〈閑話〉料理人の思い出語り

[chat 1]羊を数えながら


 幼少期の夢は、羊飼いだった。俺の両親は牧場主だったので、子供時代はほとんど羊や山羊や鶏と一緒に育ったようなものだ。もこもこした羊の毛刈りを手伝うのが好きで、長男だったら家業を継いでいただろう。

 料理の道を選んだことに大きな理由や切っ掛けがあったわけじゃない。兄が両親と牧場の手伝いをし、家事や料理は弟である俺の仕事になっていた。兄貴が牧場を継ぐのは決まっていたから、職業にするなら慣れた仕事がいいと思ったのだ。


 両親や兄との関係は良好だったが、職に就き結婚もすれば自然と実家帰りの機会は少なくなる。最後に会ったのは娘の出産祝いに来てくれた時なので、それほど遠い昔でもないが。

 牧場は、街の中には作れない。郊外に広がっていた農場や牧場は真っ先に戦火の餌食となった。両親と兄は最初期の戦災犠牲者だったらしい。結局、一人離れていた俺だけが戦火を免れ、命をながらえてしまったのだ。


 眠れぬ夜に羊を数えていると、子供時代を思い出す。仕事優先ではあったが優しく快活な両親で、忙しい二人の代わりに俺の遊び相手をしてくれたのは牧羊犬だったが、それでも十分幸せな子供時代だったように思う。

 ヒナは、どうなのだろうか。この子の言動には親の影が見えない。それでも見知らぬ大人を信頼する余裕があるのだから、保護者がいたのは間違いないだろうと思う。親ではないその誰かは、彼女にとって良い存在だったんだろうか。


 隣の寝息を感じながら、起こさぬようそっと姿勢を変えて寝顔を盗み見る――つもりが、思わぬ光景に驚いた。姿勢よく寝ていたはずの少女はいつのまにか、銀毛のこぎつねに変化へんげしている。しかも、腰の辺りに奇妙なもふもふ感を感じてくすぐったい。

 恐る恐る上掛けを持ちあげ覗いてみれば、銀色の太い尻尾が増えていた。一本ではなく、三、四、五……いやもっとある。医師のリーファスが言っていた『妖狐ようこ』という名称がストンとに落ちた瞬間だった。


「驚かせやがって」

『ふにぅ……』


 思わず漏れた呟きに寝ぼけた声が返ってきて、俺は思わず息を止める。獣人は獣姿になると五感がいっそう鋭くなるというが、妖狐の魔族も同じなのだろうか。そっと上掛けを戻して、俺は慎重に安堵の息を吐いた。

 びっくりはしたが、こぎつね姿でいてくれるならまだ俺の気持ちも穏やかだ。やたらと幅をとる尻尾も、ヒナの小ささならまあ可愛いものだ。朝まで異性を意識しながら羊を数える時間に比べれば、もっふり尻尾に場所を奪われるくらい大したことじゃない。


 和国語、覚えるか。

 三十路に差し掛かって覚えも悪くなった俺が習得するより、ヒナが大陸共通語コモンを習得するほうが効率的にも思えるが、そこは歩み寄りだ。

 教え教わり、ついでに和国の料理なんかも覚えてゆければ……。


「何だって俺は、こいつがずっと砦にいる前提で考えてんだろな」


 ふわっとよぎった妄想に妙な照れ臭さを感じて、思わず自分突っ込みを口にしてしまう。隣から聞こえた寝言の返事は聞かないふりをし、もう一度慎重に姿勢を変えてこぎつねに背中を向けた。

 でも、これはこれで悪くないと思うのだ。

 ほんの少しだけでも、先のことに……俺自身が生きる日々の延長上に想像が向くようになったのは、悪くないんじゃないかと思ったのだ。




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