに遭遇いたします。私どもの療法は、無意識的なものを意識的なものに変えることによって効果をあらわし、この変換をなしとげうるかぎりにおいてだけ効果をあげるのです。(フロイト『精神分析学入門』445-447頁)


フロイトはブロイアーによって開拓されたノイローゼの治療法として、患者が自分自身の主に無意識的な過去やコンプレックスへの固着を明瞭化し、それを自覚して意識の段階へと至らせることによってなされることが実証されていると述べている。症状の形成は別の精神的な事象の代理であり、正常な場合ではそれらの存在を知覚されうるのであるが、その知覚の作業が途中で頓挫し、なんらかの意味でそれが妨害されることによって無意識にわだかまりを残しノイローゼの症状は形成されるのだ。


第2節 性衝動と発達過程について

古代ギリシアでは愛という概念は二種に類型化された。一方は性愛であり、性的な快楽などの諸事情に立脚したエロースと呼ばれるものである。他方は慈愛や無償の愛というニュアンスのアガペーである。これらに派生してギリシア神話ではナルシシズム、日本語では自己愛と呼ばれる概念も定義された。この二つの愛のうち、フロイトの主要な学説で重要となるのがエロースである。これはフロイトの場合、快不快原則によって成り立つ性衝動(リビドー)である。そこでその性衝動に関するフロイトの知見を私の理論の地盤がためのために引用する。


ただ性生活―私どもの言うリビド機能―は、あるできあがったものとして現れてくるだけではなく、またいつも類似の姿をとって成長してゆくものでもなく、たがいに類似しているとはみえないが相次いで現れる一連の段階を通過して成長してゆくのだ、つまり幼虫から蝶になるように幾度もくりかえされる発達なのだ、という印象をもっていただければよいのです。

発達の転回点は、すべての性的な部分欲動が性器の優位のもとに従属するときであり、したがって性愛が生殖の機能に服従するときです。それ以前は、言ってみれば支離滅裂な性生活で、個々の部分欲動がそれぞれの器官快感を求めて独立して活動している時期なのです。この無政府状態は、「前性器的」体制が始まることにより緩和されてきます。さしあたりサディズム的肛門愛期です。この段階の前が口愛期で、おそらくはもっとも原始的な段階でしょう。そのほかにも、いまなお正確には知られていない、いろいろの過程があって、それによって体制上のある段階からすぐ上の段階へと移ってゆくのです。(中略)

性の欲動のいくつかは、はじめから一つの対象に固執しています。たとえば支配欲〔サディズム〕、のぞき見たいと思う欲動、および知りたいと思う欲動などがそれです。別の部分欲動で身体の特定の催情部位にもっとはっきりと結びつけられているものは、ただ当初のあいだだけ、すなわちまだ性的でない諸機能に依存しているあいだだけ、対象をもっているにすぎず、これらの機能から離れればその対象を放棄します。たとえば、性欲動の口愛的な部分の最初の対象は、乳児の摂食欲を満たす母の乳房です。しゃぶるという行動では、乳を吸う時に同時に満足させられていたエロティックな成分は独立してしまい、乳房という外界の対象を放棄して、これを自分自身の身体と代えるのです。口愛欲動は〈自体愛的〉となります。肛門愛その他のエロティックな欲動がはじめからあるようにです。        

これからあとの発達はーごく簡略な形で表現しますとー二つの目標をもっています。

第一は、個々の欲動の身体における対象をふたたび外界の対象ととりかえることです。第二は、個々の欲動のさまざまの対象を合一して、唯一の対象を置きかえることです。このことはもちろん、その対象がふたたび自分の身体に似た一つの身体全体であるときにのみ成功します。またこのことは、多数の自体愛的な欲動の動きが無益なものとして捨て去られなければ、実行はできないことです。(フロイト『精神分析学入門』525-527頁)



ここでリビドという語句はリビドーや性衝動と同じ意味である。この引用箇所では、人間の性衝動は生後から一連の段階を通して幾度も、蝶のメタモルフォーゼの如く、全く別のものへと姿を変えながら、物語的に連続して変遷していくのだというフロイトの考え方が示されている。人間が性愛の機能に服従する前段階では、彼らの性生活は支離滅裂で、フロイトの言葉を借用すれば「無政府状態」であり雑駁とした状態である。そして性愛についての発達が一度開始すれば人間は、口愛期、サディズム的肛門愛期へと続く。性の欲動、即ち性衝動の幾つかは初期の段階から単一の対象に固執している性質を持つとフロイトは説く。たとえば支配欲(サディズム)、窃視欲、知的欲求などがそれである。また部分欲動が催情部位に歴然と結びついているものは性的でない諸機能に頼っている間だけそういった形式を顕現させ、これらの機能から離れれば欲動を手放すきらいがあるとフロイトは述べる。すなわち、具体的にフロイトの言葉を借りれば、非性的機能からの離脱によってエロティックな成分は独立してしまい、乳房という外界の対象を放棄して、これを自分自身の身体と代替する。

 そして口愛期、サディズム的肛門期以後の人間は性衝動によって各人の身体における対象と外界の対象との互換が第一に目標となり、第二に個々の欲動の様々を統合し、唯一の対象を変更することをフロイトは述べている。私はこの学説から性衝動とそれによる人間の発達の道程における対象の変換が人間の流動性という極めて根本的な特徴を示し、なおかつ一定程度、その原則は人間心理の解明に役立つものであると考える。


第3節 性衝動の厳密な理論


自我の欲動と性の欲動をフロイトは区別し、独自で性衝動の理論を構築した。フロイトはこう論述している。


 いままでは、自我の欲動と性の欲動とは、その現れにもとづいて区別できる、ということが私どもの研究の前提でありました。感情転移ノイローゼでは、このことはとくに困難なこともなく成功しました。私どもは自我がその性的欲求の対象に向けたエネルギー配備を〈リビド〉と名づけ、自己保存の欲動から送り出される他のすべてのエネルギー配備を〈関心〉と名づけました。そしてリビドの配備、変化およびその最後の運命を追求してみて、心的な諸力の活動に関する最初の洞察を得ることができたのです。感情転移ノイローゼはこの点について、きわめて好都合な材料を私どもに提供してくれました。しかし、自我さまざまの組織からなる自我の構成、それらの組織の構造と機能の様子は、まだおおい隠されたままであり、別のノイローゼ的な障害を分析してはじめて、それについての洞察をもちうるようになるだろうと想像しえたのみだったのです。

(中略)対象によって満足を得ようとする欲求の表現であるリビドが、この対象を捨てて、自我自身をもってこれに代えることがあるという考えに徐々になじむようになり、この考えをだんだんと一貫したものにつくりあげていったのです。リビドのこのような処分法に与えられた名称〈ナルシシズム〉を、私はネッケによって記述されている倒錯から借りてきました。この倒錯では、成人した個人が、通例ならば自己以外の性的対象に注ぐ情愛の全てをあげて、自己の身体にあたえるのです。

その場合、リビドが、対象の代わりにこのように自分の肉体ならびに自分自身に固着することは、決して例外的な現象でもなければ、まれな出来事でもないことはすぐにわかります。むしろこのナルシシズムこそ、一般的かつ根源的な状態なのです。(中略)

自己愛はリビド処分のナルシシズム的段階における性的活動なのです。(フロイト『精神分析学入門』667-669頁)


感情転移ノイローゼとは人間が対象について何らかの感情を抱き、それが著しい精神障害に至った場合のノイローゼである。自我の欲動と性の欲動は感情転移ノイローゼの場合には一目瞭然に区別できる、というのがフロイトの主張である。

フロイトはナルシシズム的ノイローゼの患者は対象への配備が捨てられ、性衝動が自我に向かう自己愛を横溢させる状況に陥り、その他のノイローゼ患者と区別した。フロイトは次のように断言する。


ナルシスズム的ノイローゼにかかっている人達には、感情転移の能力がないか、あっても不十分な残滓にすぎない、ということです。(フロイト『精神分析学入門』721頁)


フロイトは性的倒錯の一つであるこの性愛が自己へと向かう、いわゆる自己愛的な性向、そこから転じてナルシシズム的ノイローゼという病気形態は一般的かつ根源的な状態だと述べ、その上でノイローゼ患者は自発的には何の感情転移も示さないと述べた。フロイトのこれらの一連の主張を元に、私はナルシシズムとは頑迷固陋へと人間を誘う、神経における深淵の萌芽なのだと考えた。

 またフロイトはノイローゼに対して次のような洞察的な表現をしている。


ありとあらゆる形式のノイローゼの原因とメカニズムのなかにはいつも同一の諸要因が活動しているのであって、これらの要因のうちの一つの要因が、またある場合には他の要因が、症状を形成するうえに主要な意義を持っているだけだ、ということです。(フロイト『精神分析学入門』612頁)


ここでフロイトが言う同一の諸要因は性衝動や精神の特性であると私は考えた。私はフロイトのこの主張を受けて、人間心理には一定の源が存在しており、また人間の一見無秩序に思える諸行動が何らかの統一性を帯びて存在しているのと同じように、人間という生き物にも、その源(フロイトの理論では性衝動など)が是認されることを私は確からしいように考えた。


第4節 エスおよび無意識に対する精神の抑圧機能


フロイトは人間の知覚の位相で意識 、人間の理性の位相で超自我という概念を提唱した上でその内奥に宿るリビドーの固着、即ち人間の初期の段階への退行という側面について論じた。またこれについてはフロイトの家系のアンナフロイトもせん妄状態は自我の退行であり、精神障害の境界状態は超自我と自我の退行であり、ノイローゼは無意識の退行であると精神分析学に基づいた詳しい病相を説明している。精神というものは化学において基本原理とされる質量保存と同様の法則が働き、総合的な力は不変であり、焦点はその力をどのように、どのベクトルで機能していくかというものである。フロイトは一般にこの原理を精神経済と呼んだ。この機制はフロイトの科学的な合理主義精神の賜物だと私は考える。

エスや無意識といった概念は心の複雑怪奇な力を説明する為にフロイト理論では一役買っており、またそれらから生起するリビドーの抑圧が人間にとって負担になったり、それらに対応するために人間の反射的な機能である防衛機制をフロイトは提唱し、のみならず両親の良心とも比喩される超自我の力も理性の位相では働き、知覚の段階では意識がその役割を果たしている。ユングの説によると父親は人間にとっての神であり、母親はグレートマザーという象徴的な表象を通して人間の超自我的ないしは意識的なストッパーになるという。しかしながらポバーはこうしたフロイトやユングの無意識などの概念は反証可能性がなく、したがって科学とは呼べないものであると彼らの学説を批判した。私は先ほどフロイトの理論構築には科学的な合理主義精神が是認されると言ったがそれは無意識のことではなく、あくまで精神経済のことについてである。私もポバーの批判と同様に無意識を非科学的だとは感じる。しかし科学でないからといって正当性がないと判断するのは明証性に対する考察が欠乏している証拠であるように私は考える。私は作業仮説的に概念や体系を構築したりしない限りは説明のできない形而上学的な領域が現実には存在しているように考えるのだ。かつてニュートンが機械論的な宇宙論を展開した。そこでは運動方程式や万有引力の法則などの基本原理によって広大無辺な領域を説明しようという狙いがあった。その後、オイラーの解析幾何学的アプローチによってニュートンがユークリッドの「原論」を参考に説明した部分にさらに厳密性を増幅させた。またその後にアインシュタインの相対性理論やボーアなどの量子力学の創始によってその体系にも20世紀にパラダイムシフトが起きた。最初は荒唐無稽な、一面的には科学的な明証性の足りない理論だとしてもそれが何だと言うのだろう。明証性を測るバロメーターは科学だけではない。もしポパーがフロイトやユングの理論に反証可能性が認められないと批判したとしてもだからフロイト理論やユング理論に全く価値がないと判断していたのならそれは極端であるが、私には彼の胸中の深層までは分からない。それでも私の理論の正衝動には反証可能性はある。帰納法的に人間には正衝動が発生する余地がないことを証明すれば良いのだ。しかしそれは途方もない作業であるので、量子コンピューターのような圧倒的な技術を借りないとその分析には長い期間を所要するであろう。しかしここで私が言いたいのは反証可能性の有無ではなく、その真理性を見据えた目的論を重要視するべきであるということだ。そして無意識とエスの抑圧も私の意見ではやはり論ずるに値するのだ。

エスと無意識の抑圧について、先程私は超自我の作用や防衛機制の作用が人間本来の機能として発生すると述べた。そこでここではさしあたり抑圧と防衛機制について述べる。そこでは次のような意見がある。


 防衛機制は、衝動の危険からの、自我が行う逃避の試みであると定義した。

 本論文(『不安の起源とその行くえ』)に遡るおよそ三十年前、つまり、神経学的観察とを結合しようと展開していた初期の研究『防衛・神経精神病』で、これもまた精神分析の基本の一つになる「防衛」という概念を提出し、その後に防衛機制という代わりに「抑圧」という概念を使用したりなど、両者はしばしば同義的に用いられて関係が明確ではなかった。そこで今回、防衛とは、「自我が葛藤にさいしてーそれはときには神経症をまねく―役立てる全ての技術を総称している」として、「抑圧はこの防衛手段のあるもの、つまり(…)最初に分かった防衛手段の名称である」と述べて、抑圧を防衛機制の一つであると概念化した。

 それとともに、初期には「抑圧によってうっ積した衝動の高まりが不安を引き起こす」とみていたがこれを修正し、むしろ、「自我に生じる不安が抑圧を引き起こす」とした。

 次いで、分離や取り消しなども防衛の一つだと注意を促しながら、「ある型の防衛と特定の疾病との間に、密接な関係が存在し得る可能性が考えられる」として、ヒステリーでは抑圧を、強迫神経症では分離と取り消し、恐怖症における書き換えをあげた。

 こうして抑圧は防衛の中の一つであることを明確にして、その後これは、アンナ・フロイトによる『自我と防衛機制』として著された研究へと受け継がれた。さらに、神経症的防衛機制と精神病的(原始的)防衛機制へと分化して研究が進むこととなり、当初神経症のみに限られていた精神分析の対象が精神病にまで学問領域を拡大して、今日の精神分析学の発展を導いた(精神病水準のAを治療対象となし得たことは原始的防衛機制による転移理解が可能になった結果である)。これらの基盤となる防衛機制がこの論文で明確になったのである。(587頁~588頁『現代フロイト読本2』監修 西園昌久 編集代表 北山修 編集委員 松本邦裕 藤山直樹 福本修 みすず書房 2008年)」

 

フロイトは抑圧とは防衛機制とは別物ではなく防衛機制の一つだとした。そして自我に生じる不安が抑圧を引きおこしているようだ。防衛機制は自我の一つの機能であり、この機能の活発さが人間の生命力やバイタリティを示すものではないかと私は考える。フロイトは精神医療の現場における基本的な原理の考案を発見し、未開拓の領域に対して果敢に研究していかなければならなかったのだ。また神経症的防衛機制と精神病的(原始的)防衛機制へと分化することもカテゴリー操作としては適切であり、これ以外のノイローゼそのものや超自我、自我、エスと意識、前意識、無意識に分けたことも理論の補強のために弁別が不可避であったと私は考えている。なぜなら様々なものが一度渾然一体となっていれば学問探求は暗冥なるものになってしまうからだ。私はフロイトの学説について無意識とエスの抑圧というものが彼の専門であったヒステリーやノイローゼ研究に直接的に関与する実用的なものであったと考えている。

また無意識とエスの抑圧が働く場面として同性愛願望があることが、次のように指摘されている。

女性への転換という妄想は、第二回目発病の前期症状として出現した反覚醒状態で突如浮かんできた、「女性になってセックスしたらどんなにすばらしいであろう」という観念の実現に他ならないことが明らかである。フロイトが心の奥底に深く抑圧されていた「同性愛願望」の爆発であると確信したのは、もっともなことであろう。ただ最初のうちはこの内的な同性愛願望をそのままのかたちで認めることは人格のバランスを壊してしまうことにほかならず、それにより自己システムからの激しい抵抗に遭遇することは論じるまでもない。経過の紆余曲折が何よりもこのことを物語っている。ある時は、明らかな抵抗(男性的抗議)、被害妄想の形への変形、そして神を引っ張り出して世界救済という大義名分を勝ち取ることによって、同性愛の認知を通じたオーガズムの達成にまで至るのである。(223頁~224頁『現代フロイト読本1』監修 西園昌久 編集代表 北山修 編集委員 松本邦裕 藤山直樹 福本修 2008年))


フロイトは抑圧された同性愛願望を解消する上で神の啓示や不況、そして精神病理学的には被害妄想への執着などの紆余曲折が役立ち、なおかつそれが人格のバランスを壊してしまうことへの対処から自己システムからの激しい抵抗のあらわれであるのだ。


ここで、フロイトがこの過程で生じた被害妄想をめぐる自我の防衛として描いてみせたことは有名である。あの「私は彼を愛する」「私は彼を愛さない」「彼は私を憎む(追跡する)」(否認、反転、投影)という、本活動を抑圧して身体症状に転換したり、特異な思考や観念に変換したりするヒステリーや強迫神経症ではみられない、投影を中心にした特異な防衛体制が敷かれていることを描いて、精神疾患の説明にいかに「リビドー理論」が有用であるかを示しているのである。抑圧を防衛機制へと変換する先触れとなっていると同時に、精神病の防衛機制を最初に記載したものとして重要である。(224頁『現代フロイト読本1』監修 西園昌久 編集代表 北山修 編集委員 松本邦裕 藤山直樹 福本修 2008年)


フロイトのリビドー理論にはポンゾ錯視の例を出して私が批判するところであるが、そのリビドー理論の有用性もある程度は保証されているものだ。それによって抑圧の防衛機制への変換を円滑に論じる事が可能になっているのだ。


第5節 フロイト理論のアンビバレンスについて

 

私は第2章で自説を展開するのだが、理性と感性の中間項である正衝動の原理を説明する前に私はこの両価性の、心理学用語で言うところのアンビバレンスについての解釈を述べていきたい。このアンビバレンスという言辞自体は最初に使用したのはブロイアーであり、後にフロイトが精神分析学の理論構築の骨子として組み込んだというコンテクストがある。フロイトの場合、エディプスコンプレックス的な両親への愛憎感情が生じるのが口唇期、口愛期、肛門愛期以後の男根期における発達作用がアンビバレンスという言葉で表現された。同じ空間、同じ時間で相反する二つの両極性を胸中に抱くのは直観的には不自然に感じるものだがここに人間の無意識やエスにおける抑圧された欲望があらわれているのだというのが現代の精神医学、心理学では通説である。

アンビバレンスは人間が本来持つ天然の心の現象である。人間の感情転移はナルシシズム的のノイローゼのような神経症の一類型のみならず、一般の発達過程にも見受けられる。人間の自我と対象の関係が認知されると同時に愛と憎しみは人間の心の内に同居することもある。

外界は自我と同化する快感が横溢している部分と自我とは無縁の部分に大別することができ、その一部を外界の中にうつしだし、精神の現象の一種として人間の外界との関係は構築される。そしてそれらをしばしば敵と見出だしたりし、人間の精神ではフロイトの防衛機制で言うところの同一視や投影などといった人間の防衛機能の温床となる。この心的機能は正衝動の理性と感性の両価性という性質にも理論的に応用可能である。 また私が提唱するフロイトの知覚の精神構造を想定し、それらを正の性質と作業仮説的に捉えた場合の正衝動に基づく新たな負の意識、物理学のディラックの海のような意識が存在し、そこに超越した理性と超越した感性のアンビバレンスが私には認められるのだ。またついでながら理性的な精神構造の面では超自我を自然数のようなものとし、自我を有理数のようなものとし、エスを実数のようなものとすると、正衝動に即してつくる新たな領域は複素数であり、人間の理性の総合はこれらの級数である、と私は考えた。これらの私の自説についての詳細な解説は第2章にするが、この節で重要なことはアンビバレンスという脈々と受け継がれてきた概念の有用性である。そして前節までで重要なことは私が述べたフロイトのノイローゼなどに対するリビドーに基づく一定の理論的な有用性である。しかし私はフロイトの創造した精神分析理論のフレームを更におしひろげ、新たな統合失調症をはじめとした精神疾患治療の基礎となるオルガノンを提唱したいので、2章では私が様々な勉強および研究を経て着想し、そして長い時間それらを考察し、理論化体系化した私独自の議論を私は展開する。まとめとして第1章は私を含んだ精神疾患者の治療に類似したノイローゼなどの臨床理論について触れたので、後に続く私の着想した原理の前段階としては十分な土台になったと私は考える。


第2章 理論精神学の当事者研究的諸原理


第1節 フレームについて

人間はあまねく物事を捉える際にそれらの理解を促進したり、或いは阻害したり、とにかく何らかの思考の枠組みを精神内に持っている。これは自明の事象である。持っていると仮定しなければ私を含めた人間のメカニズムが根本的に現実と相容れないものになり、のみならずその枠組みという知的活動の原理原則の消失により人間は他の生物との差異を持たない存在になっていることになる。これは倫理学では規範(norm)などと一般に説明される概念だが、本章では私は、この枠組みという概念を明確にし、機械論的な諸原理に基づき新たな諸原理を提唱していきたい。またこれ以後の記述では私はこの枠組みという概念をこれまでの枠組みという概念とは差別化を図るため、フレーム(frame)と呼ぶことにする。

最初にフレームはこれまで多くの諸学者によって説明されてきた形而上学を敢えて無視して論じなければならない。そうする意味とは、この精神の諸原理を解明するためには存在の背後にいる創造主を逐次念頭に置き、説明していたら、それは実際的な精神的問題の解決とは無縁な存在について論じている訳であるからどうしても実用性のない理論に終始しがちになってしまうからである。或いは神が実際に存在しているかどうかはパスカルの言葉を借用すれば「考える葦」である立場を超えた理論になってしまう。元来神の如き知覚のような概念はその本質ゆえ科学的な根拠を見出すことができず、そのような絶対的な、万物を見通すような知はもはや人間の思考能力の範疇を超えてしまうことが想定される。私はそういった議論にも重要な価値があると思うし、事実そういったことについて考えることはある意味で人間らしい強靭さを感受できるのだが私がこの理論で提唱するのはあくまで統合失調症の当事者である私が実際の臨床に直結する学問分野の知見である。ここでその学問分野の改名の必要性に迫られていることを私は強く意識している。なぜなら私がやったように精神医学の研究によって培った精神医学の手法と実際に経験した当事者研究の手法を統合させた学問分野は、私の知る限り見当たらない。或いは存在してもその萌芽のようなものに終わっている場合が想定できる。したがって私はこの私独自の理論の学問分野を「理論精神学」と名づける。この名前は心理学よりは精神医学的知識の反映が濃く、また当事者研究的な理論の要素が渾然一体となっていることから(当事者研究の)理論精神(医)学と考え、このかっこを刷新の意味を込めて省略したことによって完成した名辞である。とにかく私は形而上学を筆頭とした思索はこの場では理論の性質上原則行わないことにし、私の独自の理論を展開していく。なお、創造主などについては論じないものの、私はある程度作業仮説的な概念はこれ以後論じていく。それらを突き詰めていけば存在論や形而上学的な論理に繋がるが、それについてはこの理論精神学の一理論ではその実用性ゆえ論じる事はしない。

フレームは何よりもまず、現実世界を受けた思索、印象などを統合させ自己の内部で生成されるものだと暗黙の認識のようなものが人口に膾炙されている。しかし実際そのメカニズム一辺倒になっていたら人間の尊厳そのものも極めて無味乾燥なものになってしまうし、何よりその論理が横行するのなら赤ん坊は最初から何らの個体性に先立つ統合能力を持たないということが演繹される。発達心理学や経験主義的な学説ではそのことを仮定した上で様々な学者によって理論が量産されていったが、私は個体として人間に脳があり、中枢神経があり、末梢神経があり、臓器を筆頭とした、まだまだ成人と比べると矮小であるがそういった器がある人間が生命活動を維持している限り如何に原初の状態であっても統合能力と全くの無縁ではありえないと考える立場の人間である。したがってこのフレームについてこれから論じる際にもそれを前提とした論理を展開していく。ただ、だからと言って経験主義などとは反対の合理主義とはまた相違のある認知の学説が私のフレームについてのそれである。

フレームは私の言葉で表現すると理論と感覚の統合であるのだが、厳密にはそれだけではない。実際フロイトはこれと近似の命題に疑問を感じ、性衝動(リビドー)や死への衝動(デストルドー)という概念を過程として自らの理論に導入したと私には感じられる。私はフロイトの仮説導入を受けてもまだ真理の解明に至る上での問題を感じたため私も新たな衝動を定義する。それは正衝動(しょうしょうどう)と私が命名したものである。新たな仮説を導入する上でのオッカムの剃刀に代表される問題が生じるのも私は理解しているが、真理の解明のために満を持してこの仮説を含めた私独自の仮説を立てたいと考える。この正衝動は人間が自らの内部に自然発生させる性衝動とはまた別だが同様に人間の本能的な源泉から湧き出る衝動である。しかし性衝動やフロイトが後年提唱したデストルドー、死へと向かう衝動に代表される快不快の彼岸には隷属しないのがこの正衝動の最も特筆すべき特徴である。この衝動を説明する上で重要なのはさしあたり「正不正の彼岸」と名づける原則である。一般に正不正というと一見すると倫理学的な問題について述べているように考えられるかも知れないが、ここでの正不正の彼岸という言辞は意識上の正攻法の思考の上で正不正が判断され、それが元となり、人間の統合能力全般に甚大な影響を与える訳ではなく、むしろ理性によるものとは言い難く、しかし同時に感覚的なものであるとも言い難い、双方の中間項でそれらの萌芽或いは残滓と言うべき衝動なのだ。むしろ理性か感性のどちらかに偏ってしまえばそれはどちらかの判断基準で捉えられるのであろうし、また悟性という言葉にも当然それが経験界に属する知性という字義である以上、ここでの私の学説には該当しない。なお、ここで重要なのは快不快でも善悪でもなく正不正であり、その内実は個人の直観的な感覚の事情を超越しつつ、なおかつまともな理性の奏功がある訳でもない特殊な判断基準なのである。

正衝動はそれが正しいものであるという確信を持って存在する衝動である。またこの正衝動は第一群として、常に自己の内側に発生する。所謂自己はこの衝動の温床なのだ。そして自己と言うのはここでは意識、前意識、無意識、全体をひっくるめた全体的で気宇壮大な知覚、経験、理性など玉石混合の精神的要素を悉く総括したものであるとここで改めて定義する。そしてこの理論の特異な点が正衝動はそこだけに留まらず、第二群として自己の外側からの影響も決定的なまでに人間は享受する。ユングの提唱した集合的無意識のグレートマザーやアニマ、アニムスなどの象徴的顕現だけではなく、また同様にユングの提唱した、一般に意味のある偶然、即ちシンクロニシティも含んだ、粒子的なものが外側より立ち出でて現れる。これも正衝動の構成要素であり、概念的な粒子の集合体である厳密にその正しさは「対象の強靭さ」、「時間的な対象の存在の長さ」、そしてユングの集合的無意識における象徴やシンクロニシティなどを包摂した、「色彩を帯びた超越的資質」という三種の概念的尺度でその正衝動の立ち位置を明瞭化できる。そしてその第二群の正しさの粒子は物理学者のラザフォードの放射性物質から出ている三種の性質であるα線、β線、γ線の存在と同様の性質がこの第二群の正衝動にも理論的に適用可能である。即ち人間に対して最も煽情的に働きかける正衝動を自己における透過度が大きいα線であり、そうではないどちらかと言うと理性や知性による咀嚼がないと即座には自己に働きかけない正衝動を自己における透過度が小さいβ線であり、ユングの言及したような集合的無意識に代表される正衝動がどちらかと言うと無意識に依存した、比喩的に電荷を持たない、物事と言う粒子の周囲を飛び回る色彩であり、その性質が電荷を持たない、電子のようでかつ無意識的なものであるから精神的透過度が高い、即ちγ線である。私はラザフォードの学的見識をこの正衝動の原理についての理解の補助になると考え比喩表現として取り沙汰した次第である。


またこの正衝動を参照までにカントの理論を交えて説明する。その理由は私の提唱するフレームにカントの用語で言うところの「アプリオリ(先験的)」な部分が否応なく確認できるからだ。無論正衝動はユングのシンクロニシティの例で示したように、外部にも存在するものであるのだが、自我の内部での機制も交えて考察しないとこの理論における記述のみでは却って混乱を招いたり、誤解が生じたりするおそれがあるので私は正衝動に対しカント理論を参照にしながら私の理論を補強していく。

パスカルはカントの理論について次のような筆致示している。


認識は、対象をアプリオリに認識する仕方にかかわりがあるとき、超越論的である。『純粋理性批判』の第一版の序論には、つぎのような定義があった。


「私が超越論的と呼ぶのは、一般的に、対象よりも対象についてのアプリオリな概念のほうをあつかう認識のことである」(『純粋理性批判』四―六三)。―(『カントの哲学 入門と概説』ジョルジュパスカル著 ガブリエルメランベルジェ 橋田和道 訳 43頁)


この書物によると認識は初めから自分の中に宿している、アプリオリな認識において超越論的だと述べられている。したがって私の提唱する正衝動にもこの超越論的側面がカントの理論に即すると、一般に認められる。次にパスカルは次のように言及する。


第二班においてカントはこれをつぎのように訂正する。


「私が超越論的と呼ぶのは、一般的に、対象よりも対象についての認識の仕方のほうをあつかうあらゆる認識のことである。ただしこの認識の仕方が、当然、アプリオリに可能であるとされているかぎりにおいて」(同書四ー八七)


これでわかるのは、超越論的ということは、経験的ということと対照をなすということだ。たとえば、因果律の原理が超越論的であるのは、ものに対する認識が、ものそのものではなく、ものを認識するわれわれの仕方によっているかぎり、この原理はこの認識とかかわりがあるからだ。そうしてこの意味で超越論的は超越的と似ている。超越的とは、どんな経験をも超えるものを示している。とはいえ、この二つの語を混同してはいけない。というのも、超越論的原理は、内在的な使用、つまり経験の対象についてしか使用してはいけないからだ。(同書五―一三参照)。超越的原理は逆に、経験の対象を超えようとする。だから、超越論的ということを、内在的ということと超越的ということの総合であり否定である、と定義できるだろう。なぜなら超越論的ということは、経験のなかで見つかるもの、それでいながら経験のなかにはないもの、そういうものの認識を意味しているからだ。たとえば、空間というものの認識は、空間の概念によって、アプリオリな総合的認識のーすなわち、経験からは得られないものに経験がしたがわなければならない認識のー可能性を説明できる点で超越論的なのである。超越論的とは、経験に対して規定づけをするのであり、経験によって規定されるのではない。だから、すべては、あたかも空間がものの特性であるかのように、すなわちあたかもものに内在するかのように見える。だが空間はもののなかにはない。空間はものを知覚する主観的な条件に過ぎない。

この意味で、超越論的ということばは、カント哲学の性格を十分に表している。すなわちこの哲学は、経験を構成する要素、現実をとらえ整理する手段を、まさに思考をつうじて見つけようとするものなのだ。

しかし、当然、超越論ということばが出てくるはずのところに、超越論的ということばの出てくることがよくある。それはふつう使われる場合内在的な超越論的原理が、えてして超越的な使われ方になってしまうからだ。理性のイデー、たとえば神というようなイデーは、感覚的世界の条件のつらなりを完結させる理由をたんに求めていることに対応すると考えるなら、超越論的イデーと呼ばなければならない。しかしこれらのイデーをつうじて、感覚的ではないなにかの現実を規定すると考えるなら、超越論的と呼ばなければならない(同書五―二五八参照)。そうして、超越論的なイデーが、ある意味で同時に超越的であるのは明らかである。(同書43-45頁)


カントが超越論的と呼ぶのは、一般に対象よりも対象についての認識の方法をあつかうあらゆる認識であり、経験的ということと対照をなすものであるとパスカルは述べる。例えば因果律の原理が超越論的であると人々に捉えられるのは、ものに対する認識がものそのものではなく、ものを認識する方法であり、その原理が現実世界での認識とかかわりがあるからなのだとパスカルは続ける。

そして私は先ほど、カントの理論に即して言えば、正衝動には部分的な超越論的側面があると述べた。だから正衝動ではパスカルの言辞を引用した上で、狭義の、即ち超越論的側面に限り、表現するならば「経験のなかで見つかるもの、それでいながら経験のなかにはないもの、そういうものの認識」であり、また「アプリオリな総合的認識の可能性を説明できる」という部分的な二種の性向を兼ね備えている。しかしながら正衝動においての全体像はアプリオリなものの総合的認識の活動領域は定まっており、物自体にも、そして自我自体などでも自らの内奥で生起するものであるとも言いきれず、従って正衝動には超越論的側面はある程度認められるけれども、やはりカントの学説のみではその定義を完結させることは理論上不可能である。そして私はその主張の補強を次からも展開していく。

2節 精神構造の革命


私はフロイトの掲げた主に人間の自覚における意識、前意識、無意識構造と主に人間の具体的な心の役割へとつながる超自我、自我、エスについて前述したように問題点を感じたためこれから正衝動の原理に基づいて刷新していく。まずこの学的領域について参考になるのは物理学者ディラックが提唱した「ディラックの海」の概念である。まず私の精神構造の革命における理解の前段階としてディラックの海の説明を解説する。ディラックがこの説を提唱する以前は一般的に真空というものは何も入っていないのだと捉えられたが彼は真空が電子で、負のエネルギーで横溢しており、その様相を暗喩的に海と表現したのがディラックの海である。そして正衝動にも同様の法則が働くという仮説を私は立てる。私は先程、正衝動があたかも実在するものであるかのように説明し、外的な正衝動については第一群、第二群と大別し、内的な正衝動については理性と感性の中間項としか分類できず、不偏不党な両者の萌芽或いは残滓の集合体だと言うように説明した。しかしながらこれらの学説とこれから説明するディラックの海的な正衝動の原理はあくまで物理学的な用語で修辞すれば慣性系と非慣性系の相違のようなものですなわち、ディラック的正衝動の方は刹那を維持しようとする力であり即ち慣性系のようなものである。反面前に記述した正衝動はそれ以外に分類される非慣性系のようなものなのだ。

正衝動がたちどころに現れるための土壌となる本質は負の要素、電子的な存在であり、空虚な空間には絶えずその電子的存在が横溢している。そういった意味でこの広い意味での正衝動は神出鬼没な特性を備えており、これを人間の自覚に焦点を当てた精神構造の意識、前意識、無意識の構造に落とし込み、それら、換言するに自己そのものを一括した全体を更に覆う大円、ディラック的意識というように私は表現する。これは前述したように自己の内部にも眠る意識でもあり、厳密にはフロイトの提唱した意識体系に先立つ(ある意味アプリオリな)、真空を埋める意識ではあるのだが図示する際にその原理を踏襲した表現手法は私には思い浮かばないのでとにかく既存の意識体系を覆う大円と、さしあたり私は表現しておく。

そして次は人間の具体的な心の役割に焦点を当てた精神構造、超自我、自我、エスについても私は刷新していく。これも既存の意識体系と同様それらを覆う大円であり、正不正を帯びて我々を揺さぶる、即ち一面的には倫理的な意味で我々を啓蒙する、さしあたり私が「正示自我」と名づける新たな構造が書き加えられる。しかしこう言うとそういった昨日は既にフロイトによって説明されており、それは両親の良心、倫理や道徳、良心に関して我々の判断力、思考力、統合力などを検閲する超自我という概念があるのではないかと想定される可能性があるので、この学説についてここから私は厳密に記述していく。超自我の働きは自我を検閲し、各人の行動に修正を与えるものである反面、正示自我は自我の検閲はせず、単に農作業で言えば肥えた土壌のようにただ唯我独尊に自己を覆う自我構造である。この超自我、自我、エスの三層構造で見るとやはり先程と同様、正示自我は自己を覆う円となって発生する。


フレームの方向性について、人間が一般にどこに向かっていくのか、またどこに向かっていきそうなのかを論じる際にはヘーゲルの絶対的観念論を引用し、説明することが可能である。フレームの機能は精神構造の、ことに感覚的なものではなく、知的なものに対して論じる際にはヘーゲルの絶対知という学説を交えることができるのだ。ヘーゲルは以下のように述べる。


絶対知とは自身を精神という形態において知る精神であって、それをいいかえるなら概念的に把握する知にほかならない。(中略)真理はその現にあるありかたにおいて、すなわち知る精神に対しても、自己自身の知という形式において存在するのだ。そのさい真理は内容であるとはいえ、この内容か宗教にあっては、みずからの確信とはいまだ同等ではないのである。この同等性がなりたつのは、しかし内容が「自己」という形態を獲得する場合である。そのようにして〔はじめて〕現にあるものという境位へと生成し、いいかえるなら意識に対する対象性という形式へと生成するはこびとなるものこそが、実在そのものであるものであり、すなわち概念にほかならない。(571-572頁『精神現象 下』GW.F.ヘーゲル 熊野純彦 訳 ちくま学芸文庫 2018年)


絶対知は自身を概念的に把握する知であり、そのさい真理の内容が自己という形態を獲得する、すなわち実在そのものとして、対象と自己を一致する知であるというのがヘーゲルの言う絶対知である。私のフレーム理論においてはこの絶対知はフレームの、知覚やら感覚的および理性的な残滓あるいは萌芽などを蒸発させた、現実の対象との純粋な一致である。人間のフレームの一部でありながらそれが対象との実在そのものとしての(諸)認知であるというのが私のフレーム理論における特殊性の一つの類型である。しかしながら概念とはフレームの理性という領域で生起する一要素であり、概念単体を指してフレーム全体を分かった気になってはいけないのである。そしてフレームの構造上、絶対知が単体を定立することはフレームの変化過程を考慮してもあり得ない。絶対知が成立する際には同時に雑多な異物もフレームの中には含まれているのだ。

3節 方法的懐疑による自動抽出

 私はこの理論の序論でポンゾ錯視にまつわる児童の架空の事例を想定して、フロイトの性衝動という概念だけではまだ人間心理が五里霧中であるという問題について述べた。そこでデカルトの方法的懐疑という言葉を用い、少しでも不確かなもの、明証性が十分でないものだと判断した場合には徹底的に懐疑の姿勢を維持しつつ、真理を導き出すというその言葉の意味の内奥に正衝動の息が同居しているということをそれとなく説明した。しかしそれだけではこの理論の形式に合致せず、のみならず全体的な理論としても端的に言って中途半端なものになるのでこの節では私が考案した新たな概念、「自動抽出」をさしあたり私が名付けた原理について詳細に説明していく。

 方法的懐疑自体は人間の知的能力に依存し、その力を駆使して展開される一種の思考様式ではあるのだが、私の自動抽出法の自動という文言の意味は、方法的懐疑に伴って見かけ上は人間の力が作用していない極めて機械的な原理であるという意味である。そして抽出という言葉の意味はまさに正衝動の抽出、という現象を率直に表現したものである。従ってその現象を表現するために自動、抽出、の語句を合併して自動抽出と私が表現するのである。言葉の成り立ちについての解説はここまでとして、この原理について論述していく。なお、自動抽出と言うのは方法的懐疑だけに限って現れるものではない。自動抽出の例は日常茶飯事において雑多なものが予想されるが、ここでは敢えてそれについて述べず、あくまで精神構造について、統合失調症当事者の一人として核心的だと考えられる方法的懐疑に基づく自動抽出について述べていく。方法的懐疑は、人間のフレームにおいて知覚の攪乱や理性的な誤謬と言った問題を解消するために主に用いられる、と私は考えている。そしてその中で正衝動を抽出することがその思考様式の中で自動的に導出される。これはどういうことかと言うと、ポンゾ錯視の例で説明したようにまず知的能力や感性を度外視してとりあえず方法的懐疑の手段に講じ、そして正衝動を人間の統合能力による習得物の内奥を副産物として自動的に見いだされる。ここで自動的というのは人間の元来の衝動がそのように反射的に作用するという暗黙の原則が作用するからだ。そしてその方法的懐疑という主に知的能力に依存した思考様式の中に人間の原始的な、かつ本能的な衝動が根付いているのは正示自我の性質をこの上なく如実に表す重要な証左である。

 なお、デカルトの方法的懐疑の中心理念は正衝動の自動抽出の中心理念と一致している。ヘーゲルは著書『精神現象学』の中で以下のように述べている。


自然的な意識は〔このみちゆきを辿ることで〕、みずからが知の概念にすぎないこと、いいかえれば実在的な知ではないしだいを示してゆく。(中略)みちすじは、それゆえ〔デカルト的な〕懐疑(Zweifel)のみちすじである。(中略)

じぶんの確信にしたがうことは、もちろん、権威に身をゆだねること以上のなにごとかではある〔デカルト、ベーコン〕。(137-138頁『精神現象学 上』G.W.F.ヘーゲル 熊野純彦 訳 ちくま学芸文庫 2018年)


権威に身を委ねるより崇高で、自然的な意識の中で自ずから生じるがデカルト的な懐疑、即ち彼の言葉で表現すれば方法的懐疑であり、そのアプローチが理論精神学においても機能する可能性を示すのである。

まとめ

 この論文で私はフロイトの理論の不完全さに問題を確認し、その問題の氷解のためにまずはフロイト理論のある程度の正当性と分析を行い、先行研究を私独自の理論の展開の前段階として解説し、そしてその次に私独自の着想や思索の成果を紹介した。そしてドイツ観念論や超越論も交え、哲学的な領域における説明を、人間の方向性を示す意味で私は加えた。哲学的領域、当事者研究的領域、そしてフロイトの精神分析学的領域から私のこの一連の論文は生じ、それらが渾然一体となった学問を私は理論性進学と銘打ってこの論文を持って創始した次第である。また既存の学問では杓子定規的に思われる部分を私は更に拡張し、より応用性の高い学問体系を作る必要があると私が考えたのも理論性進学を創始する一つの判断であった。これらは前例のない新知見であり、私はこれらを言語化するのに長い歳月をかけ、のみならず四苦八苦したのだがこの理論の主要な箇所として一連の理論を解説した。そして最後に既存の当事者研究そのものに対し考察して、理論精神学の土台を創造するためにこの理論が秩序整然とした形式になるよう腐心して遂に私はこの理論を完成させた。私はこの理論においてフレーム理論の特殊性について論じており、まだ一般的なフレーム理論には至らないが、局所的な議論について私はこの理論で十分やり尽くした。そして我々の研究する上での暗黒領域は雄大で一定の秩序をもって我々の眼前で燦然と輝き、尚も広大無辺に展開しているのだ。

参考文献

フロイト『精神分析学入門』懸田克躬 訳 中公文庫 2019年

『カントの哲学 入門と概説』ジョルジュパスカル著 ガブリエルメランベルジェ 橋田和道 訳 上智大学出版 2009年

『現代フロイト読本1』監修 西園昌久 編集代表 北山修 編集委員 松本邦裕 藤山直樹 福本修 2008年

『現代フロイト読本2』監修 西園昌久 編集代表 北山修 編集委員 松本邦裕 藤山直樹 福本修 みすず書房 2008年

『精神現象学上』G.W.F.ヘーゲル 熊野純彦 訳 ちくま学芸文庫 2018年

『精神現象 下』GW.F.ヘーゲル 熊野純彦 訳 ちくま学芸文庫 2018年






 シルベスターはようやく落ち着いた精神状態になり、東京で事務の仕事をし始めた。日本政府から特別なポストを提供してくれたのだ年収は1000万で上々だった。そして彼は日本で何が起こっているかを意識していた。そして彼を頼る政治家も多く、シルベスターの助言により、政策や公共事業を行う事も増えた。そしてその日本のガバメントの支配、自分自身の比喩的なガバメントの支配は最高潮を迎えた。彼は昔自分が書いた「The Government」を聴き、あの頃の政府というコンセプト、無論心の政府を包含したコンセプトで、歌詞の内容は広範で文学的、哲学的、ヘイトスピーチ的だった。彼は自分が成長した事を重々認識した。「ー政府が、自分のフレームを納得させる事なしに人間にごり押しするのは独裁政治と同じだ。その精神的成熟度はお粗末で、魅力に関しては無きに等しい」彼は昔の「The Govenment」を作るに至った道程を思い返していた。


彼はとある休日に昔の赤川が書いたブログの記事を読んだ。次のような記事だった。




≪Japanese Gentleman≫

 僕は少しこのブログを改造していこうと思う。もう散々独特の文体で書きたい事をこのブログでは書いてきた。時折難解な理論を用い、僕の考えている事とそれらを絡めて伝えたりもしてきた。しかし広大無辺なネットを見てみると僕より遥かにライトな文体のブログが圧倒的に持て囃されている。こうなると僕もその流れに追従して多少なりともこのブログの愛読者を増やしていきたいと思う。無論指数関数的には変わらないだろう。千里の道も一歩から、人生は日進月歩なのさ。指数関数で思い出したけど電気工学でたびたび用いられるオイラーの公式、あれは正弦波と余弦波を指数関数で表した公式である。三角関数は実務の役に立たないと声高に叫ぶ日本人の政治家かなにかがいたが、それは甚だしい誤謬である。三角関数は電気工学とは不可分のものである。また電気信号の周期関数を三角関数の和で表すフーリエ変換、微分方程式を代数方程式に変換するラプラス変換などといったものがある。僕は大学では文系で哲学を専攻しており、こうした科学の知識は全て独学で身に着けたのだがこれらは実にロマンを感じる。幾多の先達達が道を開拓し、ああでもないこうでもないと四苦八苦しながら、分りやすくするための変換というのが度々発見された。また関数解析学には解析接続などもあり、自由自在に関数や方程式をいじくりまわす地盤が整ったと、事実上そう言えるのではないか。この電気工学分野ではガウスの発明したガウス平面、複素数平面なんてものも用いられている。僕はネット上での情報発信において浅はかな発信を度々してきた。それはこの先もそうであろう。オイラーは数論などでも重要な功績をなしている。また現代数学の表記方法などを発明したのも彼だ。彼は失明し、盲目となりながらも口述筆記で多数の論文を執筆しており、オイラー全集は今日に至るまで完成していないらしい。であるからして、最新鋭の学者が発見したものが実はオイラーが生前に発見していたという事がよく起こっているらしい。これはガウスについても同様で、遺構整理の際にガウスが生前にした発見は多くの数学者が発見したものと重複する場合が多いらしい。ガウスはあまり目立ちたがり屋ではなかったし、19世紀のヨーロッパでは数学者で生計を立てられるものは少なくガウス自身も数学の研究は趣味だとみなしていたようだ。まあ趣味程度で成し遂げられるような偉業じゃないが。19歳の時に正17角形の作図にガウスは成功したようだが、これも才気優れる分析家達によると複素数平面というコンセプトなしには不可能であり、したがって10代のころから複素数平面の着想をガウスはしていたらしい。彼はドイツの天文台長をハミルトンと同じように歴任しながら数学の研究を自由気ままに推し進めていたようだ。またオイラーの果たせぬ平方剰余の相互法則もガウスは10代で証明し、発見したようだ。おそるべき猛進である。しかし彼はフェルマーの最終定理を証明する事にあまり熱を注力しなかったようだ。彼の知人の証言では彼は「あのような問題には興味はない。あのような肯定も否定もできないような問題なら私は幾らでも作れるからだ」と言及したという。史上最高の数学者がそう言ったのだ。20世紀になってアンドリューワイルズとリチャードテイラーという数学者が最終的にフェルマーの最終定理の証明に成功するのだが、この際には19世紀のガロア理論や、日本人の志村谷山予想、岩澤理論が使用されたようだ。フェルマー予想は一見したところ至極単純な命題であるように思える。実際nが2までの場合のこの証明の一般化にはピタゴラスの定理がある。またフェルマー自身もこの定理の4次までの証明は行ったという。フェルマーはアマチュア数学者であるが、このような古今東西の学者を苦しめる難攻不落の超難問や、パスカルとの書簡内での確率論の創始などもあり、ともかく偉大な数学者である。彼は当時ヨーロッパ中の数学者に自身が作った難問を送り付け、彼らが解けないのを見て楽しんでいたようだ。デカルトは彼のことを「大法螺吹き」などと言ったりしている。とことん業を煮やしていたようだ。まあ天才というものは一筋縄ではいかない。天才はどこか一癖二癖あるのがスタンダードである。天才の生涯は光と影が必ず伴う。峰が高いだけ谷底も深い、と藤原先生も言っている。常人の人生も起伏があるのは普通だが天才の人生はそれがより過激に表れていると言う。




 前置きの口上が長くなったが、僕は今回の記事では僕がこれから日本人紳士として生きていくという事を話そうと思っている。僕は175㎝以上の長身美人をレディとして扱い、彼らに慈愛を惜しみなく注ぐ。彼女達は美しい、彼女達は僕の人生に必要不可欠である。僕は彼女たちがかわいくて仕方がない。この条件に適合する女性を、僕はぞんざいに扱うことはしないが女としては見れない。まあそれでも構わないだろう。チビの男に愛着の沸かない女性が相当数存在しているのと同じように僕も長身美人以外には愛着が沸かない。まあ人間としては扱うので別に良いだろう。僕はレディファースト、長身美人のレディを楽しませたい。僕は彼女たちに名いっぱい幸せになってもらいたい。まあ既に結婚しているとか、恋人がいるとか、そういった長身美人に色目を使う事はしない。僕は略奪愛だの、不倫だのを蛇蝎の如く嫌忌している。まあ彼女達の存在は貴重だ、これからの日本の希望の象徴とも言えるような人達だ。




 僕は本当に巨人レベルの長身だ。210㎝と公言して忌憚しない僕であるが、昨日筒井康隆の小説を買いに書店に赴いた時、監視カメラにうつった僕の姿は紛れもなく巨人であった。長身の店員が30㎝前後の段差に立ったのと同じくらいの高さであった。このような長身の僕は175㎝以上の長身美人とも釣り合うだろう。チビだとか馬鹿にされることもない。僕は自分の肉体に自信を持っている。しかしここまで伸びるとは思っていなかった。20歳過ぎて。僕のような超晩熟の人間はおそらくかなり稀有だと思う。まあ僕は色んな意味で水準を超越した男であるからそれが肉体の成長という側面でも如実に表れていると思えば頷ける。僕はジョジョよりも長身だ。昔僕は長身の男女を見て大人っぽくて素敵だなあとか思っていたが今度は僕がその素敵だと思われる側に佇立しているのだ。僕はこれから人間の模範として生きる。十分な功績も成し遂げた。またそれ以外の自分が生きた証もこのブログの500以上の記事という形で残っている。僕の人生、これから辛いこともたくさんあるだろうが僕はそんな困難も飛び越えて生きていく。今日はなんだか気分が良い。ネガティブな事を僕は極力ブログでは書きたくないと思っているのでこれは僕からすればありがたい。




 もうすぐ夏だな、この梅雨の季節が終わると。学生時代、夏といえば夏休みだった。しかし僕はそのような長期休暇が統合失調症で全く有効に機能する事はなかった。僕の人生のいきさつについてはくどいくらいこのブログで述べてきたつもりだ。いい加減類似の話題を変えないといけない。




 僕は小学生の頃、周囲の児童と同じようにゲームをしたりして遊んでいた。僕は元来ゲームが苦手なので一緒にプレイしていて友達からぶちぎれられる事も多かった。僕は内心ゲーム如きで、と思っていたが一般に少年にとってゲームは自尊心を満たすための典型的コンテンツである事を熟慮すれば何となくその理由が理解できる。しかし僕はそのような枠にはまらない人間である。僕はどちらかと言うとノベルゲームとかの方を愛好していた。僕は豪華絢爛なゲームよりも静謐さ漂うゲームの方が性に合っていた。これは現在でも似たような事が言える。僕は落ち着いた人格である。少なくとも大抵の場合においては落ち着いた人格である。大人しいと言っても構わない。僕はこのキャラクターを意識し、これから生きていかなければならない。無理は良くない。統失の療養においても無理はご法度だし。まあ僕はこの柔和な目をした日本人紳士として生きてきたい。土人のような「俺」という一人称も僕は滅多に汎用しないし、それも僕らしい。マナーを弁え、生きていく。優しく丁寧な口調で、また挨拶を返してくれなくても挨拶をして。郷に入っては郷に従えという俗諺がある、僕は一見これまでアウトローでアナーキーな情報発信をしていたから一見そのような言辞とは縁故のない存在に思えるかも知れないがやはり僕も一介の日本人であり、だからこそ日本人紳士としての地位や印象を獲得したいと渇望している次第なのである。




 僕は女顔である。このブログのプロフはフェイスアップの加工写真を採択しているが、そんな加工がなくても僕の顔面は女として認識された。僕がしたのは女らしくという効果である。まあ僕のこの挙動は冗談半分でしたものである、それは万人が了解している事だろう。現実で僕が女装している訳ではない。鏡を見ても客観視すれば自分の性別がたまにわからなくなる。これはトランスジェンダー的なのだろうか。しかし僕はジェンダーレス男子のように華奢で小柄な体躯ではないし、化粧もしない、また明らかになよなよした行動を好んでとる事はしない。まあ生物学的には男だし、これから加齢で容貌も衰える。いずれ朽ち果てるものを研磨し、その評価に一喜一憂する事は莫迦のする事だ。僕はそんなことより不滅の美と調和を希求したい。これまではそのフィールドが数学、自然科学、哲学だったがこれからは芸術にしたい。そして僕は芸術家として生き、その天寿を全うしたい。刹那的なものなど何の役にも立たない、大局的に見れば刹那よりむしろ普遍で絶対なものに目を向けるのが僕の性に合っている。例えばゲージ対称性なども絡む成り立つ時空の織物におけるアインシュタインの重力ないしは電磁的慣性。これは記述の道具に論理や数学の言葉を用いている。この手法はガリレオやニュートンなどによって絶対的な威信を今なお誇っている科学のお手本とでも言えるべき手法だ。そして論理や数学などで証明した事柄はその公理が適用しない場合を度外視すれば未来永劫正しい。科学の偉大さはそのしたたかさにある。まあアインシュタインの場合は科学的インフラの整っていなかった中世と比べて相対性理論などの発見における道具や研究などが十分に揃っていた。したがってニュートンとアインシュタインをパラダイムを変えた度合いで単純比較すればやはりニュートンの方が偉大だ。アインシュタイン自身も「私の研究はニュートン理論の至らぬ点を修正したものに過ぎない」と語っている。ランダウか誰かが言っていたが史上最高の天才科学者はニュートンであり、その下にアインシュタインなどが続くらしい。ニュートンは数学の力で天の秩序と地の秩序を結び付け、統一させた。このニュートン力学という世紀の大理論は今でも依然としてロケットを打ち上げるだとかのマクロな力学において絶対的な影響力を誇っている。それほど応用されるという事はそれほど偉大な理論なのであり、ニュートン力学の結実以後の天才としての輝きの喪失したニュートンに対してもやはり名士と言えるのではないかと思う。自然科学者で初めてナイトの称号を得たというのだから実際全く理解されなかった訳ではないだろう。ニュートンがエドモンドハレーの助言により出版した「プリンキピア」を正当に理解できる人間は当時少なかったと言われている。時代に先駆けた、そして革命的で革新的なアイデアが理解され、またその製作者が天才であることを理解されるのは得てして時間がかかるものだ。即座に理解され天才ともてはやされるような人間は手垢のついた才能であり、彼らはどちらかというと秀才である。




 僕の今の精神は元気溌剌、欣喜雀躍、本当に好調である。今は休職期間中であるが、僕はこの期間中にしっかり休んで復職したいと考えている。僕はさっさと上京の資金を貯めて仕事を辞めて上京したい。無論今の職場が嫌いだという訳ではない。今の職場には僕のような落伍者を雇用してくれた恩義もある、ご指導ご鞭撻においても非常に感謝している。まあとにかく、上京したいのだ。最初からその計画だったのだが資金面での不備のおかげで予定が狂った。今現在この地方である京都で生活する事を強いられている。ミレニアム問題などの証明や理論が世間に認知されれば僕には莫大な金額が舞い降りてくる。そうすれば僕は高等遊民生活を送れる。僕の今までしてきた努力に対するリターン、正当な理解評価をされるのを僕は待っている。現実が僕に宥和してくれると嬉しい。その為にも人間としてある程度立派でないといけない。そういう意味でも日本人紳士、ジャパニーズジェントルマンとして生きることを僕は余儀なくされているのだ。今現在でも世間では不平等、不均質が横柄に跋扈しているが、僕はそう言った旧態依然の風潮にアンチテーゼを提起し、またその上で再起不能なまでにその風潮を破壊したい。ガンズアンドローゼズ的に言えばまさにAppetite For Destruction然とした心のうねりに僕は便乗しているのである。





 シルベスターが赤川に聞くところによると赤川の昔書いていたブログ時代は、205㎝から210㎝に成長する過渡期であったらしい。したがってその辺りを変則的なテンションによって変えているかもしれない、との事だった。そんなことはどうでもいい、赤川が巨人である事は変わらない。不老不死だから身長が縮む事もない。仮に不老不死でなく、身長が縮むにしても彼は超長身のままだ。

シルベスターはある日赤川と食事をした。そしてその時赤川からこう言われた。「君の中には既に私の能力の半分を移植してある。最近気づかなかったかね?君の精神には高揚感があり、現実の何もかもが君の重い通りになっている筈だ。」シルベスターは確かに最近自分のヴェーゼンがヴアールハイトに到達したような心地に横溢していた。文壇では文学史上の荒神と呼ばれていた。彼が新たな理性として自分の精神構造を発見した事も、赤川の力に依拠する事だったのだろうか、と彼は思った。もはやこれはアプリオリなものではないかと彼は感じる程昔からあったような心地が彼にはした。これも赤川の改竄能力の証左だろうか。「お前はどんな人間にも自分の力を分け与える事が出来るのか?」「誰にでもではない。素質があるものにしか力は移植できない。君には分かっている筈だ。自分の中の何かに」シルベスターは中学生時代に周囲の生徒に言われた事を不意に思い出した。「シルは凡人にはない、何かを持っている」現在の彼の胸中には希望の光芒があり、彼の雰囲気は絢爛なものとなっていた。

彼のアウフヘーベンは宇宙のガバメントへと運動させた。赤川はもう人間の姿で生きるのが疲れたらしい。隠遁したいと赤川は言った。赤川の宇宙の支配者としての力は形状記憶のプラナリアのような再生能力で分け与える前の状態に戻るらしい。人間の井出達ではなくなるものの、不老不死である事は変わらないらしい。「少し、休ませてもらうよ、たまには休憩もしないとな。神的であるとは言っても何故か気力には限界があるんだよ」彼はいつもの美貌のゆり眉とたれ目の形状を捨てるのだろう。いや、捨てるのか?「お前はまた宇宙の支配者に戻れるのか?」「もちろん、随意次第で今の姿に戻れるよ」シルベスターは安心した。二度と赤川の顔が見れなくなると考えると心中複雑である。シルベスターはいつの間にか赤川に同性愛的感情を抱き始めた。しかし妻子への愛が薄れた訳ではない。彼の赤川への愛はフィリアのようなものだと彼は思っていた。しかしそのイデアを探ろうと思索を進めてみると、案外そうでもないようだった。鋭敏な頭脳を持つシルベスターはある時忽ち自分の機制を理解した気がした。彼の類推のエッセンスは既に大物然としていた。彼はダ―ザインの自分の全ての理性を余すことなく現実世界で発揮できるようになっていた。20代前半まではどこかで自分の思考にストップをかけていたのだが、時間にしたがい思考は高度かつ無秩序なものとなっていた。またシルベスターは最近自分が全然老けていない事を常日頃から疑問に思っていた。赤川との会話で彼の慢性的なその疑問は氷解したように彼には思えた。彼は現在、既にニーチェの思想であるユーバーメンシュを遥かに超えていた。彼は自分の評価様式をクリティークし、その上で刷新させた。その過程も宇宙を司る力のおかげなのだろうか。

彼は赤川と別れた。「しばらく会えないな、僕達」「いや、君が呼べば私はこの姿で参上するよ」「まるでウルトラマンみたいだな」「あっ、分かった?」彼らが生まれたのは同じ90年代であり、また彼らの趣味嗜好もその特殊な知能故かどこか似通っていた。

その後、シルベスターはショッピングモールで食料の買い物をして、モール内のベンチに座っていた。すると何か精悍な顔の長身な壮年男性と思しき人物がシルベスターに話しかけた。「なんか用あるんか?」シルベスターは当惑した。「いいえ、全然」「おい、サングラス外せよ」「殺すぞ」何やら剣呑な言葉を壮年男性がシルベスターに投げかけた。シルベスターは無意識的に鼻で笑った。すると突然シルベスターのこめかみに衝撃が走った。鋭い痛みだった。壮年男はナイフを持っていた。シルベスターの鮮血が周囲に巻き散る。それを見た小娘が悲鳴を上げた。シルベスターは壮年男に明確な殺意を抱いた。そして2秒で自分の傷を治し、壮年男性の前で手をかざした。「なんだ?やりかえすのか?かかってこいや」こいつはどこまで意味不明なんだろう。僕に絡んできた動機も意味不明なら言動も通俗的だ、無論、暴力漢の通俗性である。そして壮年男の頭部は吹き飛んだ。

シルベスターは記憶や記録を改竄し、この事件を一つの超常現象に仕立てあげた。実際彼にとってそれは容易だった。壮年男の肉体は細切れになりながら、壮年男の鮮血が糞尿と一緒に大体半径3メートルに放射状に飛んで行った。その出来事はニュースになった。またシルベスターはモールの監視カメラからもその出来事の際忽然と姿を消していた。無論シルベスターが捕まる訳がなかった。彼は人間を何段階も超越した神的存在であったのだ。彼は人間を殺害した事に何らの罪悪感を感じていなかった。彼にとっての人間の殺害は虫を殺すようなものだった。無論自分の妻子や友達はそうではなかったが。新聞には一面に「グロテスクな不審死 東京都内で無残な壮年男性の死体発見」という見出しがつけられ、その出来事がのっていた。その事件が悪魔崇拝主義者や、日本国内の振興宗教団体、そしてスピリチュアル界隈でも反響を呼び、これは世界週末の序章だと論理の飛躍のある文章で大衆に自分の所信を血気盛んに述べる人物も後を絶たなくなった。

超常現象、人間の常識や科学のフレームで説明できないものがしばしば、人間の文化的生活を屹立させる動力源となってきた事は事実である。シルベスターはこれを端緒として、人間の文明が発展するだろうか、芸術の新たなジャンルが出来るだろうかと思っていた。シルベスターは表向きには多妻の旦那であり、10人以上の子供の父である。彼のことどもの4人は既に高校生となっていた。国内の高校生探偵がシルベスターの殺害を何者かの意図による犯行だとして、色々と調査をしていた。しかし彼は何の手がかりも得られなかった。

シルベスターは殺人をどこかに皺寄させる事はなかった。既に大金持ちとなったアクマニヤン一家だがシルベスターは平日は社会人としての責務を果たすべく労働に没頭した。彼の仕事ぶりは丁寧で、やる気に満ちていて、一生懸命だとされていた。またたびたび彼のファンが彼の職場に来て奇声を上げるなどの事があったため、彼の職場と彼は大々的にそういうことは遠慮願うよう文書を作り、情報発信をした。それからというものそういった行動が奏功したのか彼のファンは姿を現さなくなった。しかしそれ以外の場所ではシルベスターは声をかけられていた。何故かは分かる、自分が多大な功績を残したからだ。もはやシルベスターは赤川のような思考回路になっていった。無論最初から赤川的ではあったものの、シルベスターは最近目に見えて天才肌らしい行動を取るようになった。彼の突飛な行動は枚挙に暇がない程ある。したがって公表する事はしない。しかし今や彼は日本中のスーパースターとなっていた。そして彼も意気揚々として自分のペースで小説を書き続けた。彼は何を書いても、どこに出しても大丈夫な文豪になっていた。彼は20代の頃、文学賞なんて受賞されず、一人悶々と自己満足のためだけに小説を書いていた。昔を思えば彼は笑ってしまう。無論嘲笑や冷笑ではない。ただの陽気な、おおらかな笑いである。自分の努力を思いだす事で自分の成長を明瞭に感じ取れるからだ。

彼は久しぶりに赤川に会った。赤川は鷲の姿をして山麓に佇むシルベスターの横に座った。「調子はどうだい?」「悪くないよ、ただ、少し疲れてきたかな。まあ偉大なる力には偉大なる責任が伴うって言うしな。どうだい、君も旅してみるかい?私と同じように」「それも良いかも知れない。しかし妻子が死んでからにするよ。夫が突然蒸発したりするのは流石に妻子が可哀想だ。まあ100年もたてば旅をするよ」

そして100年が経った。彼の多妻は全て死亡した。彼は彼女達の死がつらかった。しかし実は神的力を持つ者の特権として死んだ霊魂と会話が出来る事をシルベスターは知った。そして彼女達に電話をかけた。案外元気そうであった。彼女達の霊魂は若い頃よりもさらに活動的で無限の体力や気力があるらしい。彼女達は異次元を行き来し、あの世では色んな数のデータ、枝葉末節のデータでさえも閲覧可能であったらしい。シルベスターは神的存在なので、あの世とのコンタクトも取れる。そのコンタクトの可能性に気づいたのは妻の一人が死んでからであった。

彼のガバメントは最早絶大な存在となった。そして様々な理論を現在でも生み出しつつある。以下は彼のブログの一部である。我々はこれを極秘で入手した。我々は最後にこのブログを持ってこの記録をしめようと思う。そして読者にはこれを書いている我々の感動の余韻を少しでも感じて欲しい。




≪置換群≫

現在の僕の人生は昔のどこかの人生の地点からの置換であり、僕の人生を構成するものは置換群である。神によるカテゴリー論的操作の集大成が僕の人生の置換において表れている。現在の形態に至るまで僕は統合失調症だの、入院だの、幻滅だの、迫害だの、いじめだのと様々な苦痛を甘んじて受けるしかなかった。しかしその変化の経路に関しては僕の内部の物理法則が遺憾なく発揮されたからか、最小作用の法則に基づいた結果を厳然と現在の僕の脳裏でも保っている。僕はこの世の生きとし生ける存在全てが何らかの置換によって構成されているのではないかと思う。これはコペルニクス的転回であるし、易々と民衆に迎合されるような理論ではないだろう。しかし僕はその理論を信奉し行動している。これは僕の中のおびただしい現象を限定された統一体系で考えたいというある意味僕の中の頑固さの表れである。こう考えている内は本当に楽である。現実はカオスである、些細な変化を現実に投擲するだけでバタフライ効果が発生する。しかしその中でも数学的発想が機能する筈だと偏見を持つのはまるで宇宙の万物を記述する数式が存在し、かつその数式には回転対称性やゲージ対称性などの対称性を有しているとのディラックなどに代表される物理学者のようだ。しかしそういった偏見や思い込みを抱えたまま生きるにも人生の華である。人生というものは極限まで主観的であり、客観の文言を並べ立てたところでそれを構成するのも主観である。客観は主観の延長であり、正規部分群である。どのアイデアを並び替えても同じ比を保つという恒等性を内包している。このアプローチは群論的アプローチである。そして人間のあらゆる場所にはこの群論が汎用可能である。言い換えれば人生のありとあらゆるものは全てこの群論によって記述される対称性がまとわりついているのだ。今回の記事は本当に突拍子もないとんでも理論である。まあしかしそれでも僕は自分が考えている事を自分のアタラクシアの為に表現する事を決して忌憚せず、このブログに対して自分の弱みを表現する事さえも厭わないのである。僕は今放送大学の講義番組を視聴しながらこのブログを書いている。当然そのような散漫性のある記事が良い出来栄えな訳がない。しかし今は休日だ。今は休んでいい時なのだ。したがって僕はその事実に意を安んじてしっかりと休んでいる。出来るだけ厭世的、虚無的な事を廃絶して明朗に考え、生きることを徹頭徹尾励行しているのだ。これは僕の統合失調症を改善させる為に必要な事柄なのだ。まあでも、僕から統合失調症を取れば何が残るのかは甚だ疑問である。僕の人生は統合失調症という化学物質によって恐ろしいまでに変転した。この化学物質の来訪は実は僕が内心心待ちにしていたものだった。苦難を経験し、人生のどん底を味わい、自分に打ち勝つ事こそが本当の自分になり、のみならず自分の願望を成就させる為に必要なプロセスであると思っていた。まあその化学物質にあたる統合失調症を厳密には所望していた訳ではない。僕は何らかの精神的障害を望んでいたのだ。そして結果その通りになった。もし過去の僕が未来の僕を予知していたとするとほくそ笑んでいる事だろう。実際あの頃の僕は極端さの権化であり、憎たらしい奴であった。




 僕は本当にこの現時点において群論の応用を人生そのものについて考え付いた。ガロアでさえ、そのような議論はしなかった。数学史上ガロアは初のカテゴリー論的操作を行った。そしてその雄姿は後の数学の発展に大いに寄与した。ガロアは10代にしてこのような着想をし、理論家体系化の為に論文を執筆した。まあ実は僕も似たような発想は10代の頃に既に育てていた。こんな事は珍しくないだろう。それでも僕は自分が生まれる時と場所を間違えたとは思わない。僕は僕自身の使命を果たすだけだ。この僕の置換群の位数がどれほどか分からない。あくまで作業仮説的であるが先ほどの主観と客観の関係においてそれぞれに正規部分群の存在が認められたように人生全体を代数方程式とみなした際、極平易に言えばガロア群によって大抵は可解であると僕は考えている。無論これらは単なる仮説である。実際豊饒な人間の想像力を応用すれば僕のような仮説を展開する事は造作もない事である。




 さて、僕は金曜の優雅な夕餉の為に既にデリバリーでマックの注文を済ませた。時間がたてばマックの商品が到達する予定だ。実はデリバリーに僕が固執するのは僕の自宅付近にマックがないからだ。僕の自宅はそれほど壊滅的な田舎でもない立地だがそれでも存在しないのだ。そしてあなたはこの文章を読んでいる。こういうパラフィクション的な試みも僕は今後していこうと思っている。文学におけるトリックは幾つかある。メタフィクション、叙述トリックなどなど。まあ僕は元来文系ではないし、これまで500以上の記事を書いて生きた百戦錬磨とは言えまだ僕は文章表現において苦手意識を持っている。これは僕の学生時代、学業成績が芳しくなく、学校教育の枠にはまれなかった劣等感が影響しているのか。または四次元の位相幾何学的効果が僕の心理にも及んで突発的に隆起した考えなのか僕には分からない。というかそもそもそんな事は僕自身が熟考せずとも、客観的に見ればいつか解明する事だろう。




 数学について、数学の問題をひたすら解く数学オリンピックに対する軽視を受けた人がそんな事はナンセンスだというような事を言及していたのを僕は記憶している。僕はあまり恣意的な数学の問題を積極的に解こうとする数学者ではない。現在でもそうではない。まあこの辺は個人差であって正解などはないだろう。世の中は権力や影響力のある人物が中心となって社会構造の変化が起こる。僕が如何にいじめを糾弾したとしても、それを是認する連中が大多数を占めている連中が多いか、極端な勢力の一部がそれに抗して何らかの役割を果たしているのだろうか。僕は教育現場を学生という立場からしか垣間見た事がない。高校教師はブラックな現状を呈していると多くの人間が叫ばれて久しい。まあ大抵は大学を出てからそのまま教師の職に就くことがスタンダードだろう。人生経験の浅薄な人間が学生に向けて教示出来る事はやはり少ない。自分自身を貫徹する事でさえ多くの人間はしていない。ゴーイングマイウェイを徹底している僕のような人間はやはり日本では少数派だ。当たり障りのない事だけをしていったり、自分の保身のために親の期待に応えて出世街道を歩む人間も多い、学校教育では僕より少し前くらいにゆとり教育という制度が漫然と行われていたという。日本人の島国根性は非常に粘着的、陰湿なものである。しかしこれからの時代を担う日本人はその傾向を包摂して変革を粛々と進捗させていくしかない。本当に変えたいという意志があるのなら。単なる美辞麗句や虚栄心を満たす為だけの革命は成立しない。よしんば成立したとしてもそのような革命に価値はない。突飛な事を言うようだがこういった局面については筒井氏のように遊びながら進めていくのが良いのではないだろうか。革命と言うと剣呑なニュアンスがあるが、筒井氏のように遊びながら社会を変えてけばそれは時代を更に超えた、新時代の枠組みを構成する重要な骨子となるのではないだろうか。




 シバックスさんは今もユーチューブで動画投稿を継続している。僕は彼のように顔を出してこれ以上動画投稿する事は出来ない、このブログに連続して僕のユーチューブチャンネルの動画を載せてきたが。僕の現在の収入は障害年金のみである。これだけでは先行きが不安である。どうしたものかと途方に暮れつつ僕は今この記事を書いている。




 今配達が完了した夕飯のマックを食した。本当に幸せだ。普段は大食いをする事がないので一日くらい大食いしたって対してデブにはならないだろう。僕はデブエルヴィスにはなりたくない。過去デブになって多くの人たちに冷遇された。人間は容姿が衰えると大抵、打って変わって残酷になる。この社会でしたたかに生きるのは自分の容姿に対してある程度の注意喚起をしつつ、自分の天命を果たしていくしかない。少なくとも僕にはその小径以外に考えられない。この僕の人生の置換群はいずれどこかの群と繋がるだろう。人生というのは群論的対称性を伴い、ニーチェのような永劫回帰の伴うものではない。僕はニーチェのような退廃感漂う思想を今や必要としない。僕に必要なのは世界を完全に記述する大理論とありったけの勇気だけだ。もしガロアがいなくても僕のこの着想はあっただろう。僕はこの世界に、もしかするとカントの認識論的に僕の脳内で認識したものが物自体とは限らないかも知れないが、この世界を生き抜き、天寿を全うする事、大往生する事に感謝せずにはいられない。誰に?超自然にである。僕はこの事を認識し、思わず破顔一笑しそうになるのである。僕はこれまでしきりにこのブログで思う存分語ってきた。僕は物語の語り部を務められるだけの他律性、利他性を抱いてはいない。僕は自分のことで精いっぱいなのである。したがって僕は自分の事しか語れない。昔には幾つか物語を創作したのだがそれらは箸にも棒にもかからぬ、無為なもの、不毛なものであった。僕は突如、この置換群を用いた人生哲学を思いつき、その発見を多くの人々に伝えようと思った。




 僕の置換群理論、それは加算的な無限と全く同じことである。その理論の果てはなく際限ないほどまでに地平が開かれている。万人にね。僕は今ほど言語に親しみを感じた事はない。まるで言語が僕の手足のように機能しているという感が否めないのだ。勿論それは実証的なものではない、完全に自分勝手な感想だ。そして僕の置換群理論でも同じである。僕はこの理論をこの記事だけで敷衍する事が出来ない。僕のこの理論は長い歳月の中で編み出されたものではない。思いつきで書いているのである。この理論の応用性についてもまた、僕は不案内である。雑駁な、五里霧中の荒野を見つめて僕は咄嗟にそう思ったのである。僕は罵詈讒謗を避けようとする。それは僕の習性であり、臆病さの表れだ。男らしさの欠片もない僕の習性。あまりにも愚にもつかない僕の習性だがそれでも僕はこの生き方を辞められない。今や僕は精神的に素っ裸、裸体である。一糸まとわぬ姿でアルキメデスのように「ユーリカ!」と叫んで繁華街に繰り出す狂人と全く同じである。最も僕には臆病さからの回避癖があるのでそのような極端な事は出来ない。僕は今までと同じように自分のブログで自分が考えている事を並べ立て、ああでもないこうでもないと論じている。僕のブログは僕の膨大な考えを記したデータ、サンプルだ。このサンプルの中に帰納法的に結論を出そうと躍起になっている僕の姿はまるでダーウィンのようである。彼と僕とで違う点は、第一にはやはり僕は未完成のものであっても発表しようとするのに対し、ダーウィンはその完璧主義からか完成させ、その上再三再四それらを彫琢したものを発表しようとしている点である。まあそんな事もあるが僕はずっとずっとそのような事ばかりを考えてきた。




 僕はこの人生の置換群をこれからも変容させていく事だろう。それでもそれは線形代数の一部である群論を中枢に据えた理論であり、その他の僕の記述は末梢神経的なものに過ぎない。僕が考えている事は誰にも否定できない。存在とは独立した概念である。そのようにデカルトは持論を提唱した。僕だってその第一原理は適用されている。僕の人生は考慮にも値しない程の暴論であるかも知れない、または便所の落書きとほとんど差異のないものかも知れない。それでも僕は諸君に語り掛けずにはいられないのである。この場は僕の独壇場だ。大統領演説のようなものだ、僕は聴衆に向けて自分の所信を述べているに過ぎないのである。これはもしかするとあのアメリカの著名な爆弾ま、セオドアカジンスキー、通称ユナボマーと大差がないのかも知れない。彼と僕との相違点は彼は自身の革命思想を凶行で示し、僕は平和的にこうやって自分のブログで自身の革命思想を列挙しているというものである。僕の殊勝な点は不正に不正で応じたりするのではなく、そりゃ自分の文章で自分の恨みつらみを書く事も稀ではないが、決して直接的に犯罪的な行動に出たりしない事である。諸君は僕の言葉の奔流が大挙して自身の中に対話していくのを感じるかも知れない。プラトンの対話篇のような書物を僕は内心では目指しているのかも知れない。読者と作者との対話、例えそれが錯覚でも成就したなら作者冥利に尽きると言うものだ。前述の如く、僕には物語を作る事が出来る程の精神的余裕がない、フィクションを要求する読者の皆様にとってそれは落胆する事かも知れないが、どうか僕の心中を察してほしい。この余裕のない心中を。開口一番、とんでもない独自の人生哲学、置換群理論から始まったこの記事だがようやく目標の5000字を超える事が出来たのでこの辺で僕の記事は終わりとする。


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The Government 赤川凌我 @ryogam85

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