[9-3]知らぬは本人たちばかり


 砦の周辺に植えられた山葡萄やまぶどうは欠かさず肥料を施し手入れを行っているため、生食が可能なほど甘い。ミスティアは故郷の味を再現するため酸味の強めな野生種を探していたらしく、洗濯を終えた後、採取班と一緒に森の探索へ繰り出していたという。

 恋する乙女はしたたかだ。

 彼女の恋心は、人の感情に敏感な炎翼鳥えんよくちょうが好むほど熱量が高いのかもしれない。


 火蜥蜴ひとかげたちの歌と共に焼き上がったタルト生地は綺麗な狐色で、形も整っていた。ヒナが薄荷はっか色の目をきらめかせ銀色尻尾をふわふわ揺らしているので、きっと甘い香りがするのだろう。

 ミスティアは翼をせわしく上下させながらも手つきは慎重に、冷ました生地を型から外し、レアチーズを丁寧に敷き詰めてゆく。ミスティアの動きに合わせ右へ左へと首を傾けている炎翼鳥も、食事などしないくせにうっとりした様子で出来上がりつつあるタルトを覗き込んでいた。

 遠目だと真っ白に見えるレアチーズ生地へ、深紫色のジャムが乗せられてゆく。彩りも美しく、おそらく味も上品に甘酸っぱいのだろうから、ヴェルクの好む味になっているに違いない。


(ま、あいつはミスティアの手作りなら甘かろうと食うだろうけどな)


 知らぬは当事者のみと言ったところか。互いへの好意は傍目はためからでも非常にわかりやすいので、周りが余計な気を回さずともいずれいい形に収まるだろう。


「できたっ。あとは冷やすだけだけど、冷蔵庫に入れておけばいい?」

「なのです、おおかみさんにたのむですの」

『わたくし、寒いのはちょっと……』


 冷蔵庫の白雪狼とヒナは相性がいいので任せておけばいい。思えば、ミスティアの手伝いとはいえヒナが自主的に菓子作りをするのは珍しいことだ。彼女が綺麗になったのにはやはり、心境の変化が関わっているのだろう。


「ぼく、ヴェルクを呼んでくる!」

『ええ、いきまショウ』


 相変わらず雀が飛び出すような勢いでミスティアが去ると、厨房は再び静けさを取り戻した。ヒナが足音もなく移動し、いつもの椅子へすとんと座る。


「どうだ、楽しかったか?」


 いそいそと教本を開こうとしていた少女に声を掛ければ、遠目からでもわかるほどに全身がびくんと跳ねた。顔半分を本で隠してこちらを見るヒナの双眸そうぼうはいつも以上に神秘的で、何を考えているか全く読めない。

 それでも、大きな狐耳はぴんと張っているし太い尻尾はそわそわと動いて椅子の座面を擦っている。何かを期待しているのか、あるいはダズリーの反応を観察しているのか。


「おかし、むずかしいのでしたの。ダズ、いつも、すごい」


 いきなりめられるとは思いもせず、ダズリーは一瞬言葉を失った。駆け引きをしているわけでもないが、かなわない――という思考がふわりと浮かんで散ってゆく。だから、あまり考えもせずつい、言っていた。


「俺は、ほら、元職人プロだからな。おまえさんも差し入れてやりたい奴がいるんなら、作り方教えてやるぞ」

「……うん」


 大きく開いていた目が伏せがちになり、ほんのり上目遣いでヒナは小さく頷いた。その仕草には誰かへの恋心が現れているように思えて、ダズリーの心臓がまた落ち着きなく高鳴り始める。

 海の彼方にいるミカドとやらにも時々菓子を供えることがあるが、ダズリーがそういう意味で言ったのではないことをヒナは理解しているだろうか。むしろやはり、手作り菓子を食べさせたい相手が砦内にいると解釈すべきだろうか。

 軽い調子で「誰に」と聞けば良いのに、その問いはどうしても喉から上へ出てきてはくれなかった。疑問を噛み殺すように奥歯で葉巻を噛み締めてから、ダズリーは口角を上げてにやりと笑って見せる。


「おまえさん、手先も器用で覚えもいいから菓子作りに向いてると思うぜ。食材は限られるから何でもとはいかねぇが、やってみるか」


 薄荷色が一瞬見開かれ、それから少女は教本を下げて頷き嬉しそうに微笑んだ。控えめな動きに合わせて青銀の髪がさらりと揺れ、大きな狐耳がわずかに下がる。

 はにかみ気味の愛くるしい笑顔を向けられて胸のうずきが増すのを自覚しつつも、ダズリーは大人の余裕を装って無表情を貫いたのだった。



  ***



 以前に翼の姉妹たちが焼き林檎りんごを作った時、ミスティアが招待したのは兄とヴェルクの二人だった。しかし、今回はヴェルクのみに的を絞ったらしい。それが本人の確固たる考えによるのか、自称が助言したのかはわからない。

 どちらであったとしてもヴェルク本人は気分が良いだろうから、恋の作戦としてはなかなか悪くないように思える。


「これね、村にいた頃よく作ってて、好評だったタルトなんだよ。どうかな、甘さは控えめにしたつもりなんだけどっ」

「ん、……美味いぜ。これなら幾らでも食えそうだ」

「そう!? たくさん食べて! 足りないならぼくのも食べて!」

「いや、幾らでも食べれるが足りなくはねえよ!」


 場所が食堂なのでロマンティックな雰囲気とは縁遠いが、珈琲とタルトを前にし向かい合っているヴェルクとミスティアは楽しそうで、十分に恋人らしかった。あれであの二人、まだ付き合っていないらしい。

 炎翼鳥はわきまえているのか、今は食堂の窓枠にまって吹き込む風を気持ちよさそうに浴びている。……ように見せかけて、おそらくヴェルクとミスティアの間で交わされる感情の動きをいるのだろう。とんだ野次馬精霊である。

 六等分されたタルトはダズリーとヒナにも一切れずつ供された。残り二つはフェリアか兄か、あるいは他の誰かに差し入れるのだろう。


「タルトは案外粉っぽいから、夢中で食べると詰まるぞ」

「そなの?」

「ぬるめにれたから、飲みつつ食えよ」

「うん、ありがとです」


 教本を閉じて山葡萄タルトに取り掛かろうとしていたヒナの前にミルクティーを置き、ダズリーも珈琲を片手に腰掛けて、配膳用の窓から食堂の二人をそっとうかがい見る。

 折角なので貰った一切れを摘み上げ、鋭角の先端を一口かじり取った。山葡萄が持つ天然の甘酸っぱさと、山羊乳から作られたクリームチーズの濃厚さが、ざっくりした食感の甘い焼き菓子と混ざり合う。見た目のお洒落さにそぐわぬ食べ応えある一品だ。甘すぎず酸っぱすぎず、爽やかな余韻が鼻腔を抜けてゆく。


「なるほど、これは美味いな」


 思ったままの感想がこぼれ落ちただけだったのだが、視界の端で一瞬銀色の尻尾が膨らんだ――気がした。つられて視線を向ければ、ヒナの不安そうな瞳と視線がかち合う。

 そういえばレアチーズ生地はヒナが作ったのだった。ミスティアが褒めていた通り、味も滑らかさも申し分ない。菓子作り初心者でこれだけできるというのは、ヒナの勤勉で生真面目な気質ゆえなのだろう。

 彼女ならあっという間に料理技術スキルくらい身につけてしまいそうだ。いた相手に差し入れるため――のみならず、生計の手段としても。いつか和国へ戻るとして、向こうで大陸の料理を供するというのも競合が少ないだけに成功できそうである。


「ヒナのおりょうり、いつか、ダズに食べてほしいです……」


 思索にふけっていたダズリーは、こぼれ落ちたか細い声を聞き流すところだった。だいぶ大陸共通語コモンに慣れてきたとはいえ少女の言はまだまだ端的で、意味が掴みにくいことも多い。


「ああ、いつでも食べてやるぜ」


 これでも戦災以前は自分の店を持ち、料理によって生計を立てていた身である。大陸の料理や菓子であれば巧拙も判断できるし、どんな相手の胃袋だろうと掴めるように助言や秘訣ひけつも教えてやれるだろう。

 よぎった一抹いちまつの寂しさと、弟子ができたようなわくわく感がないまぜになった気分で返答すれば、少女は頬を上気させてこくこくと頷いた。


 狐少女の所作がいつも以上に乙女らしく見えて仕方ないのは、きっと朝から恋の炎を振りいていた炎翼鳥に当てられたせいに違いない。




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