第7話 わたし

両親と2つ上の姉と4人家族。

今はモノ珍しくないが、わたしが小さい時に共働きって人はなかなかいなかった。

祖父母も近くにいない。

風邪を引いても一人でお家。


私は2ヶ月から保育園に通っていた。保育園は大嫌いだった。お家でのんびりしてたかった。

本当の性格はちょーわがままで甘えん坊で泣き虫。

3歳で初めて家出をするくらいかわっているし言うことを聞かない子。


勉強も運動もだいたい何やってもできた。背も160cmで普通体型。太ってもなきゃ痩せてもないし、ペチャパイでもないし、とびきりかわいいわけでもないけど、目はクリクリしてるので目立つ方。

両親はアパレル系で着たい服ではないが、服もたんまりあった。


だから、よく人に妬まれた。

学級崩壊のはしりで小学生の頃は授業もまともにできず、女子特有のイジメもつねにあった。

私ももちろん順番が来ればイジメられたし、イジメもした。

小学校で仲よかったグループは中学の部活もみんな一緒に入った。

もちろんイジメはエスカレート。

中2になったばかりの頃だった。イジメられてた子がいるからと部活の保護者会が原因集められて親同士で話し合いになった。

私の母は仕事をしていた為、ほかの母親たちと交流があまりなかった。

そこで聞かされたのが、私に命令されたからいじめたと全員のお母さんが口を揃えて言い出したらしい。

私の母は

"あんたもやったんでしょ?でも、あんただけやったってことになってたよ。。。"

って。


次の日から私が無視された。

部活のキャプテンも私は無理やりやらされていた。

みんなやりたくないから。

全然キャプテン資質もなかった。人に命令するのが苦手だから。

それでもみんなをまとめようと頑張っていた。

しかし、無視されている自分の指示を誰も聞かなかった。

なんなら、学校の先生もイジメのリーダーが私だと決めつけていた。大人からも冷たい目で見られて、しゃべる友達もいなくて、部活では無視された。


"部活やめたい..."



限界だった。

でも、母親は公立に行ってくれないと家計が困るから内申に響くから部活は頑張りなさいと言われた。

仕方なく続けた。休み時間はずっと本を読んでいた。毎日学校も行ってた。


高校はそんなこともあり、都会の公立学校に入学した。ハッピーな高校生活はあまりなかった。

人に興味がなかった。部活もやりたくなかった。イジメの輪に入るのもやだった。

なんとなく話す子がいる程度で放課後はすぐ帰って、結局地元の子と遊んでた。

高校も辞めたいと泣いて親に頼んだこともあった。


"高校は卒業しなさい。"

って言われた。ただなんとなく毎日学校に通っていた。

大学は行かないつもりだった。

母がその時に病気で入院した。母は4大に出て小説家になるのが夢だったから、大学に出てほしいとお願いしてきた。

母が死ぬんじゃないかと思い私は大学になんとなく行くことにした。


大学を入学する少し前から、親に黙ってカラオケ屋でバイトを始めた。終電で帰る日々。

大人になった気がした。その頃から朝まで友達と遊ぶようになった。


だから、もちろん大学に入ってもバイトして遊んでって繰り返してたら、朝起きれなくなった。学校にも寝てないし、お金もないので食べてなかったから行けなくなった。


ただ真っ黒でカリカリでエクステしてるギャルだった。その頃から夜の仕事を始めて家にはほぼ帰らなくなり、歌舞伎町に行ってはクラブに行って友達とお酒飲んで騒いで遊んでた。

年間で300日は遊んでたんじゃないかと思う。


きっとその頃のクラブで天とは何回もすれ違ったんだろうなぁと2人で話してた。


そんな夜の生活を21歳くらいまで続けてた。

そこで旦那と知り合った。

しばらく夜は続けてた。年齢も年齢だし、22歳くらいでやめた。あとは、平日の昼間バイトして過ごしてた。

旦那とは3年付き合ってデキ婚した。

その頃から、私に冷たかった。俺に指図するなって言われた。軽いDVも受かるようになってた。


でも、父親もDV気質だったから普通だと思ってた。若かったからそれが何かもわからなかった。

言葉の暴力が続き、精神科にも通った。ストレスで顎も開かなくなった。

私はワガママや主張することをやめた。

大人しくしたら、なんかうまく行ってるような気がした。

その矢先に妊娠した。

結婚したら何もかもがうまくいくと思ってた。

浅はかだったから、結婚が幸せのゴールだと思ってた。

そんなわけなかった...

私も相手も何一つ変わらない。


2歳差で3人子供を産んだ。

私は30歳になる手前だった。

家にほとんどいない旦那。休みは3ヶ月に1日程度。

"仕事のことで文句を言うんだったら、お前はいらない。俺の生活の邪魔だ。"

と。


お金も数万円しか貰えなかった。

自由な時間もなかった。美容院も子供を連れて行った。長かった。真っ暗な暗いトンネルにいた。

眠くて眠くて誰とも喋らない日もあって。

ただ毎日を消化してた。


そんな生活が6年ほど続いた。


末っ子がやっと幼稚園に入った。

その間にママ友にいじめられるという経験もした。

どーでもよかった。

自分を傷つけた。


旦那からのモラハラも酷かった。

33歳の誕生日に初めてアザができるくらい殴られた。こんな声出るんだってくらい叫んで泣いた。


"お前の誕生日が世界一嫌いな日なんだよ"


って言われた。

もう一度酷いことされたら別れようと心に誓った。

そこからは、心を無にした。


今でも覚えてる。


その1年後の盆休み。旦那が1年ぶりにブチ切れた。

終わったって思った。

それも伝えた。

でもわたしは仕事をしてなかったから別れられなかった。

精神的にはもうフラフラだった。


その1ヶ月後に天と知り合ったんだ。


寂しそうな子がいるって思ったって言ってた。

天も私のことほっとけなかったのかな?



私は34歳になって初めて愛を知った。

遅すぎたよね。

何もかもが。

愛に飢えてた。天の愛が嬉しかった。

でも、愛は加速するから。好きになりすぎたんだよね。ごめんね。

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なみたん @na77namic

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