[9-2]想い出の山葡萄タルト


 ミスティアの故郷は、砦と同じダグラ森にある翼族の村だった。魔族たちに占拠され危機に陥っていた所を砦側が救援へおもむき、救い出したものの、もはや住み続けることはできず。現在、住人たちは全て人間の国へ移住したという。

 普段は明るく元気に振る舞っているミスティアも、魔族たちに愛する故郷と穏やかだった暮らしを奪われた被害者だ。それでも、故郷の地と地続きになっているこの森に懐かしさや馴染み深さを感じるようで、果実の採取などに進んで加わっているらしい。

 そんなミスティアの故郷でよく作られていたのが、山葡萄やまぶどうの菓子だというのだ。砦の周辺では良く山葡萄が採れるので、彼女の故郷でも同様だったのだろう。


「ミストは、なに作るですの?」

「タルトだよ! 村にいた頃よく作ってたんだ」


 洗い場の食器が片付く頃には、ミスティアも必要な材料を見つけ出して揃えていた。今は果物ナイフを器用に操り、山葡萄の粒から種を取り出している。地道な作業だが、完成後の食べやすさがぐっと変わってくる大切な一手間だ。

 ヒナはその作業に興味を覚えたのだろう、洗い終えた食器の収納をダズリーに任せ、ミスティアの隣に座って一緒に種取りを始めている。二刀使いなだけあってナイフの握り方は危なげなく、処理済みの葡萄粒が綺麗な形状を保っているという見事な手際である。

 炎翼鳥はミスティアの肩に乗ったまま、満足げに全身の羽毛を膨らませていた。大方、恋しい相手を思い浮かべる彼女の心境を、幸せな気分を味わっているのだろう。――ということは。


「ミスティア、それ、ヴェルクに差し入れるのか」

「ふぇっ、そ、そうだけど! ダズって心読めるの!?」

「んなわけあるかよ。おまえさん、厨房でよくそういう話してるじゃねぇか」


 思わず突っ込めば、ミスティアは頬をほんのり染めてうつむいた。手は止めず葡萄の種抜きを続けながら、ぽつぽつと呟く。


「ヴェルクには村奪還の時にすごく助けてもらったし、革命軍のリーダーとしていつも頑張ってるから、いたわってあげたいなって。……ほら、兄さんも村長むらおさだったから、上に立つ大変さとかすごくわかるし!」

『フムフム、それはまごうことなき恋デスね。胸に手を当てて考えるのです、恋しいカレとどんなふうになりたいデスか』

「えぇっ、そんな……どうなりたいかなんて恥ずかしくて言えないよっ」


 強引に恋と結びつけようとする炎翼鳥を否定しないということは、図星なのだろう。いや、表層意識を読まれているのだから当然か。

 両手が塞がっているため、ミスティアの動揺は全て翼の動きに現れている。隣で種取りを手伝っているヒナは一人と一羽の会話を聞き流しているようだが、ダズリーの目は少女の狐耳が片方だけ持ち上がっているのを見逃さなかった。気になって――いるらしい。

 服装を変えただけでなく、最近は髪や肌の手入れも教わって、短期間の間でヒナは驚くほど愛らしくなった。炎翼鳥の反応にかんがみても、原因は一つしかないだろう。


 ――相手は、誰なんだろうな。


 恋すると乙女は綺麗になる、とはよく言われることだ。あながち根拠のない俗説というわけではない。意識する相手がいれば当然、自分の対外的な魅力を磨こうと思うだろう。ごく最近まで自分の身なりに無頓着むとんちゃくだったダズリーとしては、身につまされる話である。

 種抜きを終えるとミスティアは実を崩さぬよう小鍋に移し、きび糖とレモン汁を加えて焜炉に置いた。しかし点火スイッチを押す前に炎翼鳥が焜炉台へ飛び移り、両脚を踏ん張って両翼をふわっと広げる。


『加熱はわたくしにお任せアレ! 甘酸っぱい味は初恋の味覚デスね。じっくりトロトロにかしてあげまショウ』

「わぁ、ありがとう炎翼鳥さん。それじゃぼくは生地とクリームを……」


 この炎翼鳥、料理ができるのか。幾許いくばくかの驚きと共に焜炉を観察していると、鳥は舞うように柔らかく翼を動かした。召喚に応じた火蜥蜴がひょこりと顔を出し、いつものように小鍋の周りを回り出す。

 拍子抜け半分、安心半分でダズリーは苦笑した。これなら火加減を間違って中身を台無しにすることもないだろう。


 炎翼鳥を信頼しきっているミスティアは、生地作りに専念している。バターを練ってきび糖を混ぜ込み、麦粉を振るい入れてまとめ上げる手つきは、当人の言った通り慣れたものだ。ダズリーが手を出す余地もないが、ヒナは種取り手伝いからの流れで今度はクリームチーズを作っているらしい。

 タルトは生地を寝かせる必要もあり、何度かに分けて焼く手間のかかる菓子だ。ミスティアのよどみない手順は、故郷でよく作っていたという言を裏打ちしていた。

 生地を寝かせている間に、小鍋のほうへ。ちらと見えた中身はつややかな深紫色だったので、山葡萄のジャムは無事に出来上がったようだ。粗熱を取るため、冷蔵室へ。ミスティアはその後ヒナの側へ行き、クリームチーズの入ったボウルを受け取る。焜炉の上で火蜥蜴とたわむれていた炎翼鳥が、ふわっと飛んでミスティアの肩に戻ってきた。


『順調デスか?』

「うん、すっごく順調! ヴェルクってあまり甘いもの好きじゃないの。だからカスタードじゃなくレアチーズにしてみたんだけど、食べてくれるかな」

『ナント。甘さを控えるなどわたくしの主義に反するのですがっ……致し方なしデスね。甘さを控え、恋の酸っぱさを味わっていただきマショウ』


 はたから聞いていると完全に、胡散臭うさんくさい占い師かカウンセラーだ。とはいえ的外れにならないのは、本質が善良な精霊ゆえのことだろう。

 寝かせた生地をミスティアは丁寧に伸ばし、丸い型に被せてゆく。空気穴を開けてまた少し置き、その間に山葡萄ジャムを冷蔵室から取ってくる。タルト生地はクッキーに似た甘い菓子だが、中身がレアチーズでトッピングが山葡萄ジャムなら甘すぎることもないだろう。


「ヒナは手際がいいよね。このレアチーズ生地もちょうどいい甘酸っぱさだし、なめらかでいい感じ」

「そ、かな?」

「そうそう! さすがぼくの妹だね!」


 惜しみなくめるのはミスティアの良いところだが、妹の件をまだ諦めていなかったのかとダズリーは苦笑した。返事にきゅうしたのか、ヒナは笑顔で誤魔化したようである。ミスティアも微妙な反応を気にすることなく、次の工程へと取り掛かった。


「よしっ、焼くよ!」

『イザ、ゆかん! 恋の旅路へ』


 型に被せた外生地をオーブンで半刻ほど焼くのだ。気合い十分にオーブンへ向き合ったミスティアと全身の羽毛を膨らませる炎翼鳥の隣で、慣れた手つきのヒナが調整盤を操作し予熱を開始する。

 オーブンの使い方も火蜥蜴の合図も、ただ待つだけだった最初の頃と比べればすっかり手慣れたものだ。いずれヒナも今日のミスティアのように、想い人への差し入れを嬉々として作るようになるのだろうか。それは喜ばしいことだと思う反面、胸の奥が甘くうずく錯覚を覚え、ダズは重いため息をつく。

 砦の世界は狭く、関わる人物といえば限られている。ヒナが好意を抱きそうな相手といえば、あの彼しか思い浮かばなかった。

 ミスティアは自分の恋に必死で、ヒナから相談を受ける余裕などないだろう。妹アライグマのティアラなら知っているかもしれないが、聞くのははばかられた。あるいはこの、恋鳥を自称する精霊であれば――?


「あー、何を考えてんだ、俺は」


 そもそも自分はヒナにとっての何者でもないというのに、詮索する権利など。

 雑念を振り払うように吐き出した料理人の声か聞こえたのだろうか。こちらを振り向いたヒナは、不思議そうな表情で首を傾げた。




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