[8-3]桜猫からの贈り物


 厨房ちゅうぼうにもテーブルと椅子はあるが、五人で囲むとさすがに狭い。一旦食堂へ移動し、六人掛けの席をダズリー以外の四人で囲んだ。料理人のカスタードプディングは試食のため既に胃袋へ消えたので、ダズリーは隣の席に着いて見守ることにする。

 ロベリアとメルリリアはヒナをすっかり気に入ったらしく、狐少女を真ん中に三人一列で座っており、アッシュは向かい側に一人で着席していた。ここにアライグマ姉妹も呼べば賑やかな同窓会が始まりそうだが、プディングはもう残っていないので呼ぶなら食べ終えてからのほうがいいだろう。


「かすたど、ぷりんぐ……?」

「そう、カスタードプディングのフルーツアンドチョコソース添えです! 見てください、このカットフルーツのサイズもデザインも、彩りの配置も絶妙で隙がありません。クリームも、んんっ、甘さは控えですがまろやかでコクがあって、飽きがきません! それにチョコレートソース……つやめくダークブラウンのアクセントがビターな甘みを――」


 ヒナははしではなく、今日はさじを使っている。最初の時に比べればだいぶ使い慣れたようで、今では左手で使うようにもなった。ひと匙掬い、クリームやソースと絡めてから、確かめるように口へ運ぶ。言葉少なだが、一口ごとに狐耳が跳ね尻尾が上下するので、相当お気に召したようだ。

 一方でメルリリアは、一口食べては矢継ぎ早に感想をまくしたて、一口食べては頬を上気させてまた熱弁を振るっていた。その喜びようは料理人冥利に尽きるもので、照れ臭いを通し越して居た堪れないほどである。


「リリー落ち着け。君、早口すぎて、ヒナが聞き取れてないだろ」

「うー……ん?」


 ロベリアがたしなめ、ヒナが小首を傾げる。アッシュが無言で自分のプディングを半分に分け、器用な手つきで妻の皿に移した。薄紅色の双眸そうぼうを輝かせて夫を見るメルリリアは可憐で愛らしく、なるほどこの顔を独り占めしたいのか、とダズリーは深く納得する。

 いつも以上に熱々な空気を察したのか、火蜥蜴ひとかげたちまでもが配膳台の上に出てきて、くるくる輪を描きつつ踊り始めた。オーブンが無事に復活して彼らも喜んでいるのだ。


 今から仕込めば、夕飯にはパンも焼き物も出せるだろう。ヒナが好きな焼き菓子も作れるし、火蜥蜴たちも棲家すみかを失わずに済んだ。若い技師たちに対し、感謝と共に湧きあがるのは尊敬の念だ。

 甘いスイーツを前にはしゃぐメルリリアと、彼女を見守るアッシュ、ヒナに自分のプディングを分けているロベリアは、一見すれば年相応の若者たちに見える。けれど三人は専門の訓練校を出て手に職を持つ技術者だ。分野こそ違うが、その姿は若い頃ダズリーが憧れた未来を彷彿ほうふつとさせるのだ。

 大人の女性二人に挟まれ、まるで獣人の子供のように馴染んでいる妖狐の少女を見ていれば、先日と同じ胸のうずきが蘇ってくる。


 いつの間にか隣にいるのが当たり前となっていた、けれど本来はここにいるべきでない、異国の少女。隣り合う大人女性たちと見比べれば、ヒナの身体はやはりまだ子供の域を出ない。

 大人であるダズリーの務めは、若い頃にこそ得られるであろう学びや出会いを備えてやること、ではないだろうか。しかるべき教育を受ければ、戦地に身を置かずとも生きてゆける技能を身に着けられるのだから。

 再三に渡りヒナ自身から「子供扱いは良くない」という抗議を受けているというのに、その考えはダズリーの頭からどうしても離れてくれなかった。

 


  ***



 思わぬ贈り物が届いたのは、その数日後。砦リーダーのヴェルクが注文していた武器を取りに『夜桜の魔導工房』へ出向いた時、ヒナ宛の大きな包みを預けられたという。

 桜柄の可愛らしい包装紙を開けてみれば、中から淡い色合いの衣服が出てきた。食堂のテーブルに布地を広げヒナが戸惑っていると、どこからともなく現れたアライグマ姉妹が少女を連れ去っていった。おそらく今は着替えているのだろう。

 何かを期待するわけでもないが、落ち着かない気分のダズリーである。オーブン故障という思わぬことでつながった縁、ヒナの将来のこと、はっきりしない自分自身の気持ちについて……一人ぐるぐる悩んでいると、厨房の扉が勢いよく開いた。


「もしもし、そこの無精髭氏! 待たせたねっ」

「何だよ無精髭は名前じゃねぇ――……」


 揶揄からかうようなキアラに言い返そうと振り向いたダズリーは、残りの台詞を奪われて目をみはる。淡い薄荷緑ミントグリーンをベースに薄桃紫オーキッドピンクのフリルをあしらったワンピースを身にまとったヒナが、もじもじとそこに立ち尽くしていたからだった。

 艶やかな青銀の頭にはいつもの大きな帽子ではなく、お洒落な薄紫色のベレー帽が乗っている。アクセントとして縫い付けられた小花は控えめな赤色で、可愛らしくも上品な雰囲気をかもしていた。


「うふふ、ダスさんってば……葉巻落ちてますよっ」


 ティアラに楽しげに指摘され、ダズリーは急いで葉巻を拾い上げてエプロンのポケットにじ込む。


「……どこの美人さんかと思ったぜ」


 口を塞ぐ葉巻が落ちたせい――というわけもないが、ダズリーの口から本音がぽろりとこぼれ落ちた。ヒナが「びじん」と反芻はんすうし、ほんのり頬を染めてうつむく。その仕草がやけにたおやかに見えて、料理人の心臓がいっそう騒がしくなる。

 細い首からなだらかな肩への曲線は、見慣れたものだ。いつも目にしていたしなやかな腕は柔らかに膨らんだ袖の中へ隠されており、すらりとした脚も今はスカートに隠されて見えない。露出は控えめになったはずなのに、何が、違うというのだろう。


 不躾ぶしつけだと思いつつも目が離せず、あまり良くない目を細めて少女の全身を眺めていたダズリーは、不意にいつもと違う部位に気づいてしまい、自分の頭を柱にぶつけたい衝動に襲われた。

 いつも見ていて意識したこともない胸元――和装の上からだと真っ平にしか見えなかった胸部が、いつの間に育ったのかふくよかな丸みを帯びていて――。


「むふふ、正直でいいねー! でもダズ、女の子が女らしくあることを阻むのは、良くないとあたしは思うんだ」

「あっ……キア、ヒナは、よいですの!」


 浮つく気分に自己嫌悪が差して目眩を覚えたダズリーだが、含みのあるキアラの言葉にはっとする。焦る様子のヒナにティアラが優しく微笑みかけて、姉の言葉に続いた。


「獣人でも、魔族でも、本質的には人なのです。特にヒナちゃん、あなたは成長期なのですから……身も心も、もっとのびのびとしていいんですよ」


 彼女ははっきり言葉にはしなかったが、理解したのだろう狐っ子はしゅんと俯いた。それでようやくダズリーも、少女の胸がこれまで真っ平らだった要因に思い至る。

 和装の定番スタイルだろうと思い気に留めてもいなかったが、思えばヒナはいつも胸や手脚にしっかりと布を巻きつけ、意図して少年のような格好をしていたのだ、と。

 

「悪かったな、ヒナ。そのワンピース、よく似合ってるぞ」

「ダズ、わるくないよ。ししょ、が……しなさいっていったです、のに」


 そわそわと尻尾を揺らし、落ち着かなげに耳を上げ下げしながら、ヒナは上目遣いでダズリーを観察しているようだった。改めて見れば、出会った頃よりふっくらした頬や、まろやかに曲線を帯びてきた体つきに気付かされる。


「キアラの言うように、成長期の身体を圧迫するのは良くねぇんじゃね?」


 伺いを立てるように話を振れば、キアラは大きく頷いて瞳をぎらりと輝かせた。


「そうそう! だってさ、成長するには理由があるんだから」

「身体や気持ちのことで悩みがあるなら、私が相談に乗りますよ! もちろん、他言はいたしません」

「ん、……だいじょぶです」


 勢いよく手を握ったティアラに若干引いているようでもあるが、ほっとしたように表情をほころばせるヒナを見れば、ダズリーもまた安堵が込み上げてくる。同時に、彼女を子供扱いし続けていた自分の愚かさにいささか気分が落ち込んだ。

 獣人のような姿も、少年のような格好も、決してヒナが望んで身につけたのではない。彼女は異国で生き抜くため、本当の自分を抑えつけ偽りの姿で振る舞っているのだと。そのことに気づかせてくれた大人の女性たちには、感謝せねばなるまい。


 いつしか芽生えていた独占欲は、行きすぎた庇護ひご心だろうか。

 あるいは、もっと深くて熱い想いなのだろうか。

 神秘的な薄荷はっか色の目が喜色をたたえてきらめくのを眺めやりつつ、ダズリーは己の胸にひっそり問いかけるのだった。




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