#3-4 幽霊生成パターン

 ごめんねと謝られたかもしれない。母親は泣いていたかも。あの子は何が起きているかわからなかったのかもしれない。それとも子どもながらに察していたのか。死にたくないと思ったか、何も理解できないうちに死んだのか。

 そして、あんなちいさな子どもが可哀想に……と悼む人々の憐憫と罪悪感が、あの子をこの場所に生みだした。

 そのせいで独りこんなところに縛られている。一緒に死んだはずのお母さんもいないのに。いつまでも誰かを道連れにしようとしている。


 ほんとうは、そのことこそが可哀想なんじゃないのか。


「大体夢で呼び出しとか回りくどいんだよ!! 話があるなら直接来いや!!」

「そーだそーだ!」

「不憫だったとは思うがな!! 男ならスッパリ成仏してもっぺん生まれ直せッ!!」


 肩で息をしながら巽が少年を睨む。

 同情も憐憫も、一片さえ滲ませない、強い拒絶を示す視線だった。


 尻餅をついたままこちらを見上げていた黒い翳は──ちいさく、震えた。

 うつむいて、何か言いたげに肩を揺らしたが俺には伝わらない。聞いてやることはできない。

 可哀想だとは思う、同じような事件が二度と起こらなければいいと思う、だがそれと、師匠や他の誰かが道連れにされていいかという話は全く別なのだ。


 連れて行かせない。

 師匠が俺たちの知らないところでどれほど『死』に近くても。

 果てがないのではとすら感じる沈黙の末───、

 影はやがて音もなく、内部から瓦解していくように霧散した。




 踏切一帯を覆っていた目に見えない壁も消えていく。

 深夜の静寂が戻ってきて、さわさわと人の気配が感じられるようになった。下りていたはずの遮断機は素知らぬ顔で夜空に向かって伸びているし、電車が来ているなんてことも当然ない。俺たちの足を掴んでいた白い手も、少年と一緒にいなくなったようだった。


「…………もどっ、た?」


 半信半疑で口にしてみると、ぽん、と背中を叩かれる。

 たいして背丈の変わらない師匠が至近距離で呆れたような顔をしていた。


「秋津くん、きみって本当、挙動があれだよね」

「はぁ……?」

「お化け屋敷に無理やり連れて来られた彼女みたいだよね」

「……ハアアアア!?」

「うるさ」

「そもそも師匠がうっかり足なんか掴まれるから悪いんでしょーが!!」

「やかましい。深夜だよ静かにしな」


 びしっ、と額にチョップが振り下ろされる。何やら腑に落ちないが、深夜の住宅街なのは確かだからぐぬぬと口をへの字にする。

 師匠の衿元は俺ががっくんがっくん揺さぶったせいで乱れに乱れていた。両手で衿を整えながら、師匠は線路の上にしゃがみ込んでいる巽の後ろ頭を見下ろす。今日のMVPは間違いなく、強い気持ちで殴り飛ばすどころか鮮やかな飛び蹴りを決めた巽である……のだが、どうも元気がない。

 師匠はカラコロと下駄を鳴らして巽の傍に立ち、指先でぺしっと頭を叩いた。


「いい飛び蹴りだったね」


 いや、と巽は呻く。


「やめてください。ガキと女に手ェ上げるやつはクソなんで俺はクソです」


 いきなり自己肯定感がマイナスに振り切れていた。大丈夫か、元ヤン。


 安田たちには「とりあえず殴りましょう」とか言ったくせに、いざ本当に蹴散らしたとなるとじわじわ罪悪感が湧いているらしい。彼岸のもの相手に律義だなと思ったけど、巽のような武力の持ち主はそのくらい気を遣わないといけないのかもしれない。

 師匠は薄く微笑んだ。

 いつもの少し意地悪っぽい表情ではなく、ただ零れ落ちたようなやわらかさで。


 巽の金髪をもう一度指先で遊ばせて、両腕を着物の袖口に突っ込むと、気配を辿るように遠くを見やる。生温い風が吹いて師匠の黒髪を揺らした。


「うん。きれいになったね。二人とも、初除霊おめでとう」


 言われて初めて気付いた。

 藤沢台1踏切に漂っていた曖昧な澱みのような空気が消えている。

 清々しいとまではいかないものの、呼吸はしやすくなっていた。


 除霊。霊を取り除くという意味ではまあ、うん、確かに、除霊だったのかもしれないけど、いや、やっぱなんか違うような気がするな。


「……除霊っていうか……すごい物理技だったんですけど俺ら」

「ガキに向かって飛び蹴りしたうえマジでキレるとか……」

「俺なんてぎゃーぎゃー喚いただけだったような」

「まーそんなもんだよ」


 一連の危機が去ったことを改めて師匠に言葉にしてもらって、はじめて肩の力が抜けた気がした。

 なにやらどっと疲れを感じる。いまだにへこんでいる巽の横にしゃがみこんで、二人して師匠の横顔を見つめた。


「なに」


「……イエ」と巽、

「べつに~」と俺。


「そんなとこ座ってないでとっとと帰るよ」


 ときびすを返してしまった師匠の、揺れる黒髪や着物の袂を眼に焼きつける。俺は忘れない。絶対に忘れない。

 黒い翳が袂を掴んだとき、師匠は笑ったのだ。

 驚くでもなく抵抗するでもなく、静かに笑った。

 自嘲するように。……観念したように。


 俺は線路の上で膝を抱え、巽は疲れたようにへたりこみ、互いに顔は見なかったけどなんとなく気持ちは同じだったように思う。あの危なっかしい師匠から目を離しちゃいけない。いざとなればあっさり死んでしまいそうなあの人を、俺たちが此岸こっちに連れ戻さなくちゃいけない。それこそ殴っても、蹴飛ばしてでも。

 先に立ち上がったのは巽だった。


「行くか」

「……うん」


 師匠の下駄の音がカラコロと深夜に響いている。俺たちは小走りに、その音を追いかけた。



 その後、師匠が知人を介して確認したところによると、安田が藤沢台1踏切の夢を見ることはなくなったそうだ。

 今回の件で懲りたのか、心霊スポットに行くのはもうやめようという話になったらしい。



 俺と巽が無理やり男の子を追っ払ってもう何もいないあの踏切には、その後も多くの人が肝試しに訪れ、中には「男の子に足を掴まれた」と言う人もあるという。

 真偽のほどは定かではない。



File.3 了

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