[2-3]ようこそ砦へ


 火蜥蜴ひとかげとは、細長い身体に短い手足と長い尾を持ち、全身に炎をまとった、中型トカゲに似た炎精霊である。

 彼らの炎は魔力が具現化したもので、触れれば温かいが火傷するほどの熱量はない。寒い時期は膝に乗せると暖を取ることもできる。性格は温厚、陽気、知能も高く人語も解せる友好的な精霊なのだ。


 魔法製オーブンにみついている火蜥蜴三匹は、今やダズリーにとって相棒のような存在だ。

 オーブンの調整板は細かな温度や火加減が設定できるようになっているが、最近ではもっぱら火蜥蜴たちの裁量に任せている。それで失敗することは滅多になく、嵐だったり大雨だったりという天候不良でごくまれにミスが発生するくらいだ。そこはダズリーも慣れたもので、天候に合わせ手動の調整を施したりして対処すればいい。

 本日は朝からよく晴れて、午後には強い風も吹いた。湿度が多めな森にしてはなかなかさわやかな日和だ。火蜥蜴たちは上機嫌だろう。


 夕飯に出す野菜スープの下ごしらえをしつつ半刻ほど待つと、オーブンの中から陽気な歌声が聞こえてきた。火蜥蜴たちが焼き上がりを知らせているのだ。

 調整板で火を止め、ミトンをはめてオーブンを開ければ、酸味の混じる香ばしい匂いがあふれる。トレイを取り出すと、上で三匹仲良く輪を描いていた火蜥蜴たちが連なってオーブンの中へ飛び降りた。こちらを見つめる三匹分のつぶらな赤い目へ軽く手を振って扉を閉めたダズリーは、熱々のトレイを慎重にテーブルへ置いた。


「できたの? おいしそう……」

「まだ熱いぞ、触んなよ」


 テーブルにかじりつくように覗き込んできたヒナをやんわりいさめ、離れさせる。オーブンから出したばかりのトレイに触れれば火傷確定である。

 砦の夕食に出すものではあるが、ヒナを食堂に行かせるのは少し心配だ。ミートパイなら夕飯になるのだし、今ここで焼き立てを食べさせればいいだろう。料理用の火ばさみで二つ取り、ナイフで半分に切ると、一欠片と三欠片にわけて皿に乗せる。


「いいにおい!」

「鹿肉だから、森の香りがするなぁ。さて、お味のほうはどうだろうな……」


 試食用に自分が一つ、三つのほうはフォークを添えて少女の前へ。薄荷はっか色の目をきらめかせ、大きな狐耳をピンと張って、ミートパイとダズリーを見比べるヒナは、控えめにいっても可愛らしかった。



「たべていい?」

「ああ、もちろんだ。中身はまだ熱いから、ゆっくり冷ましながら食べるんだぞ?」

「うん!」


 少女が子供のようにフォークを握りしめ、パイにぷすりと刺して恐る恐る口にへと運ぶ、その一部始終をダズリーは見守る。匂いと熱さを確かめるように端のほうをついばんでから、ヒナはかぷりとミートパイにかぶりついた。もごもごと口を動かし咀嚼そしゃくしているうちに、きらめいていた薄荷色が甘くとろけてゆく。

 口に含んだ分をしっかり飲み込んでから、はにかんだ笑顔をダズリーへ向けて少女は口を開いた。


「おいしい! おにく、甘いよ」


 それだけ言ってすぐ二口目へと取り掛かる。少しほうけていたダズリーだったが、少女の感想と笑顔が胸に落ちると首から上が一気に熱くなった。


「おぅそうか、良かったぜ」


 特別感のある言葉をもらったわけでもないのに、嬉しいような照れるような。この気持ちは一体なんだというのだろう。夢中でミートパイを食べるヒナを眺めながら、ダズリーは自分の一切れを摘んで口に運ぶ。食感を確かめるつもりで歯を立て、一口分をかじり取ってゆっくり噛みしめた。

 ざくりと香ばしいパイ生地に包まれたフィリングは、肉らしい噛みごたえを残しつつも口の中で柔らかくほどけてゆく。ほんのり残るトマトの酸味と、少し癖のある鹿肉の香りが混ざり合い、舌に残るのは甘い余韻だ。


「ん、これはこれで、いけるかもな」

「いけるよ」


 独り言のつもりが返事されて、鳩尾みぞおちのあたりがこそばゆい。残り少なくなったミートパイを味わうようにちまちま食べる姿は小動物のようで、なんとも微笑ましい。

 砦の連中は肉体派が多く、肉料理はいつでも大人気である。新たなメニューとして供すれば、特に若い者たちは大喜びするだろう。ダズリーにとっての得意料理であり家族との想い出の味でもあるミートパイだが、あの頃と違う素材、違う味わいになるのであれば、過去の想い出を上書きせずに済む気がした。

 過去は戻らない。生きている者は、前に進まねばならない。今は亡き妻と娘も、いつか新たな生を受けてこの大陸に生きるのだ。その時までに戦乱を終わらせ、平和な世界を実現するため彼らは戦うのだから。


「ありがとうよ、ヒナ」


 ダズリー自身にも理由がわからない気分の良さを感謝に乗せて口にすれば、当然ながらヒナは首を傾けた。


「んぅ? なんで?」

「そんな気分なんだよ」

「わかんないけど」


 不思議そうに目を瞬かせてから、嬉しそうに笑う。すっかり安堵したダズリーは、一口だけかじった食べ掛けのミートパイを手に席を立ち、ヒナの皿に乗せて言った。


「これもおまえさんにやるぜ。俺は今から夕飯の仕込みがあるから、食べて元気になったら砦の風呂を借りて頭と体を洗ってくるといい。もう少しすればリーフが来るから、案内してくれるだろうよ」


 増やされたミートパイをしげしげと観察していたヒナが、顔を上げ、ダズリーを見つめ、答える。


「たべかけ」

「あっいやそれな、嫌なら残しとけ!」


 無精髭のやさぐれ男が食べ掛けたものを年端も行かない少女に食べさせるなど、事案だったかもしれない。焦って言い添えるダズリーを面白そうに眺めていたヒナだったが、食べ掛けミートパイを手に取ると、にこりと微笑んだ。


「いただきます」

「あっ……無理すんじゃねぇ」


 少女の小さな口の中にダズリーの食べ掛けが少しずつ消えてゆく。名状し難い羞恥しゅうち心に責め立てられてダズリーはそっと顔を覆い、ヒナに背を向けスープの続きに取り掛かったのだった。



  ***



 様子を見に来たリーファスは女性ものの着替え一式を持ってきていた。様々な事態を想定し、医務室には一通りの衣類が用意されている。

 煮豆、火焔菜ビーツの蒸し焼き、ミルクセーキとミートパイ。有り合わせだが、これだけ食べれば腹へり娘の胃袋も満たされたのだろう。満腹になって最初の警戒心も薄らいだのか、ヒナは素直にリーファスの案内で浴室へゆき、温かなお湯を浴びて着替えて帰ってきた。

 綿のハーフパンツと毛織のチュニックにサンダル履きの姿は、ますます幼く見える。まだ乾ききらず毛羽立っている狐の尻尾は、眠気を表すかのように気だるく揺れていた。当面は森で拾った獣人の子供ということにしていても、疑われないだろう。


「おかえりさん。どうだ、あったまったか?」

「うん……」

「おい、そこで寝るな」


 一番最初に座らせた椅子を少女は大変気に入ったようである。膝を折り曲げて椅子の上に横座りし、肘掛けに頭を預けて今にも寝落ちそうだ。湯上がりの生乾き尻尾から風邪をひかれても困るので、ダズリーはオーブンから火蜥蜴を呼び、暖を取れるようにとヒナの肩に乗せてやった。


「リーフ、医務室のベッドって空いてるのか?」

「入院者はいないから、空いてるよ。連れて行こうか?」


 砦には不測の収容に備えて客室の役割をする部屋もいくつかある。とはいえ目立つことは避けたいのと、リーダーの判断が下りるまでは目の届く範囲に置かねばならない事情もあった。間仕切りが多くあり、扉と鍵も備えられている医務室なら、安心して休めるだろうと考えての提案だったのだが。


「やー……」


 潤んだ薄荷色が、訴えかけるようにダズリーを見る。判断しがたい反応に、ダズリーは困惑を隠せず眉を下げた。


「片付け終わったら俺も寝るんだぞ。そうしたら、厨房は真っ暗だぜ?」

「ダズといく」

「俺の部屋じゃベッドがひとつしかねぇよ」

「ゆかでいい」

「子供を床で寝させられるか」

「いいよ!」


 押し問答になり掛けたところでリーファスに「まぁまぁ」と押し止められ、ダズリーは仕方なく口をつぐむ。

 少女は自分の尻尾を抱きしめるようにして、椅子の上でうずくまっていた。


「ヒナも疲れているだろうし、今日は意向をんであげたら? 明日以降どうするかは、また考えるとして」

「いや、だから、ベッドがな」

「一緒に寝たら? ヒナもそれでいいよね」


 さらりと提案され、二の句が告げないでいるうちに、リーファスはヒナの首肯しゅこうを確認してさっさと行ってしまった。絶句したまま視線を落とせば、不安げな薄荷色と目が合う。

 リーファスにもだいぶ懐いたかに思えたのだが、彼のこともまだ怖がっているのだろうか。それとも、医務室という場所に何か嫌な思い出があるのだろうか……?


「チッ、仕方ねぇなぁ。その代わり、片付け終わるまで椅子では寝るなよ」


 ダズリーが折れたのを見て、沈鬱ちんうつだったヒナの表情に明るさが差した。ぱたりと尻尾を揺らして頷くと、椅子の背もたれに頭をすり寄せる。


「ん、だいじょぶ、ねない……」


 甘く気だるげな声はもはや寝言に近く、ダズリーは腰に手を当てため息をついた。このぶんでは、起こしてもすぐ寝落ちてゆくだろうから、さっさと片付けを終わらせたほうが良さそうである。

 今夜ばかりは厨房の掃除を簡単に済ませた。それからリーファスを呼んでヒナについていてもらい、急いで湯浴みを済ませる。今夜はもう何もせず、早々に休んでしまおう。


 しかし子供とはいえ異性の少女をふところに置いて、ダズリーが熟睡できるはずもなかった。

 隣で姿勢良く寝息を立てているのを確認し、背中を向ける。やわらかな体温を布ごしの背中に感じつつ、眠れぬ夜は羊を数えてやり過ごす。


 狐少女との一日目はそんなふうにして、ゆっくりけていった。

 

 



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