File.6 人工心霊スポット
#1 「この邸は『おばけ屋敷』ですから」
あまり深く考えないようにしていたのだが、やっぱりこの古瀬邸はどこかヘンだ。
大阪府は東部鹿嶋市、その住宅街のど真ん中に佇む陰鬱な西洋館。
『心霊相談承り〼』と書かれた木の板が自己主張も薄くこっそり立てかけられた門前で呼び鈴を鳴らし、この家のお手伝いさんである玉緒さんに応対してもらって、俺は問題の前庭に足を踏み入れていた。
古瀬邸の敷地はかなり広いので、正門から肝腎の屋敷に辿りつくまでがまず迷路だ。
足元に敷かれた石畳の両脇には薄い水色や紫の紫陽花がいっぱいに咲いている。そろそろ梅雨も明けるかといった時期なので、雨に打たれてぐったりと項垂れているのが物悲しい。花の盛りには、まるで違う世界につながる秘密の通路めいた雰囲気を醸していたものだった。
石畳に沿って、小さな森のような庭を歩いてゆくと、やがて行く手を池に阻まれる。池には白い飛び石が沈められているので、慣れた足取りでひとつ、ふたつと飛び越える。大体いつも全部で五つだ。
向こう岸に渡ってから池を振り返り、住人たちの様子を窺う。金色の鯉が薄いヒレを揺らめかせながらゆったりと水中を漂っていた。小さな亀は池の底でじっとしている。今日も変わりなく元気そうだった。
それから立ち上がってくるりと背後を仰ぎ見ると、左右対称のつくりをした白壁の洋館がある。
「うーん……」
何がおかしいかってーと、この前庭の景色、毎回微妙に違うような気がするんだよなぁ。
具体的にどこが違うのかと言われると答えに窮するのだが、なんとなく、植わった木の本数とか、紫陽花の色とか、あれこんなとこにこんな花あったっけ? とか、そういう小さい違和感がけっこうある。最初に異変に気付いたのは先月のことで、「あれぇこの石畳の道ってこんなにグネグネ曲がってたっけ」と首を捻ったのだ。
毎回違う道を歩かされている──と思い至ったときにはゾッとしたが、まあ今のところ迷子になるわけでもないのでいいか、と開き直っている。
これが心霊スポットで「来た道と様子が違う」となるとそりゃもう大絶叫の大騒ぎの大混乱だろうが、まあ、師匠んちだし。
我ながらちょっとは図太くなったもんだ。
俺は白壁に深緑の魚鱗葺きの上品な建物を見上げて、向かって左側の二階の窓に視線をやった。室内が暗くてよく見えないが、蠢く黒い人影を視た。
「どうかしましたか」
いつまで経っても俺が屋敷に入らないからか、ぎぃと木製の玄関扉を開けて、玉緒さんが顔を覗かせる。
いい加減に学んだ。玉緒さんが呼び鈴に応答するのは師匠が家にいないときだ。それ以外のときは、例えどれだけ面倒くさかろうと師匠が自分で出てくる。玉緒さんは基本的に俺たちの前に出てこないで、多分お屋敷のなかの色々な場所で静かに作業しているのだ。
「今日は師匠、いないんですよね」
「ええ。午前中は補講があるそうですが」
「じゃあいま、お屋敷には玉緒さんだけですよね?」
「他の誰もいらっしゃいませんので、秋津さまだけです」
それがどうかなさいましたか、と首を傾げた玉緒さんに首を振る。
「なんていうか、つくづく不思議なおうちだなぁと思って」
「この邸は『おばけ屋敷』ですから」
玉緒さんはニコリともニヤリとも笑わず真顔のままそう言った。こんなおばけ屋敷で働くにはこれくらいクールでなければやっていけないのだろう。
その日、補講から帰ってきた師匠は、当たり前の話だけど洋服を着ていた。
弟子入りからそろそろ三か月になる。さすがに実験帰りの師匠を古瀬邸で待つ機会もあったので、いつもの和装でない姿も見かけてはいたが、何度目にしてもやっぱりなんていうか……妙な感じだ。
さらりとした素材のベージュのシャツを着て、細さの際立つ黒いスキニーを履いている。コーディネートとしては至って普通なのだが、なぜだろう、剣道の試合に野球のキャッチャー装備をした人が出場しているようなちぐはぐさがある。
ともかく師匠は洋服姿で帰宅し、すぐに二階の私室で涼しげな絽の着流しに着替えて書斎に戻ってきた。そして開口一番、本日の心霊スポットのお話を始めたのである。
「鹿嶋市郊外の空き家の話、聞いたことあるかい」
元京都府民の俺は大学進学を機にこちらへ越してきたため、この辺りの地理には疎い。「いいえ、全然」と首を横に振ってから、隣で何やら小難しそうな文庫本を読んでいる──というかもうほとんど字面を睨んでいる、香川県出身の兄弟子を見やった。
そっと文庫本の本文を覗き込むと、ページの左上に『羅生門』と書いてある。
俺の記憶が慥かであれば、巽はこの薄い文庫本をここ三週間ほど持ち歩き、講義の合間の休み時間や空きコマ中など暇さえあれば開いていたはずである。
「これまだ読み終わんねぇの……?」
「日本語が難しい。三行で眠くなる」
「読書の才能なさすぎだろ」
正直な気持ちが口からすってんころりんし、隣からパンチが飛んできた。加減はしてくれているらしく、俺の掌のガードに当たってぺちんと情けない音を立てる。この兄弟子はすぐ手が出る。
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