#4 少し厄介で、やかましく、

 毛玉の出現から二週間が経つ。

 叶野は相も変わらずハンサムで、千鳥はオカンで、巽の金髪はちょっとプリンっぽくなり、俺はいつも通りのフツメン眼鏡だ。


 毛玉も元気だ。

 毛量が増えた代わりに叶野が病気になるとか、毛玉が増殖した代わりに叶野が悪夢を見るとか、そういうことも一切ない。

 毛玉は叶野の足元にまとわりつき、摺り寄り、ぴょんぴょこ跳ねながらひっついては蹴られて転がり、またひょんひょん駆け寄ってきては蹴られて転がる。たまに一生懸命、叶野の背中を上ろうとすることもある。何がしたいのかわからない。叶野に構ってほしいのだろうか、視えないのに。


 ……視えないのに、なぁ。

 フゥと溜め息をついた俺は部屋の中心に立ち、室内をぐるりと見回した。

 今日はたこパリベンジの日なのである。先日のたこパで使用した叶野家のたこ焼き器は、当日中にしっかり洗って箱に入れ直していたが、本日のリベンジにあたり取り出してテーブルの上にセットした。

 玄関からトイレから掃除しまくってもうくたくたである。ベッドに座ってぐったりしていると、数人の気配がドアの前に到着したのがわかった。安アパートなので生活音や声がすぐ聞こえるのだ。玄関へ向かうと、ドアのカギを開けるくらいのタイミングでインターホンが鳴った。


「はいよー」

「早っ! ちゃんと覗き穴から確認したんか?」


 千鳥のオカン発動。


「だって覗き穴って怖いじゃん……」

「出た綾のビビリ。そんなホラゲじゃねぇんだから。防犯ちゃんとしろよ」

「インターホンが鳴ったのに覗き穴から見ても誰もいないとかさぁ……覗いてみたら向こうから覗く目と目が合うとかさぁ……怖いって……」


 うだうだビビる俺に慣れたものの千鳥が「はいはいはい」と生返事しながら進んでいく。いや、一応今回はドア越しに叶野のコテコテ大阪弁が聞こえたから開けたんだよ、と言い訳したが聞いているのかいないのか。

 二度目の訪問の叶野はまだ物珍しそうにきょろきょろしている。

 ちらっとその足元を確認してみると、やっぱり毛玉がモフモフしていた。うーん、まだいる。叶野が元気いっぱいとはいっても、気になるものは気になるな。


「なんか前も思ってんけど、インテリアめちゃ凝ってんな。全部白で統一?」

「これはねぇ、俺が家具どうでもよくて適当に決めようとしたら、高校受験が終わって暇してた妹がブチ切れて全部コーディネートしてくれた」

「秋津ってお兄ちゃんなんや。なんか千鳥といっつもおるから勝手に弟っぽいって思ってた」

「あー長男ぽくないってよく言われる。三つ年下に双子の妹と弟いるよ」

「男女の双子ってほんまにおるんや。俺の周り男二人か女二人しかおらんかったわ」

「まあ、あんまり聞かないかも。男女の双子になるとそんな似てないけどな」


 千鳥には十歳離れた妹がいる、というのはもうみんな知っている話だ。叶野が巽に「巽は一人っ子っぽいな」と振ると、俺のゲーム棚を眺めていた巽がこっくり肯いた。


「なんか弟属性アリの一人っ子って感じするわ」

「……あー、まあ。年上に面倒見てもらうことは、多かったかもしれん」


 年上……。ヤンキーの先輩とかだろうか。

 慥かに、師匠や姉御にも見鬼の面で師事しているわけだし、年上に可愛がられるタイプなんだろうな。


 俺は千鳥から手渡されたボウルに、たこ焼き粉と水と卵を入れて、泡立て器でしゃこしゃこと混ぜ始めた。手早く道具や具材を準備した千鳥がひとりキッチンに立ち、タコやウィンナーを切っている。俺より俺んちのキッチンを使いこなしている気がする。


「叶野はよくわかんねぇな」

「うち女系やねん。社会人の姉貴その一と、大学三年の姉貴その二と、高二の妹。しかも親父は海外に単身赴任」


 おお……想像するだけで肩身が狭いな。

 とはいえ兄弟の話題になったのは丁度良かった。俺はすでに混ざった生地をしつこくぐるぐるかき混ぜながら、できるだけしれっとした顔で訊ねる。


「そういやぁ前回はお姉さんに呼び出されてたけど、なんの用事だったわけ?」

「あー、あのときな。いやウチ、ちっちゃいポメラニアン飼っててんけど。姉貴その二と散歩しよる途中にリードすっぽ抜けて、どっか走ってってしもてな」

「えっ!」


 ポメラニアン。

 巽と目が合った。それは、そのポメラニアンというのは、まさか。


「ほんで家族全員招集かかって、全員で色んなとこ捜し回ってん。姉貴その二は責任感じてビービー泣いてもて、妹は朝から晩まで捜すからバイト休んで付き合って……。もーほんま疲れた」

「そうだったんだ。……見つかったのか?」

「おん。日曜に俺が見っけた。車に轢かれてたわ」


 動物の死体なんてすぐ回収されるからなぁ、処分される前に見つかってよかったわ、と叶野はからりと笑いながらたこ焼き器に油をしきはじめた。


「ハイ、湿っぽい話おしまい! 秋津、生地入れてー」


「あ、うん」返事にまごついた。しまったな、と思う。秋津家はペットを飼っていないから、叶野に対してどういう言葉をかければいいのか解らず一瞬戸惑った。

 叶野はその戸惑いをちゃんと見ていて──というかむしろ戸惑うことをずっと前から想定していて、その話を今までしなかったのかもしれない。

 巽もむすっと黙り込んでいるあたり俺と同じくちだ。


「……ごめん、俺ペット飼ったことなくて、どう言ったらいいかわかんないけど。大変だったんだな」


 薄いクリーム色の生地をおたまで掬って、適当にざばっと流し入れる。大阪府民たちがきれいに丸めてくれる、というのが第一回たこパで判明したので、俺の作業は基本的に雑だ。

 叶野は固まりはじめた生地を見下ろしながら「まぁな」と頷く。


「残念だったな」

「おん。気ぃ使わせてすまんな」


 キッチンで具材を切り終えた千鳥が戻ってくると、叶野はそのへんに放り投げてあったボディバッグからスマホを取り出し、「見て見て」と差し出してきた。

 写真だった。

 叶野と、女の人がひとり。「これは姉貴その二」と補足が入る。そのお姉さんが抱いているのが、一匹の小さなポメラニアンだった。

 ちょうど、床に座る叶野の腰のあたりで大人しくしている毛玉と……同じくらいのサイズの。


「……このわんこ?」

「ん。きな子っていうねん、妹がきなこ餅みたいって言うたから。アホやろ」

「おいしそうな名前だなぁ」


 ──きな子。

 そうか、おまえ、きな子っていうのか。


 俺の目には相変わらずモフモフの毛玉にしか視えないし、巽にもきっとそうだ。けどこの毛玉はきな子という名前で、叶野の家族で、叶野のことが大好きで、会いに来たんだなと腑に落ちた。


「きな子な、保護犬やねん。犬か猫でも飼おかってなったときに行った保護施設で、俺が最初に目ェ合ってな。独居老人のゴミ屋敷で多頭飼育されてて、家主が亡くなってから放置されてんて。体はちっちゃいし、歩き方にも障害があるし、病気もあるしで大変やったけど、家族みんな溺愛してたわ」


 ちょっと突き放したような言い方だが、叶野自身も可愛がっていたことは表情を見れば判る。


「叶野に見つけてもらえて、家に帰れて、よかったな」

「いやぁ。あいつ俺のことナメとったからなぁ、どうやろな」

「嬉しかったさ」


 だってこんなに嬉しそうに叶野のそばにいる。

 叶野がペットを飼っているなんて今の今まで知らなかったのに、なぜだろうか、足元にじゃれつくきな子を抱き上げてうりうり撫で回す叶野の姿が想像できる気がした。


 でも視えないんだよな。

 俺と巽にしか、視えないんだよな。



 後日大学内で叶野と歩いているところを姉御と出くわし、立ち話をしたところ、彼女は花の綻ぶような笑みを浮かべて「可愛いわんちゃんだね」と俺に囁いた。


「犬に視えますか」

「小さいポメラニアンでしょ。尻尾ぶんぶん振ってて可愛い。あの飼い主さんのこと大好きなんだね」

「……人より余計なものが視えるの、嫌になりませんか」


 俺は今回少し嫌になった。

 視えない叶野のもとに会いに来たきな子が視えるのに、俺たちが会いたいと思う相手は俺たちに会いに来てくれないのだから。


 姉御は優しく目を細めて、きな子を見つめた。


「そうね。人よりも少しやかましい世界が億劫だったこともあるけれど……ああいう優しい光景も、人より多く視ることができるのだと思えば、そう嫌なことばかりでもないかもしれないわ」


 そういう風に受け入れられるようになるには、俺にはまだ時間が必要だ。

 俺と姉御の立ち話を待ってくれている叶野の足元で、きな子の毛先がふわふわと風に揺れた。




 相も変わらず──人よりも少し厄介で、やかましく、せつない日々。


 その後きな子はしばらく叶野と一緒にいたが、夏休みを挟み後期の授業が開始する頃には、姿を消していた。



File.4 了

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