戦乙女の恋愛相談

[9-1]恋の鳥と春告鳥


 内陸に位置し、温暖湿潤な気候に原生の森という相乗効果もあって、ダグラ迷い森は年中湿度が高い地域である。それでも精霊が多く住んでいるためか精霊力の巡りはよく、晴天の日には塔の周りをさわやかな風が吹き抜ける。

 ヒナと一緒に朝食の片付けをしていたダズリーはふと、何かに呼ばれた気がして食堂の窓へ目を向けた。石壁を切り抜いただけの窓は今の時間、遮光布カーテンが取り払われて外庭がよく見える。今日は朝からよく晴れたので、折角の洗濯日和を逃すまいとしたアライグマ姉妹と翼の姉妹が早朝から精を出し、砦内のシーツやタオルをいつも以上に洗濯したらしい。

 森の涼が香る風に吹きあおられ、一面に干された色とりどりの布が大きくはためいている。波打つ布の海に混じり込む、鮮やかな緋色が見えた。


「……ん? 生き物、か?」


 違和感のある光景に、ダズリーはあまり良くない目をらす。めつすがめつしていると、軽い足音と共にヒナが側へ寄ってきた。

 夜桜工房の奥方に春色のワンピースを贈られて以来、少女の装いは以前とだいぶ違っている。くだんのワンピースの他にもミスティアが兄の伝手を駆使して買い求めたのか、可愛らしい衣服が増えた。相変わらず部屋は一続きのままで暮らしているが、最近はダズリーも妙な照れが生じて狐少女を直視できずにいる。

 少女はそんな料理人の心境を知ってか知らずか、変わらぬ態度で接してくる。それが一層ダズリーの困惑を加速させるのだった。


「何かいる、です?」

「おぅ。見てくるか」


 薄荷はっか色の目が上目遣いに自分を見るのは、背丈に差があるからだ。神秘的な双眸そうぼうにきらめきが宿っているのは、好奇心を映しているからだ。そこに特別な好意など、あるはずがないではないか。

 自分の内側にそう言い聞かせ、ダズリーはきびすを返す――が。


「ヒナも、いっしょにいくです」


 やわらかく、二の腕を掴まれて心臓が跳ねた。動揺を悟られぬようくわえていた葉巻を一度強く噛み締めてから、声が裏返ってしまわぬよう喉に力を込め、自然体を装って返答する。


「ヒナは、テーブルを拭いといてくれると助かるぜ」

「いきだおれかも、だもの」

「ここに危険な奴は近づけねぇだろ」

「はんげき、されるかもですの!」


 強めに言い返され、思わず息を詰めた。狐の少女は耳をしぼませるように下げ眉根を寄せていて、ダズリーにはその表情が泣き出す寸前に見えた。

 彼自身は気にしていない、むしろ忘れ去っていた出会い頭の事故を、ヒナは今でも気にしていたのだと知る。照れも気まずさも忘れて、思わず手を出し少女のベレー帽に触れた。


「何だよ、おまえさん……俺を引っ掻いたこと、まだ気にしてたのか」

「ダズ、いたかったもの……」

「子供に引っ掻かれたくらい、大したことじゃねぇぜ」


 気にするな、の意を込めて頭を撫でてやれば、ヒナは綺麗につった眉をますます寄せて、小さくうめく。


「ダズ、またヒナを子供あつかいするぅ」


 低められた声は強い感情をはらんでおり、不満と怒りの中間のような深さにダズリーは一瞬怯んだ。何と返せばよいか迷っていたところへ不意に窓から、矢のような勢いで緋色の物体が飛び込んできて、二人は思わず同時に目を向ける。

 からすほどの大きさで全身鮮やかな緋色の鳥が勢いよく飛び込んだ先は、ヒナの胸元だ。少女は「ひゃっ」と声をあげてそれを器用に受け止める。もっふりした長い尾羽と冠羽の付いた頭を揺らしながら、鳥はヒナに掴まれる前に腕を抜け出して、するすると器用に少女の身体を登ると肩へ留まった。

 柘榴石ざくろいしに似たつぶらな瞳が、ぱちりと瞬く。そして、喋った。


『お嬢さん、恋煩いですネ。わたくしの羽をあげまショウ。恋愛成就の御守りデスよ』


 その瞬間、場に何とも形容しがたい空気が張り詰めた。思考停止するダズリーの眼前でヒナの狐耳がぴんと張り、尻尾がぶわぁっと太くなってゆく。互いに言葉を失ったまま石化したかのように沈黙することしばし、だが口火を切ったのはどちらもなかった。

 聞き慣れた、軽快な足音が近づいてくる。食堂の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、ラベンダー色の翼を広げた砦の戦乙女、ミスティアだ。


「ダズ、ヒナ! 山葡萄やまぶどうを採ってきた――って、あ、えぇ炎翼鳥えんよくちょう!?」


 場の空気を壊してくれた上に謎の鳥の正体を看破してくれた春告鳥に、ダズリーは心の中で感謝する。ちらと様子をうかがえば、ヒナも話が逸れたことにほっとしているようだった。不自然に逸らされた視線の先が今はミスティアへ向けられているからだ。

 炎翼鳥といえば代表的な炎の中位精霊だが、その羽根に恋愛成就の効用があるなどという話は聞いたことがない。いや、炎魔法に短時間だけ相手を魅了する魔法があった気もするので、あながち根拠のない話でもないのだろうか。


「えんよく、ちょう?」

「そうだよ。炎の中位精霊で、癒しと精神作用の魔力を持ってるの。炎翼鳥さん、どこからきたの?」

『そう、わたくしは恋の鳥なのデス。この羽には恋愛成就のご利益があるのデスよ。お腹がすきましたので、甘い恋心を感じさせて頂こうかとやって参りマシタ』

「こいの、とり……」


 ヒナが気まずそうに視線と尻尾を揺らしたが、ミスティアはその言葉に何を思ったか、背の翼を大きく広げて炎翼鳥に詰め寄った。


「そうなの!? あの、炎翼鳥さん。良かったら、ぼくと……握手、してほしいの」

『アナタは恋の病デスね。握手といわずに、わたくしの羽根をむしって御守りとすれば良いのです。さあ、遠慮せずドウゾ!』

「羽根をむしるだなんて、そんなことはできないよ……」


 精霊の中でも特に中位のものたちは、人間に近い感情を持っているという。ダズリーは黙ってヒナの側までゆき、少女の肩で羽毛を膨らませ胸を張る鳥を両手で抱えた。そして逃げられる前にミスティアの肩へ乗せる。

 元より精霊は人族の感情に敏感だ。中位精霊ともなれば、表層に浮かんだ意識を読み取ることもできるらしい。当然、ミスティアが恋心を抱く相手も筒抜けである。


「さ、ヒナ。さっさと洗い物終わらせてしまおうぜ」

「うん」

「待って」


 自称恋の鳥のせいでヒナとの間に生じた気まずさがミスティアの乱入で払拭ふっしょくされたことに安堵しつつ、厨房へ引っ込もうとすれば、ミスティアが肩に炎翼鳥を乗せたまま追いかけてきた。よく見れば、彼女が両手で抱えていた籠にはたくさんの山葡萄が入っていた。


「ほぅ、凄いじゃねぇか。山葡萄の穴場でもあったのか?」

「そうなの。でもこれ野生種だから、完熟はしてるけど酸っぱみも強いと思うんだ。それでね、実は厨房とオーブンを使わせて欲しくって」


 籠を掲げて中身を見せつつ、ミスティアはどこか必死さを感じさせる表情でダズリーを見上げる。他人のこととなれば意図を察し、ダズリーの口元には思わず笑みが上った。


「もちろん、構わねぇぜ。大量に作るのでもないだろうし、材料も好きに使えばいい」

「ほんと!? ありがとうダズ!」


 濃青の両目が大きく見開かれ、頬が上気して翼が広がってゆく。嬉しそうなミスティアの肩で炎翼鳥もまた、冠羽と胸の羽毛をふんわり膨らませ翼を広げていた。その所作はどこか得意げにも見える。


『わたくしも手伝って差し上げまショウ。胃袋をツカムのはプロセスの基本デスね』

「炎翼鳥さんも手伝ってくれるの? わかった、ぼく頑張る!」


 ダズリーとしても、必要があれば手伝うつもりはあったのだが――。

 炎翼鳥と一緒に張り切って材料やら道具やらを準備し始めたミスティアは、勝手知ったる厨房といった様子で手慣れている。これなら、任せておいて大丈夫だろう。


「ダズ、あとかたづけ、がんばろうです」

「そうだな、何か聞かれたら手を貸してやるか」


 料理はともかく恋の駆け引きに関しては料理人の出る幕などない。いそいそとエプロンを身につけて流し台に立つヒナを眩しく思いながら、ダズリーも片付けの続きに取り掛かるのだった。



 

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