#3-1 ねえ。痛いんだけど

 あれれ~~おっかしいな……。


 俺は、眼前に聳え立つ、どこからどう見ても立派な廃墟を見上げてぱちぱちと瞬きをした。


 円柱形の建物である。コンクリート製の武骨な外壁は所々剥がれ落ち、幾筋もの亀裂が入り、しかも至るところに羊歯類がびっしりと張りついていた。見える範囲にある窓ガラスは殆どが割れている。ラッカースプレーの類いで色々と落書きされているので、やんちゃな連中の出入りもあるのだろう。

 街の明かりも届かないこんな山奥に、朽ちてゆくばかりの素っ気ない廃墟。

 心霊スポットになるべくしてなった、という感じだ。


 いやぁ本当におかしいなぁ。


 そもそも俺は、単に叶野のハンサムな顔面を拝みたかっただけであって──

 その過程で剥がれ落ちた黒いのがなんだか不憫になってしまったのであって──

 あれよあれよと流されるまま巽と古瀬さんについてきてしまったが──


「こんな見るからにやべー心霊スポットに来ることになるなんて聞いてない!」

「気付くの遅せぇな」


 横から巽が口を挟んだ。うるさいやい。

 古瀬さんは涼しい顔で廃墟を見上げながら、この建物の来歴を語りはじめる。


「『旧巖倉いわくら博物館』──。はじめは天文博物館としてこの建物ができたが経営不振で潰れ、次に買い取ったのが洋食屋、これも潰れて次が焼き肉屋。三度みたび潰れて最後に私設博物館として開館したものの、持ち主の巖倉氏が頓死したのをきっかけに閉館し、買い手がつかないまま廃墟化した。巖倉氏の霊が今も彷徨っているとか、浮遊霊の溜まり場になっているとか、まあ適当にそれっぽい話はあるね。廃墟化したのち一時期は或る集団の溜まり場になっていて、建物の三階にはその儀式のあとが残っているという」


「じゃあ行ったらやばいんじゃないですか。若宮さんだって儀式を目撃して襲われたんですよね。俺たちも襲われちゃうじゃないですか。だから帰りましょう」

「大丈夫、そうなったら巽が金属バットで蹴散らしてくれるさ。ねぇ」


 胡散臭い笑みを浮かべて古瀬さんが見やった先には、なぜか金属バットが異様に似合っている巽が「ハァ」と頷いた。


「生身の人間が相手だったらそうそう負けませんが」


 物騒が過ぎる。


 真顔の巽が握っている金属バットは、古瀬さんの車のトランクに入っていたものだ。

「絶対に嫌だ! オレは行かない!」とごねた若宮に「あっそうじゃあ帰っていいよ」とあっさり手を振った古瀬さんは、逃げるように帰っていくその後ろ姿を本当に見送ってしまった。

 それから洋館の裏手にあるガレージ車庫から車を回してきて、なぜか巽に金属バットを与え、なぜかあざらしの抱き枕を助手席に座らせ、なぜか懐から取り出したお札のようなものをダッシュボードに貼り、俺には質問も反論も許さず出発したのである。


若宮アイツ、帰してよかったんスか。明らかに怪しいっすけど」

「いいよ。あの黒いのが憑りついている限り、逃げられはしないから」


 師と弟子とで、そんなやりとりがあった。

 それどういう意味──と訊きたくなったが、訊いたら自分から首を突っ込むようなものだと思ったのでグッと堪えた。


 車は徐行で住宅街を出て、交差点で府道に入ると、夕陽を背に八束山へと向かった。

 途中、例の八束トンネルを通りすぎ(巽と二人で身構えていたが予想に反して何も起きなかった。ダッシュボードに貼ったお札のおかげかもしれない)、分かれ道を右折して展望台へとやってきた。駐車場に車を停めて獣道に分け入り、そしてこの旧巖倉博物館へと辿りついた次第である。


「えっ俺やっぱ車に戻って待ってていいですか?」

「ここまで来て何言ってんだい。どうせだから最後まで付き合いな」

「やだやだやだ! 怖いのいやだ! 見るからにヤバイじゃないですかこの建物!」

「気持ちいいほど正直だねぇ。巽と違ってさ」


 古瀬さんはアハハと笑いながら、若宮の証言通り壊れて開きっ放しになっているドアの隙間から体を捻じ込んだ。まじかよあの人本当に突撃しやがった。

 俺はガタガタ震えながら、金属バットを装備した物騒な勇者のシャツを両手で掴む。生身の人間なら負けないという言葉を信じてこいつを頼りにするしかない。


 ……というか、ああいう発言が出てきたということは、千鳥が持ってきた時代錯誤なヤンキーの噂は本当だったんだろうな……。


 ちらっと巽の顔を覗き込んでみると、やばいくらい真っ白になってカタカタ震えていた。いやいやいや。


「──おまえも怖いんかいっ」

「ったりめーだろ殴るぞ……。むしろ物心ついてるときから視えてて秋津はなんで怖いんだよ。慣れろよ」

「慣れるか! 犬猫がそのへんお散歩してたって苦手な人は苦手だし、ゴキブリ何百匹見ても嫌な人は嫌だろ!」


 つまりビビリが徒党を組んだってビビリなわけで。

 俺たちは慌てて建物の中に姿を消した古瀬さんを追った。今はあの人の自信満々な後ろ姿だけが頼りだ。


 建物に入ってすぐのところで待ってくれていた彼は、身を寄せ合って歩く俺たちを見るなり、呆れているのと莫迦にしているのとを足して二で割ったような笑みを浮かべた。帯に挟んでいた安っぽい懐中電灯をかちりと点けて、すたこらと歩きだす。


 入り口を入ってすぐのところには来館受付の残骸があった。

 経営していた当時の細々した荷物はすでに処分されたようだが、どこかから剥がされてきた建物内部の案内板が落ちている。

 見たところ廃墟は三階建て。建物の外縁が通路と階段になっており、内部が展示室になっている。一階と二階には故巖倉氏の個人蔵であったアンティークのコレクションが展示されていたようだ。三階は休憩スペースを兼ねた展望室らしい。若宮の話では地下一階があるということだが、展示室ではないためか、案内板には記載されていない。


「なんで古瀬さんはあんな迷いなく歩けるわけ?」

「師匠はまあ、慣れてるから」

「どんな慣れだよ」


 通路の床には、割れた窓ガラスの破片や、剥落した壁の一部などが散乱していた。

 踏みしめるたびにぱきりぱきりと音がする。先を行く古瀬さんや巽の足音が、丸い建物の通路を一周して背後からも聞こえてくるような気がした。


 なんだか気味が悪い。

 一度足を止めて振り返る。

 当然、背後には何もなかった。

 ただ割れた窓から射し込む月明かりが、白い光と濃い翳を落とす通路である。


「……いない、いない。展望台の駐車場、カラッポだったし。外から見たときだって、人のいそうな気配、なかったし」

「怖いこと言っとんじゃねぇボケ」

「口が悪いな……」


 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、スマホを取り出してライトをつけた。

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