積乱雲

茉莉花

第1話 積乱雲

「今日は降水確率は低いですが、突然の雨に注意が必要です 」

 なんてお天気キャスターのお姉さんがさわやかな笑顔で言っていたことを今さら思い出して一人で嘲笑していた。


 ―――――

 大学生の怜は図書館でレポートの課題をしようと準備をしていた。自宅から遠い訳ではないが徒歩で行くには暑すぎる気候に嫌気がさして自転車で行こうとしていた。

 こんな暑い日はクーラーの効いた部屋で作業する方が効率的だし、資料もたくさんある図書館は最高だ。準備を進めているとつけていたテレビからお天気お姉さんの声がして雨に注意と言っているのが聞こえた。


「こんなに晴れているのに、雨なんて降る訳ないじゃない。むしろ降って涼しくなればいいのよ。」

 怜は半ば暑さにイライラしながら鞄を持ち、テレビを消した。

「行ってきまーす」

 誰もいない部屋に言い残し、鞄をカゴにいれ颯爽と漕ぎ出す。


 ―――――

 図書館に着き、席を確保して資料を探す。


「うーん、最初はこのくらいでいいっか。」


 手に取った数冊の本を抱え席に戻る途中に男性とぶつかりそうになった。避けた拍子に本が1冊落ちてしまった。男性は落ちた本に手を伸ばし、拾ってくれた。


「落ちましたよ。この本はとても読みやすいので、読んで損はないですよ」

「あ、すみません。ありがとうございます。この本読まれたことあるんですね」


 手元から顔を上げ、男性の顔を見る。

 怜はドキッとした。拾ってくれた男性は数か月前に別れた所謂いわゆる元カレだったからだ。

 怜は半ば叫ぶように声に出していた。


「景吾!」


 私の声に驚いた周囲の人が眉をひそめてこちらを見る。

 慌てて自分の口に手を当て、すみませんと小声で謝った。


「やっと気づいてくれた。久ぶり、元気だった?」


 怜自身は別れてからやっと立ち直りかけていたところだった。


 ―――――

 別れた原因は好きか分からなくなったという理由で振られた。

 その時怜は景吾のことが好きすぎるあまり、彼中心の生活になっていた。

 休みの日は景吾と出かける事ばかり考え、新しい店ができると景吾に行きたい!とせがむ日々。そんな怜に対して景吾は重いと感じるようになり窮屈に感じることが多くなっていった。そしてついにその日がやってきた。


「ごめん、俺怜の気持ちには答えてやれるほど余裕がない。正直怜は俺ばっかりで疲れる」

「もう好きかどうかわからない」

 怜はその時自分が景吾にどれだけ甘えていたのか分かった。

「ごめん、嫌なところは直すから!だからもう一度チャンスを下さい」

「もう気持ちは変わらない。ごめん。」

 そう言い残し景吾は怜と別れた。


 ―――――

 怜は今自分がどういう顔をしているのか分からなかった。

 目の前には数か月前まで好きだった人、いや今でも変わらず好きなままだった。

 うまく笑えているだろうか、思わず名前呼んでしまった手前何か話さなければと頭をフル回転させる。


「う、うん。変わらずかな…。そっちは?」

「俺もぼちぼち」

「そっか、じゃあ私課題あるから戻るね」

 怜は早口でそう言い残し、立ち去ろうとした。

「景吾、おそいよ!」

 知らない女の人の声がした。怜は声の主を見た。

「怜、新しい彼女の葵。最近付き合い始めたんだ」

 葵と紹介された女の子は、ペコリと会釈してきた。

「葵、こっちは元カノの怜」


 怜は目頭に熱いものを感じ、急いで立ち去ろうと会釈もそこそこに駆け出した。

 席に戻るなり、荷物をまとめ持ってきた本をカウンターへ返し自動ドアを抜ける。

 怜の目からは数か月前に枯らしたはずの涙が次々とこぼれていた。

 ほほを伝い服に染みを作っていき、やがてそれは広がり大きな染みになっていく。

 ふと怜は気づいた、自分の涙で濡れているわけではないことに。

 暑さから発達した積乱雲から鋭く刺さるような雨が降っていて、周りの人たちは急いで雨宿りできる場所を探していた。怜はそんな周りの人とは対照にゆっくりとまるで雨に溶け込むかのように歩く。

 もう涙で濡れているのか雨なのか分からない感覚に戸惑いすらない。

 ふと、お天気お姉さんが言っていたことを思い出し、嘲笑する。

 自分は何をやってるんだろう。景吾のこと片時も忘れられなかったのに、景吾にはもう新しい相手がいて私に笑いかけてくれていた笑顔を彼女に向けている。あの時から前に進めていない自分に苛立ちを感じていた。

 このまま家に帰ろう。そう思い歩き出した刹那呼び止められた。


「あの、えっと大丈夫ですか?こんなに濡れたら風邪ひきますよ!」

 そう言って声をかけてくれた人は傘を差しだしてきた。

「えっと、大丈夫です。もう今さら傘使っても意味ないし、家そんなに遠くないんで」

「ひどい顔してますよ。少し雨宿りしていきませんか?」

「僕、今さらですが不審者ではないですよ!すぐそこの喫茶店の店主してます。

 今日は定休日なのでお客さんもいないし、暖かい飲み物お出しします」

「あ、名前は拓篤といいます」

 矢継ぎ早に言葉を紡ぎ必死に不審者じゃないことを強調している姿に怜はふっと笑ってしまった。

「やっと笑ってくれましたね、さっ行きましょう 」


 ――――

 店内は昔の喫茶店を思い出させるような内装でどこか懐かしさを感じることに、怜は安心感を抱いた。

 店内に入るなり、2階に部屋があり簡易的なシャワーもあるからまずは温まってきなとふわふわのタオルと着替えを渡され扉を閉められてしまった。

 夏とはいえ雨に濡れた体が冷えていたためお言葉に甘えて借りることにした。


「シャワーありがとうございまいた。それと着替えまでお借りしてすみません」

「いえ、今洗濯していますので乾くまでお茶でもどうぞ」

メニュー表を出しながらそう拓篤は言った。


「おすすめは何ですか?」

「そうですね…女性人気はほうじ茶ラテですかね」

「では、それをお願いします」

「かしこまりました」

 

拓篤が準備をしている間沈黙が流れる。

怜は泣いていた理由を話すべきか迷ったが、そんな重い話をしても困らせるだけと思い口をつぐんだ。


「もしよろしければ、泣いていた理由話してみませんか?」


拓篤の方からそう提案してきた。

正直誰かに聞いてもらいたいと思っていたため、少し迷ったが話すことにした。


―――――

「そんなことがあったんですね」

拓篤は否定も肯定もせず聞いてくれた。


「すみません、初対面の人にこんなお話してしまって…」

「いえ、僕から聞いたことですし少しでも気が楽になっていただけたら良かったです」

「ほうじ茶ラテお待たせしました」


怜の目の前にはこっくりとしたクリームが乗ったほうじ茶ラテが差し出された。

一口飲んでホッとをつく

そのあとは他愛もない会話で話が弾んだ。


―――――

「長居しちゃってすみませんでした。そろそろ帰りますね」

「いえいえ、ここはそういう場所ですから」

「お代はいくらですか?」

「いえ、今回は結構です。元気になってくれたならそれで充分です」

「え、でも…」

「洗濯物が乾いたので、2階で着替えてきてくださいね」

「わかりました。ご馳走様でした 」


―――――

「また、来てもいいですか?」

「きっとまた怜さんが必要と思ったときにお会いできますよ」

「それって、どういう…? 」

「ほら、外見てください。虹がきれいですよ」

「ほんとだ!さっきまでの雨が嘘みたいですね」

「お気をつけて 」

「はい、ありがとうございました」


怜はすっきりとした顔で一歩踏み出した。

そういえばお店の名前って何だったんだろう?

そう思い振り返るとそこには今まであったはずの喫茶店はなく、空き地があるだけだった。

「え?今まで私そこの喫茶店にいたよね?」

空き地に近づいてみてもただの空き地がそこにあるだけだった。

そこで拓篤の言っていたことがフラッシュバックする。

―必要と思ったときにお会いできますよ―

不思議な返しだなとは思ったが、深く追求しなかったことを後悔した。

その時どこからともなく声がした。

『また泣きたいことがあったら、私を思い出してください。その時はお店の扉が開くでしょう。その時まで笑顔でお過ごしください』


怜はふっとほほ笑んだ。

雨の日も悪くないな

そう思いながら帰路へついた。

積乱雲、それは夏の間の刹那の雲…











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