[8-2]惚気蕩けるカスタードプディング


 銀色狐の耳と尻尾を持つヒナだが、その正体は和国から来た妖狐という魔族である。魔族は先のとがった耳と美しい容姿の種族であり、獣の耳や尻尾、翼などを生やしているという話は聞いたことがない。

 最近になってようやく聞き取れたヒナの話によれば、妖狐は狙われやすい部族なのだという。加えて大陸では魔族がいとわれる背景もある。ヒナを育てた人物は大陸の文化をよく知っていて、彼女に獣人の振りをするよう教え込んだらしい。


 砦の医師リーファスによれば、魔法の才があり精霊の巡りを見ることのできる者はそれによって相手の種族や属性を見分けるという。また、最近砦に加わった筋肉美愛好家の姉妹によれば、獣人と魔族は筋肉のつき方が違うのだとか。

 砦にいる大半は魔法にうとい人間の男たちなので、ヒナの『獣人の振り』は一応の目的を果たしているが、新たな出会いがあるたびに、少女の演技が見破られる可能性は常にあるのだった。


 アッシュは吸血鬼魔族のシャイルに魔法製の長剣を造ってくれた鍛治師なので、魔族と聞いただけで嫌悪を表すことはないのだろう。それでもやはりダズリーとしては、彼がヒナの正体に気づいているか気になって仕方ない。

 会話を聞く限り彼はヒナを獣人の子供と思っているようなので、何かの弾みで真相がばれてしまうのでは、という心配もある。それでも、警戒心の強いヒナが珍しく気を許しているところを見れば、彼の人柄がそうさせるのだろうとも思うのだ。


「お待ち遠さま。ヒナの分、ミルクときび糖で甘くしといてやったぜ。アッシュはブラックでいいか?」

「ああ」

「あまいの、うれしい!」


 二人の前にそれぞれの珈琲を出してから、ダズリーも一緒に席について修理を待つことにする。珈琲を口にしつつ、向かい側に座る黒獅子の鍛治師をしげしげと観察した。

 大柄で寡黙かもくという所は砦リーダーのヴェルクと共通した特徴だが、いったい何が違うのだろうか。確かにダズリー自身も彼と向き合っていて圧のようなものは感じない。鍛治師という職業には非常な集中力と忍耐力が求められるというが、そういう気質が彼からはにじみ出ているようにも思える。


「あんたも彼女らも、若いのに立派な職人なんだな」

「なに、獣人の成長は早いんだ。……ヒナだってあっという間に大きくなるさ」

「そうです。子供あつかいはよくないのです」


 きりっと眉をつりあげた狐っこの主張に、思わずダズリーはアッシュと顔を見合わせて笑みをこぼした。やはり彼はヒナを狐獣人の娘だと思っているらしい。


「ヒナはまだまだ子供だろ。一人前っていうのは、彼女らみたいなのを言うんだぜ」

「むぅ」


 揶揄からかうようなダズリーの言を聞いて不満げに振り向いた薄荷はっか色の目が、作業をしている女性たちを見てそのまま動きを止めた。調整盤を取り外して何やら精密な作業をしている二人は、あいも変わらず楽しげだ。好奇心を刺激されたらしい瞳がきらめくのを見てとったアッシュが囁くように促す。


「気になるなら、近くで見てきたらどうだ?」

「……うん!」


 思えば大陸共通語コモンの勉強も、料理の補佐も、言われる前から進んでやりこなす少女である。その知識欲と勤勉さには見習わなければな、とダズリーは少し反省した。


「ヒナ、邪魔にならないようにしろよ」


 椅子から飛び降り駆けてゆく背中に一応の声掛けをしたものの、ロベリアとメルリリアはすぐにヒナを受け入れてくれたようだった。一部始終を見守っていた向かいの黒獅子が、ふふっと低く笑いを漏らす。


「子供って可愛いな」


 その所作と声の調子に強い既視感を覚え、不意にに落ちた。アッシュにあってヴェルクはないもの――とまでは言わないが、垣間見えたのは父や兄のような包容力だ。あるいは、既婚者の余裕ともいうべきだろうか。


「あんたらは、まだなのか?」


 思わず口をついたのは不躾ぶしつけすぎる質問だった。言った側から猛省もうせいするダズリーの前で、アッシュはよく出来た彫像のように動きを止める。謝るべきか、話題を変えるべきか。内心で焦っているとやがて彼はゆっくり腕を上げ手で顔を覆い、ぽそりと呟いた。


「妻が、可愛すぎて……今はまだ、独り占めしたい」


 無骨な職人の思わぬ惚気のろけにさっきまでの反省も吹き飛んで、ダズリーは「そうかそうか」と頷きを返す。こんな旦那に愛された妻も、いずれ生まれてくるであろう子供も、なんと幸せなことか。

 ――いや、幸せであって欲しいと。

 一瞬だけよみがえった冷たい記憶は胸の奥に押し込める。彼らの幸せを守るためにも、今の世界には変革が必要なのだ。仲睦まじい夫婦を見ていれば自然と笑みが口元に浮かぶのを抑えられず、ダズリーはしばし未来へ想いを向けた。



  ***



 オーブンの修理が終わるのは遅い午後、いわゆるおやつどきである。技師の二人と見学の狐っこがオーブンに向き合っている間に、ダズリーは焼かずに作れるデザートを作ることにした。念の為アッシュに好みを尋ねてから、収納棚にある蒸し器を引っ張り出す。

 作るのはカスタードプディング。カラメルソースは砂糖と水を煮詰めるだけ、プディングもミルクに砂糖と溶いた卵を混ぜてし、器に入れて蒸すだけだけの手軽なデザートだ。オーブンで作る時のような焼き目はできないが、とろふわで滑らかな仕上がりになる。

 少量ならば一時間もかからない。アッシュを一人待たせることになるが、当人が構わないと言ってくれたので、料理人は彼の寛容に甘えることにした。


 手早く卵液を作り、火蜥蜴ひとかげを呼んでカラメルソースを煮詰める。小振りの器にソースと卵液を流し入れ、蒸し器に並べて仕掛ければ、あとは火蜥蜴たちの領分だ。一匹が蒸し器の周りをぐるぐると周り、一匹は蓋の上に乗って火加減を調節している。もう一匹は姿が見えないので、オーブンの中に待機しているのかもしれない。

 果物籠から林檎、オレンジ、キウイフルーツを出して皮を剥き、小さくカットする。火蜥蜴の合唱が聞こえてきた頃合いで焜炉こんろから蒸し器を下ろし、プディングを平トレイに移して冷蔵室へ。奥の雪山に声を掛けると、真っ白な小型狼が立ち上がって尻尾を揺らしながら近づいてきた。


「これ、冷やしてくれ」

「キュウン」


 火蜥蜴たちと違い白雪狼は特に何をするわけでもないのだが、側に物を置けば急速な冷却ができる。うっかり置き忘れると凍りつくほどだ。

 お陰で最近は傷みの早いベリー類や、川で釣った魚、下処理を済ませた肉なども保存できるようになり便利である。取り出すタイミングを誤り、使おうとした時はカチコチに凍りついていたという失敗も時々あるが。


 平皿を五つ出し、ミルククリームを泡立てておく。修理作業が一段落したのを見計らって、冷蔵室からプディングと冷凍ベリーを取り出した。適度に冷えたプディングを型から外して平皿へ乗せ、小さく切ったフルーツを飾って冷凍ベリーを散らす。仕上げにクリームを添えてチョコソースを掛ければ、喫茶店で供されるお洒落スイーツの出来上がりである。

 工業都市バルクスはエレーオル国きっての大都会だ。技師の女性二人の格好がお洒落だったので、料理人としての腕がうずいた――のかもしれない。反応を期待して声を掛ければ、ヒナが真っ先に飛んできてテーブルに顔を近づけ、尻尾をふわっと膨らませた。


「これなに? ぷるぷるしてる!」


 隣から覗き込んだメルリリアが、ほっそりした指を口元に添える上品な仕草で驚いたように言った。


「これは、カスタードプディング、のフルーツアンドクリーム添えですね! 見た目も可愛らしくってとっても美味しそうです」

「ふふっ、リリーはこういう可愛いスイーツ大好きだもんな」

「もう、ロアだって好きでしょう! アッシュも、好きですよね!?」

「君がそんなに好きなら、俺のぶんも食べていいんだぞ」

「やだもう、私、そんなに食いしんぼじゃありません……」


 喜んだり、照れたり惚気のろけたり。獣人たちは人間よりも感情豊かなのかもしれない。そう思えるのは、彼や彼女らの耳や尻尾が心の揺れに合わせよく動くからだろうか。

 甘いデザートに添える紅茶の茶葉を蒸らしながら、ダズリーは技師の獣人たちに混ざって楽しそうに尻尾を揺らすヒナを眺め、そんな所感を抱いたのだった。




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