戦乙女は狩りにゆく

[10-1]若い二人は狩りデートへ


 昼下がりの厨房ちゅうぼうは静かなものである。使った食器を洗い終え、食堂のテーブルを綺麗に拭いて床を軽く掃けば、夕食の仕込みまでは自由時間だ。

 厨房の椅子に掛けて読書にふける料理人と、机に教本を広げ自主学習に勤しむ狐少女。テーブルに置かれているクッキーは作り置きのもので、覚醒効果に期待しようと二人が飲んでいるのは珈琲だ。もっとも、ヒナのカップに入っているのは黒でなく淡褐色ミルキーブラウンである。


 少女が最近好んで着ているのはミスティアが兄の伝手で取り寄せたという、和装をアレンジした女性物の上下服だ。前合わせの襟と袖が大きく膨らんだ上衣には各所にリボンがあしらってあり、ゆったりしたひだのあるキュロットスカートと合わさって女性らしいシルエットである。色も山葡萄やまぶどうで染めたかのような深みある赤紫で、その上品な色とデザインが大人っぽさをかもしており、ダズリーの胸を騒がせる。

 どちらも喋らず、黙々と眼前の文字に集中していた。聞こえてくるのは窓の向こうでさえずる小鳥たちの声と、時折り椅子の座面を尻尾がこするかすかな音のみ。だから、唐突に厨房の戸が開いて誰かが飛び込んできた時、ダズリーは椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。

 そばでヒナも耳をぴこんと跳ねさせ尻尾を逆立てたので、やはり集中しすぎていて不意打ちだったのだろう。一瞬二人で顔を見合わせ、それから入り口へと視線を転じる。


「ダズ、見て見て! ヤマドリってきたよ!」


 高らかな声で報告をもたらしたのは、砦の戦乙女ことミスティアだ。食器より重いものを持ったことがないのでは、と思えるほど白くたおやかな手がしっかり握って掲げているのは、下処理まで終えた獲れたてのヤマドリである。

 度肝を抜かれて唖然あぜんとしていたダズリーだったが、眼前の事実が意味することを察して青ざめる。敷地内での栽培、飼育だけで砦の食料を賄うことはできないので、定期的に採取班や狩猟班が森へ食料調達に行くのだが、迷い森の危険を考慮して個人が森へ踏み込むのは禁止とされているのだ。


「ミスティア、おまえまさか一人で森に!?」


 採取班に混じって野生の山葡萄やまぶどうを大量に見つけてきたことも記憶に新しいが、まさか狩りまで。と危惧きぐするダズリーに、ミスティアは明るい声音で答えた。


「ううん。狩りに行きたいって言ったら、ヴェルクが一緒に来てくれたの!」


 満面の笑顔に、察しの良い料理人はなるほどと合点する。島育ちのヴェルクは狩猟により日々のかてを得ていたらしく、ミスティアも村暮らしの頃には腕利きの狩人だったという。

 先日突然、砦に飛び込んできてミスティアと仲良くなった炎翼鳥えんよくちょうは、その後も度々訪れているらしい。精霊なだけに気まぐれで行動も読めないが、ミスティアは恋の御利益を本気で信じているようだった。

 かといって、砦リーダーとの仲が深まるわけでもなく。石造りの砦は音がよく響くため何をするにも筒抜けなので、不器用なヴェルクと秘め事のできないミスティアが進展するためには、二人きりになれる場所が必要かもしれない――とは思っていたが。

 自称恋の鳥による入れ知恵なのか、それともヴェルクが誘ったのか。二人はさながらデートのように、仲良く狩りへと繰り出していたようだ。


「そうか、そりゃ良かったな」

「うん!」


 ミスティアは深青色の両目を輝かせ、頬を上気させている。まさしく恋する乙女といったところだが、何か進展はあったのだろうか。


 都会的でお洒落しゃれな装いを好むミスティアは、一見すれば育ちのいいご令嬢だ。砦入りに際しておもに人間の男たちがだいぶいたらしいが、今や砦で彼女が誰に恋しているかを知らない者はいない。ヴェルクのほうも彼女に好意があるようなので、あえて割り込もうとする者もいない。

 吸血鬼の魔族ということで牽制けんせいされがちなシャイルとは違い、二人の恋路を邪魔する者などいないはずなのだが、なかなかどうして現実は厳しいものなのか。


「よし、そいつで『ヤキトリ』作ってやろうか」


 ちょっとした挑戦心が芽生えて、ダズリーは読んでいた本を閉じ立ち上がる。ガフティに貰ったこの大衆小説は、イザカヤと呼ばれる料理屋とその客が繰り広げるエピソードを書いた連作短編集だ。一話が短く筋もわかりやすい上、和国の料理がレシピを交えて丁寧に解説されており、かの国の文化を知るのに最適なのである。

 ヤキトリというのはイザカヤの定番料理で、材料も作り方もシンプルで再現しやすい。


 ヒナの薄荷はっか色の目が、ダズリーの言葉に大きく見開かれる。不思議ないろ合いをたたえた目をきらめかせ、勢いよく尻尾を上げて、狐少女は席を立った。


「やきとり! 好きっ」

「うん、鳥肉は香草ハーブとかと一緒に焼くと美味しいよ」


 獲物を掲げ、笑顔で頷くミスティアが想像しているのは恐らく鳥の香草焼きか何かだろう。方向性としては似ているが、あえて例えるなら串焼きのほうが近いのだろうか。

 いくつか和国の料理に手を出しては見たが、独特の調味料が用意できず味を再現しきれないことが多い。しかし、ヤキトリを漬けるタレつまりソースは、店ごとに秘伝の味があるらしい。ならば自分流にアレンジしてもいいのではないか、とダズリーは考えたのである。


 精霊の巡りが豊かなダグラ森は、植生が豊かで果樹や山菜も多い。そこで育つ鳥も獣も魚に至るまで、臭みは少なく味わい深い肉質だ。中でもヤマドリは最上級の鳥肉と言っていいだろう。

 和国らしさは薄れるが、合いそうな味付けもすぐに思い浮かぶ。

 

「ミスト、やきとりは、くしやきですの。でん……でんの、タレ? やくの」

「串焼き? 串焼きも楽しそう! ぼくも手伝おうか?」


 辿々たどたどしくもヤキトリを説明するヒナと、ざっくり理解してやる気をみなぎらせるミスティア。折角の申し出なので手伝ってもらうことにした。


「ミスティア、ヤマドリは調理台に置いて手を洗ってこい。ヴェルクも後から来るんだろ? 一緒にやろうぜ」

「うん、わかった。ヴェルクも来ると思うよ」


 仕留めたあと完璧な下処理までしこなす、腕利き狩人の二人である。その場で焼いて食べても良かっただろうに、手をつけずここに持ち込んで来たのは、他の皆にも食べさせたいと思ったからに違いない。

 全員に行き渡る量はないので、試行と午後のおやつを兼ね、皆でヤキトリ試食会をするのも面白そうだと考える料理人なのだった。




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